小学校の頃に見るのが習慣になっていたアニメがある。魔法みたいな技を使いながら格闘する少年向けのアニメだ。
その主人公の仲間に小柄な少年がいた。見た目に反して強くて、登場直後に襲いかかってきた巨漢を光る手刀の一撃でのしてしまった。
七年以上も前のアニメを思い出したのは、ピッチに石ころでもあったかのように転げる大柄なFWと、悠々ボールを奪った細身の新入りDFの取り合わせが似ていたからだ。
梅雨明け後の合宿はほぼ見慣れたメンバーが集まっていた。大半が来月末の海外遠征に参加することになるだろう。監督の表情からも手応えがある。
今回が初招集の新入りは二人。一人は駄目だ。技術はあるが性格に問題がある。
二歳も年上のFW―名が体を表したような男、熊谷を打ち負かしたのはもう一人の方だ。見るからにフィジカルでは勝ち目がなさそうなのに、少し竸った直後に熊谷はバランスを崩した。自分のグループの順番を待ってコート脇で一列になっている少年たちの間でどよめきが起こった。
二度三度似たようなシーンが繰り返されるとまぐれや偶然じゃなくなる。いや、元々そんなものはないのだ。練習と努力によって身についた何かしかない。奇跡みたいな突風も、突然現れる足元の石ころもありはしない。
詳しく観察したくても角度が悪かった。攻守交替したことろで肩から力を抜く。
「さっきの島が何したのか、お前わかったか?」
隣に座って同じように島を見ていた享は曖昧に頷いた。表情はやや渋い。
「多分、合気道みたいなものだ」
「合気道……って、『ハァッ!』みたいなやつか」
手のひらから輝くエネルギー弾を発射するイメージで発声してみたが全く通じなかった。「バカか?」とでも言いたげな顔で見られた。飛鳥家ではジブリ以外のアニメは視聴を禁止されているのかもしれない。
「武道のひとつだよ」
「名前しか聞いたことねえよ」
「合理的な体の運用で相手の攻撃を無効化する。小よく大を制す」
本の一節をそらんじるような淀みなく平坦な口調だった。
「俺も本で少し読んだことがある程度だから、実際に見たことはないし、合っているかどうかはわからないけど……」
「小よく大を制す、か」
なるほど。比較的小柄な島と一回り以上大きい熊谷。小よく大を制すそのものだ。
サッカーの他にも何らかのスポーツを経験している選手は多いが、合気道経験者は珍しい。武道といえば直接的に拳で打ったり投げ飛ばす技が多いが、それをサッカーでやれば当然レッドカードものだ。あんなにさりげなく応用できる技があるとは。素直に感心してしまう。
「それで、具体的には何をしたんだ?」
「知らない」
即答だった。
「攻略方法考えてたんじゃねえのかよ」
同じ代表チームの仲間だとかそういう事は関係ない。目新しいことを見つければ分析して対抗策まで弾きだす。飛鳥享は勉強熱心な男だ。見ているところは細かいし、練習はしつこい。そんな本性を大福の皮みたいに明るく白く内側が見透かせない柔軟性のあるオブラートで包んでいる。
下手すれば鬱陶しい内面を知っているのは、恐らく瑛だけだった。つれない返答もそれゆえと思えば優越感に変わる。安売りされている愛想なんて味気ない。
「都合のいい攻略方法なんか思いつかないけど……」
先ほどとは打って変わって目新しさのないピッチから視線を外した。ゆったりした不敵な笑いが一瞬だけ見える。
「タカの武器とは相性がいいはずだ」
顎を引いて軽く見あげられた。挑発的な目に射ぬかれる。これを無意識にやっているならたちが悪い。万が一意識してやっていたとしても、プレイヤーとしての心に火をつけるためだけのことだ。練習中に浮ついた気持ちになっているのがバレたら軽蔑される。でも、こんなズルい顔が自分だけのものだとしたら、ストイックでなんかいられない。
「期待してるからな」
大事な試合なんかじゃなく練習中の話だ。懸かっているのはせいぜいプライドぐらい。にも関わらず張り切ってしまうのだから、惚れた弱みという奴は情けなくチョロイ。
「ああ、見てろ」
享が狙った何倍ものプレッシャーが襲いかかってもそれを上回るモチベーションが上々のパフォーマンスを支えているのである。
「あの人なんなんすか!」
芝の上から天を仰ぎながら島が訴えたのはあの人本人ではなく享の方だ。あの人――瑛は傑と何か話し込んでいる。
「ちっとも通用しなかったの鷹匠さんだけッスよ」
「他の奴も途中から対応してたじゃないか」
「そうっすけど……」
わざとらしく下唇をつきだして上目遣いで享を見る。あざといのを自覚していてわざとやっている顔だ。微笑んでやると可愛い後輩ごっこに付き合ってもらえないとわかって口を一文字にした。
「前に流してやれば前傾になったまま腰落としてシュートする。腰回り狙って妨害すればしゃがんで低い位置からシュートする。極めつけが、警告覚悟でユニフォームに手を出してヒールパス」
そのパスを受けたのは何故か上がってきていた享である。攻撃の起点となって瑛にボールを送ったのも享だ。完全に二人にやられた。
「飛鳥さんだって鷹匠さんは俺にやられないと思ってパスだしたんでしょ」
「さあ?」
きつめの作りの顔を優しく見せる微笑みこそ怖い。たぬきだな、と島は思う。
「はー、代表常連は侮れねえなあ。飛鳥さんは見かけよりキツいし、鷹匠さんはあんな無茶やっても怪我しねえし」
「柔軟性に関してはタカは別格だな」
「体幹もね。ぜってー打っても外れると思ったのに何で枠に飛ぶんだか。キーパー正面で良かったッスよ」
今回が初招集となった島は合気道を利用したディフェンスに自信があった。実際、最初のうちは細い体の島を甘く見て力で押し通そうとしたのが逆効果。歩き始めではしゃいだ子どもが転ぶように何もない芝の上でつんのめった選手が何人もいた。
ただし、繰り返すうちにそれぞれが対処法を見つけてしまう。瑛は途中から体を捻ってかわす方法を見つけたらしく、合気道でバランスを崩す事自体が難しくなった。
「鷹匠さんてホントすげえなあ」
「そういうのは本人に言ってやれよ」
少し離れたところにいる集団を目で示す。傑と話していたはずが、いつの間にか傑と話しているもう一人の新入りを腕組みして睨みつけていた。
「あの人怖いじゃないッスか……黙って睨むのやめてくんねえかな」
「目付きはちょっと悪いけど島のことは興味持って見てただけだよ」
俺のことは。ひとりごとで繰り返して凶悪な鷹の目に萎縮しきったもう一人の新入り、荒木竜一に同情の目を向けた。
チームスポーツで協調性がないというのは致命的だ。
梅雨明けの湿気を含んだ暑さが肌にまとわりつく。走りまわった分たっぷり汗をかいているのに、空気が運ぶ湿気は別で鬱陶しい。特に動きを止めているときは、爽やかさの欠片もないぬるい風に頬を舐められてうんざりする。
不快度が日増しに上がっていく季節の合宿は海外遠征を来月に控え、よくも悪くも緊張感でぱんぱんになっていた。
