クロッカスとチューリップ/猿美/11707

※ロスモワ未読時点で書きました。

 入学から一度目のグループ分けは席順だった。
 でも、一ヶ月もしたら「好きなもの同士組め」と言われるようになって、好きなヤツも組みたいヤツもいなかったからあてもなく周囲を見回した。そこでたまたま目があった気の弱そうな男子は慌てて視線を逸らして他のヤツの陰に隠れた。

(誰もお前に声かけたりしねーよ)

 誰彼かまわず殴ったりしないし同い年の連中にガキって言われるほどガキでもない。でも、教室の壁で囲われた中にいるみんな、何故か俺のことをそういう風に噂しあって関わらないようにしてた。
 あっと言う間に孤立した。

「おい、誰か八田と組んでやれ。偶数いるんだからもう一人余ってる奴がいるだろ」

 教師にそんなことを言われて、得意の体育でもサボればよかったと思った時、隣に立っていた教師が少し焦った顔をした。
 集団の中からダルそうにメガネの男子が歩み出る。見るからに根暗でガリ勉メガネのひょろっとしたヤツ。俺が周りからバカにされてペアにあぶれるのは納得行かないけど、この根暗は納得だった。小学校でも友達がいなかったに違いない。

「伏見も相方が見つからなかったなら、悪いが八田と組んでやってくれるか」

 なんだその言い方。俺と組むのがとてつもない貧乏くじみたいじゃないか。体育のペアでドッジボールは顔面でキャッチしそうな根暗ガリ勉と組む方が罰ゲームだろ。
 根暗が嫌がろうとも俺が嫌がろうとも他に残っているヤツはいないのだから拒否るするすべがなかった。
 そこで誤算だったのは、根暗メガネが運動音痴のガリ勉じゃなかったってこと。

「うわっ」

 わざわざ敵の頭の脇をかすめるように投げられたバスケットボールをゴール付近でキャッチして軽く踏み切って腕をバネのように伸ばす。ゴールネットをストンとくぐり抜けたボールを悔しそうに敵が拾うのを見て鼻を鳴らした。
 性格の悪さが滲み出るようなパスを寄越した伏見猿比古は俺の得点シーンにも敵の悔しがる様子にも興味なさそうに黒縁メガネを押し上げた。俺がシュートを決めたのが当たり前のように、猿比古の放ったボールがビシッと狙った場所に届くのも当たり前だった。根暗メガネは運動神経が良かった。
 走りで俺が負けたことはないが、猿比古を完全に置いてきぼりにできたこともない。器用さがモノを言う球技では互角だったし、体の柔らかさは猿比古の方がちょっとだけ上だった。そんな猿比古と張り合っているうちに、体力測定の記録はぐんぐん伸びた。
 教室でも俺たちはお互い一人で、くじ引き制の席替えで隣になった女子が何もしてないのに俺を嫌がって半泣きだったおかげで気づいたら猿比古の隣に替わっていた。俺の隣に座りたくないって言わなかったのがコイツだけだったから。
 それから俺たちはふたりぼっちだった。

 どいつもこいつも頭の悪そうな子供だった。
 公立の中学を選んだのは親がどちらも私立校を出ていたからだ。私立の生徒だって中身はそう変わらないだろう。同じ小学校から有名私立に進学したヤツは親が金持ちというだけのくせにプライドだけは高かった。あんなヤツばかりなら公立の方がよっぽどマシだ。
 どのみち周囲と馴れ合う予定はなかった。見るからに誰とも打ち解けないまま一ヶ月過ごしたが、親が教育委員だったおかげで何も言われなかった。気を使わずにはいられないが、下手に声をかけてこちらの機嫌を損ねるのも避けたいと考えた結果が放置だったんだろう。
 その証拠に、体育教師は自由に組ませたペア決めにあぶれた一人が俺だとわかると「しまった」という顔をした。そこで仕方なく組まされたのは特に頭の悪いチビだったけど、誰のこともバカだと思っていたからどうでも良かった。
 目つきと頭が悪くて体力だけはあるチビ、八田美咲は人の波に流されるみたいに俺の横まできて、留まった。

「視力悪いヤツって自動的に最前列じゃねえのかよ」
「何のためにメガネしてると思ってんだ。お前こそ、チビなんだから前じゃねえと黒板見えねえだろ」
「見えるっつうの!」
「そうかぁ?じゃあノートと教科書見せてみろよ。黒板にメンデルの顔に鼻毛書けなんて書いてあったか?」

