頭の上に硬いものが落ちてきて目を覚ました。
すぐ横に見慣れないベッドがあって、頭の横に自分のものではない携帯が転がっている。
携帯に打たれた額をさすりながら起き上がると、高くなった視界の至近距離に健二の寝顔があった。
「……っ!」
首を巡らせて遮光カーテンの隙間から光の差す部屋を見渡すうち、そこが初めて訪れた健二の部屋だと思いだした。
部屋着とほとんど差がないランニングシャツとハーフパンツを寝間着にしている自分とは違い、上下揃いの寝間着のボタンを上まで留めて眠っている健二が小さく唸って寝返りを打った。
昨夜から佳主馬はこの部屋に住んでいる。
十年以上も一人っ子だったから、兄弟というものも、赤ん坊との生活も隣の家の出来事のようだった。
赤ん坊が家に来て、おっかなびっくり世話をしている間は旅先での出来事みたいに特殊な時間だった。新鮮さと不安と喜びが入り交じって、手が汚れても嫌だなんて思わなかった。
後から思えばその頃はまだお客さんだった。小さな妹のいる家に滞在しているお客さん。
三ヶ月頃には妹のいる生活に馴れた。一人でも上手にオムツが替えられるしミルクだって作れた。
深夜にも泣き出すことがあったけど、妹と一緒に寝ている母親がおっぱいをやればすぐに静かになったし、小さな手で指を握ってくれるのが可愛かった。
六ヶ月過ぎる頃にいわゆる夜泣きが始まった。もっと小さな頃にも夜中に泣き出すことがあったけど、それとは違う。どこか痛いのか心配になるぐらい苦しそうに泣いてなかなか泣き止まない。
両親と妹が眠る隣の部屋にいても目が覚めた。忙しい時にさえそれなので、二ヶ月後にはヘッドフォンを遮音性の高いものに新調した。
もう中学生だから、母親を妹に取られて寂しいなんて言わなかった。だけど、育児番組や雑誌が「上の子のケアを忘れずに」なんて言うもんだから、仕事で忙しい父親がやけに気を使ってくれる。
「今日は父さんと風呂に入ろうか」
「もう入ったから一人で入ってよ」
「じゃあ風呂上りに晩酌に付き合ってくれよ。ジュース買ってきて冷蔵庫に冷やしてあるぞ」
「歯磨きした後にジュース飲むと母さんに怒られるし、これからOMCの試合があるから」
まだ食い下がろうとする父を風呂場に押し込んで子供部屋に閉じこもる。母は隣の部屋で妹を寝かしつけていた。
パソコン前に座ってOZにログインすると、すぐにメッセージが飛んできた。
>ケンジ:今、大丈夫?
ヘッドフォンを首にひっかけたままチャットウィンドウを開いてキーボードに指を走らせた。
>カズマ:うるさくできないけど、チャットなら
>ケンジ:赤ちゃんは寝てる?
>カズマ:寝かしつけてるところ。もう寝てるかも
>ケンジ:昨日より早いね
>カズマ:でも三時間もしたら起きると思うよ。どうせなら試合中に寝ててくれるといいのに
>ケンジ:今日は公式戦の予定はないの?
>カズマ:うん。健二さんの相手しようか?
OZアバターを格闘させるネットワークゲーム、OZマーシャルアーツはOZの中でも人気コンテンツだ。だけど健二はあまり得意じゃない。案の定、苦笑いの顔文字と一緒に断られた。
>カズマ:だと思った
>ケンジ:代わりに一緒にパズルやる?