その中でも余裕のある奴はいる。今更焦ることなくマイペースを貫く傑とか、今回が初招集で状況を分かっていない新入りとか。
新入りの一人、荒木がワンタッチで出したパスが点々と転がってラインを割った。
パスを見送ったのは永瀬だ。やる気次第では取れただろうが、微妙なところだった。
「永瀬キレてんな」
普段は愛想が良くてちょこまかとうるさい永瀬がピリピリしている。コーチの手前、感情的につっかかるのは堪えたようだが、あからさまなため息が荒木を詰っていた。声の掛け合いが全く足りていない。永瀬から喋りを取ったら長所の三割が消滅する。
付き合いがどれほど浅くても不機嫌は読み取れるだろう。だけど、荒木は自分のパスがミスとはこれっぽっちも思っていない。取れなかった永瀬に呆れの色を浮かべてすぐに顔を逸らす。
出番待ちの間にコートに入っているグループを観察している面々の間にもやり辛い空気が伝染してくる。相手が新入りでなかったら永瀬だって責められたかもしれないが、合宿初日からの二日間で荒木はすっかり嫌われていた。
瑛は海外のチームに参加したことはなし、外国人の友人がいるわけでもないが、日本以外のどこかだったら自己主張が激しくてもそれなりにやっていけるだろう。荒木は器用だ。でも、日本では自分勝手は真っ先に嫌われる。
部活でも、仕事でも、実力主義を謳ったって年齢や所属歴を基準にした上下関係は大事にされる。相手が誰であろうと礼儀がない奴もダメだ。代表にいる選手はみんな普段もどこかのチームに所属している。特に強豪と言われるチームは実力だけでなく礼儀や態度にも厳しいものだ。
ヤツが今までどんなチームでやってきたのかはわからないが、ふざけた態度は代表では通用しない。
「あんなヤツのどこがいいんだよ」
真剣にコート内を見ていた傑が夢から覚めたような顔で振り返った。
「まあ、問題はありますけど、面白いと思いますよ」
瑛の肩越しに「冗談みたいなヤツだけどな」と軽い笑いが届いた。それには同調せずスパイクのつま先を揺らした。端で見ているのがもどかしいみたいに。
浴場は年功序列で順番に使うのが慣例となっている。きまりはないが、体育会系の縦社会に生きる少年たちは当たり前のようにそうしていた。
「お疲れッス」
馴れた様子で頭を下げる傑と、それに続いて曖昧に頭を下げる荒木と入れ違いに浴室を出た。半自動的にゆっくり閉まるガラス戸が閉まりきる寸前に激しい水音。振り返ると荒木が頭から湯船に突っ込んでいた。片手を胸の高さに上げたままの傑がコントのような図を見て時間差で笑い出した。
濡れたままの肩をパンツ一丁の永瀬が叩く。
「傑もよーく面倒みてるよなあ」
睨んでも堪えないのはわかっているので無視をきめた。頭に被ったタオルに端でゆっくり顔を拭き上げる。
ガラス戸の向こうでまた間の抜けた悲鳴が響き渡った。
「チッ。風呂も静かに入れねえのかよ」
「ただの後輩だったら面白いヤツなんだけど、惜しいねえ」
ニヤニヤ笑う永瀬の顔はどことなく冷ややかだ。これは相当溜まっている。いつもなら恒例の歓迎会に首を突っ込みたがる男だが、荒木への悪戯には参加しなかった。ただのお祭り男かと思えば、案外愛情持ってやっているらしい。
シャツから首を出した杉下も渋い同意の視線をよこした。杉下も練習初日から荒木と組まされていがみ合った一人だ。永瀬がわざとらしく肩をすくめた。永瀬や杉下が正しいとも思わないので、どうも仲間にされている状況が気に食わない。でも、この空気を振り払って立ち去るタイミングじゃない。
「お先に」
黙々と着替えていた享が一声かけて脱衣所を出た。
「飛鳥くん着るのはっやー。俺なんか汗でパンツ上げるのも一苦労だったのに」
「うるせえよ、汗っかき」
邪魔な永瀬を押し退けて浴室扉前を離れる。脱衣かごは享の隣だった。
さっさと入って出てしまおうと思っていたのに、勝田と話している姿をちらりと省みたらバッチリ目が合ってしまった。なし崩しに一緒に風呂まで来た。嬉しいももどかしいもひっくるめて面倒だ。男同士というのも、同い年で同じ代表候補であるのも、親しいというのも全部。
変に意識していけないので享が先に出ていくのを待っていたらついつい長風呂になって永瀬なんかに絡まれるし、良いことがない。
「それにしても、すーっかり荒木に傑とられちまったなあ」
「……」
荒木が騒いでいるばかりかと思えば、何がそんなにツボに入っているのか傑の笑い声が浴室に反響している。
遠慮のない関係というのはこういうものだ。ジュニアユースの頃ならこんな風に無邪気に付き合えただろうかと考えて、すぐに頭を振る。頭に浮かんだのは家出した享を家に連れてきた時のことだった。見られていては脱ぎづらいからと脱衣所を追い出されたことや首に張り付いた濡髪。
思い出を遡ってまで動揺するなんてどうかしてる。
「悔しいなー?寂しいよなー?」
しつこく冷やかしてくるのをシカトして着替えを済ませた。
「……無反応?」
「お先」
「うっわ、マジだよ。タカがこんだけ言っても怒んなーい!成長した!感動の傑離れ!」
瞬間、剥き出しの瑛の額に血管が浮かぶのを杉下は見た。
「うるっせぇ!」
振り向きざまの頭突きが永瀬を襲う。その被害状況を確認することもなく大股で脱衣所を出て乱暴に扉を閉めた。その目の前のベンチからのんびりと享が立ち上がる。
「……なんでいンだよ」
「永瀬たちに巻き込まれたくなくてさっさと避難してた」
絡まれることそのものが面倒だったというより、荒木を疎む仲間にされたくなかったんだろう。享もまた冷静に荒木を評価している。
「さっさと部屋に戻れよ」
「別にいいだろ。それにしても大変そうだったじゃないか」
「逃げた奴が同情してんじゃねえ」
「同情じゃなく面白がってるんだよ」
しれっと言って宿泊棟に向かって歩き出した。薄い布地に包まれた背中がなまめかしく見えてこっそり額を押さえる。
背中もうなじも見えないところへ。肩を並べて享を視界から追い出した。
合宿最終日前夜。締めくくりとなる練習試合も悪くない結果に終わったその夜。
監督の個室の扉が乱暴に閉められた。
「お世話ンなりましたっ!」
内側に叫んで去ろうとした荒木だが、すぐそこにいた傑とぶつかりかけて急ブレーキ。反転。早足で逃げ出した。
監督の部屋は選手たちの部屋から離れているし、監督が話し合いに時間制限を設けなかったことから考えても、自分のあとに傑が入室するとは思えない。傑は部屋の前で待っていた。
案の定、追いかけてくるので振り切ろうと思って外へ飛び出した。片付けられた自分の靴なんか探していたら捕まるから、三和土にきれいに揃えられた施設名入りのつっかけをひっかける。傑も同じようにパタパタ音をさせながら続いた。毎日スパイクでばかり走っているから、ソールが硬くてフィットもしていなければつま先さえ覆ってくれないつっかけが不便で仕方ない。ちょっとそのへんまで散歩ならいいだろうが、自分より足の早い男と追いかけっこするにはまったく向かない。
