昼休み/大菅/3835

 菅原孝支、スガは箸の使い方がきれいだ。骨のある魚なんか食べさせたら、早くはないが丁寧な手つきで骨を外す。
 手元の器用さと比例して、挨拶だとか、真面目な時のお辞儀の仕方や、食事中のマナーもしっかりしている。躾がいいっていうのはこういうヤツのことを言うんだと思う。
 そんなスガが弁当を広げて箸を片手に持ったまま、もう片手で携帯のキーを忙しなく打っている。
 行儀が悪いな、と思うより先に、スガでもこういうところがあるんだな、と思った。
 これが後輩の田中あたりだったなら注意の一つもするが、言われなくたってわかっているだろうスガには何も言う気にならない。ただ、今日は午前中からぼんやりしていたり、休み時間にも携帯を持ちだしてどこか楽しそうだったり。
「……」
 誰にメールしてるんだか尋ねたくなる気持ちを見ないふりで弁当のから揚げを頬張った。毎日一緒に昼食を食べてる友人だろうがなんだろうが、そんな詮索をするもんじゃない。良い距離を保つことがいい人間関係を維持する秘訣である。…とテレビで言っていた。
「あ、ごめん。いただきます」
 メールを終えると携帯をポケットに収めて箸を持ち直し、きちんと手を合わせた。
 やっぱり折り目正しいスガだ。妙な疎外感でつまらないことを気にするのなんかやめよう。
 メールしてる様子を無意識に見つめてしまっていたのかスガが小首を傾げる。バツの悪さに押されて目を逸らしパックのお茶を吸い込む。
「……大地、調子悪い?」
「なんで?」
「食欲なさそうだから」
 余り減っていない弁当を視線で示す。まさか、女々しくもお前が珍しく食事そっちのけでメールしてるのが気になって…などとは口が裂けても言えず、
「えーっと、……今朝は田中が早かったから雨でも降るんじゃないかと思って」
 白々しく外を見れば快晴まであと一歩の穏やかな空模様である。朝練は大抵遅刻ギリギリにやってくる田中が一番乗りで練習を始めていたってお天道さまは驚かないらしい。
「あー……まあ、ほら、田中が鍵持ってったんだからいつもどおりに来られたんじゃ困るっていうか」
「そうだよな」
「そうそう」
「そういやスガも早かったけど……」
「お、俺はたまたま早起きだっただけだよ?」
 これまた珍しくハイペースで動かしていた箸を留めて手を振る。
「そうじゃなくて、田中のヤツ、俺が来る前に備品とか壊してないよな?」
「……なんで?」
「朝練中ちょくちょくこっちの様子窺ってたから。俺が見るとあからさまに目を逸らすから怪しいと思ってチェックしたけど何にも壊れてなかった」
 疑わしきは罰する前にきちんとした裏取りである。
「何もしてないって。ていうか、田中はそういうのすぐ自己申告するって」
「だよなあ」
 スガが同情的に目を細めた。
「それよりさ、もう二人の新入部員に会ってきたんだって?」
「ああ、今日は体育館が使える時間がいつもよりちょっと遅いだろ。一年には伝わってないと思って」
「へー。どんなヤツだった?」
 午前中の休み時間に行った一年教室の並ぶフロアを思い出す。まだ他のクラスの同中の友達と集まりたがるせいで廊下がやたら混雑していた。
 まだ顔を見ていない新入部員は二人いて、両方4組。とても背が高いから行けば分かると顧問の武田先生に言われた通り、教室の窓際で頭ひとつ飛び抜けたメガネの男子が目についた。それでも一応戸口にいた女子に“月島”と“山口”を呼び出してもらうと、はしゃいだ様子で引き受けてくれた。呼ばれて出てきたのは当然メガネの彼だ。
「188センチと179センチで経験者だって」
「高っ!上手かったら即戦力じゃん」
「うーん。でも表裏激しそうっていうか」
「影山と日向とは真逆のタイプ?」
「アイツらは正直すぎるけど、どっちもどっちかな」
「今年は両極端だなあ」
 頷いた拍子に溜息が出た。天才セッター、やる気と運動神経の塊、長身の経験者コンビ。特徴を並べると少数精鋭でも豊作に聞こえるが、初日に問題を起こして体育館から叩きだした影山らと月島らが仲良くボールを繋ぐ姿がイメージできない。
 山口はともかく、メガネの月島ときたら初対面の先輩に物怖じせず笑顔の裏で値踏みするような気配を感じた。肝が座っていて賢そうだと思えば悪いことばかりでもないが、建前も本音もない田中なんかとはソリが合わないだろう。
 少ない入部希望者の中に影山の名前を見つけた時の絶望と希望、そしてまた絶望。月島の高さを見た第一印象と対面して目減りした期待感。アップダウンの連続で先行きが不安になる。
「ダーイジョブだって!」
 いつの間にか食べ終わっていたスガが空の弁当箱に手を合わせて手早く片付けながらまくし立てる。
「大地は心配しすぎ。中学でも部活やってきてる奴らなんだし日向と影山はたまたま因縁があったからじゃん?最初ギクシャクしても俺とか……二年もいるんだしさ」
 机の上が片付くと携帯を確認してサッと上着をひっかける。
「じゃ、お先」
「おい、何か用事か」
 あんまり急いで席を立つんでついに訊いてしまった。反射的に口から出たんだから仕方ない。
 上機嫌で出入り口に向かおうとしていたスガは振り返って口の前にピッと人差し指を立てる。
「大地には内緒」
 いつもならまだ食べている時刻だ。ぽつんと取り残されてスガの消えた出入口を呆然と眺めた。
「俺には、内緒ね」
 それで察しはついた。いや、朝練の時から予想はあった。
 影山と日向を放り出したのは頭を冷やさせるためだったけれど、それが今後の待遇を巡っての3対3の勝負に発展したことで田中とスガには苦労をかけることになってしまった。田中は元々自分が名指しで巻き込んだので今更悪いと思ったりしないが、気が利きすぎる副主将は昼休みまで後輩――恐らく日向に付き合うつもりらしい。
 昼休みなんか先輩風を吹かせて浮かれていた田中だって休んでいるだろう。朝練より早くから登校してたんだから。
 考えなしに決めたことではないにしろ、こうやって副主将のスガが献身的に立ち回ってくれるのを思うといくばくかの後悔が浮かぶ。そうなると余計にスガや日向の様子が気になってくるが、隠れてやっていることを暴きに行くのも……
「澤村ー、午後イチの古典の資料取りに来いって言われてんだけど、スガ行っちゃった?アイツと当番なんだけど」
 黒板の隅に菅原と名前を並べているクラスメイトが頼ってきたところでちょうどよく弁当を食べ尽くした。