 ノートはスッカスカで教科書は落書きだらけ。頼み込まれてテスト前に勉強を教えたことがあるが、赤点をとらせない前に教え抜くというのが至難の業で、あれは十数年の人生の中でも一番頭を使った期間だった。他人のテストとはいえ、やっとで取れた45点に達成感を味わったのも最初で最後の経験だった。
 半分も取れていない丸の少ない答案を自慢気に持ち帰った際に連れて行かれた自宅はボロアパートで、日が暮れてしばらくしたら美咲とそっくりの呑気そうな顔の母親が帰ってきた。母親は受験の本命校に合格でもしたかのごとく美咲を褒めちぎり、学校であんなに喜んでいた美咲は撫で回す手を避けながら「赤点回避しただけじゃねえか」と吐き捨てた。
 夕飯前に帰るというのを押し切られ、勉強を教えてくれたお礼と言って三人分の夕飯を拵えてくれた。美咲の家は二人暮らしだった。

「何だソレ」

 休日の昼にホットケーキを焼く母の後ろで美咲がテーブルに置いたのはみかんの缶詰だった。缶切りで器用に開ける。

「何って、みかん」

 クルッと回してラベルを見せてくれるが質問の意図を理解していない。毎日話し相手はお互いだけだというのに、いつまで経っても話が噛み合わない。

「何でホットケーキにみかんなんだよ」
「はぁ?普通乗せるだろ」
「バターとかメープルシロップじゃなく?」
「缶詰に残ったシロップかけるとびしゃびしゃになるけど?」

 ホットケーキに添えるのは四角いバターとメープルシロップ。みかんを添えるならホイップクリームや他のフルーツとセットか、そもそもホットケーキではなくクレープか。家政婦が用意する見た目にも取り合わせにも過不足のないおやつばかり与えられていたから、ホットケーキにみかんだけをサンドした八田家のおやつは異文化だった。意外と悪くはなかったけど。
 美咲の母は炒め物を作らせたら余っているものはなんでも入れるような人で(一応味や栄養のバランスを考えて選んでいるとは言っていた)、そのくせ味は悪くない。素材の好き嫌いの問題で食べられないものは多かったけれど、食べられる素材にまで味が移って食べられないなんてことはなかった。食べられない野菜はすべて美咲が横からかっさらっていった。
 結局自分は八田家の野菜炒めはほとんど食べられなかったけれど、美咲の好き嫌いが牛乳だけというのは当然のような気がした。牛乳そのものは手を加えて飲むものじゃないからだ。

 一年の夏の終わり頃、上級生と喧嘩したら放置花壇の世話をさせられた。
 たまたま落ちていた空き缶を蹴ったらカツアゲ現場に飛び込んでしまったのが真相だったが、カツアゲされてた女子はどっかいっちまって上級生が「そんな事実はない」と口を揃えたらどうにもならなかった。一方的な喧嘩じゃなかったけど、罰が下ったのは俺だけだった。
 敵の半分は猿比古がやっつけたというのに、ヤツは巻き込まれた可哀想な生徒扱いで無罪放免。ボランディア活動という名の無駄な労働に勤しむ俺を日陰に座って眺めていた。

「おい、腹減った」
「俺だって働いてる分余計に腹減ってるつの」
「ゲーセン、百円でプレイできるの今日までなんだよなぁ」
「もうちっとで終わるからタンマツで暇潰してろよ!っつーか文句あるなら手伝え」

 前半への返事は舌打ちで後半は黙殺された。
 昔は授業で何か栽培するために使われていたらしい花壇も今では誰が管理しているかもわからなくなっていて、雑草に混じって花の芽のようなものがちらほら見える。世話をしろという一言で投げ出されたおかげで何をしていいかもわからなかったけれど、多分これを育てればいいんだろう。
 花のことなんか一つもわからなかったから明らかに雑草と思われるものだけ引き抜いて、過去に植えられた花疑惑のある芽はタンマツで写真を撮っておいた。
 花屋に勤める母の見立てでクロッカスと判明した草は案外たくましい植物だった。暇つぶしに猿比古が調べた情報を参考に水をやって、雑草を抜いて、半分ほど空いている土に母から押し付けられた球根を植えた。
 毎日水やりについてきても猿比古が手伝ったことは一度もなかった。
 冬がすぎ、二月にクロッカスが咲いた。それまでさっぱり興味のなさそうだった猿比古が頼まれもしないのに仏頂面で黄色い花を撮っていたのは気分が良かった。
 クロッカスが短い見頃を終えてしばらくすると、今度は自分で球根を植えたチューリップが真っ赤な花を咲かせた。すぐに落ちそうなほど大きな赤い花弁のついた一輪を写真に撮った。
 他の誰も見に来ないけれど立派な花が咲いた。