光のない方を選んで逃げる。携帯も財布も靴も荷物も、すべて宿舎に置きっぱなしだから敷地の外へは出られなかった。できることならそのまま帰りたかった。とにかく闇にまぎれて隠れてしまおうと思って来てみれば、どこをどうきたか自分でもわからない場所に出てしまう。
思ったよりも敷地が広く、建物も一棟では終わらないので完全に迷ってしまった。前に進めどどこに向かえばいいのかわからない。来た道を引き返せば追手がいる。そもそも、思っていたより隠れる場所がないのだ。漫画みたいに上手くはいかない。
「荒木!」
迷っているうちに追いついてきた追手がシャツの首を掴んだ。勢いで後ろに引かれて悲鳴も出ない。カエルの断末魔のような潰れた声をあげてよろめいたのを傑が胸で支えた。暗がりで見上げた顔は無表情だったけれど、余計に怖い。往生際悪く逃げようとしたその腕をがっちり掴まれる。
「放せっ……おいこら、放しやがれって!」
暴れても振りほどけない。コイツは見た目よりもずっと力がある。
引きずられて連れ戻されるのかと思っていたら、正面玄関前を通りすぎて角を曲がったところの花壇の縁に腰を下ろした。とっくに抵抗を諦めているものの腕は掴まれたまま。
「中に戻るんじゃねえのかよ。ここ、ロビーの裏か?」
ちょうど目隠しになる高さの植え込みの向こうには縦長の窓が見える。今は消灯していて非常口の緑色の光が天井に反射していた。
「もう人はいない時間だし座れるから話すのにちょうどいいだろ?」
座れと手を軽く引かれて諦めた。隣に座って盗み見た傑は、怒っている風には見えなかった。
不意に顔を上げた瑛が左耳にだけはめていたイヤホンを外した。つられて享も顔を上げる。
ポータブルDVDプレイヤーは去年のU-17W杯の試合を再生し続けていた。
宿舎の奥でどっと笑い声が立つ。その後の静寂に別の話し声が混じった。
瑛がロビーのソファの上でそっと上半身をひねって天井端の梁までの大きなガラス窓に顔を寄せた。すぐ外は月桂樹が壁のように枝葉を茂らせている。真っ暗な生垣の向こうは見通せない。
その代わりに耳を澄ませば開けっ放しになっている端の窓の隙間から声が漏れ聞こえる。しばらくして瑛が確信を持ってつぶやいた。
「傑とアイツだ」
アイツというのが誰かは享にもすぐわかった。ちょうど荒木が声を荒らげたからだ。
「――――簡単に言うなよ!お前じゃねーんだよ…そう何度も…」
尻すぼみになって言葉が聞こえなくなる。その後も遠くの暗闇に揺れるカーテンみたいに断片的に窓の隙間から声が流れてくる。
おそらく、邪魔が入らないようにそこを選んだんだろう。ロビーは非常用の灯りが残っているばかりで消灯済みだ。
瑛と享も静かなのを期待してここを選んだ。今回は享のいる部屋が連日たまり場となっていて、注意されないよう騒ぎすぎには気をつけているとはいえ落ち着かなくて、こっそり瑛を誘って抜けだしてきたところだ。
再生中の試合はまだ前半十一分。ソファの居心地が良くなってきたところだった。
「こんな時間に何やってんだアイツら」
「こんな時間はお互い様だろ」
外れかけたイヤホンをはめ直して緑の画面に向き直った。直後にきれいなミドルシュートが放たれた。GKの手に当たってゴールポストに防がれ、歓声と落胆のどよめきがイヤホンから直接右耳に注ぎ込まれる。
「そういやアイツ、監督に呼ばれてたよな」
「ああ、どうせ態度のことだろ。今日も杉下に絡まれてたしな」
「アイツが目上を舐め腐ってるから目をつけられンだよ」
「だから杉下じゃなく荒木が呼ばれたんだろ」
杉下や永瀬も目に余る部分は注意を受けていた。でも、部屋にまで呼びつけられたのは荒木一人だ。
荒木竜一は生意気なのは間違いないが、センスは良い。傑などは認めている。だが、それが余計に面白くない人間もいる。
全国屈指の選手が集まる代表チームの中でも傑は特別な存在だった。傑と同じピッチに立つことが夢だったという選手もいる。そのためにわざわざユースの誘いを蹴って鎌倉学館に入学したのは瑛ぐらいなものだが、そういう気持ちは享にもわかる。実際、鎌倉学館中等部のサッカー部員には傑に憧れて集まってきた少年も多いらしい。
当然、監督にも一目も二目も置かれている。今回の合宿で初めての練習試合は鹿島ユースが相手だったが、そのベンチに色々な欠点が目立つ荒木がいたのも傑の働きかけがあったからこそだ。結局スタミナ面での問題があからさまで長くピッチには立っていなかったものの、傑のメンツは潰れなかった。交代直後に見せた、傑と二人で描いた鮮やかな一点。それをまぐれだと貶める選手は一人もいなかった。実力はある。
「でもサッカーは団体競技だ」
あの練習試合があった夜にもそう言って瑛は厳しい顔をした。瑛は頑固なわけじゃない。昼間の試合で荒木のことを随分見なおしたようだったが、試合の後にも杉下と小競り合いがあった。杉下も悪いが、その他にも荒木に厳しい目を向けている者は多い。そういう連中を黙らせるほどの実力があるわけでもない。
合宿後半には同世代の海外代表チームとの練習試合が組まれた。チームとしての結果は悪くなかったが、それ以上に個人評価が決まるラストチャンスでもあった。勝ちで明るい合宿所にもぽつぽつ暗い顔が散見していた。
明日は最終日。昼には解散となる。次に会えるとしたら海外遠征メンバーに選ばれたその時だ。
今回の合宿はU-16に本始動前のU-15候補が混じっている。荒木と島、鬼丸がそうだ。今後はU-15だけで行う合宿や大会のスケジュールが組まれているので遠征には呼ばれないことになっている。目指す大会の規定に年齢の下限はないが、U-15の中心となる人材も必要だし、そこから無理に選抜するほどU-16の層は薄くない。
とはいえ、最後の晩餐の「いただきます」の声が小さかった連中よりよっぽど良かった。特に、最初の印象が最悪だった荒木。練習試合でベンチ入りできたこと自体が奇跡だったが、短い時間の中でも分かってしまった。傑が本気で荒木に期待しているってことが。
「めんどくせえやつにばっかりハマりやがるんだよ、アイツ」
何がそんなに良かったか、傑は荒木を気に入っている。U-16の傑と、同学年ではあるがひとつ下の世代扱いになるだろう荒木は、今回の合宿を終えたら当分の間一緒にやる機会がなくなる。間違っても来月の遠征に荒木がいることはないだろう。
その上、センスは瑛も認めるが、スタミナ面、性格など問題も多い。合宿中、一度足りとも世話を焼いたりしていないが、手のかかるヤツだというのはわかりきっていた。
荒木の方もヘラヘラしているが、瑛に好かれていないのはわかっているようで、あえて関わってくることもなかったが。