>カズマ:数字のやつでしょ?説明されたって解き方もわかんないんだもん、やだよ
>ケンジ:だと思った(笑
一昨日ボイスチャットをしたばっかりだから、文字からクスクス笑う声が聞こえてくる。マイク越しの少し低い落ち着いた声だ。
(声が聞きたいな。一方的でいいから通話してくれないかな)
チャットウィンドウにまったく別のメッセージを打ち込んで送信してからヘッドフォンをして音楽を再生した。
健二とは去年の夏、妹が生まれる一ヶ月前に出会って、それ以来、ネット上の仮想世界OZで連絡を取り合うようになった。
今では毎日のようにお互いのアバターが待機する仮想ルームのドアを叩く。
妹が生まれてすぐの頃は一週間に一度ぐらいだった。企業と取引のあるOMCチャンピオン佳主馬は夏に起きたラブマシーン事件の後、何かと忙しかった。
それに妹の様子も気になって。一時期はOZのアクセス時間があからさまに短くなったおかげで周りにも兄バカだと笑われたものだ。
忙しさが一段落して妹からも少し離れたくなった頃、佳主馬はやっぱりOZを開いた。登録しているフレンドリストを開けばオンラインのユーザアイコンがフルカラー、オフラインのユーザアイコンはモノクロで表示される。あの夏以来健二が使っている丸いリスアバターはいつだってよく目に付く黄色で並んでいた。
『うちに帰ってもどうせ一人だし、すぐパソコンつけちゃうんだ』
ビデオチャットをすると大抵暗い部屋にいる。佳主馬も一人の部屋では灯りをつけないことが多いけれど、最近は様子を見に来た父が「目が悪くなる」と言って勝手に蛍光灯のスイッチを入れていく。
パソコン越しの健二が暗い部屋の中でそのやりとりを笑うので佳主馬は頬を膨らました。
「健二さんだって部屋を暗くしてるくせに」
『うちは誰もスイッチ入れにこないからね』
「邪魔が入らなくていいね」
『集中してやることもないのに静かでもありがたみがないよ』
「やることって、メールで送られてきた暗号を解くとか?」
『もう、勘弁してったら!』
家族とすごすのに疲れたときはいつもOZにログインして、大抵待機している健二と話す。
毎日のように連絡を取り合っていると、ましてそれがボイスチャットだったりすると、不機嫌を隠しておけない。つい愚痴がこぼれても健二は同調も否定もしない。それが良かった。
妹があと一ヶ月半ほどで一歳になる夏休みの始め。
子供部屋のエアコンが壊れた。
仕方なくリビングで過ごすことが増え、同時にボイスチャットもしなくなった。
学校の友達は塾の夏期講習に忙しい。中学三年の夏だ。佳主馬も誘われたが断った。偏差値の高い高校っていうのは偏差値の高い大学が目標だから目指すものだ。生憎と佳主馬はそういった目標を掲げていなかった。
日頃の成績も悪くはない。OZでの活動にとやかく言われないための努力はしている。
仕事の予定をいつも以上に詰めている夏休みを削りたくはなかった。
でも、エアコンの故障で予定が狂った。
盛んに動きまわるようになった妹がパソコンを乗せていたテーブルに体当りする。それで打った肘が痛いと泣き出し、母があやしている間に子供部屋に戻ったものの、一時間で限界を感じてリビングに戻ってきた。今度は妹の動向に注意しながら。
妹は興味を持ったものは何でも触りたがる。麦茶の入ったコップ、その下に敷いてある布製のコースター。パソコンのキーボードを押したがって何度か攻防を繰り返し、やっと興味が他へ移ったかと思ったらテレビのリモコンを見つけて音量を最大にした。
きわめつきは隠してあったルーターの電源を見つけ出してコンセントを引き抜こうとした。
怒鳴りたくて吸った息を爆発させることが出来ず、細く吐いて家を飛び出した。
その日の夜には背中を丸めて東京にいた。
毎朝五時半には目が覚める。いつもなら近所の公園で日課にしている少林寺拳法の訓練をする時間だが、昨晩は暗い中を健二に案内されるまま来てしまったので周辺の地理がわからなかった。
仕方ないからもう少し寝ようと思って目を閉じたが、体内時計には逆らえなかった。三十分ほどで諦めて、とりあえず洗顔だけでも、と、健二を起こさないよう部屋を出て顔を洗いに行ったら見知らぬ女性と鉢合わせた。誰なんて聞くまでもない。健二の母親だ。
昨晩は帰りが遅かったようで顔を見る前に眠ってしまったが、ダイニングテーブルに健二が置き手紙を残していた。
佳主馬の母親と同じ年頃に見える彼女は雰囲気が健二に似ていた。
「あ、……お邪魔してます」
こういう時にどういう態度を取ればいいかわからない。昨年の夏に騙し討ち同然で陣内本家に連れてこられて後から後から湧きでるように現れる初対面の大人たちにきちんとした対応を貫いた健二を改めて尊敬する。
「おはよう、佳主馬くん。早いのね」
にっこり笑った彼女は少しも驚いたりしなかった。
「はじめまして。健二の母です」
「あの、健二さんにはいつもお世話になっています。昨日も急に来て泊めていただいて」
「そんなかしこまらないで。うちはパパも単身赴任でいないし、わたしも忙しいでしょう?だから健二、喜んでると思うわ」
