まつりゆかた/駆奈々/5237

 淡水色の肩に青色の大輪の花が咲き乱れていた。
 帯は生成り色と茄子紺。
 おろしたての下駄をからころいわせ、ピンクや黒に朝顔や紫陽花を咲かせた女の子たちとかたまりになって学校前で集合する。
 先に着いていた駆が「遅いよ」と言いかけ、黙った。
「お待たせ!」
 せーので声を揃えて言った。
 重なる女の子の声は鈴が鳴るみたいだと思う。
 一番に騒ぎ始めたのは中塚公太。
「エロイ!かわいい!」
「何でエロイが先なのよ!中塚サイテー!」
 そこに便乗するようにポツポツと感想が聞こえ始める。
「いいんじゃない?可愛いよ。」
 佐伯くんがサラリと言えば少女たちはさっと頬を赤らめお端折りを摘まんで直し始める。
「すげー、これ自分で着たの?」
「エリナのお祖母ちゃんが着付けの先生で教えてもらったの。」
「帯はお母さん達に頼んだけどね!」
「雰囲気変わるなー」
「いいでしょっ」
 佐伯くんみたいには素直に言えない男の子たちも浴衣姿の女の子をけなしたりなんかしなかった。
 もう中学三年生だ。そんなに子供じゃない。
 わたしははしゃぐ輪の外れで口をパクパクさせている駆の前で両袖を広げてみせた。
「どうかな?」

 クラスの女の子達が集団となって教室内を練り歩き、輪に入っていなかった女の子の席を回って内緒話の声でこう言った。
「今度のお祭り、みんなで浴衣着ようね!」
 嫌とは言わせない強引さで手を握られ、わたしも思わず頷いてしまった。
「良かったー!奈々ちゃんいつも男の子と遊んでるから心配だったの」
 別に女の子と仲良くしていないわけではないけれど。
 わたしはスカートや可愛いブラウスにジャンパースカート、ホットパンツにニーソックスみたいな格好をしない。
 休み時間にもボールを持って男の子たちとグラウンドに飛び出してしまうので、大抵動きやすいハーフパンツにTシャツやパーカー姿。
「奈々ちゃんもたまにはカワイイ服着ようよー!」
 甘えた声で抱きつかれて説得されても笑って誤魔化した。
 スカートを持っていないわけでも、嫌いなわけでもない。
 でも、
「セブン、兄ちゃんも昼休み一緒にサッカーやるって!セブンもやるでしょ?」
 ひとつ上の学年教室から戻ってきた駆が教室の入り口で叫ぶ。
「うん!」
 男の子たちと一緒になってボールを追いかけるためにはキラキラした女の子の格好はできなかった。

 夏祭りのある土曜日も汗だくでボールを追いかけていた。
 四時前に終わりの号令がかかって、解散前にコーチから
「今日は近くで祭りがあるから参加する奴はよく気をつけて遅くならないうちに帰るように」
 浮き足立った子供たちに釘を刺してくれたが、走って帰ろうとして歩行者とぶつかる子供を見て「今気をつけろって言ったばっかりなのに」と頭を抱えていた。
「どうせまだ夜店やってねえじゃん、なあ」
 大人ぶってわざとゆっくり歩く日比野くんもそわそわしているのを隠しきれない。
「えー、兄ちゃん一緒に行かないのー?」
「駆だってクラスの奴と一緒なんだろ?」
「でも、この間金魚すくいで競争するって言ってたじゃん!」
 駆と一つ年上の傑さんと、四人でネットに入れたボールを一つずつ蹴りながら帰る。
 ネットに入れないままで蹴っていたこともあったけど、坂道で駆が落としたボールが車にぶつかって酷く怒られたのでこうなった。
 今日の話題はもっぱらお祭りのことだ。
 傑さんは同じ学年の友達と待ち合わせをしているらしい。
 わたしたち三人もだ。わたしは女の子たちと、駆と日比野くんは男の子たちと。
 駆たちのサッカークラブグループにも誘われたけれど、先にクラスの女の子たちと約束をしてしまったから断った。
 きっとお祭り会場のどこかで会うだろうし、最後の花火はマンションの六階にある日比野くんちから見る約束になっていた。
「そういやさ、」
 少しだけ声のトーンを落として日比野くんがわたしの顔を見る。
「女子がみんなで浴衣着てくるってマジ?」
「え」
「ケイタがさー紺野達がデパートで浴衣買ってんの見たって言いふらしてたぜ」
「う、うん」
 浴衣のことを内緒を言われたわけではないが、声を潜めて言われたことは他言無用。それが暗黙の了解だった。
 違うというのも認めるのも後々バツが悪くなる。
 困って曖昧に頷いた。
「アイツら最近調子こいてるよな。この間もデケーリボンのついたカチューシャしてきてたし。浴衣もどうせ似合わねえのにラメとかフリフリのついたやつ着てくるんだぜ。」
「浴衣って動きづらいよね。去年美都が絶対着たいって言うから母さんに着せてもらってたけど、家の前で転んじゃってさー」
「そういや今年は美都のやつサンダルで行くんだってさ」
「懲りないよねー」
 少年たちが好き放題に言うのを聞きながら、瞬きする瞼の裏で昨晩母に出してもらった白地に朝顔の浴衣と金魚みたいなフワフワの帯が浮かんだ。
「で、セブンも浴衣着るのか?」
 傑さんは会話に参加していないわたしを見逃さなかった。
「えっと」
 ちょっと驚いた様子の駆の顔。
 この間、女子グループのリーダー格である紺野さんと喧嘩したせいで唇を尖らせた日比野くんの顔。
『みんなで浴衣着ようね!』
 クラスの女の子たちの顔。
「わたしは…浴衣持ってないし…」
 ちょっとした緊張感がすっと消える。
 日比野くんもわたしを“味方”として肩の力を抜いた。
「浴衣なんて良くねーよ、あんなの着たら夜店制覇できねーじゃん!」
「セブンも会ったら僕たちと一緒に金魚すくいやろうよ。いっぱい取れたら学校に持ってっって教室で飼えばいいし。」
「うん、うん」
 嘘をついた。きっと傑さんはそれを見抜いていただろう。
 でも、何も言わなかった。