「……なんだかんだ言ってタカも面倒見がいいよな」
享の言葉が納得行かなくて視線をやる。
「…………」
「面倒見がいいんじゃなくて逢沢が特別扱いなのか」
「傑は、しっかりしてるように見えてもサッカーから離れたとこじゃ結構抜けてンだよ」
「へぇ」
「人を見る目がねえんだよ。パッとしねえ弟には固執してるし、荒木なんかにハマりやがるし。つまんねえ奴にかまってていつ足引っ張られるかわかったもんじゃねえ」
「ちょっと過保護じゃないのか」
「ああ?」
ずいっと放り出していたイヤホンを差し出されてやっと画面に向き直った。耳にはめた途端にゴールの歓声が脳みそを貫く音量で頭蓋骨の中を跳ね回った。
その翌日、合宿最終日。練習を半日残した早朝に荒木は合宿所を出ていった。厳しい顔をした傑を残して。
<改ページ>
夏の大会を終えた頃に実家に顔を出した。
実家といっても帰省と言うより帰宅する距離だ。
春の入寮以来、部活が忙しいと言って一度も帰省せずにいた。
実際、すでに名門葉蔭学院サッカー部でレギュラーの座を獲得していた上に年代別代表として招集を受けている享は多忙だった。とはいえ大会が一段落した今となっては日帰りする必要はない。それでも享は盆だって帰る気はなかった。
「折角一人息子が久しぶりに帰ってきてるってのに、お父さんったらいつも通り出かけちゃって」
ため息混じりの母に苦笑した。父が日課の愛犬の散歩を欠かしてまで待っているとは思わなかったからこの時間にしたのだ。母もそれをわかっていて言うのだ。
「パスポート書類が揃ったらすぐ帰るよ」
「ホントにすぐ帰っちゃうの?ご飯食べて行けばいいのに」
「寮にも夕方までに帰るって届け出てあるから」
「じゃあ今お茶入れるから、お茶くらい。ね?」
返事を待たずにパタパタ台所に向かう母を見送って久しぶりのソファに腰を下ろした。
いつの間にか新しいものになっているテレビの電源を入れると有料チャンネルが映った。元々テレビ自体熱心に見る家ではなかったのだけれど。
「それね、お父さんが決めて契約したのよ」
「へえ、ニュースしか見ないのに」
「見たいチャンネルがあったみたいでね。でも受信料がもったいないぐらい見てないから、享が見たい番組があったら録画予約していってちょうだいな。そうして今度帰ってくる時にまとめて見たらいいでしょ?」
「それで泊まってけって言うんだろ?」
「もちろん」
番組表を見てみると、確かに興味のある番組はいくつかあった。サッカー専門チャンネルでは地上波では絶対に放送しない海外リーグの試合の放送予定がみっちり組まれている。
「じゃあやめとくよ」
「もう、愛想がないんだから」
約束通り紅茶を一杯と、盆明けに控えた代表の海外遠征に向けた書類を受け取ってすぐ家を出た。予定より長く滞在してしまったけれど、その間父が帰ってくることはなかった。代表として周囲に認められるようになっても父はまだ認めていない。
わかっていたから顔を合わせないよう帰ってきたのだ。それでも、もしかしたら、という気持ちがあったんだろう。
帰り際に差し入れといって持たされたクッキーを片手に玄関扉を開けても、門を開けても、帰ってきた父と愛犬に出くわすことはなかった。
期待をしすぎた。気を引き締めて寮への帰路についた。
人口密度の高い車両を降りるのとぬるい空気に包まれるのはほぼ同時だった。
空いていて冷房も十分な車内から出るよりも体感温度差はないし、むしろ風がある分マシかもしれない。
改札を抜けても人は多い。八月半ばの日曜日。場所は鎌倉。
ほとんどが夏休みを利用しての観光客で、年齢層も父親に抱かれた幼児から貸切バスを待つ老人の団体まで、幅広い。
人ごみをすり抜けて出口付近にいるはずの待ち合わせ相手を探すと、ギリギリ日陰になっている隅っこにジャージ姿を見つけた。
そのすぐそばを走って横切ろうとした小学生の少女が、ぶつかった。
この人出では仕方がない。ましてや余所見をしていた小さな子供だ。
少女は勢い良くジャージの腰に肩をぶつけてよろめいた。後ろに尻もちをつくようなことにはならずホッとしたのもつかの間。障害物を見上げて凍りついた。
長身の目付きの悪い男が無言で見下ろしているのだ。親しければ睨んでいるわけではないとわかるが、暑さのお陰で眉間に深いシワが刻まれている。初対面の少女には酷だった。
震える唇をパクパク動かし、声がでない金魚のようになっている。仕方なく無理に人を押し分け駆けつけた。
「大丈夫?」
先に振り向いた瑛が、今度は確かに機嫌を損ねて眉尻を上げた。先に声をかける相手を間違えてるんじゃないか、という視線は無視した。
「こいつは、連れなんだけど、別に怒ってないから大丈夫だよ」
屈んで目線を合わせてなるべく優しく話しかけた。少女は恐い男と割り込んできた男を見比べて、小さな声で「本当?」と搾り出した。
「ああ。気にしてないから行けよ。あれ、親じゃないのか」
ぶっきらぼうに指さした先には怪訝な顔で様子を伺いながら向かってくる中年女性がいる。少女と目が合うとパッと片手を挙げた。
「走ると危ないから今度は気をつけるんだよ」
屈んだまま微笑むと、はにかんだ様子でコクコク頷いて、チラリと瑛を見上げ一歩後ずさってから「ごめんなさい」と言って背を向けた。
それから走りだして、すぐにピタリと止まってこっそり振り向き、享と目があった途端に正面を向きなおして今度はぎこちなく歩き始めた。
「マセガキ」
「タカ」
横目で睨むが瑛は堪えた様子もなく鼻息で不満を表明した。
「暑いからさっさと行くぞ」
「待てよ。どこに行くんだかまだ聞いてない」
「三十分ぐらい歩く。来りゃあ分かる」
さっさと日陰から踏み出した。
数日前に電話をかけたのは享の方だ。有料チャンネルで見たい試合があるから録画してもらえないかと理由をつけたが、わざわざ電話してまで頼むほどではなかった。なんとなく、話がしたかった。あと十日もすれば代表活動で顔を合わせるのが決まっていたのだけれど。
「次のオフいつだ。――その日はうちも練習は午前で終わるから一時半に鎌倉駅まで来いよ」
「急ぎじゃないから次に会う時でいい。それになんで鎌倉なんだ」
「別に用事があるわけじゃないならいいだろうが」
こうして鎌倉での予定をはぐらかされたままやってきたのだ。駅で合流してから宣言された三十分の移動中にも説明されないとは思わなかったが。
逃げ水を追うように歩き続けた。電車で四十分ほどとはいえ、実家や親戚があるわけでもない鎌倉は久しぶりだった。完全にプライベートで歩くのは初めてかもしれない。
しばらく歩いて瑛が足を留めたのは寺の門前だった。観光の定番の鶴岡八幡宮などではない。ここがどこかもよくわからない享には何があるのかもさっぱりだった。
「そこ、境内の縁の下」
言われて目を向ける。指さされたあたりで縁の下に向かってしゃがみ込んでカメラを構える人が見えた。その足元に日陰に溶けこむようにして何かがいる。