 探す名目ができてしまった。
 実際、いそうな場所にはあてがある。昼休みにバレーの練習ができそうな場所は限られている。三年ともなれば昼休みの体育館はバスケをやるグループとバドミントンに占拠されていることや、屋上はゆっくり食事をしている女子グループが多くてヘマをやらかしそうな日向には厳しいこともわかっている。
 窓からよく見えるグラウンドも隠れてやるには向いていない。となると、校舎脇か。
 二階の廊下から窓の外を見下ろすと影山を見つけた。自分に自信のある影山も早朝から日向らと練習をしているらしい。午前中に月島と山口の教室を訪ねたついでに影山のクラスを覗いたらデカい身体を丸めて寝ていた。
 昨日だって、部活が終わるまで外で待っていた。日向と声を揃える練習なんかして、努力の方向性がやや斜め上だが。
「……」
 春めいた穏やかな風と一緒に微かな鈍いボールの音が開けた窓を越えてくる。
 見下ろせる場所にスガや日向は見当たらなかったが、かなり近い。
 しばらく姿の見えないボールの音を聞いていた。時々日向の明るい声も聞こえる。
「早速懐いてるな」
 日向との練習に向かうスガも楽しそうだったな。
 スガは烏野バレー部の正セッターだ。天才影山の希望しているポジションのレギュラーだ。
 マネージャーから渡された入部届の中に影山の名前を見つけて期待がわいた後で、もしかしたら、スガにとっては喜べないことかもしれないと、ちらりと考えた。部員数は少なくても年功序列をやるほどぬるい活動はしていない。望んでもいない。本気で全国を狙っているんだから当然だ。
 今後、影山が烏野でチームになじめたら確実に大きな戦力になる。でも、それはスガがコートを出るということだ。
 それなのにスガがわざわざ早朝や昼まで世話を焼きに行くことなんて考えていなかった。
 授業中に船を漕いでいたくせに。人の体調を心配している場合でもないだろう。
「ちょっと頑張りすぎだ」
 それでもスガの代わりに日向の自主練に付き合ってやるのは違う。勝負を決め敵側に立った自分は手伝うべきじゃない。だからといって隠れてやってることについて「無理をするな」なんて言うのも変だ。
 背後を行き交う人の足音が早くなったのを感じて時計を見る。あと五分で予鈴が鳴る。

  本鈴間際の教室前でスガと鉢合った。
「あっ。あー!」
 抱えた古典資料集の束を見て声を挙げた。
「ごめん、当番すっかり忘れてた。大地代わりに行ってくれたんだ?」
 今からでも資料集を受け取ろうと動いた腕が、もう教室の目の前だと思い出して迷ってふにゃふにゃ揺れる。
 焦った様子がおかしかったけど足を止めずに教卓に向かった。
「悪い、ありがと」
「全然」
 礼を言いたいのはこっちだよ。でも今は知らないフリでいい。余計なことは言わないで笑っておけばいい。
 それでもしスガが古典の授業中に潰れたらこっそり起こして教科書のページを教えてやったらいい。
 後のことはたぶん大丈夫。スガがそう言っていた。