ことの始まりはタービンズ経由で譲り受けたシミュレータ専用機。
型番で調べた限りでは悪い品じゃないが、前の持ち主が行った改造がネックで使えるようにする為の手間がかかる。そんな理由で他の物資のオマケとして流れてきた品だ。使い物にならなかったらバラしてパーツにしろとのお達しで、ヤマギが改修作業を買って出たのも直せる自信があったからじゃない。
シノが、モビルスーツで戦いたいと言っていたから。
まだシノの乗る機体の準備は整っていない。タービンズに間借りしてのモビルスーツ戦闘訓練は現役パイロットである三日月と昭弘が優先されている。当然ながらイサリビにはモビルスーツ用のシミュレータはないから事前の訓練というものがろくにできない状況だった。
今回貰った代物だってコクピットだけ取り出した形状の簡易モデルで、戦闘データを読み込ませてコンピュータ相手に演習するだけのものだ。それでもやらないよりはマシ。これが使い物になれば本番のモビルスーツに乗れる日まで好きなだけ訓練できる。
という話をしたらシノも大乗り気でシートに座って操縦桿を握った。役に立てただろうかと思うと、張り切るシノに向けるヤマギのまなざしも柔らかくなった。
箱型の機体の正面ハッチは開いたまま、タブレット端末をシート脇に繋いで起動させる。外側の側面にはめ込まれた使用状態を示すバーライトがグリーンに点灯したらシステムが起動したサインだ。内側のモニタにも文字が表示される。内側はシート形状や操縦桿、内装も実際のモビルスールに設計されていて、演習が始まると油圧サスペンションで多少の揺れも再現される。
システム起動、ハッチの開閉ロック、内部の表示チェックとデータ読み込み確認。一人でテストした工程までは予定通りに進み、続けてハッチを開いた状態で端末のメンテナンスメニューから演習開始コマンドを入力した。どういうわけか、演習開始はパイロットが着座しないと実行できない仕様になっていたから作業をそこで止めていた。
タブレットにスタートの表示が出たのを確認してからシートの足元に爪先をひっかけ、アームレストに手を置いて半身程内側に突っ込んで内部モニターを確認する。起動初期の各ステータスが文字やグラフで表示されたかと思うと数秒で一旦消え、戦闘フィールド投影を控えたロード画面へと切り替わる。予定した通りだ。そう安堵したのも束の間。開閉ロックしていたはずのハッチが閉まろうと動き始めた。駆動音に振り向いた時にはハッチが上顎を降ろすところで、外の光が分厚いハッチに半分も隠されていた。想定外のことで咄嗟に動けない体に逞しい腕が巻きついて引き込まれる。腰を掬い上げられる格好で胸に飛び込んだおかげで背もたれに額を打った。同時につま先のほんの数センチ向こう側で重い音を立ててハッチが閉まった。それきりシミュレータは沈黙し、動きを止めた。
「あっぶねぇ」
シノの肩口で背後を振り返った姿勢でハッとする。あまりにも顔が近い。慌てて離れようとして頭と肘を打ったがそれどころじゃない。
「ごめん、今、今すぐ降りるから」
「おい、動くなって。膝で腿踏んでっから」
一瞬でも早く離れなければと動いて膝で踏みつけたのはシノの太ももだった。コクピット内はシート一つしかない。他に身の置き場がないのだから当然だ。
「ご、ごめん。……どうしよう」
浮こうと思い立ち膝を胸に抱えるようにして軽く浮いてみたものの、ずっとそうしているのはきつい。肩に手を置くのも憚られる。骨ばった関節で踏むよりは面で踏む方がましと考えて膝の上に正座し、天井にぶつからないよう背を丸めたところでまた思考が行き詰まる。
一方のシノは余裕だ。ヤマギをコクピット内に引っ張り込んだ時からずっと腰に添えていた手でぽんぽんと叩く。
「落ち着けって。らしくねーぞ?これ、どこで開けんだ」