「猫?」
よく見ると建物の影や木陰に隠れるように何匹かの猫が散らばっている。街中でも駐車された車の下などで見かけるが、それに比べてやけに多い。
「ここは猫が多いっていうんで有名なんだとよ」
人馴れしているらしく近寄っても逃げる様子がない。
「こんだけ馴れてりゃお前でも逃げられないだろ」
「……ありがとう」
思いがけずはしゃぐ気持ちを抑えて涼しげな木陰に落ち着いている一匹に歩み寄った。
渋い顔をした茶色のトラ柄だった。毛づくろいを終えてあくびをしている。
その一メートル手前にしゃがみ込んであわよくば触れないかとそっと手を差し出した。
「フシャーッ!」
ダメだった。引っ掻かれこそしなかったものの、それまでのリラックスをさっさと投げ捨てて毛を逆立てられた。
「プハッ」
少し離れた場所で黒ブチに擦り寄られている瑛が噴きだした。
「未だに猫に嫌われてんだな」
「……うちには犬がいるから――」
「もう何ヶ月も寮に住んでてそれはないな」
きっぱり断じられて唇を噛む。警戒態勢のままの茶トラから離れて瑛のいる日陰の隅に滑り込んだ。黒ブチにも警戒されたらと心配して距離をとったが、間合いに踏み込んでいないのか気にも留めてもらえないのか、黒ブチは瑛のスポーツバッグに擦り寄ったままだ。
「人間には懐かれても猫にはてんでダメだな」
「その言葉、真逆にしてそっくり返すよ。何でそんなに気に入られてるんだ」
「多分コレだな」
スポーツバッグをかきまわして開封済みのビニールの小袋を取り出した。
「何だ?」
「おやつ小魚」
「ズルい」
つぶやくと笑いながら袋ごと手渡してくれたが、黒ブチは擦り寄ってはこなかった。距離を保ったまま袋を睨みつけている。いっそ悲しくなってすぐに瑛に返した。
「こんなの好きだなんて知らなかったな」
「好きじゃねえよ。部活中に上と喧嘩したら帰りに仲間からカルシウム摂れって押し付けられたんだ。でも美味くねえから一口でやめた」
瑛の手に戻った途端催促を始める黒ブチに「人間用の味のついたやつだからやめとけ」と一言。そんな雑な入れ方でバッグの中に散乱しないのか、サッとバッグにしまい直してジッパーを閉めた。
刻々と気温の上がる境内に長居はしなかった。居たところで一向に猫に相手にされない。そのたびに瑛は愉快そうにするが、部活帰りであることを考えたら粘る気にはならなかった。
「よくあんな場所知ってたな」
帰り道も享が半歩後ろを歩いた。方向音痴ではないが初めて来た場所だけあって来た道を戻るのも自信がない。
尋ねると瑛が一瞬だけ振り返る。
「傑に聞いた」
「逢沢……」
「あいつは地元だからな。たまたまあの寺の話を聞いたんで、そのうちお前を連れてきてやろうと思ってたんだが……」
照りつける太陽に片手を翳した。
「こんな暑い時期に来るもんじゃねえな。秋にでもすりゃ良かった」
「これから忙しくなるからそんな暇なくなるさ」
「選手権予選の決勝が十一月だろ」
「うちは県大会で暇になる予定はないけどな」
「俺もねえよ。……でも、来年は夏だって暇にはしねえ」
地面に影が落ちて空を見れば大きな翼の鳥が悠々と滑空していた。電線や民家の屋根から不恰好に羽ばたいて飛び上がる鳥をあざ笑うかのような堂々とした姿で。
「タカの本番が始まるな」
「お前だってそうだろう?」
享は答えなかった。
そのまま会話が途切れ、間もなく見覚えのある駅周辺の景色に戻ってきた。
「もし、お互い暇になったときにはまた連れてきてやる」
それから三ヶ月。高校サッカー選手権の県大会をそれぞれベスト8と準優勝で終え、連絡を入れたのは先に冬の大会を終えた瑛からだった。
あと数日で十二月になる頃に横浜駅で待ち合わせをした。
忙しい時期は抜けたはずだったが、夏のように鎌倉で会うほど時間がとれなかったので、それならばと放課後に買い物に行くことになった。
買い物といっても、享が寮の自室に置くトレーニングマシンを探しているので、中古店を巡る予定だ。色気も洒落っ気もない。
「自前で揃えるにしても高くつくぞ」
「貯めた小遣いでちょっとずつ中古で揃えるつもりだよ」
受話器越しに呆れた吐息が聞こえたが、
「お前らしいといえばお前らしいな」
そしてお互い放課後に部活がない日に約束をした。
寮生活の享が放課後の駅を訪れることは少ない。場所自体が珍しいわけではないけれど、様々な制服の学生や社会人でごった返すこの時間特有の空気に飲まれながらも少し早めに到着した。
瑛が乗る予定の電車は少し遅延しているようだった。
携帯と時刻表を見比べて、一本乗り逃したと仮定して待ったが、来ない。
改札前に移動して次の便が着くのを待ったが、ついに瑛が改札を抜けてくることはなかった。
一時間待ってもメール一通返ってこないので電話をかけた。
何度もコールして、留守番電話メッセージが流れかけたところで瑛が出た。
「今どこだ」
「わるい、自主練してたらちょっと怪我して、今病院」
「なっ」
大会が終わったとはいえ何でそんなつまらない怪我をしているのか。そもそも部活がないからとこの日に約束をしたのに。
怪我の心配より待ちぼうけた時間分の怒りが上回って怒鳴りそうになった。その前に瑛が低い声で続けた。
「今日……今朝、傑が死んだ」
一瞬息が止まった。駅の雑踏が遠のいて瑛の静かな声だけが耳に残っているのに、意味を理解するまでに時間がかかった。
何の冗談だ。いきなり何なんだ。投げかけたい言葉はいくつもあったけれど喉につかえて出てこない。でも、瑛がそんな冗談を言わないのもわかっていた。
「待てよ。今、鎌倉の病院なんだな?すぐ行くから」
「そんな酷い怪我じゃねえしいい」
「いいから、すぐ行く」
無理に病院の場所を聞いて慌ただしく改札を抜け、ホームに滑りこんできた電車に飛び乗った。
駅から十分の小さな病院の軒下に瑛はいた。言葉通り怪我は酷いものではなく、念のために受診したらしい。
「だから大丈夫だって言ったろ」
そう言いながら立ち上がった途端によろけるので肩を貸した。大げさだと断られても享は譲らなかった。
「約束してたのにわるい」
「ああ。なんだって自主練なんかしてたんだ」
瑛らしくない弱い声を誤魔化したくて自然と声が大きくなった。
「ホントに悪かった。一日落ち着かなくて、部活もねえし、お前との約束も頭から抜けてて、何かしてないとダメで……思い出してお前んとこ行けば良かった」
病院前にはスロープもあったけれど瑛が階段に向かったのでそうした。短い階段の途中で踏み外しかけた瑛が肩を強く掴んだ。足を戻して体が安定しても、ギュッと握った手はなかなか離れていかなかった。
朝から天気の良い日だったが、唇を噛んで見上げると見渡すかぎりの空を灰色の雲が覆い尽くしていた。
雨は降らなかった。
それでも雨の匂いを含んだ空気が辺りを包んでいた。
