「タケいる?」
教室を覗くと壁際の席に埋没していた小柄な少年が机から顔を上げる。クセだらけの髪の毛が揺れる。
「いるよー。どしたの二郎」
きちんと整列した机の間を歩いてタケの席まで向かい、その机の上に抱えていた漫画を置いた。色んな漫画の一巻ばかり五冊。全部タケに借りたものだ。
「続き貸して欲しいんだけどさ」
「いいよ、どれ貸す?」
「全部。あーでも兄ちゃんコレは自分で買うって言ってたからいいや」
束にした中から一冊引き抜いた。ネット連載が書籍化したものだ。それを別にして四冊の山を作る。
「オッケー。二郎も読んだ?」
「もちろん。俺はコレが一番良かった」
「こういうの一郎さんより二郎の方が好きだと思ったよ。これの主人公のバイクのモデルになったRW-S、今度入荷するんだけど見に来る?お客さんが取り寄せたヤツだから納車前限定だけど」
「マジで?行く行く!」
バイクに跨った主人公が表紙のヤンキー漫画を覗き込む。レース仕様のマシンを抱くように前傾で乗る主人公。ハンドル近くにマイクホルダーがついているが、これは現実にはない装備だ。漫画の中では有力なライダーみんなマイク兵器、ヒプノシスマイク保有者で、走行中にラップするとバイクが加速するからマイクホルダーがついている。もちろん俺の愛車にホルダーはないしラップで加速する仕組みもない。
「……でもカッケーよなぁ、マイクホルダー」
「そんなこと言えるの二郎ぐらいだよ」
そりゃそうだ。ヒプノシスマイクを持っている人間をあと十一人知っているが、他のディビジョンの連中はバイクなんか乗らないだろう。
「タケこういうの作れねえの?」
「作れないこともないけど……二郎はこの前マイク引ったくられたばっかりじゃん」
「その節は大変世話になりました……」
タケの店の前でマイクを入れた鞄を引ったくられたのは二週間ほど前のことだ。色々あって取り返した後でヨコハマディビジョンまで行く用事ができてしまった俺に代わって失神している引ったくり犯と通報を引き受けてくれた。
「それにこの間の修理代で小遣いないんでしょ?」
「それだよそれ。兄ちゃんの仕事の手伝いもやってるけど他にもバイトすっかなー。タケんとこのピザ屋ってバイト募集してないのかよ」
「ないよ。手近で済まそうとするなよな」
仕方なしに携帯で求人サイトを検索していると入口にクラスの仲間が顔を出した。
「おーい、二郎来てるー?」
「ここ!」
「追試始まってっけどお前この間のテスト大丈夫だったんかよ」
「うっわ、やべっ。戻るわ。そんじゃ続きよろしくな!」
「うん。またね」
五冊の漫画をまとめるタケに見送られて教室を出た。
追試三回目で教師に「もういいよ」との投げやりな合格をもらった帰り道。制服のポケットで鳴った携帯を確認して眉を顰めた。ひらがなで「じゅうと」と表示されている。自分で登録した覚えがない名前を数秒見つめて、電話の相手がイライラしてくるであろう頃にやっと顔が思い浮かんだ。でも、思い浮かんだところでしかめっ面は変わらなかった。
ヨコハマディビジョンのクソ眼鏡だ。以前ちょっとばかり世話になった際に勝手に番号を登録されたんだった。思い出したくない失敗の記憶と相手への私怨が記憶の底からふつふつとわき上がってくる。このまま着信拒否したい。無意識に指が拒否ボタンに向かうが、この番号が登録された経緯を考えるとそうもいかず、渋々受話ボタンを押した。一応相手は警官で、俺は過去に巻き込まれた事件の参考人ってヤツだ。そういえば後々で連絡するかもしれないって言われていたような気がしないでもない。なんにせよいい話なわけがなかった。どうしても不機嫌そうな声が出る。
「……はい」
「ご無沙汰してます、ヨコハマ署の入間です。山田二郎くんですね?」
真面目な警察みたいな声が聞こえてくる。
「なんだ、……いや、なんすか」
「そんな嫌そうにしないでくれますかね。今日はディビジョンの代表ではなく警察として電話したんですよ」
「どっちだって嫌に決まってんだろうがクソ野郎!」
「おやおや、もう借りがあること忘れちゃったんですか?相変わらず脳みその足らねぇガキだな」