コクピット内は操作パネルのふちに少しのライトが灯っている。他にはモニターの端のバイタル表示の数字が。それ以外光源がなく真っ暗と言っても差し支えない。モニターに投影されるはずの演習フィールドも映らなかった。起動は失敗だったのか。がっかりした気持ちと引き換えに多少の冷静さを取り戻し、ハッチを開いて降りるべくタブレット端末に操作コードを打ち込んだ。が、
「あれ?」
エラーコードが表示され開く気配もない。
「ん?なんだ?」
「……開かない」
何度試しても、やり方を変えてもエラーになる。エラー詳細に表示されたのは“演習中”の文字。モニターには何も映らないくせに演習は始まっているらしい。それなら、と別のコマンドを入力して演習を強制終了させようとしたが、成功しない。終了条件が足りないという表示が出るばかりだ。そんなエラーはこのシミュレーターの製造元が発行している正規のマニュアルには載っていなかった。恐らく以前のオーナーが改造したんだ。そうなると正規マニュアルと別で同梱されているファイルを読み解く必要がある。複数のエンジニアが書き足したらしい。システムにとんでもないバグが残っているのも納得の混沌とした仕様メモ。開いただけで眩暈がする。
ヤマギが必死に継ぎ接ぎだらけの文章を読み込んでいる間、シノは手当たり次第のスイッチを押してみる。一度は一緒にタブレット端末を覗き込んだが一目でさじを投げた。
何も映さないディスプレイだけの異常なら、システム上は戦いが始まっているのかもしれない。ペダルを踏んでみたりレバーを引いたりしたが、戦闘状況再現のための揺れは一切起こらなかった。つまり、目隠し戦闘状態ってわけじゃない。画面の端の緑色の数値が穏やかに上下しているばかりだ。
手の届く範囲でやれることはやり尽し、飽き始めた頃、ヤマギが難しい顔でぽつりと零した。
「……これ、演習終了条件にパイロットのバイタル値が必須になってる」
やっとタブレットから顔を上げたと思ったら、さっき読解を諦めた端末を差し出される。文字ばかりで絵がない。さっぱり文字が読めないわけじゃないが得意でもない。地道に読んでいけばわかるだろうが、ぱっと見ではどが要点かもわからない。眉を顰めて思わず唸る。
小さなため息の気配の後、タブレットディスプレイの一部を指で示して「ここ」と教えてくれた。今更だが、ちゃんと理解していることに感心してしまう。そもそも膨大なデータからこの一ページを見つけるのも骨だっただろう。ヤマギはすげーな、と呑気に考えたが「緊張感がない」と言われそうだから口には出すまい。
「バイタル値?」
というと、アレのことか。画面端に表示された数値を指差す。今まさに少し下がったところだ。その変化を見たヤマギがあからさまに舌打ちする。
「この機体の過去のオーナーが真面目に取り組まない兵士のために、戦闘時に近い数値……つまり一定の興奮状態にならないと降りられない仕様にしたんだ」
「なんだそりゃ。でもさすがにメンテナンス用のコマンドで解除できるだろ?」
「うん……最初はそうなってたみたいなんだけど、その後で別のオーナーに渡ったとき下手に改造したらしくって、色んな不具合が残ってて……」
詳しいことは分からないが現状はとんでもないクソ仕様ということだ。ヤマギにわからないことはシノにもわからないので早々に悩むのを放棄した。しかし脱出方法がわからないのには困った。緑の数字が時折変わるのを見ながら猫背に丸めたヤマギの背中で腕を組み、またタブレットを抱えて俯いてしまった頭の上に顎を置く。
「ごめん、シノ……俺が充分に調べないうちに乗せたからこんなことになって」
わざと頭に重みをかけても文句を言わないばかりか心底落ち込んだ声で謝るヤマギに、緑の数字がほんの少し上がった。
「大丈夫だって。気にすんじゃねぇよ。一生出られねぇわけじゃねぇんだし時間が経ったら誰か助けに来るだろ」
「でも、今日はみんなやることがあるって言ってたから二三時間は誰も探しにこないよ」
「そんならやっぱ暇つぶしがてら脱出方法探すか?」
「暇つぶしって……」
苛立ち混じりに顎が下から押し上げられ、笑いながら丸い頭を解放する。灯りが少ないせいで表情はよく見えないが元気は出ただろうか。