息苦しくて足も重い。
無言のままなんとか駅まで歩いて、仕事を終えた瑛の母が車で迎えに来たのに二人で乗った。一度は遠慮したものの享は寮まで送ってもらい、短いやりとりだけで別れた。
いつも通りに寮で夜を過ごす間、突然の逢沢傑の死を案外冷静に受け止めている自分に気づく。瑛ほど親しかったわけではないにしても。
気持ちの整理がつかないだけかと思った。まだ信じられないとも思っている。でも、それだけでもない。
傑自身のことより強く掴まれた肩が。
指あとなんか残っていやしない肩をそっと触る。
雨は降らなかった。でも、肩を貸していたせいで吐息の震えはわかってしまった。
両手で乱暴に顔をこすり上げる。涙なんか出ていないのに。
まだ、鎌倉の町の湿った空気が鼻の奥に残っている気がする。
傑の死と現実の間に瑛がいた。瑛を通してしか傑の死を現実だと感じられない。
まとまらない頭のどこかに苛立ちがあった。悲しむべき時なのに。
自分がとても自分勝手な酷い人間のようでたまらなかった。
それからの二年間。代表招集や試合のために何度も瑛に会った。
でも、プライベートで連絡を取り合うことは一度もないまま。
<改ページ>
冬の間スケジュールのなかった代表活動が再開した三月。
顔見知りばかり十八人集まったグラウンドで、ふとしたタイミングで瑛が視線を上げた。
集団の端から端まで見る前に阿呆みたいに口を開けて、また視線を落とす。
そんな様子を観察していたら、4ヶ月という月日の短さが身にしみた。
前回の招集で当たり前に肩を並べていた逢沢傑がこの世を去ったのが十一月。
毎日の生活からいなくなったことには多少慣れても、こんなとき。傑が景色の一部だった代表チームに戻ってくると、本来ならいるはずだった人間がいない違和感に後頭部をがつんと殴られる。
このチームの中で日常的に傑と会っていたのは瑛だけだった。同じ神奈川にいてもほとんど会うことのなかった自分には分からないことがきっとある。
この春から瑛は高校で10番を背負っている。逢沢傑に用意されていた背番号だ。
監督が言い出したのか、瑛自身が申し出たことなのかは尋ねていない。どのみちすすんで背負ったに違いない。
そのことを知った時、
(やっぱり)
と思った。それと同時に、
(ちっとも似合わない)
そんな重たいユニフォームを着てこの一年を走り抜くのか。
背中に10番を背負って全国制覇をすれば気持ちに決着がつくのか。
会わなかった数カ月の間ろくに散髪をしていないらしく不格好に髪が伸びた監督が集まったメンバーを前に「みんなもう知っていると思うが」と前置きして傑の話をした。
「惜しい人材を、なんてよく言うが、逢沢傑は本当にどこまででも行けるはずの男だった。まだ戸惑っているものも多いと思うが――」
じっと話を聞く横顔を盗み見ても視線を落とさないままだった。監督より向こうのどこかに向かって顔を上げ続けていた。
国立競技場じゃなく、海の向こうまで見ようとするみたいに。
座っているだけで汗ばむ気温が二年前のようだ。
久しぶりに見た荒木竜一は伸びた髪を一つに括っていて印象が違った。
聞けば少し前まではずいぶん太っていたらしい。
瑛なら「やっぱりふざけている」なんて怒るかもしれないが、スタミナ不足の改善は急激な減量が影響しているのかもしれない。だとすれば馬鹿にしたものでもない。
実際、周囲と喧嘩を繰り返し、すぐに息切れを起こしていた合宿から見違えるような活躍をしている。
監督と合わず代表チームを離れたのを致命的なわがままと言う者も多いが、江ノ島の若き監督は確かに荒木を使いこなしていた。
キックオフ直後のドリブル突破から始まりゴールを直接狙ったコーナーキック。
派手なパフォーマンスで鉄壁の守備を誇る湘南大付属の選手たちの脳裏にキツく刻み込ませたのは監督の指示だろうか。アイディアが監督のものでもやってのける荒木の技術は表舞台から身を潜めていた間にしっかり進歩している。
でも、驚きはしない。逢沢傑があんなに期待していた男だ。
(それに、)
怪我をしたらしい選手と交代でピッチに出た小柄な少年の一挙手一投足に目を向ける。
背番号は20番。見た目もあまり兄とは似ていない。中学の間は目立った活躍のなかった選手だ。
でも、逢沢傑が誰より期待をかけていた弟、駆。
交代して間もなく駆にチャンスが訪れた。
荒木からのダイレクトパス。絶好のボールを受けにゴール前に飛び込んだその時。
追いすがって潰しにかかったDFを前に、一瞬気持ちが退いた。
離れた席で同じようにチームメイトと観戦している瑛が厳しい目を向けたのが手に取るように分かる。
同じFWだ。尚更だろう。
荒木竜一と逢沢駆。傑が才能を見出していた無冠の二人のプレイヤーが揃ったチームについつい期待をしていた。
ただの活躍ではなくて、何か、傑の死から引きずり続けている気持ちにケリをつけさせる何かを。
でも、そんなものは存在しないのかもしれない。
江ノ島DFのファウルで湘南大付属にフリーキックのチャンスが渡った。
逢沢駆を含む壁の前に進み出たのは少し前に駆と競り合った大柄な一年生DFだ。
遠目に見ても強烈なボールが駆を吹き飛ばす。小さな人形が指で弾かれたみたいに。そして頭から芝に落ちた。
しばらく起き上がれないほどダメージを受け、ようやく起き上がって、GKからのフィードに備え人の波が上がっていく間もぼんやりと自陣ゴール前にいた。
「あんなところで何やってるすかね?」
ゴール前で味方GKからボールを貰いドリブルを始めたのを訝しむ鬼丸に応えないまま違和感のある駆を目で追う。
今までの駆のことは贔屓目込みの傑の話でしか知らなかった。それでも違和感がある。
それまで頼りなかった背中が伸びてひとまわり大きく見えた。
動きから焦りや落ち着きのなさが消えた。
視野の広いパス。きれいな勢いに乗ったドリブル。
ここまで競り負けてきた敵DFとの競り合いでも冷静なフェイント。思い切りの良いミドルシュート。
別人とまでは言わない。でも、例えるなら、いきなり何ヶ月もの時を超えて成長した彼を見せられているような。
計算が合わない違和感。
どんなにデータを集めてシミュレーションを重ねても想定通りに物事が運ぶとは限らない。
でも、逢沢駆の変化はそういう“想定外”の中でも別格だった。
湘南大附属との試合を勝ち抜いた江ノ島との試合の最中に目の前でソレは起こった。
湘南大附属との試合で見たのが急成長なら目の前で“起こった”のは別人化だ。
本来の駆が持っているとは思えない技術、動き、表情も。
オカルトに興味はないが、傑が乗り移ったみたいだった。それならつじつまが合うような気がして。
でもすぐに打ち消した。
別人のような駆は長く持たず、突然電池が切れたように意識を失って運び出された。以前の事故の後遺症ではなかと聞いた。
夏の大会。葉蔭学院は決勝で鎌倉学館に負け準優勝で終わった。
