高校生/傑生存if鷹傑/6570

 新年度のクラス替えからまだ一週間。
 浮き足立った教室の中でも存在感のあるその人を俺たちがなかなか見つけられなかったのは、見慣れないオプションのせいだった。
「あれ、鷹匠さんメガネなんてするンすか。」
 その人、鷹匠瑛の切れ長の目の上にフレームの細いメガネ。
 三年前に試合相手として出会ってから一緒に代表合宿も経験したし、今年の春休みからは同じ高等部サッカー部で毎日のように顔を合わせているが。
「練習とか試合のときはコンタクトだからな。普段も用事がなきゃかけねえし。」
 合宿所では部屋が違ったし。
 そういえば目薬を差している姿は何度か見ている。あれはコンタクトレンズが乾燥するからだったらしい。
 物珍しくて眺めていると、彼は男前な目元をきゅっと細めてわざとらしく
「いいだろ?」
「なんか、頭よさそうに見えますね」
 そして俺は額に手刀を食らう。どちらかといえばこういったときに出るのは頭突きなのだが、そこはメガネが邪魔をするらしい。
「いつもより、っスよ!」
「あとづけすんな!」
 一緒にやってきた国松まで「お前が悪い」と首を振った。
 けれど、そこは友達だ。助け舟とばかりに話を振ってくれる。
「それ、授業中だけなんスか?」
「ああ。学校じゃあな。」
 そういえば、うちはみんな視力がいいもんだから縁がなかったけれど、クラスにも授業中にだけメガネを取り出す奴がいたっけ。
 一人納得しながら再び口を開く。
「教科書見るときとか…」
「老眼鏡じゃねえよ」
 今度こそ頭突きだった。上手いこと剥き出しの額で額を打たれたが、メガネもちょっぴりぶつかった。
「で、どうした。」
 石頭の鷹匠さんにはダメージなどないかのようだ。
 額を押さえて屈み込む俺の代わりに国松が答えた。
「コイツに数学教えてやって欲しいンすよ。」
 下向きに指さされた俺が上を向くと、メガネで一層冷たい印象の鷹匠さんはバカにしたいのか嫌そうなのか半端に歪んだ顔で見下ろしていた。

 二日後、監督の都合で丸一日休みとなったその日に勉強会は開かれた。
「英語はいいんだから数学もちっとは真面目にやっとけよ」
「将来英語は絶対必要になりますけど、三角定理なんか使う場面がないじゃないスか」
 先日の入学後確認テストは惨敗だった。
 数1Aの教科書をざっと見ても三角定理らしきものは載っていないのだから、高校にきてまで確認されるのはおかしいんじゃないかと思う。
「それに、春休み中は練習ばっかりで勉強は丸々ブランクだったし」
「内部受験生はたしか宿題出てたろ。」
「えっ」
 スコンと小気味いい音を立てて丸めたノートで叩かれる。
 この人はすぐに手が出る。
「ったく、お前なあ。サッカーに関しちゃ少しも言い訳しねえくせに」
 残念ながら数学に関しては言い訳の代わりに次のテストで結果を出す、なんて思えなかった。言い訳をやめると開き直る以外に道がない。
 どうやらテストでミスしたところの復習だけでなく予習まできっちり見てくれるつもりらしい鷹匠さんにこっそりため息をつきながらシャープペンを握った。

 一時間も集中して机に向かうと眠気が襲ってくる。しかし、船を漕ぎ始めるより早く、手の動きが鈍くなってくると教え子の眠気を敏感に察知したスパルタ家庭教師から鉄拳が飛んでくる。
 厳しいがこの人に頼んで良かったと思う。先日国松と二人でそれぞれ得意科目を教えあいながら勉強して、二人でダウンしてしまったのを思い出す。
 お互い高等部の部活の練習についていってはいるが、その分座学に費やす気力体力まで消費してしまっていた。
「手が止まるペース上がってンぞ。やる気あんのか!」
「ちょっと、そろそろ休憩しましょうよ…」
 学校だって一時間も続けて勉強させたりしない。
 時計を見てフンッと鼻を鳴らし、それでも休憩を受け入れてくれたらしい。
 メガネを外して閉じた教科書の上に置いた。
「十分な」
「十五分ですね」
「あぁ?」
 物騒な声を上げて投げつけられる視線をテーブルに伏せてかわし、目の前にあったメガネに触った。