お構いは出来ませんけど、と付け足してからポンと手を打った。
「うちに来てるのはご両親に言ってあるのよね?」
「はい、一応……」
「いつまで東京にいるの?」
「いつまで……えっと」
「すぐには帰らないんでしょう?」
何も決めていなかった。突発的に飛び出して、新幹線に乗ってから母親にメールしたっきりだ。
「すいません、あんまり長居しないようにします」
「ああ、そうじゃないの。しばらくいるならわたしからもお母様にご挨拶しておかなくちゃと思って。その方が佳主馬くんも心置きなく泊まってけるでしょ?今日は聖美さんはご在宅?ご自宅の電話番号は?電話は何時頃がいいのかしら」
「えっと、もう起きてると思います……」
息子より押しの強い母親に半歩あとずさって急かされるままポケットから携帯を引っ張り出した。自宅の電話番号を呼び出している間にふと気づいて顔を上げる。
「今、母さんの名前……」
すると彼女はいたずらっぽい笑顔で言った。
「夏希ちゃんのママとは仲良しでね」
家出なんかしたのは初めてだった。
小学校の頃はいじめられっ子だったから、家族に反発する余裕がなかった。いじめを克服した後にOMCチャンピオンという肩書きと、大人とのビジネスが始まって、大人として扱われるよう努力をした。
幸いOZでの活動は応援してもらえたし、不満なんか何もなかった。
「あの、うちの母は何か言ってましたか?」
健二の母はテレビ電話でもないのに受話器をあてながらお辞儀する人だった。見えない相手にペコペコ頭を下げ、朗らかに笑って雑談もして、二十分足らずで通話を終えた。それを佳主馬はじっと見守っていた。
「今度、何か美味しいモノ送ってくださるって」
「……手ぶらですみません」
「子供が何言ってるの。ああ、それから、お父さんが怒ってるって」
温和な父に怒られた記憶はほとんどないが、今回は流石に見過ごせなかったんだろう。そう納得しかけたところ、
「――そう佳主馬くんに伝えるようお父さんから頼まれたそうなんだけど、本当はお父さんも“男の子は家出して一人前だ”なんてまんざらでもなかったみたいよ」
「はぁ……」
「そういうわけだから安心してうちの子でいてね」
今さっき会ったばかりの彼女は自分の子供にするみたいな遠慮のなさで佳主馬の頭を撫でた。
「でも、今日もこれから仕事で本当に何もしてあげられないの」
「大丈夫です。なるべくご迷惑をおかけしないようにします」
「噂通り一人前の口利くのねえ。何か困った事があったら遠慮なく健二を頼ってやってね。ああ見えて結構しっかりしてるから」
苦笑いするのは、健二がしっかりせざるを得なかった原因が自分だと思っているからだ。
仕事でいつも家にいないというからどんな人かと思っていた。健二と似ていない、陣内の親戚の中では自由奔放に生きている伯母の直美のような人を想像していた。
だけど。
「はい、わかります」
素直に頷いたら眉尻を下げて小じわの目立つ目元をたわませた。
健二が起きてきたのは母親が出勤して行く直前だった。寝間着姿の健二と身支度を整えた佳主馬が並んで玄関で見送ると「悪くないわね」と笑って出かけていった。
朝食は健二がパンとインスタントスープを用意した。それから冷蔵庫を覗き込んで唸っていたところを見ると、普段は朝食の習慣がなかったのかもしれない。
「後でベーコンと卵でも買ってこようか」
パンはジャムとマーガリンで食べた。
昼間は二人それぞれ冷房をきかせたリビングにパソコンを移動して仕事をした。佳主馬はキングカズマとして依頼されている仕事、健二は去年と同じくOZ管理のアルバイトだが、去年の一件で待遇が変わったらしい。
「あんなことやらかしちゃったのに逆にバイト料上がっちゃったんだ」
「OZを守った張本人が何言ってるのさ。それに、発端の管理棟のパスは間違えてたんでしょ?」
「うっ」
お互いに手を動かし始めると静かになる。やっている作業が違うので相談することもない。
画面から顔を上げると真剣に作業している健二が見えるが、キーを押すリズムに違和感を覚えて回り込めば薄っぺらい板状のサルのアバターとパズルゲームで対戦している。
「ちょっと、何やってんのさ」
「うわっ!」
話しかけられた弾みで淀みなく動いていた健二の指が固まり画面の半分に『Lose』の文字が浮かんだ。
「ずっと真面目にバイトしてるのかと思ったら」
「し、してたよ。でも予定より進行が早いからちょっと休憩もらってさ」
画面のチャットウィンドウに佐久間からのメッセージが流れこむ。
>サクマ:健二ミスった?
>サクマ:なになに?
>サクマ:何かあった?
>ケンジ:今カズマくんに驚かされて
>サクマ:キング?
>サクマ:今キングとボイチャしてんの?
「佐久間さんに僕が来てること言ってないの?」
「言いそびれてたっていうか……」
>ケンジ:じゃなくて、カズマくんが昨日からうちに来てるんだ
>サクマ:は
>サクマ:まじかよ
>サクマ:健二ずっりー!
>サクマ:そういうことは早く言えよ
>サクマ:だから部室じゃなく家で作業してんのか
>サクマ:午後から遊び行っていい?