「要するに、興奮状態になりゃいいんだろ?つっても敵もステージも見えねーんじゃ戦いようがねぇし」
「モニタリングされてるのは単純な脈拍とか発汗とか体温だから、ちゃんと演習しなくてもいいよ」
「なるほどな。筋トレでもすっか」
「こんな狭いところで無理言うなよ」
一人ならまだしも二人で押し込められた状態では腰を浮かすこともままならない。ヤマギは正座で背中を丸め、身を守る亀のように窮屈そうな姿勢をとっている。その上、寄りかかってしまえばいいのに肩や胸になるべく頭が触れないよう浮かせていた。
「戦ってる時のこと思い出しても実際に汗かいたりしねーしなあ……なんにしろ長丁場か。ヤマギ、ちょっと座り直せよ」
「あ、うん」
確かに蹲った体勢で何時間も過ごしてはいられない。言われてヤマギが体勢を変える。
顔が近づきすぎないよう慎重に上体を起こしてなるべく接触しないよう体を横に、確かアームレストがあったはずだから、そこに腰を下ろして足先を乗せて置けば触れ合わずに済むはず。と考えて天井に打ち付けないよう頭を下げつつ動いてみて分かったのは、思いの外アームレストの幅が狭くて座るどころではないということだった。結局膝の上に横から座る格好になった。シノが操縦桿を掴むと腕の中に収まってしまう。悩みの種でしかないと思ったディスプレイ不調による暗さだけがヤマギの心を支えている。こんな体勢で、こんな距離で顔なんか見られたくない。
しばらく他に解決方法はないかとタブレットに指を走らせていたが、違法改造された時期に作成された部分の仕様書はそもそも信頼に足るものなのかわからない。
一方で、暗くて狭い所に押し込まれながらもシノのバイタル値は安定している。少しも焦った様子が見えないのは頼もしい限りだが、この場では解決から遠ざかるばかりだ。バイタル値を計測されている本人は先程から目を閉じて沈黙している。寝ているのかもしれない。いつかは仲間が外から助けてくれるとしても、ヤマギまで寝るわけにはいかない。ここで眠ったらシノに寄り掛かってしまう。それはダメだ。
狭い場所に二人で閉じ込めれているせいか、はたまたシノの膝の上に座っているせいか。空調は作動しているはずなのに息苦しく感じる。グローブを外した手で熱っぽい顔を拭ってもう一度、操作コマンドを入力しようとした。その時、短い電子音と共に緑色だったバイタル値が一定の上昇を見せて黄色に変わった。驚いてシノを顧みる。
「やったか?!」
瞑っていた目をカッと見開いて叫ばれ反射的に仰け反った。
「急にどうしたの」
「エロいこと考えたらちょっと上がったぜ!」
シノのテンションは上がったが、数値上昇の正体を知ったヤマギのテンションは下がった。
「よくこの状況でそういうこと…………いや、でも……」
確かに効率を考えれば名案だ。ただ、自分を抱えた状態で女の裸のことを考えていると思うと素直に褒める気にはなれない。知らない間に知らない女の人に鼻の下を伸ばしていたのを後から知った時とはまた別の、何とも言いがたい悲しさがあった。
だからといって仲間が気づくまでこのままでいるのも困る。シノはあんまり困っていない様子だがヤマギは内心大弱りだった。持久戦を受け入れるか、気が進まない案に乗るか。悩み抜いた末に短期解決を選んだ。
「……わかった。なるべく黙ってじっとしてるから、なんとか数値が上がるようにして。お願い」
「おう?」
言った瞬間から有言実行。膝に額を乗せて動きを止め、口を引き結ぶ。シノも再び沈黙してコクピット内は静まり返った。
時間が長く感じる。横目でモニター隅の数値を見るとあまり上昇は見られなかった。大きく下がることもない。ヤマギにとってはちっとも面白くないんだから想像しなければいいのに。頭が勝手にシノの考えていることを予想してひどく落ち込ませた。シノの女好きも、時々女を買いに出かけるのも今更なのに飽きもせず胸がシクシク痛み出す。自分の金と余暇で何をしたって勝手なのに。シノだけがいつも知らず知らずのうちにヤマギを傷つける。