 飾り気がない、と思っていたが、外されたそれを見るとつるの内側が青と黒の縞模様になっていた。
 外側からは黒一色でいかつく見えたのに、内側を覗くと可愛くも見える。
 持ち主が怒らないので広げてレンズをかざしてみた。
 二枚のレンズに切り取られた景色がぼやけたけれど、そんなに度はきつくないように見えた。ちょっとかけてみても少し慣れれば普通に物が見えそうで、けれど調子にのって視線をあちこち動かしていたら目が回りそうになった。
 最後に「どうスか」といたずら報告に顔を向けたら鷹匠さんはニコリともせず、じっとこちらを見ていた。合わない眼鏡越しの不安定な視界でも面白がってくれていないのがわかって、それを外した。
「お前すげー眠そうな顔してる」
「眠いっス」
 テーブルから起き上がらないまま答える。
 ひと眠りして起きてからの方が勉強効率もいいのではないか。
 簡易ベッドに寄りかかった鷹匠さんが深く息を吐く。
「眠気覚まし系のガムとか持ってねえのかよ」
「あったかな…この間駆に貰ったのがどっかに…」
 弟の名前を言った瞬間に舌打ちが聞こえていた気もしたがつっこまずにおいた。
 そんなに弟の話ばかりしているつもりはないが、いつ頃からかいい顔をされなくなった。
 周りには「そりゃあな」なんて言われるが、釈然としない。
 ガムはベッドの脇に投げっぱなして丸めていたパーカーのポケットにもカバンのそこにも見当たらなかった。
「あ、そういや制服の上着に移したっけ」
「お前結構だらしねえよなあ」
 忘れて入れっぱなしてるとポケットベタベタになっちまうぞ。
 言いながらもわざわざ立ってカーテンレールにハンガーでかけてあるブレザーのポケットを探ってくれた。口は悪いしすぐ手は出るが、案外面倒見がいい人だ。
「どうっすか、多分右に入ってっと思うんだけど。…いや向かって右じゃなくって…」
 体を捻って様子を伺うと、ちょうどその手が薄い水色の封筒を取り出すのが見えた。
 すっかり忘れて金曜から入れっぱなしていた。
 それについて鷹匠さんに気を使う必要もないと思いながら、バツが悪く感じて口を閉じる。
<改ページ>

 週の終わり、金曜日の放課後。下駄箱の中に淡い水色の封筒を見つけた。
 宛名も差出人の名前もないが、女の子の好きそうなデザインのそれは間違いなく
「入学早々ラブレターか」
 背後からにゅっと顔を出した鷹匠さんが冷やかしのコメントと共に尻に膝蹴りをくれる。
「わっ!何すか、鷹匠さんだってこういうのもらってンでしょ?」
 お互い様と思ってからかいっこなしにして欲しい。
 そう思って当たり前のように言ったのに、鷹匠さんはあからさまに不機嫌そうな顔になってしまった。
「もらってるように見えるのか?」
 去年のサッカー部で一年生ながらにレギュラーを張っていて、長身で男前。
 それに、彼のクラスが体育でグラウンドにいると一部の女子が窓際でそれを眺めている。彼女たちが鷹匠さんの名前を呼んでいるのを聞いたわけじゃないが、あれは鷹匠さんをみていたのだ。
 彼女たちの横から顔を出してみていると、気づいた彼が呼びかけてくる。手を振り返す。そうすると彼女たちは恥ずかしげに引っ込んでしまう。
 だから疑ったこともなかった。
「タカは愛想なくて怖がられてるからサッパリだよな」
 後から来た二年の早瀬さんが笑いながら教えてくれる。
 ますます鷹匠さんの機嫌は悪くなるが、そこは同じ二年生。振り回された足もサッとかわして追い越していく。
「あー…。鷹匠さんは、影からそっと見守りたい、ってタイプつうか…」
「下手なフォローすんじゃねえ。ムカつく。」
 もう一発尻を蹴ってさっさと玄関を出て行った。
 本当はそんなに気にしているわけでもないだろうが、手が出るのが早いのだ。
 急いで靴を履き替えてその後を追いかけた。
 手紙は仕方が無いのでブレザーのポケットに押し込んだ。
「ホントに意外だったんすよ」
「お前に言われても嫌味にしか聞こえねえよ」
 言いながらも足を緩めてくれた。並んで校門を出る。