 美咲は女みたいな自分の名前を呼ばれるのが嫌いだ。
 母親の前では呼んでも怒鳴らないが、気に入っていないのを母親は知っている。

「もっと小さい頃の話なんだけど、可愛いと思ってもっと髪を長くさせてたら、連れてきたその時のカレシに女の子と間違われてね」
「その話ヤメロ!」

 ケラケラ笑いながら語られたエピソードは本人にとっては思い出したくもない出来事らしい。
 大声で遮られて詳細は聞けなかった。

「まあ、その元カレのこと特に嫌ってたってのも理由みたいだけど」
「嫌ってたもクソも、おふくろが連れてくる男がろくなヤツだった試しがねえよ」
「子供のアンタにはわかんなくてもみんな良い所も悪い所もあったっていうそれだけよ」

 最初に家に誘われた時こう言われた。

『最近おふくろ大人しいし、うちに来いよ』

 その時はヒステリーか何かで暴れる親なのかと思った。乱暴者と囁かれる美咲の腕っ節は親譲りかと。でも、母親の細腕は喧嘩には全く不向きで性格も楽天的。美人ではないが愛嬌があって、美咲みたいに人と揉めるタイプでもなかった。
 ただ、致命的なほどに男運がない人だった。美咲が中学にあがってからはなくなったものの、それまでは交際している男を家に連れてくることがよくあったらしい。

「四股野郎にDV男に、最初から妻子があるのを黙ってたってパターンもあったな。よく懲りねえよな」
「まだ再婚諦めてないからね。美咲が将来誰かと一緒になって置いてかれたらひとりぼっちだもん」
「俺は結婚とかしねえよ」
「親離れしない気?」
「そうじゃなくて!恋だの愛だのではしゃいでくだんねえって言ってんだ」
「えー?くだらなくなんかないよ」

 苦々しく言う息子に目を細めて笑った。

「猿比古、何ジジイみたいに膝なんかさすってんだ」
「成長痛」
「セイチョーツー?ってそこまで痛くねえだろ。どっか悪いんじゃねえの?」
「……ああ。美咲は足もあんまり伸びなかったみたいだしな」
「オォイ!?話すり替えてんじゃねえ!」

 毎日ゲームの話とオチのない愚痴ばかりの代わり映えしない毎日でも体だけは軋むほど変化していた。美咲が悔しがるから背が伸びるのはいいが、痛みでギクシャクする足も声変わりで思うように発声できなくなる喉も不便で仕方ない。

「それよりお前、ちょっと腕上げてみろよ」
「はぁ?」

 上げなかった。理由も言わずに急かされたからこっちに得がないのは疑うべくもない。

「すぐ済むからちょっと腕上げてみろっての」

 焦れた美咲が半袖の剥き出しの腕をとって肩より高く持ち上げた。ただでさえ熱いのに美咲の手のひらがまた熱くて迷惑極まりない。
 腕をむやみに高くあげさせたかと思うと肘に髪が触るほど顔を寄せて、言葉通りすぐ開放された。

「……今何見たんだよ」
「腋毛」

 自分と比べた結果がどうだったかなんて質問はしない。機嫌を損ねていないのが答えだ。美咲はすぐ顔に出る。
 質問の代わりに鼻で笑ってやった。

「ンなことしか気になることねえのかよ、ガキだなぁ美咲」
「あぁ?!名前で呼んでんじゃねえよ猿っ」

 美咲が掴みかかってきたその時、屋上の扉が開く金属の擦れる音がした。来訪者からは死角の階段室の裏で思わず息を潜める。膝立ちの美咲も同様で半端な体勢のまま静止した。

「屋上の扉って施錠されてないんだね」

 甲高い少女の声が言った。施錠されてないわけではなく、簡単にこじ開けられるものだったから、無断で開けて出入りしてるだけだ。
 どうやら男女の二人組だった。それがわかるとこれから起こることの察しはつく。
 案の定『テシガワラくん』が告白されて『ミヤワキさん』は断られた。