 結局いつもどおりのシャツに短パン、サンダル姿で待ち合わせ場所に行くと、花畑みたいに色とりどりの浴衣を着た女の子たちが「えー!」の合唱をした。
 浴衣仲間はすでに十分いるのに、わたし一人が裏切ったのも許せないらしい。
「ごめんね!ジュースこぼしちゃってシミにしちゃって…」
 紺野さんは疑っているようだったけれど、仲の良い女の子たちが「仕方ないよ」「奈々ちゃんかわいそう!」と口々に庇ってくれた。
「じゃあ奈々ちゃんは男の子の格好だからエスコートしてね!」
 彼女たちなりに仲間はずれにならないよう気を使ってくれたのか、はたまたショートカットで背も高めのわたしを男の子に見立てて自分自身が楽しんでいたのかはわからない。
 華やかな浴衣にからころ鳴る下駄。キラキラひかる髪飾り、手作りのビーズのブレスレットに薄化粧までした女の子たちと比べたら本当に男の子に観えるかもしれない。
 あっという間に両脇をピンクと黄色の女の子に固められて下駄の小さな歩幅に合わせて歩くはめになった。
 一人がかき氷が食べたいといえば全員で食べ、水風船は一人一個ずつ。
 このまま男の子たちに会わないで帰りたい。
 そう願っても会場はそこまで広くない。
 道の両脇にずらりと並んだ夜店を駆け回っていた少年たちと鉢合うのは時間の問題だった。
「あー!女子!」
 出会ったとき、男子集団はお面やアニメの絵がプリントされたわたあめ袋やオモチャのヌンチャクや、それぞれ好きなアイテムを装備していた。
 男の子は楽だ。
 最初の一人が女子グループを発見して声を上げても、人垣の向こうには前線の緊張感にまったく気づかず屋台で買ったばかりのたこ焼きを頬張って派手に吐き出した子までいる。
「あつっ…タコあっちー!火傷した!氷くれー!」
 騒ぎながらかき氷のカップを持った日比野くんのところまで割り込んできて、状況を察して黙って引っ込んでいった。
「マジで浴衣着てきてる!」
 一人が冷やかし口調で叫ぶと爆竹の導火線に火をつけたみたいに男子集団のあちこちから小馬鹿にした声が上がった。
「似合わねー!」
「化粧までして、ババアみてー」
「男子ヒドイ!」
「うるせー、ブース!」
 この間教室で起きた紺野さんと日比野くんを中心とする喧嘩が再発したみたいな騒ぎになった。
 泣き出す女の子もいて、言い争いの中心はここがお祭り会場というのも忘れているようだった。
 焦りながらも、案外近くに駆がいるのを見つけ視線を送る。
 駆は隣にいた少年と顔を見合わせ、控えめに言った。
「下駄が歩きにくそう」
 駆は嘘が上手くない。
 悪口が本心じゃないのは駆だけじゃない。
 知っている。
 男の子たちが本当に浴衣姿の女の子たちを可愛くないだなんて思ってないこと。
 「女子がみんなで浴衣着てくるってマジ?」なんて言った日比野くんは嫌そうじゃなかった。
 口の端っこがちょっと上がっていたのを知っている。
 声がほんの少しうわずっていた。
 男の子も面倒くさい。
 素直に「可愛い」って言えないのだ。
 怒鳴る言葉は全部裏返しで、本当はドキドキしているくせに。
(浴衣、着てこなくてよかった)
 きっと来年も着ない。再来年も着ない。
 女の子の格好をしたら男の子と一緒にサッカーが出来ないから。