 一緒に下校する距離はあと少しだ。
 示し合わせたわけではないが、距離を惜しむようにゆっくり歩いた。
「うちのクラスの女子にも鷹匠さんのファンぽい子いるンすよ」
「知ってる。わざわざその横から顔出したろ」
「わざわざって、別に俺の席ちょうどあの辺の窓際だったってだけで…」
 でも、少しだけ気分が良かったのは本当だ。ああいうのを優越感ていうのかもしれない。
 女子と張り合うわけじゃないけれど。
 あの時ほんの少しいい気分だったのは。
 指摘されるとなんだかズルイことをしたような気になってきて、ドキッとした。
 更に足が重くなる俺の一歩前で鷹匠さんは足を止めて振り返る。
「お前も………」
 その先は言わなかった。聞き返しても「何でもない」で押し切られた。
 いつもクッと顔を上げて歩く人が少しだけ下を見て歩いて、通学路はそこで別れた。

<改ページ>
「まだ封も開けてねえな」
 鷹匠さんは水色の封筒を一度裏返して、それで興味を失ったようにブレザーのポケットに戻した。
 そのポケットにガムが入っていないのを確認すると、反対側のポケットに手を突っ込んであっさりガムの包を発見した。
「ほらよ」軽く放り投げてよこしたガムを俺が取り落とすと「下手クソ」と言って笑ったので少しだけホッとした。
 でも、側に戻ってきたときの無表情を見ていたら、やっぱり何か責められているような不安が眠気に満ちた頭にまとわりついて落ち着かなくなった。
 ガムの銀色の包み紙をのろのろと剥きながら、何か言わなければならない気がして口を動かした。
「いいンすよ。どうせ断ンだから。」
 でも、すぐに後悔した。何でわざわざ言ってしまったんだろう。
 返された鷹匠さんのコメントが冷たく聞こえたからだ。
「俺には関係ねえよ」
 何だか空回っている。口にガムを放り込んでもあまり目は冴えなかった。
 鷹匠さんがぶっきらぼうな物言いをするのはいつものことだ。
 機嫌が悪いと思う理由がない。でも、機嫌を損ねているような気がして。
 ゆっくり俯くと借りっぱなしの眼鏡が目に留まる。
 自分の身体で影になって、内側の青色が深く見えた。
 勉強している間は厳しかったけど、これを勝手に触っても何も言わなかったし返せとも言わないのだから怒ってはいないと思う。
 冷静にそう考えるほど、腹のあたりでわだかまるモヤモヤの正体がつかめなくなる。まるで度の合わない眼鏡のレンズ越しに見るみたいに。
 ふと気配を感じて顔を上げると思いがけないほど近くに鷹匠さんの顔があった。目を細めて眉間にシワを寄せ。
 反射的に仰け反って少し距離を取ってもまだ呼吸をしたら息がかかりそうで、小さく息を吸って吐いた。ミントのにおいが広がるようで、それも少し気恥ずかしかった。
「な、何してるンすか」
「黙ってどんな顔してんのかと思って眺めてた。」
「……そこまで寄らないと、見えないンすか」
 鷹匠さんは答えずスッと身を引いた。
 メガネを返しても畳んだまま、疲れたみたいに眉間を揉む。
「よし。勉強再開すっか」
 その声は軽く響いた。言いながらメガネをかけ直す。
「え、まだ十分も経ってないっスよ!」
「ガム食ったろ」
「こんなんで目ェ醒めないですって」
「うるせェ、さっさと起きろ!」
 教科書で頭を三度殴って俺の頭の起動も待たず、休憩前にやった公式の練習問題を見つけてきてくれる。
 さっきやったばかりだというのに、すでに公式への当てはめ方が半分抜けて、公式だけが呪文のように頭上をさまよった。
「えーと、これを展開して……」
「するか!さっきやった式の簡単な応用だろうがっ」
「応用なんじゃないスか。卑怯っスよ。」
「お前フェイントかけられて文句つけねーだろうが!」
 俺が黙ると鼻を鳴らした。そしてノートに書き写した式に横からペンを入れた。
 すでに一時間も相手をしてくれているせいか、躓いているところすべてを見抜いているような的確さでヒントをくれる。少し丁寧すぎるぐらいだ。
 導かれるまま計算して解くとすぐに次の問題を指示される。