>ケンジ:え
>サクマ:俺も健二んちで仕事するわ
>ケンジ:ちょっと
>サクマ:そんじゃ飯食ったら向かう
画面の前で健二が呻いている間にサクマはログアウトしてアイコンがモノクロになった。
「佐久間さんて行動力あるよね」
「ありすぎるのも困るよ……」
行動力のありすぎる男は昼過ぎにアイスとジュースを手土産にやってきた。
「ほんとにキングがいる!なになに、仕事で?」
「違うよ、うちに遊びに来てくれただけ」
「まったく健二はずりーよな。俺だけ仲間はずれにして」
「仲間ってなんの話だよ。今回は夏希先輩も関係ないし、そういうんじゃないよ」
「だってキング独り占めじゃん?俺だって遊びたいっての」
「言っとくけど、仕事で上京したんじゃなくても僕は仕事持ってきてるからね」
「わ、ごめん。邪魔しません!」
一気に賑やかになったリビングに三台目のパソコンが設置される。佐久間が加わった途端に合宿みたいな空気になった。修学旅行よりは落ち着いていて、だけど浮かれている。
日が暮れ始めた頃、佐久間を送りがてら買い物に出た。
買い物かごには朝食用のベーコンとトマト、きゅうりとハムと卵と冷やし中華麺。
「夕飯は自炊するの?おばさんが店屋物とっていいって言ってたけど」
「僕一人ならそうしてるけど折角佳主馬くんがいるんだしね」
デザートにクリームとフルーツの乗ったプリンをいくつか放り込んでレジに向かおうとする健二を呼び止める。
「冷蔵庫にマヨネーズなかったけど買わなくていいの?」
「あ、佳主馬くんトマトにはマヨネーズかける方?」
「いや、冷やし中華」
「え?」
「普通かけるでしょ」
「かけないよ」
顔を見合わせた。弁当コーナーはすぐそこだ。別トレイの具を麺の上に乗せて付属パックの麺つゆをかければすぐ食べられる冷やし中華弁当もある。その一つを取って二人で覗き込む。
「マヨネーズが入ってない」
「普通入ってないよ」
「東京だけじゃないの?」
「えー?」
そしてマヨネーズがかごに追加された。
冷やし中華の作り方は簡単だ。つゆは麺とセットになっているから、刻んだ具を茹でてから冷水にさらした麺に乗せるだけ。
健二が「一人で大丈夫だから」と言うのも当然と思ってリビングでパソコンを開いていた。よその家の台所は住人のこだわりが詰まっていそうで簡単に触っちゃいけないような気がする。
OZにログインしたら、ちょうど母からのメールが届いた。宅配便を送るために小磯家の細かい住所を聞かれたので、台所の健二にひとこえかける。
「そんな居候のお礼なんて、佳主馬くんが来てくれて嬉しいぐらいなのに……うわっ!」
悲鳴にメールを放り出して駆けつければ鍋が吹きこぼれて水浸しのコンロと、冷やし中華用にしては厚めに切られてまな板の上を所狭しと散らばったきゅうりが見える。フライパンは卵液を流しこむ前に熱しているのだろうが、一瞬で黒焦げになりそうなほど熱くなっていた。
「何してるの!」
コンロのつまみを全てオフにして片手に握られたままの包丁をまな板に置かせた。それをすぐに取ってきゅうりを集めて器に移した。
「麺、もう十分茹だったんじゃない?」
「そうかな。じゃあ、次は…」
「蛇口の下にざる」
「はいっ」
命令されるままに戸棚の上からざるを出して流しに置いた。そこに佳主馬が麺をあける。健二が広がる湯気に呑気な声を出していると、押し付けるように菜箸を渡される。
「ぼーっとしないで水」
「はいっ」
その間にも一旦加熱をやめたフライパンに油を少し足して火にかけ直し、卵液を流し込む。さすがに一部がこげたりしわがよったりしたが、間違ってもスクランブルエッグとは呼ばれない。薄焼き卵が出来上がった。
「佳主馬くん、すごい」
「これぐらい普通だよ」
麺を先に茹でてしまったおかげでホカホカの金糸卵を乗せた冷やし中華が完成した。最後に氷を乗せて、マヨネーズはチューブごと食卓に運んだ。
二人で手を合わせてからマヨネーズをかける。健二もすすめられて控えめにかけた。
「結構美味しい」
「ほんとにやったことなかったんだ」
「マヨラーの友達がやってるの見たことあるけど、お好み焼きじゃないんだから、って思ってたよ」
盛りつけてみたら多すぎたきゅうりがパリッと音を立てる。厚切りきゅうりに重点的にマヨネーズを乗せて食べるとサラダみたいだ。
「健二さん、料理したことなかったの?」
「目玉焼きと野菜炒めはできるよ」
「その野菜炒め、ちゃんと火が通ってた?」
「それは……通ってたよ。ちょっとだけ焦げちゃったけど」
そらみたことか。視線に言われて目を逸らした。