「部活に集中したいから、今付き合うとかは……」
「そう……ごめんね、サッカー頑張ってね」

 足早に去ったミヤワキの後で少し時間を置いてテシガワラが屋上を去るまで数分の出来事だった。

「サッカー部のテシガワラってうちのクラスじゃん」

 休み時間が終わる頃に教室に戻る途中、二つ隣のクラスで女子が三、四人うっとうしく集まっていた。中心で慰められている女がミヤワキだとすぐにわかった。いかにも女の子らしい見た目で大げさに悲しんだり友人に感謝したりと忙しい。したたかそうだと思った。
 その見立ては当たった。二週間も経たないうちにミヤワキが別の男と親しげに帰る姿を教室の窓から見た。おまけに、サッカー部が部活に集まるグラウンドの端でテシガワラが呆然と見つめているのも。

「ハッ、だっせ」

 短く、心底バカにした口調で美咲が嘲笑った。
 先日一緒に見た動物映画で目を潤ませていたとは思えないぐらいの冷たさで。

「好きとか言われて信じるからだ」

 週末、でかいテレビでゲームがやりたいからと美咲がうちに泊まりに来た。ついでに映画のDVDを借りてきた。CMでは派手なアクションシーンがクローズアップされていた洋画の吹き替え版だ。俺は興味がなかったから再生が始まって数分で風呂に立って、戻ってくる頃には別のアニメ映画が再生されていた。

「なんかつまんなかったから」

 タイトルでレビューを調べると、CMの印象とは大違いでストーリー自体はベタな恋愛モノだったらしい。見せ場のアクションシーンまで我慢するのも放棄してラブストーリーを拒絶する拗ねた背中を見ていると安心する。
 しばらく前に、美咲が女を助けた。気が弱くてノロマで、生物の授業の後に日直が二人で片付けるよう指示された水槽を一人で片付けるはめになった女子だ。相方はさっさと遊びにいってしまって、他の生徒もほとんど理科室を出ていた。女子の手には余る水の入った水槽をよたよた運んで、至極当然の流れで床に落として割った。
 たまたま一番近くにいたのでわずかにかかった水に舌打ちをした俺の横から美咲が走りだし、呆然として動けないでいる彼女の肩にぶつかって、彼女はもう一度悲鳴を挙げた。
 理科室前に留まっていた何人かが現場を覗いたのはその直後だ。美咲に突き飛ばされよろけた彼女と悪びれない美咲と床の惨状を見たら誰も彼女を責めなかった。準備室から様子見に出てきた教師もだ。
 教師に事情を聞かれた彼女は説明に困って美咲を見た。でも美咲は軽く睨んでそっぽを向き黙ったままで、俺は事情聴取に巻き込まれる前に一緒に教室を出た。俺が一緒だと教師は追求しづらくなる。それが美咲の計算に入っていたとは思えないが、水槽の件で彼女が責任を問われることはなかった。
 それで終わったならいい。こういうことは一度ではなくて、別の女子がカツアゲされている現場に割って入ったこともあった。女は苦手なくせに、母親のことがあってか、困っているのを見るのも苦手なのだ。
 助けられた側が恩知らずのまま、もしくは助けられたことにも気づかないバカのままなら良かった。
 でもノロマ女は礼を言いたそうにうろちょろした。事件から数日の間だけではなく、美咲に視線を向けていたのを知っている。美咲本人は気づいていなかったようだが。
 あれが万が一告白なんかしてこようものなら最悪だ。何かの間違いで美咲が改宗してどうにかなったらつまらない毎日がもっとつまらなくなる。

「今見てるそれは面白いのかよ」
「うーん?……あんまり」
「だろうな。公開された時レビューでボロクソ言われてたヤツだし」
「うぉい、知ってたなら借りる前に言えよ!」
「他の新作がすっからかんでそれだけ何本も残ってたらつまんねーんだってわかるだろうが」
「……っ!わ、わかってた!」

 意地になって映画に向き直ったが、すぐに飽きたらしくテレビの前を離れた。ベッドに座った俺の前で立ち止まり、いきなりスウェットのウエストに指をかけた。スウェットだけじゃない。パンツのゴムもまとめて引っ掛けて遠慮なしに引っ張られた。さすがに面食らって言葉も無い。
 風呂あがりの寝間着の股間にはひんやりと感じるぬるい空気が落ちてくる。