「鷹匠さんって頭イイっすよね」
「元々悪いとでも思ってたか」
 そういやこの間も“眼鏡すると頭よさそうに見える”とか言ってたな。チクチク蒸し返してくれる。結構根に持つタイプか。
「嫌な邪推すんのやめてくださいよ」
 勉強の出来はともかく、高校に上がる前から代表チームで一緒に過ごしてこの人の頭の回転の速さは知っていた。
 冗談を納めて首を左右に伸ばしながら真面目に答えてくれる。
「鎌学は頭のレベルもちょっとばかし高かったからな。外部受験は勉強すんだよ。」
「スポーツ推薦でしょ」
「それでも入学してから授業についてけねーんじゃ部活どころじゃねえだろうが」
 それから少し間があってまっすぐ俺を見て言葉を足した。
「お前と一緒にやりたかったからな。」
 茶化さない。笑顔も見せない。胸の奥がくすぐったくて笑って返したいのに、あんまり真面目な顔で言うから俺も茶化せない。
 俺がいるから鎌倉を選んだというのは一年前に聞いた。
 その時も驚いて照れたけれど、あの時は周りに仲間がいて茶化してくれた。
 それが今はない。
「あ……ありがとうございます」
 その返事が合っていたのか間違っていたのか、それ以上のコメントはなかった。返事の代わりに眼鏡のブリッジを押し上げる仕草が神経質な教師みたいだ。
 そしてノートの上を滑るペンの動きで勉強に引き戻された。
 けれど、ここ十分ほどのの真新しい記憶が勉強を邪魔するように次々に思い返されて落ち着かない。勉強へのやる気が出ないから頭が勝手に現実逃避するのかもしれないが。
 眼鏡で普段とは印象が違う横顔を盗み見る。
「サボるな」
 すぐにバレた。
「なんだよ」
 用事がないなら頭と手を動かせと言わんばかりに睨まれる。
 当然、数字のことよりも話題探しに頭を動かすことを選んだ。
「えっと……あ、さっき、さっき、結局見えたンすか?俺の顔。」
 つまらないことを訊いてしまった。また「集中しろ」と怒られるかもしれない。
 でも、予想に反して鷹匠さんは機嫌の良さを少しだけ顔に出して答えた。
「ああ、しょぼくれた顔してた。」
「なんスかそれ。別にしょげてなんか」
「図星を指されたみてえなうろたえ方してんじゃねーか」
 あんなタイミングで言われるほど落ち込むというのも変だ。鷹匠さんは何に落ち込んでいたのかつっこんだり、からかったりはしなかった。
 何とも返せなくなって首を傾げる俺に向かって、どういうわけか、眼鏡の奥の目元を僅かに緩ませて「お前ボール持ってないと鈍いよな」と呟いた。
「そうスか?」
 その言われようが納得いかなくてつっかかると、
「こういう応用問題にどう公式当てはめるか全然気づかねえだろうが。」
 そう言ってノートに写したっきりの問題をペン先で叩かれると黙るしかなくなった。

 一年生の教室も落ち着きを見せ始めた五月、中間テストが行われた。
 テスト前には熊谷監督から「赤点はとらないように」とキツく言われ、オレ個人としては鷹匠さんの睨みもあり、いつにないプレッシャーがかけられながらも無事追試を免れた。
 答案が返却されたその日に鷹匠さんに報告すると「案外とれてるな」とコメントされた。
「素直に褒めてくださいよ。」
「一問目で凡ミスしておいて何言いやがる」
 答案は見せずに点数だけ報告するべきだったか。
「これで落としやがったら俺がこの学校入った意味がなくなるとこだったな」
「一山越えたんだから大丈夫ですって」
「期末までの間だけじゃねえか」
「そン時はまたよろしくお願いします」
 手を合わせて拝むと、ずり落ちてもいない眼鏡のブリッジを押し上げながら
「仕方ねえな、卒業までは面倒みてやる」
「いや、そこまでは」
「あぁ?」
 そこで引率顔で一緒に二年生教室までやってきた国松が控えめに言った。
「鷹匠さん、尽くしますね」
 鷹匠さんは国松を前に一息ついた。そして、身に覚えのある頭突き。国松は額を押さえて屈み込んだ。
 それからはもう鷹匠さんと目が合わず、また眼鏡のブリッジをに指をかける。
 どうやら照れ隠しらしいと気づいたのはその時だった。