「食事が一人のことは多いけど、母さんが作りおきしていくから自分で作らないんだよ」
健二が言い訳がましくつぶやいた。
「別にしょっちゅう自炊してるなんて期待はしてなかったけどさ」
むしろ、カップ麺とかレトルトで済ましている日も多いんじゃないかと疑ってさえいた。今朝会った母親を思い出して、心の中でこっそりと謝った。
「佳主馬くんこそ、何でそんなに手際がいいんだよ」
「うちで母さんが作るの手伝ったことあるから」
「冷やし中華を?」
「冷やし中華はないけど、天ぷら揚げてる間に蕎麦を茹でたり、手巻き寿司の準備とか……」
妊娠中、腹が目立つようになってからは流しの下のものをとるにも不便そうな様子を見ていられなくて何でも手伝った。そうしたら、嬉しそうに「すっかりお兄ちゃんね」なんて言われて。
「…………」
「手巻き寿司、いいなあ。最後にしたのいつだったかな」
「そんなに前なの?」
「多分、あ、そうだ。小学校の時に友達の家でやって以来だ」
いくつか口にしようとした言葉を飲み込んだ。佳主馬の家では手巻き寿司は珍しくない。近所に住んでいる父方の祖父母と集まるときにも定番となっているし、家族三人の時も父が食べたいといえば酢飯と海苔と具がずらりと並んだ。
でも、父が忙しい時期に母と二人で食べたことはない。そういうメニューだ。
きっと健二は気にしていないんだろうけど。言わなきゃ良かった。
「佳主馬くん、作り方分かる?」
「酢飯の?」
「具は買ってきたまんまでいいのかな」
「手巻き用のセットも売ってると思うけど」
「じゃあ、佳主馬くんがいる間にやろうか、手巻き寿司」
「いいよ。その時はなるべく僕が準備するね」
「え、手伝ってくれるだけで十分だよ」
「そう?まあ、そのきゅうり、冷やし中華っていうよりかっぱ巻きみたいだもんね」
「うっ」
笑ってかっぱ巻きには薄いきゅうりを口に放り込んだ。帯に短し襷に長しっていうのはこういうのを言うんだろう。
麺は茹で過ぎ、卵はぬるくて具の切り方は大味な冷やし中華を美味しく平らげて一緒に流しに食器を運んだ。
「やっぱり、誰かと一緒に食べるご飯っていいよね」
心地良くゆったり交わされる会話の中に埋まりそうなほど自然にそう言われて手を止めた。
「陣内のお屋敷で大勢で食べるのも楽しかったけど、佳主馬くんと二人もすごく楽しい」
「ずっといようか」
「うちの弟になる?」
「健二さんと兄弟か。いいかもね」
何を考えてるかちっともわからない妹と兄弟よりもずっと楽しそうだ。
好きな事も理解してくれるし邪魔もしない。優しくて結構頼りにもなる。長野に住む親戚にも歳近い従兄が二人いるが、年長の翔太はまったく頼りにならない上顔を見れば「生意気だ」と言うし、健二と同い年の了平は野球一筋で話が合わない。
考えてみると名案みたいで嬉しくなった。
「それじゃ、よろしくね、健二兄さん」
照れ笑いする“兄さん”の顔が可愛かった。
小磯家での二度目の起床は夜明け前だった。
枕元の携帯を開いて時間を確認したら四時二十分。起床時間にはずいぶん早い。
隣のベッドは空だった。
すぐに寝直しても良かったんだけれど喉が乾いて布団を出た。廊下に出るとリビングから青白い光が漏れている。
扉を開けると肩を竦ませた健二が振り返って悲鳴を上げるみたいな口をした。
「テレビ?」
暗い部屋の中でヒーリングミュージックをBGMに青い海の映像の上部で天気予報を流すテレビモニターだけが明るい。
「ごめん、起こしちゃった?」
「いや、なんとなく目が覚めただけ」
実際、健二がベッドを出たのも気づかなかったし、テレビの音はリビングの扉を開けるまで聞こえないくらい絞られていた。
ローテーブルの上には麦茶のボトルが出してあったのでグラスだけ持ってきて健二のとなりに腰を下ろす。
三人くらい座れそうなソファの端っこに健二は座っていた。
「早起きだね」
「一度起きたら目が冴えて寝付けなくなることはよくあるんだ」
「いつもこうしてるの?」
馴染みのない地名ばかりの天気予報が終わると、昨晩も見たトピックばかりのニュースヘッドラインが始まった。
朝のニュース番組と違ってアナウンサーがいない。BGMはそのままで文字でくるくる情報を流すばかりのニュースだ。
「いつもはOZをうろうろしてるかな」
「僕が同じ部屋で寝てたから遠慮した?」
「別にOZでもふらふらしてニュース見たりしてるだけだから変わらないよ」
OZに無人の時間はない。常に誰かがログインしていて、フォーラムの新着は動き続けるし、対戦相手をオートマッチングしてくれるゲームに参加すればすぐに相手が決まる。