「…………何のつもりだよ」

 美咲は無言で自分のウエストのゴムも引っ張り覗きこんだ。脇を確認された時のことを思い出した。強風の日の教頭の次ぐらいには毛のことばかり心配している美咲がノロマ女のせいで変わるなんて、杞憂だったかもしれない。

「そういうことするからガキなんだよ」
「うっせ。お前だってホントはこういうの気になんだろ!」

 父親も兄弟もいないってことは物差しがないってことだ。相談相手がいない。うちも、両親は健在でもほとんど関わらない生活が長いから、わかる。相談相手ならネットに接続されたタンマツで十分だったけれど。
 数ヶ月前、最後に見た親の後ろ姿が瞬きする瞼の裏に映った。変声期でしゃべるのが億劫だったときだ。出掛けに目が合っても何も言わない俺をなんとも思わなかったみたいだった。
 美咲が自分の履物を引っ張っている手を上から掴んで固定した。自分も俺のを見たくせにビクついて文句を垂れたけど手を振り払いはしなかった。自分も見たから俺にも許す、ということらしい。
 当たり前だけど、好奇心からネットで検索して見た大人よりもずっと幼い、自分とそう変わらないように見えた。

「なぁ、八田」

 いつも下の名前で呼ぶと怒るくせに、たまに苗字で呼んでやると怯む。

「こっちは気になんねえの?」

 手を解放したその指の背で股間を軽くノックした。

「お、おおおおぉい?!何してんだよテメェ!こっちってっ」
「あっれぇ?まさか自分で触ったこともねえのかよ」
「バッ、バカ!バカにすんじゃねえよ!?オナニーぐらいやってるっつうの」

 一部小声。

「じゃあ他人の見たことは?」
「あああああるわけねえだろう変態かよっ」
「決めつけんなよ。AVだって男優のチンポ出てくんだろうが」
「そ、それは……」
「ああ、見たことないか。女苦手だもんな?」
「黙れよクソ猿!べべべつにそんなもん、そんな、俺だってなぁ?!」
「女も他人のチンポも平気だって?」
「あ、ああ!」

 獲物は力強く頷いた。何が平気か理解しないまま。

「じゃあ毛だけじゃなくてソッチも確認するよな?」
「ああ!…………あ?」
「萎えてるとこ見てもしょうがねえからちゃんと勃てるんだぜ?」
「ちょ、待てよ!ギャッ!!」

 ガタガタ言うのに構わず履物を膝上までずり下げた。正面からスカートめくりされた少女みたいに内股で股間を手で押さえているが、悲鳴は甲高くない。

「隠してんじゃねえよ」

 無理に手を外させることはしない代わりに自分も履物を落とした。足首まで。お互い様っていう状況はさしずめ『北風と太陽』でいう太陽だ。
 堂々とする俺に負けず嫌いが発動して性器を晒した。まじまじ見ても何とも思わなかった。
 勃てろと言ったのは自分だけど、さすがに一人でしごき出すのには躊躇いがあって、代わりに美咲の股間を触ってみた。カエルが潰れたような声を上げて飛び退いたから一瞬だったけど。

「おおおおおおい、ホントにおおおおかしいんじゃねえの?こういうの……俺ら友達だし男同士だろ?!」
「だからだろ?遊びで触り合うぐらいよくある話だろうが」
「ンなの知らねえよ!」
「あるんだって。興味ねえの?」

 即座に否定されることも考えたけど、されなかった。

「相手が男だろうと、他人の手って興奮するらしいぜ?」

 好奇心は暴力的だ。俺たちの年頃なら尚更だ。興奮と気持ちいいことには逆らえない。
 足元にまとわりついていたスウェットとパンツを捨ててベッドに乗り上がって見せた。音が聞こえそうにゆっくりと美咲の喉が動いて、無駄に慎重にベッドへ膝を乗せた。

 一生色恋沙汰には関わらないで生きるんだろうと思った時、同時にセックスとも縁がないまま生きるのかもしれない、と落胆もした。あっても風俗。そう思うと落ち込んだり希望が見えたり情けなく思ったりと忙しく、一晩眠れないこともあった。
 一晩悩んでも男と遊びでベッドに入るなんて発想は一つも出てきやしなかったけれど。
 想定っていうのはあんまり役に立たない。
 しかも心配していたようなことは何も起こらなかった。学校でも猿比古の顔を見るたび変に意識してしまうとか、そわそわして周囲にバレるとか。猿比古は少しも変わらなかったし自分も平常通りの猿比古の隣で普通に過ごした。
 ただ、誘われて家に向かう道中の口数は減った。