ずっと閉じ込められたままでいることを選ぶべきだったかもしれない。自分が選んだくせに、そんな後悔するほど時の流れは遅く、何度も数値を確認して膝がしらに顔を伏せた。体感的には何時間も経つが実際には数分しか経たないだろう。静寂を唸り声が破る。
「うーん……やっぱイマイチだな」
失敗か。ならこの作戦はやめよう。自分で頼んだのに中止のきっかけができてホッとしたヤマギはすぐさまそう言おうとした。いくらシノでも人のいる場所でいやらしいことを考えるなんて、さすがに無理があったんだ。顔を上げたところに大きな手のひらが頬を包む。親指で滑らかな肌を撫でて飾り気のない耳たぶをつまみ、短い襟足を指で梳いて熱い項に下りる。カッと顔に血が上る。シートに座っていたのがヤマギならノルマのバイタル値を簡単にクリアできただろう。ただし脱出後にもう一度一人でコクピットに閉じこもって一生外に出ないと誓うことになる。
ほんの僅かな触れ合いで白い肌の下に埋もれた心拍は急上昇した。息をのんで耐え、薄っすらにじむ汗を気取られないよう手首をつかんで引き剥がし、暗がりで見えない顔を精一杯睨みつける。
「な、何するの?」
「いや、しばらくおネエちゃんとこも行ってねぇからよ、妄想するにも人肌触りたくて」
「最低」
反射的に罵って泣きたくなる。引き剥がした手を解放すると逆に手をゆるく握られ惜しげもなく露出した首筋に引き寄せられた。誘導されて仕方なく、手のひらを当てると脈打つ肌は温かかった。
「悪かったな。でも、こうやってると、なんか落ち着くんだよ」
「……落ち着いちゃダメだろ」
「違いねえ」
シノが笑うと首も震える。誘惑に耐え切れずに自分の意志で首筋を撫でた。されたのと同じように筋肉がよく動く頬を触り、耳たぶのピアスの形を確かめて、耳の後ろ、生え際をなぞって項まで。ピッという音が状態を教えてくる。隠しようのない興奮状態を素直に認めてシノが声のトーンを落とした。
「やっぱ、されるのは落ち着かねーや」
「……バカ」
抱えていたタブレットを置いて両手を首に回す。なんだっていいからもっと心拍を乱してやりたかった。この手で。
「おいおい、くすぐってーよ。そこじゃなくて、」
やり方なんて知らないから耳の周りや襟足に闇雲に指を這わせているとまた手を引かれて引き締まった腹へと連れていかれる。これじゃまるで本当に何かするみたいだ。相手が誰だかわかっているのか尋ねようとしたがやめた。正気に戻ってしまったら居た堪れない。最初の黙っているという約束を思い出し、口を噤んで腹の凹凸を手のひらで確かめる。夢中になっていると腰に腕が絡み太腿を撫でた。女の人にもこういうことをするんだろう。数値がまた一段階上がった。興奮でいっぱいなのにまだ頭の片隅では女の代わりなんだと拗ねている。
俯いた顎を持ち上げられて目と目が合いそうになるった。暗い中でもわずかな光を目元が反射する。目を逸らすと手指が唇に触れた。偶然当たったのかと思ったそばから親指で右から左へ掠めていって息を止めると肺の中で熱が渦を巻く。薄暗い視界でシノが自分の唇を舐めた気がして強い焦燥感に駆られる。他人に唇を触られることなんてないから、そこが気持ちいいなんてこともヤマギは知らなかった。
もっと触れてほしいのにすぐ髪に移動してしまう。浅ましい欲求を殺すために感触の残る下唇を噛んだ。今気持ちよくなるのはシノだけでいい。自分はここから脱出するためにシノを手伝っているにすぎないのだから。
そんな我慢を打ち崩すように耳に柔らかな感触が押し付けられる。ぞくりとするざわめきが背筋を伝って腰まで駆け抜けた。危うく鼻から声が抜け出そうになって慌てて片手で口を塞ぐ。温かな唇は耳を啄み、髪をどけてこめかみにも触れた。唇には向かわなかった。望みが叶わないまま首筋へ。乱れた鼻息が薄い皮膚をくすぐる。肌で感じるシノの興奮を証明するように数値上昇の電子音が鳴り、そのことにさえ煽られた。頭がバカになってしまって、シノが自分の体で興奮してくれているだなんて喜んでしまう。