それに比べて天気予報とニュースを交互に繰り返しているテレビは人の気配がない。
「佳主馬くんは結構早起きだよね」
「いつもならもう一時間は寝てるけど」
「下手したら入れ違いに寝てるよ」
「夏の五時はずいぶん明るいけど、寝づらくないの?」
「部屋に窓がないから関係ないかな」
一戸建ての池沢家で窓のない部屋は物置ぐらいだけれど、言われてみれば健二の部屋には窓がない。
リビングの大きな窓も遮光カーテンで真夜中みたいだ。透明度の高い海を色とりどりの魚が泳ぐテレビは水槽みたいだと思う。
「こういうの、なんだか新鮮だ」
「静かなテレビが?」
「それもだけど、誰かとぼんやりテレビを見てたり、こんな時間に起きてるのも全部」
「そうだね、俺もこんな時間にOZ越しじゃない人と一緒にいるのって新鮮だよ」
青い光に照らされた顔を見合わせてくすくす笑い合う。
「OZでチャットしてる時も一人ぼっちだなんて感じないけど、やっぱり違うね」
「うん、わかる」
声や微かな呼吸音なら電話でも聞こえるし、ソファの両端で触れ合わない体の温度が空気と通して伝わってくるわけでもない。
それでもお互いテレビを向いて姿が見えなくても、パソコン越しの“一緒にいる”とは違った。
電話と違って何か話さなくてもずっとそばにいるのが分かる。
健二が何も言わないので、ループするよその地名の天気予報を眺めていた。そうやって黙っているのがよかった。
永遠に続きそうな青い海の映像がパッと消えて「ウェザー&ニュース」という番組ロゴが表示されたときは夢から覚めた気分だった。
番組の終わりと同時に賑やかなCMが始まって、もう朝なのだと知る。
早朝の胃袋にも遠慮容赦なくグルメバラエティ番組のCMが入ると情けなくも腹の虫が悲鳴を挙げた。
「何か食べる?」
笑いながら台所へ向かった健二だが、すぐに唸り声が聞こえてきた。
「そういえば昨日パンもご飯も食べきったんだった」
夕飯が麺だったからすっかり忘れていた。夕飯の買い物の時にでも何か買ってくれば良かった。
「腹の音ほど空腹ってわけじゃないからいいよ」
「でもそろそろ俺もお腹へったし…あ、プリン残ってる」
ローテーブルに持ってきたのは昨日買ったプリン一つ。
「一個しかなかったんだけど…」
「いいよ、健二さん食べて」
「じゃあ半分こしよう」
元々そのつもりだったらしい。背中から二本のスプーンを取り出した。
「こういうの兄弟っぽいかと思って」
嬉しそうに言う健二と砂山でやる棒倒しみたいにてっぺんのクリームに乗ったチェリーを避け、かわるがわる控えめにスプーンを入れながら、小首をかしげた。
「漫画の中の仲良し兄弟、ってかんじかな」
「現実の兄弟ってそうじゃないの?」
「師匠が、兄弟がいるとおやつは取り合いになるって言ってた」
「あー…真緒ちゃんたちがアイスのことで喧嘩してたね」
曾祖母の栄の葬儀がひと通り終わった後に子供たちへ差し入れられたアイスが余った。それを巡ってチビたちが一つ目のアイスの早食い合戦。
子供たちが母親たちに怒られている間に遅れてやってきた翔太がひょいっと持っていったものだから非難轟々。
でも。と、あとひとさじでチェリーが落ちるというところで健二はスプーンを置いた。
「やっぱり俺は今弟が出来たら嬉しくって何でも譲りたくなっちゃうな」
「健二さんのは弟扱いじゃなくて小さい子供扱いだよ。学年三つしか違わないのに」
なるべく拗ねて聞こえないようさらりと言ってスプーンの先でチェリーを健二の側に落とす。
健二は苦笑して、それを口に放り込んだ。
「子供扱いなんて……ほんとに嬉しかったんだよ。家出の理由はともかく、うちに遊びに来てくれて」
やっぱり兄弟っぽくない。本当の兄弟はこんなに素直になれないものじゃないだろうか。
皿を押して譲られた残りのプリンを素直にかきこんだ。意固地になって食べない方が子どもっぽいと思ったから。
小磯家で迎える何度目かの朝。
基本的には早起きでないらしい健二が慌ただしく身支度をしてリビングに駆け込んできた。
時計の針が八時半を指す頃だ。
「ごめん!今日だけは一度学校に行かなくちゃいけなくて」
朝まで忘れていたらしい。携帯のスケジュールアラームで起きてから洗面所とトイレと自室を行ったり来たり。ここのところ物理部部室にも顔を出していないために定位置に揃っていなかった制服を探しまわっていたので、説明される前から行き先は予想がついた。
「いいよ、留守番してるから。時間ないんでしょ?」
「ほんとにごめん、昼で終わるから!」
「昼ごはんは?」
「それまでには帰るから一緒に食べよう、いってきます!」