「ちゃんと鍵かけてんだろうな……?」
「お前んちのふすまとは違うから安心しろよ」

 やるのは決まって猿比古の部屋だ。うちは鍵どころか遮音性も皆無のふすまで仕切られた狭い寝室しかない。いつも猿比古が後ろ手で閉めた扉が内側の秘密を守る。
 最初は控えめに手で触る程度だった。それが抱きあうみたいに体を寄せるようになって、あんまり近かったせいで近づいてきた唇を避ける暇がなかった。
 慌てて引き結んだ唇を何度もそろりそろりと舌先でなぞられるのがたまらなくて誘惑に抗えなくて一度受け入れたらもう拒めなくなった。

「フッ…………やべぇ……」

 キスしながらしごき合うのは頭の奥が焼けるようで、気がついたら仰向けに転がされた俺の上に猿比古がいて体を揺すって股間をこすりあわせていた。

(これ、マズいな)

 遊びで許される範囲を飛び越えてしまう気がする。でも頭の中で吹き荒れる熱っぽい嵐に酸素を奪われて焦るだけの余裕がなかった。多分これも馴らされて習慣になる。
 静かに目を覚ましたとき、眠りに落ちる直前の記憶がなかった。いつもより疲れた。
 体の上にいたと思った猿比古は横で背を向けて寝ていて、ベッドを降りても目を覚まさなかった。

(…………水)

 喉の渇きを感じて辺りを見回したが、空のペットボトルが転がっているだけ。仕方なくスウェットを整えてなるべく音を立てないようドアノブを回した。軽い手応えで扉は開いた。
 この家は両親と子一人の家族構成でどうしてこれだけ部屋が要るのかと思うほどに部屋があって、そのくせいつ来ても静まり返っている。家族のいない日を選んで誘われているのだとしても最近は最初から家族と同居してないんじゃないかと思うほど頻繁だった。男のいる時でも母親がめったに外泊してこないうちじゃありえないことだ。
 一階のキッチンまで降りてグラスに水をもらって戻るまで何の物音もしなかった。深夜でも本当に誰もいないみたいでゲームのダンジョンに入り込んだみたいだった。勇者の剣も魔法の杖も持たないまま放り込まれたダンジョンは夏の終わりとはいえやけに寒々しくて不安になる。
 幽霊にあうことも、窓を突き破ってモンスターが現れることもなく、ついでに猿比古の親と遭遇することもなく部屋に戻ってきた時には思わず安堵の息が漏れた。
 ドアノブについた内鍵のつまみを回す。カチャリ。

「あれ?」

 静かだからだろうか。施錠音がやけに耳についた。違和感を覚えて解錠と施錠を何度か繰り返す。
 さっき、この部屋を出る時に内鍵を開けただろうか。
 今日に限って猿比古が施錠を忘れたのか。

(鍵をかけたか訊いたのに?)

 几帳面というか神経質な猿比古がこういうことを忘れるとも思えない。
 そもそも、

(いつもこんな鍵の音、してたっけ)

 意識したことはないが、ドアの開閉はいつも猿比古がしていたから施錠を確認したことがない。内鍵のつまみはいつも施錠の向きになっていただろうか。

(オイオイ、下手したら親に踏み込まれてたかも……)

 でも実際には誰も入って来なかった。ベッドに上る前、下階で人の気配がしたこともあるし、両親の部屋も同じ二階だと聞いていた。
 そんな状況で何で鍵をかけなかった。
 思い出してベランダに出る。ベランダの冷たい床の隅に空き缶に入った煙草の吸殻が、ひと目でソレと分かる格好で残されていた。以前、二人で試しに吸ったヤツだ。美味さもわからず咽てすぐにやめたから長いままのシケモク。

『バレねえように処分しとけよな』
『うるせぇな……わかってる。すぐ捨てる』

 どれだけ前の話だと思ってるんだ。とっくの昔に捨てたんだと思ってた。他の空き缶に混ぜたら簡単に捨てられるはずだ。大体、自分が処分するといったのは猿比古だ。

(なんだコレ、なんだよコレ……まるで親に見つかって怒られたいみたいじゃねえか)