いよいよ下半身が落ち着かなくなってベルトから下へ進めなかった手を首に回し、縋りつきそうになった時。外から微かな音が聞こえた。叩く音だ。
突然水を浴びせられたように頭が冴えて身を離し、扉と一体になっている正面モニタに耳を当てた。
やっぱり誰かが叩いている。中古品だからって扱いが悪いが今は助かった。慌てて端末を取り上げ非常用のコマンドを打ち込み、外部のバーライトを点滅させた。何か起こっていることはこれで伝わるはずだ。外からの叩き方が変わって暗号のリズムを刻む。
「了解、だって」
これでしばらくすれば、最悪扉を切断してでも出してくれるだろう。ホッとして肩から力が抜けた。
「意外に早かったな」
「……運が良かったね」
良かっただろうか。自問して、答えを出すのを放棄した。もうお互いに体から手を引いてバイタル値上昇作戦に賭ける前の姿勢に戻っている。
体の内側は急には鎮まらず、ヤマギとしてはすぐにでも一人になりたいくらいだけど。
間もなく外部から強制接続で通信パネルにビスケットの顔が映った。掻い摘んで事情を説明すると「なんとかするから待ってて」と呆れ顔で告げ、通信パネルのビデオ映像が一旦消える。その寸前に横目で見たシノの顔が安堵して見えて、折りたたんだ体の間でヤマギは胸の布地を握りしめる。
「これってすぐ出られんのか?」
「もうちょっとかかるだろうけど、最悪物理的に開けようと思ったらすぐだよ」
納品されてすぐの見立てより遥かに厄介なプログラムが組まれていることは分かったので廃棄にしても惜しくはない。ビスケットにもその話はしたのでプログラム解除に時間がかかるようなら解体を躊躇いはしないだろう。
「そっか……」
気の抜けた相槌からやや間があって、雑な仕草で髪をかき乱される。
「良かったな!でもせっかくこのシュミレーターの調整しててくれたのにダメになっちまったらすまねぇな。また何か試すならいつでも付き合うからよ」
「謝るのは俺の方だよ。役に立ちたかったのに……」
まただ。閉じ込められてからヤマギは俯いてばっかりだ。頭に置きっぱなしの手でもう一度金髪を掻きまわして手を顎まで滑り下ろすと上向かせ、
「じゃあ一個だけわがまましてもいいか?」
質問しておきながら答えを聞く前に唇が重なる。ピッ。ヤマギの背後で音が鳴った。
しっかり押し付けた後は「いいよ」の口の形で受け止めてそのまま体も頭も動かなくなったヤマギからあっさり離れていく。
「さっきからすっげーしたくてよ。犬にでも噛まれたと思って忘れてくれや」
照れくさそうに、だけどやっぱり軽い口調で言ってのける。とんでもない。突然のことで感触を覚える暇もなかった。
「……犬に噛まれたらウィルスに感染するんだよ」
「じゃあネズミだな」
ヤマギはそれ以上文句を言うことができない。扉が開くまでに上っ面だけでも取り繕わないといけないから。こんなのは妄想の足しにするためのスキンシップの延長で、もうすでにいつものシノだ。期待したり引きずったりするような事じゃない。冗談みたいなものだ。自分に沢山のことを言い聞かせ、解錠までの時間にシノがとりとめなく話しかけてくるのを生返事でやり過ごす。
結局ビスケットからの通信から一時間ほど、何度か通信でお互いの情報を交換しながら部分的な破壊によって扉が開いた。修復してまた使うこともできるだろうが、バグの修正が難しいという理由で解体で話が進むだろう。やっとのことで光が差し込むと救出の手伝いに駆け付けたタカキが一番にそばに来て手を差し出す。熱っぽい肌に外の空気がひんやりして感じられた。
「中、空調も壊れてた?」
体調の心配をして顔を覗き込んだタカキが赤らんだ白い顔にタブレット端末で風を送ってくれる。切断機を抱えた雪之丞と話すシノをちらりと振り返り、聞こえないように「うん」と答えた。