あまり中身の入っていなさそうな薄っぺらいかばんを担いで出ていくよれた制服姿を玄関で見送った。
「いってらっしゃい」
留守番といっても健二と同じ部屋でそれぞれにやっていた個人作業が、今日は本格的に一人になったというだけだ。一緒にいても集中し始めるとお互い無言になるし、数日過ごした今、冷蔵庫の飲み物をもらったりトイレを借りるのに断りを入れることもなくなった。
昨日までと同じにパソコンを開いて仕事をする。
自分の家にいた時よりよっぽど捗るのでスケジュールにも余裕ができていた。キングカズマのユーザーとして請け負っている仕事に関しては、予定に追い立てられなくても積極的に取り組める。自宅で邪魔が入ることも計算に入れていたが、東京に来てからは時間が余るぐらいだ。
夜から今朝までの新着メールをチェックすると、今日までに届くはずだった依頼詳細メールが見当たらない。別に今の余裕なら一日くらい遅れたって構わないが、念のために催促しておいた。
それから予定通りに過ごして十二時をまわる。いつもなら健二が先に時間に気づいて動き出すが、今日はまだ帰ってこないので十五分ほど過ぎてから作業を終えた。
まだ学校の用事が終わらないのだろう。メールも入っていない。
昼食は一緒にとだけ言っていたから一人で用意するのはやめてテレビをつけた。健二と二人のときは自然と休憩中にパソコンを閉じるようになっていたのでそうしたのだが、冷気を閉じ込めるため閉めきった静かな部屋ですることがなくなると途端に落ち着かなくなった。
だからといってテレビをつけても面白そうな番組は見当たらない。元々テレビっ子ではないので一人でテレビを見る趣味はないのだけれど、横で誰も口を挟まず見るバラエティはやけにつまらなく見える。
すぐに飽きてCMに入ると同時に電源を切った。再びパソコンを開く。と、狙ったようなタイミングで横においていた携帯が鳴った。母の携帯からだ。
『佳主馬、今健二くんち?』
「そうだけど、健二さんなら今留守にしてるよ」
『あら』
「どうしたの?健二さんに用事?」
『ううん。今ね、病院なんだけど……おばあちゃんが入院することになったの』
「入院?!」
『大したことないみたいだしお義姉さんが付き添ってるからうちはもう帰るところなんだけど、一応連絡しておこうと思って』
「入院って……」
『一週間ぐらいで退院できるっていうし、帰って来いっていうわけじゃないの。でも、後から報せられるのもイヤでしょ』
途中で妹のぐずる声がして「じゃあ健二くんによろしくね」と電話が切れてしまった。
それから間もなく汗だくの健二が弁当屋の弁当を提げて帰ってきた。
「え、おばあさんって……万助さんの奥さん?」
健二が驚いて顔を上げた拍子に、弁当に付属のレモン汁がからあげを通り越してスパゲッティに大量にかかる。言うタイミングを誤ったな、とこっそり後悔した。
「それは新潟に住んでる母方の。同居はしてないけど名古屋の家の近くに父さんの実家があって、じいちゃんは結構前に亡くなったんだけど、伯母さん夫婦と一緒にばあちゃんが住んでるんだ」
「えーと……池沢のおばあさんってこと?」
「そうそう」
陣内姓で“おばあちゃん”と呼ばれる人は何人もいるが、池沢姓ではひとりきりだ。
「帰って来いって?」
「ううん。大したことないからって母さんが言ってたし、ばあちゃん本人があんまり大騒ぎしてほしくないみたい」
「そっか」
空気が抜けるみたいな相槌のあと、静かになった。普段なら二人共お喋りな方じゃないから沈黙も苦にならないけれど、こういう話のあとはさすがにやりづらさが漂う。
「えっと、池沢のおばあさんっていくつなの?」
「七十五歳くらいだったと思う。そのわりに元気だったんだけど……」
ホントにそうだっただろうか。今から思えば最近は元気な時にしか会っていなかったのかもしれない。急な入院は初めてでも通院の話は聞いていた。
「家が近いなら行き来も多いんだ?」
「保育園や小学校の頃は、迎えに来てもらったり放課後は毎日ばあちゃんちに通ってたこともあるよ」
「佳主馬くんちも共働きだもんね」
「今は母さんが育児休暇とってるけどね」
祖母の姿を思い出そうとすると近年の顔よりも小学校低学年の頃に毎日見ていた元気そうな顔ばかり浮かぶ。
小学校の途中でいじめにあうようになって、そんな格好悪い姿を見せたくなくて祖母の家に行かなくなった。その後、母方の祖父にあたる万助に少林寺拳法を習い始め自宅でOZに入り浸るようになって、月に一度も祖母に会わない時もあった。