長期休暇でも補習や夏期講習、部活で人口密度が高かった構内も盆を前に夏休みらしくなっている。
実家が遠方の生徒がほとんどの学生寮も大部分が帰省していった。
いつもならポータブルプレイヤーにイヤホンで見ているDVDを談話室の共用テレビで再生しても文句は言われないだろう。誰も居ないのだから。
そう思ってソファに沈み込んでいると、老朽化で立て付けが悪くなって音の立つドアを開けて汗だくの真屋が顔を出した。
「涼しーっ!ほとんど人が残ってねえからってあっちこっちの空調切られてて暑いのなんの」
「お疲れ」
「飛鳥が個室にいたらここも蒸し風呂だったな」
「自分の部屋のエアコンつけたらいいだろ」
「帰ってきてすぐつけたけど俺の部屋のヤツはオンボロだからなかなか冷えないんだよ」
飲みかけのペットボトル片手に別のソファに陣取って、ローテーブルに置いてある空のDVDケースを勝手にうちわにしてふと手を止める。
「なんだ、また見てんのか?江ノ島の試合」
赤いユニフォームと白地に青のユニフォームが散らばる画面をつまらなさそうに見た。何しろ享に付き合って何度も見ている。その上、
「研究熱心なのは知ってるけどよ、普通こういうのって勝った試合より負けた決勝の方を見直すもんじゃねえの?」
PKで決着した試合だから勝った試合と言い切るのも据わりが悪いが、真屋の知るかぎりでは鎌倉に負けた決勝よりよっぽど江ノ島との試合に固執している。
「決勝の録画も見てるさ。ただ…江ノ島との試合は納得いかないところがあって」
「……逢沢か」
後輩たちの手前、逢沢駆が倒れて交代になった後も、試合の後も、決勝を終えて大会が終わってからも何でもない顔を貫いている享がずっと何かを考えているのには気づいていた。
試合前の計算違いについて納得行くまで分析しているのだと思っていたけれど、こんなに一つの試合を引きずるのも珍しい。
「もし冬も当たったとして、逢沢がガス欠せずあのプレイを続けたら怖いよな」
「ガス欠……か」
「じゃなくて事故の後遺症って言ってたか?鬼丸の話じゃ、U-16の代表候補合宿では荒木よりよっぽど持久力あったらしいじゃないか」
江ノ島と対戦した県予選の頃よりも暑い中でも体調を崩すことはなかったと聞いている。
「……なんにしても、次もあのプレイが出るとは限らない」
「どういう意味だよ。一瞬の偶然にしちゃあ長い一瞬だっただろ?」
例えば思わずふらついたのがフェイントになっただとか、そういう奇跡とは違う。もし、奇跡だったとしても、真屋の言う偶然とは種類が違った。
「そんな気がするっていうだけだよ」
動きまわる選手たちの中で立ち止まった白と青のユニフォームが地面に崩れ落ちる姿が映し出される。直前に誰かと接触して倒れたまま起き上がらないのではなくて、突然倒れこんだ。
仲間が駆け寄って主審が駆け寄って、逢沢駆が担架で運び出される。
あの時、意識を手放して目を閉じた逢沢駆は幼く見えた。
夏が終わるとあっという間に冬の予選が始まる。
江ノ島高校の一回戦で瑛率いる鎌倉学館のレギュラー数名の姿を見た。対戦校の経政大付属湘南には代表で瑛とツートップを組んでいた秋本もいたが、目当ては江ノ島の方だろう。予想は外れず江ノ島は二回戦に進んだ。
それから間もなく、鬼丸の代表活動の件で訪れた平塚で、女子代表の美島奈々と練習している逢沢駆と会った。小学校では同じチームで、高校の今も美島はなでしこ活動の傍らで逢沢の所属するサッカー部のマネージャーをしている。
逢沢傑と美島奈々。二人の天才に囲まれてサッカーをしてきたと思えば近年の試合だけでは計算しきれないのかもしれない。計算外の幅が大きくたって不思議はない。
でも、萎縮している間に美島に仕切られている様子には何も感じない。兄のような頼もしさや、底知れない雰囲気や、今の荒木が背負っているような“波”の気配も。
担架で運び出されるときと同じ幼い顔が本質だ。きっと次こそ完全な形で勝てる。江ノ島の二回戦の相手を考えれば次があるかもわからない。見立てを鬼丸に話す一方で、もう一度逢沢駆に奇跡が起こる姿は脳裏に居残り続けた。
その執着が原因だろうか。準決勝で江ノ島と同じグラウンドに立つことが決まり、トラブルで江ノ島のエース荒木がキックオフに間に合わないと知らされても胸騒ぎがした。
結果――――夏を彷彿とさせるPK勝負で葉蔭学院は敗退した。
逢沢駆に奇跡は起こらなかった。恐らく鬼丸と一緒に遭遇した美島との練習で身につけた新しいフェイントで、幼く頼りないと思った本質の部分で負けた。
――――小さな液晶モニターに表示された名前を確かめてゆっくりと電話をとった。
「珍しいな、連絡よこすなんて」
『……あんまり落ち込んでねえな』
「まさか慰めるつもりだったのか」
『ふざけんな』
「ふざけなくたってそう聞こえるセリフだろ」
僅かな沈黙が電話の向こうの渋い顔を思わせて小さく笑った。
「心配してくれるのはありがたいけど、落ち込むよりすっきりした気持ちが勝ってるんだ」
『心配なんかしてねえよ』
「そういうことにしておいてやるよ」
『フンッ』
「それに、負け惜しみに聞こえるだろうけど、お前と江ノ島の試合も見たかったんだ」
『……今日の試合でも“何か”あったのか』
「いいや」
何のことか追求しないまま即答した。
「今回は本当にお前の、…俺達の望むようなことはなかったよ。なかったけど、でも、傑が待っていたものは多分わかった」
『……』
「決勝、楽しみにしてる」
何か考えている気配を感じながら返事を待たずに通話を切る。それから少しだけ、両手に顔を埋めた。
決勝らしい熱気の中で鎌倉学館と江ノ島高校の試合が始まった。
江ノ島の攻撃から始まったもののあっという間に鎌倉優勢になった。想像の範囲内だ。江ノ島は退場者を出して更に追い込まれた。怒涛の前半二十分。鎌倉が二点先取した直後、滑りこむように隣に陣取っていたレオナルド・シルバが呟いた。
「始まった……カナ」
スタンドからは選手たちの表情が見えない。会話も聞こえない。
何がとは言わなかった。彼ももういない傑に執着しているのを知っていてから。
葉蔭学院の仲間と固まって座った席に割り込んできた時、シルバは三人目当てがいると言った。一人は荒木。二人目は駆。三人目には、瑛の名前は挙がらなかった。はぐらかされたままだ。
それでも逢沢駆の動きが変わってから前のめりになった姿勢を見れば三人目が誰か分かる。至宝と呼ばれながら日本の高校サッカーへ乗り込んできた男も同じなのだ。もうこの世にいないはずの傑に執着して、まったく別人だとわかっている弟に妙な期待をかけている。
違うことといえば、彼は何か確信を持って日本にいるらしいということだ。逢沢駆の変化を当然のことのように待ち望んで受け止めているように見えた。
駆の本質からかけ離れた、夏に見たドリブル。