 姿見の中に朝顔が咲く。
 留守番中の家にはエアコンの音しかしない。
 くるりと後ろを向くと、今度は白い腰に赤い金魚が尾びれを揺らす。
 ふわふわの帯は兵児帯といって、簡単だからと母に結い方まで教わった。
 一人でやったら母に手本を見せてもらったときのようにはならなかったが、それなりの格好にはなった。
 勿論ジュースのシミなんてない。きれいに畳まれてずっとわたしの部屋に置かれていた。
 浴衣姿で台所で麦茶を飲み、散らかっていた新聞とチラシをまとめて定位置に置いた。
 もう少し家の中をうろうろしてやることがなくなると居間の隅っこで膝を抱えて座り込んだ。
「あーあ。」
 その姿で外に出る気にはなれなかった。
 第一、今日はもうお祭りでも何でもない。
 浴衣姿で外を歩いている人なんていない。
 一人きりで何をしているんだろう。
 折角の浴衣姿でも祭りの夜の女の子たちみたいに浮かれたりできなかった。
 もう脱ごう。いつもどおりの格好をしよう。
 そう思ってゆっくり立った時、
ピンポ――――ン
 呼び鈴が鳴った。
 着替えて出ようと帯に指をかけると、せっかちな来客の二度目のピンポンが響いて仕方なく浴衣のまま玄関に出た。
「あ」
 駆と傑さんだった。
 駆は口と目を丸くして、傑さんも少し驚いている。
 ドアを開ける前にドアスコープで相手を確認すればよかった。
 後悔と恥ずかしさで今すぐにもドアを閉じて鍵を掛けたかった。
 でも、現実にはそんなことできない。
「へへ…似合わないよね」
 何か言われる前に自分で言ってしまおうと思って口にしたら一気に惨めになって鼻の奥がツンときた。
 でも、傑さんは平気の顔で首を振った。
「そんなことな、似合ってる」
 傑さんは正直だ。わたしたちと一歳しか違わないけれど、同い年の子と比べてもずっと大人だった。
 正面からそう言われて頬が熱くなる。
 そして、ほんの少し芽生えた期待で駆を見た。
 駆はあっさり褒め言葉を口にした兄を見て、わたしと目が合うとパッと目を伏せ、そして。
 そして、
「………へ、変だよ!」
 叩きつけるように叫ぶ。
「おい、駆!」
 傑さんが怒るのも無視して回れ右をして走り去った。
(やっぱりね)
 来年は浴衣なんか着ない。再来年も。その先も。

 その翌年、親の都合で夏祭りを迎えずにアメリカに渡った。
 たんすの奥深くにしまい込んだ浴衣はお母さんづてに美都ちゃんに譲ってしまった。
 日本に戻る予定は立っておらず、まだ小学生のわたしにとっては永遠の別れのように思われた。
 もうみんなと一緒にサッカーはできないかもしれない。
 どのみち中学に上がれば一緒のチームでプレイできないのはわかっていた。
 もう、男の子の格好をする理由がない。

 中等部サッカー部のマネージャーみんなで浴衣を着ようという話になり、すぐに小学校の頃のことを思い出した。
 あの頃駆と同じぐらいだった髪は随分伸びて、水色の衿の上でまとめ髪にしてある。
「奈々ちゃんイイ!うなじエロイ!」
 順番に下心を隠しもしない褒め言葉を配ってビンタを返されている中塚くんを無視して駆の前に立った。
 不安で落ち着かない指先で水色の布をちょいちょい引っ張ると斜めに花が描かれた袖が揺れた。
「どうかな…」
 駆の視線が落ちる。あの時みたいだ。
 一瞬、仲間たちの浮かれた声が遠ざかる。
「………げ、下駄、転ばない?」
 指差しされた足元は帯と同じ茄子紺の鼻緒の下駄。
 少しだけ鼻緒擦れしているけれど、パッと見には分からない。
 そろりと顔を上げた駆の頬が真っ赤でおかしかった。
「じゃあ転ばないよう側で手を貸してね」
「え、ええええ!」
 集団が歩き始めると駆の方が自分のビーチサンダルを踏んで転び、わたしが手を貸した。
 笑い声にかぶさって懐かしい祭り囃子が聞こえる。
 暮れてゆく空の下でも煌々と輝く夜店の灯り。
 光の谷間をゆらゆら歩く色とりどりの女の子たち。
 その人ごみの中へ、わたしたちは手を繋いで溶けていった。