自分が歳を取るごとに気をとられることが多くなって、元気だった祖母だって歳を取っていくことも忘れていた。
「健二さんはおじいちゃんおばあちゃんは」
「うちは全然。ほとんど親戚づきあいってないから、万里子さんが『もう親戚も同然だから』って野菜を送ってくれたりするのが新鮮なんだよね」
「小学校の時はずっと鍵っ子?」
「うん。周りにもそういう子が多かったな」
気にした様子もなく箸を運んでスパゲッティを口に入れた瞬間変な顔をした。
「家に帰っても、今ならすぐOZを開いちゃうけど、小学校の時はまだOZも一般的じゃなかったからさ、父さんの部屋にあった数字パズルの本を片っ端から解いたりしてた」
「テレビゲームじゃないんだ」
「あんまり買ってくれなかったんだよね。親の目がなかったら何時間でもやっちゃうからって。その分、本は欲しがったらいくらでも買ってくれたけど。数学以外何も伸びなかった」
健二は笑うけど、その一つっきり伸ばした才能が世界を救ったのだ。小学生の健二が数字の世界にのめり込まなかったら、こうして笑いながらからあげを頬張ったりしていないだろう。
この部屋でひとりきりで数学の問題を解き続ける姿を思ったら複雑な気持ちも湧き上がった。
「育児休暇ってことは、そのうちしたら聖美さんはまた復職するの?」
「妹が三歳になったらね」
「じゃあ今度は佳主馬くんがお迎えに行ったりするのかな」
「そっか。……なんとなく、妹も僕と同じようになるんだと思ってたけど、もうばあちゃんに頼れないんだ。考えたこともなかった」
母の仕事は基本的には日勤だが、人手が足りないときには夜勤もあった。そんな日に祖母の家に泊まるのも幼い頃にはイベント気分で楽しかったものだが。
伏せた視線をちらりと健二に向けると、何を気にしたのか取り繕う様子で言葉を足した。
「あ、でも部活とかやったら遅くなっちゃうかな」
「そういう予定はないけど……」
家を飛び出すまでの妹の様子だとか、妹が生まれてから目につくようになった外出先で騒ぐ幼い子供を思い出して唇を噛む。
「今の調子じゃ喧嘩せず過ごせそうにないよ」
「そう?喧嘩も、楽しそうだけどなあ」
「相手が十三歳も下の女の子でも?」
「翔太兄はチビ達とも平気で喧嘩してたよ」
「アレと一緒は嫌だな」
「…………」
大抵チビたちのいたずらが原因なのだが、言い争っている様子がまったくどうレベルなのだ。夏希などがチビたちを怒鳴っていたら大人は必ず夏希の味方につくが、翔太の場合は両成敗。
でも、あんなのでも家にいたら賑やかだろう。佳主馬にとってはうるさいばかりなのだが、健二は自分を敵視してくる翔太を気に入っているフシがある。
フォローの言葉を探しあぐねいている健二をよそに、先に食べ終えた弁当のパックを流しで軽く洗ってシンクに立てかけた。
そのままリビングには戻らず健二の部屋で隅に固めてある服をかばんに詰め込んだ。携帯の充電ケーブルと音楽プレイヤーと、ヘッドフォンはパソコンと一緒にリビングだ。
荷物一式を持って戻っても健二は驚いた顔はしなかった。
「母さんはいいって言ってたけど、とりあえず帰るよ」
「うん。駅まで送るよ」
新幹線のダイヤに余裕があるのでのんびり向かった。途中で定番の東京土産を買った。祖母と住宅用の二箱。
「中身、柔らかいカステラとクリームだけど、赤ちゃんでも食べれるかな」
「軽いせんべいは食べてるけど、どうかな。結構アレルギーとか気にして離乳食作ってるみたいだし。母さんに確認してからあげてみる」
弁当屋に巻きずしが並んでいるのを見つけて顔を上げると同じ事を思ったらしい。目が合った。
「手巻き寿司は今度来た時に、ね」
「うん、妹が保育園に上がる前なら連休のたびにだって来れるよ」
「でも次に合うのは上田かな?」
「そうだ、健二さんが直に妹に会うの初めてじゃない?」
「時々OZで見るばっかりだもんね。楽しみだなあ」
ぶらぶら時間を潰してから改札に向かった。
途中でふと健二が足を留めた。大人っぽいデザインのショーウィンドウの前だった。
「健二さん?」
「あ、ごめん。そこにちょうど並んで映ったのが見えて……」
なるほど。黒を背景にしたガラスに荷物を背負った佳主馬と軽装の健二が映り込んでいる。
「佳主馬くん、ずいぶん背が伸びたなって思って」
去年はもっとあった差がぐっと縮まった。
「こっちにきて何日も過ごしておいて今更言うの?」
唇をとがらせながらも満更でもない様子で目を細める。
そんな佳主馬の背中を軽く押して歩みを促しながら、
「だって。こっちにきてから一番背筋が伸びてるからさ」
健二は大人びた穏やかさで笑った。