納得しがたい逢沢のプレーを彼自身の潜在的な持ち物として見つめた。今度は倒れることもなかった。
分析肌のせいか目の前にあって説明のできないものというのが苦手だった。
そのくせ期待しているのはオカルトちっくな何かだ。混乱する。
自分の高校最後の試合では常にブレのない逢沢駆本人だった。
決勝の舞台で対面した瑛には何か見えただろうか。
広い墓地の中で墓石が夕日を浴びて濃い影を作る。
黄昏は薄暗くなって人の顔も見分けられなくなり「誰そ彼」というところからきていると聞いたことがある。
確かに、人間違いもしやすそうだ。生きている人間以外の何者かが紛れ込んでもわからないかもしれない。
でも、冬に向かう夕方の墓地には紛れるほどの人がいなかった。
霊園入り口で捕まえた制服姿の瑛は黄昏でも分かる穏やかな顔をしていた。
「何してんだ、こんなところで」
「待ってたに決まってるだろ」
「墓の場所がわからなかったんなら住職に訊けよ」
なんなら案内してやる、と墓に戻ろうとする腕をつかむ。
「墓参りに来たんじゃない。タカを待ってたんだ」
「……」
「どうせここに寄るだろうと思って」
「……まどろっこしい。用があるなら携帯に連絡すりゃいいだろ」
吐き捨てながらもゆっくり霊園を出た。話しながら歩くためのスピードだ。
ルートは違うけれど、鎌倉駅までの道を二人で歩いた夏の日が懐かしい。
「試合、見たよ」
「ああ。知ってる」
「ユニフォーム、逢沢にやったんだな」
「元々あれは傑のもんだ」
言い切られて深く息を吸った。
「……そうだな」
「それでも一月まで脱ぐ予定なんかなかったってのによ」
「そのわりには元気そうだな」
「明日からは暇だからな」
曲がり角で拗ねた横顔が影になる。高校最後の大会、瑛の率いる鎌倉学館は県予選準優勝に終わった。
三年生はこれで引退だ。
「よりにもよって高校最後の年に二人揃ってこれとはな」
「クソッ。仕方ねえから今度また猫寺連れてってやるよ」
吐き捨てついでの気軽さで言われて思わず足が止まった。
「なんだよ。猫寺じゃなく買い物の約束だったか?」
ついこの間した約束の話みたいに当たり前の口調だった。
「あの時話してたこと、覚えてたのか」
「お前は忘れてたのかよ」
すぐに首を振った。
「覚えてる。でも二年も前だ。まさかタカが……」
果たされなかった買い物の約束はまさに傑が亡くなった日だ。忘れはしない。でも、今更果たされるなんて期待していなかったからあえて思い出しもしなかった。
どんな顔をしているか自信がなくなって、見られたくなくて俯いた。熱い気がして手のひらで顔を押さえた。
「飛鳥?」
「こんな、俺との些細な約束なんか気にしてくれてるなんて思ってなかった」
「なんだそれ?バカにしてんのかよ」
下に向かってまた首を振る。
瑛について歩いていたら、いつの間にか近道らしい細い路地に入っていた。建物に囲まれてオレンジ色の光の当たらない地面は暗い。
「……タカが逢沢に縛り付けられてるみたいだと思ってた 。事故の報せを聞いたあの日からずっと」
口に出すと余計に馬鹿げた考えに感じた。それでも自分でくだらないことだと片付けられないままだったから墓地まで会いに来たのだ。
「俺が傑のことばっかり考えて二年間過ごしてたみたいな言い方じゃねえか」
「少なくとも俺はそう思って何かしらの決着がつくのを待ってた」
下ろされたままの瑛の手指が躊躇うように宙を掻く。二歩で距離を詰められすぐそこにきた肩に額を預けた。間があって、そうさせないよう絡みついていた糸を引きちぎった勢いままのような乱暴さで掻き抱かれる。
懐かしいような新鮮なようなにおいがした。
「この二年間、傑にこだわってたのは間違いねえよ。けど、」
強引に顔を上げさせられたと思った時には口を塞がれていた。驚いて逃げそうになる体を強く抱きしめられる。
合宿所で触れ合った事故みたいなのとはまるで違った。生暖かな舌が差し込まれ歯列の裏側を舐められて密着した体にしがみつく。
顔が近すぎるせいで視覚を投げ出し、息を止めているせいで鼻もきかない。頭もいっぱいで耳に届いているはずの細かな音も遠くなった。瑛が触っている部分の肌の感覚だけが全てだ。
バカになった頭で求められるまま舌を差し出したところで与えられる感触に耐えきれなくなって膝から崩れ落ちた。
「いうほどストイックに過ごしてたわけでもねえ。二年間疎遠にしても冷めなかった」
目の前にしゃがみこんで唇を濡らした唾液を乾いた親指で拭いとられた。感触まで拭き取るような乱暴なやり方で。
「鈍いお前でもわかんだろ。俺がお前のこと考えるってのは、どこかしらこうなるんだよ。もちろん選手として認めてる。エロいこと抜きで真面目に思うこともあるけど、ずっと考えてたら必ずこういうどうしようもないことまで考えちまう。嫉妬じみたこと言われりゃ期待だってしちまう」
忌々しげに後頭部を掻きむしって一人で立ち上がった。置き去りで行ってしまうのかと思ったけれど、仁王立ちでそっぽを向いたまま待ってはくれるようだった。そもそも知らない道を歩いてきたので置いて行かれると途方に暮れてしまうのだが。
「ほら、グズグズしてると電車逃すだろ」
意図的に声音を切り替えて地面を蹴る。こっちを見ない。人を見るのに遠慮なんかしない瑛がわざとそうしている。
色よい返事なんか期待していないからだ。そういうのは分かる。自分だって今日まであの日の約束をやり直さなかった。期待していなかったから。
「……手」
「ああ?」
「手を貸してくれ」
「……腰が抜けるほど良かったってか」
茶化しながらも差し出された手を強く握った。立ち上がっても放せずいたら、並んで歩く形に繋ぎ直された。
いつの間にか空がオレンジから紺色に変わっている。よりいっそう暗くなった細道を手を引かれて歩いた。
「タカはさっき暇になるって言ってたけど……」
「まさか受験勉強があるなんて言うなよ」
「また一緒に横浜でやらないか。誘ってもらってるんだ。大会が終わったらタカにも声をかけるって言ってた」
「そうか……そうだな。ハハッ、代表チームじゃ一緒なのに久しぶりの気分だ」
すぐにひと目のある大通りに出て、名残惜しい手を放した。それでも指の背がぶつかる距離で肩を並べて歩いた。
「たまんねえよな。高校最後の大会に負けて、今日は一人でそれなりに悔しく過ごすはずだったのによ」
「遠慮せず思う存分感傷に浸れよ」
「いや、それはもう墓前で済ませてきた」
「……」
押し黙るのを見て愉快そうに顔を歪めた。
「傑に、昔さんざん聞かされた自慢の騎士が俺にもどんなもんかやっとわかったって言ってきた」
「鎌学が準優勝した報告じゃなく?」
「手土産は故人が喜ぶものって決まってんだろ。あのブラコンにはこれでいんだよ」
ついつい笑って視線を上げ、向けられる眼差しの優しさに目を逸らす。
二人同じ電車に乗る駅はもう目の前だ。