 うちの親だったらすぐにバレるしぶん殴られる。だから猿比古の家で吸ったし、エロいこともうちじゃやらない。

(バレたら困るんじゃねえのかよ。コイツの親ってエライ人なんだろ。怒られるどころじゃすまねえんじゃねえのかよ)

 ベッドでか細い呻き声が聞こえて慌ててベランダのガラス戸を閉めた。振り返ればすぐに大きなテレビが目に入る。高性能のパソコンと充実した本棚とディスクラック。どちらかといえばタンマツばっかりいじってるくせにゲームはひと通り揃っている。
 面白ものは何もないうちと比べたら歯ぎしりするほど羨ましい部屋。すごく大事にされてるんだと思っていた。何でこんなに沢山のものを持っていてもいつも退屈そうなのかって。
 俺は猿比古みたいに頭が良くないから、モヤモヤした思考の中で見え隠れする正解を上手く取り出して言葉に出来ない。出来たとしても何もしてやれないと思う。
 それから後も何度もこの部屋に来て抱き合って、思い出してドアノブを見ると施錠されていなかったけれど黙っていた。もしコイツの親に見られて面倒な事になってもそれでいいような気がしたからだ。
 胸の中の晴れない霧が濃くなるごとに、毎日が退屈で苦しくなるごとに部屋に通ってどんどん深みにはまっていった。

 青天の霹靂。
 高校受験が近づいて同じ教室に押し込まれた生徒が机にかじりついている間も俺たちはふらふら過ごしていた。俺はその気になれば勉強しなくても受かると確信していたし、美咲は進学せずに働くからいいんだと言っていたから、美咲のいない学校であと三年間も暇つぶしすることを考えると受験する気も起きなかった。
 そういう時だ。鎮目町の伝説に遭遇したのは。
 名前だけは知っていた吠舞羅の赤き王。都市伝説みたいな信憑性のないものだと思っていたのに、前触れ無く現れて道に転がる空き瓶を拾うのと同じ気安さで拾われた。
 仲間になる儀式をクリアした俺たちは異能を得て、居場所と仲間を得た。美咲が部屋に来ることがめっきり減った。
 赤の王はいつも眠たそうにしていて寡黙だった。下っ端の小競り合いはしょっちゅうだったが、多少のことはチームのナンバー2、草薙さんと十束さんが片付けてしまう。
 小競り合いを起こしがちな美咲は、出会ってから一番イキイキと過ごしていた。
 そこが美咲の居場所であっても自分の居場所ではないんだと気づくのに時間はかからなかった。
 美咲の母親がついにまともな男と再婚して引っ越したのに合わせ、美咲が一人暮らしを始めたのとほぼ同じ頃にチームを抜けて吠舞羅と対立する青の王の組織、セプター4に入った。
 当然美咲はうるさかったが、赤の王からは咎められることもなかった。

「おや、伏見くん。何をしてるんですか」
「……いえ」

 うっかり立ち止まっていたことに気づいて急いで上司の三歩後ろまで追いかけようとしたのに、青の王・宗像がわざわざ引き返してきたのでそうもいかなくなった。仕事中なのだから副長のように無駄な行動を排除して欲しい。副長は小うるさいが、対処に困る言動をしない分宗像よりもやりやすい。

「ほう……この寒い中、花ですか」

 通りかかった花壇に控えめな黄色い花が咲いている。丈の低い花だから、他の花に囲まれたらすぐに埋もれてしまうだろう。

「……クロッカスです」
「伏見くんが花に詳しいとは意外ですね」
「詳しい訳じゃありません」

 顔を背けて舌打ちをしても宗像は気に留める様子もない。これだから王というヤツは。

「黄色いクロッカスの花言葉は、青春の喜び。信頼。それから…………裏切らないで。」
「――――」
「そういえば、以前タンマツでこの花の写真を見てましたね」
「…ッ、何で知ってンすか!」
「たまたまですよ。ぼんやりしてる君の後ろを通りかかったもので」
「…………やめてください。プライバシーの侵害です」

 これは失礼。と悪びれもせず笑った宗像はあっさりと花壇を離れた。
 今年の冬は長引くと天気予報でいっていた。
 黄色い花の上に白い雪がわたのように軽く舞い降りる。寒い土の上で、ほんの二週間ほどでこの花が終わるのを俺は知っていた。