ほらみろ、クソ警官だ。腹の立つ声が耳元で抉るように響く。見習っちゃいけない大人の代表選手だ。兄ちゃんの爪の垢を五時間ぐらい煮詰めて飲ませたい。
「クソッ。……で、その警察官サマが一般人に何の用すか」
「やっと立場を思い出してくれたようで安心しましたよ。今日は君に頼みがありまして」
「頼みぃ?」
絶対ロクな話じゃない。腹の底から怪訝な声が出たが相手の声は一ミリも揺らがない。
「これから送る六名の人物に共通した知り合いを探して欲しいんです」
「待て待て、それは一体なんの話なんだよ」
「君、周りに人は?」
言われて素直に前後左右を確認する。
「一人で帰る途中だけど」
「よろしい。これは最近発覚した違法薬物使用の疑いがある…」
「ストップ!アンタ妙な事に俺を巻き込もうとしてんだろ?」
「言っておくが君に拒否権はない。なに、ただの一般人への捜査協力要請ですよ」
絶対に嘘だ。普通の刑事は協力要請する一般人に拒否権はないだとか言わないだろう。
「今回の捜査対象、一人目がウチ、二人目以降はイケブクロディビジョンとシンジュクディビジョンで見つかってるんです。形ばかりはイケブクロ署とシンジュク署との協力体制を敷いてますが、正直なところ捗らないんですよ」
「そりゃご愁傷様」
「そこでイケブクロに精通した君の出番です。イケブクロ署のクソ野郎どもより早く売人を見つけて来てください」
「ふざけんなよ?!高校生が刑事出し抜けると思ってんのかよ!テメェクソバカだろ!」
「誰がクソバカだクソガキ。こちとらイケブクロ署のタヌキ共に持ってかれるわけにはいかねぇんだよ」
「テメェの事情なんざ知るか!」
「知る必要もない。こっちの指示に従ってりゃいいんだよ。それともブクロの萬屋といえどお子様には荷が重すぎましたかね」
「ンだと、上等だ!余裕だコラッ!?」
「ではそういうことで。すぐに対象の情報送りますね。期待してます」
プツン、ツーツーツーツーツー、ピコン。
通話が切れて間も無くメッセージ受信音が耳元で鳴り響いた。呆然として耳から離したスマフォを見下ろすと“じゅうと”さんからの新着メッセージが届いていた。
トークアプリの“地獄”と名付けたトークルーム。メンバーは二人きり。もちろん俺とクソカス横暴眼鏡だ。そこに画像を何枚も送った。調査対象の知人の写真、行きつけの店、卒業アルバムの名簿、通っているジムやクラブ。交友関係についてはそれぞれ色々な情報が集まったが、共通した人物や場所は浮かび上がらない。手応えのない情報を送った二時間後にまた“じゅうと”から電話があった。
「調査報告ご苦労様です。全て目を通しましたがこれぐらいの情報はすでにこっちでも掴んでるんですよね。こんな誰でも調べがつくような安いネタ求めてないんですよ。わかります?まったく、失望させないでくださいね。それでは忙しいのでこれで」
プツン、ツーツーツーツーツーツーツーツーツー。
「ふっざけんなよ、こンのクソ眼鏡ドブ虫カスクソ野郎!!」
人脈があるといっても六人もの人間のプライベートを調べ上げるのは簡単じゃない。生活ルートと過去の同級生やチームメイトまで調べても共通する人物が見当たらなかった時点で思いつく案がなくなっていた。調べて見つけた他にも六人それぞれが接触した人間はいるはずだが、勤め先に出入りした顧客や清掃員、低頻度で立ち寄る店の店員や他の出入り客まで調べようと思ったらキリがない。中には会社と家の往復ばかりの人間も、遊び歩いていてばかりの大学生もいる。生活圏も全く被らないわけではないがディビジョンも跨いでいるし、売人が特定の場所で会える人物ではなくフラフラしているとなれば、いかにも怪しい見た目でもないと目撃情報を洗うのも難しい。
画面の上で指を滑らせ調査資料の写真を繰ってみても妙案は落ちてこなくて呻き声が漏れた。頭を使うのは得意じゃない。かといって今回の案件は兄弟に知られたくない。素直にハマの性格最悪極悪ポリ公に従ってると分かったら勘繰られて、眼鏡がバラさなくても俺が眼鏡とやくざの厄介になった件が知られるのはあっという間だ。自慢じゃないがこういう隠し事は得意じゃない。
「うぅんあぁぁぁぁぁぁぁ」
「二郎唸ってんの」
「ヒィッ!」
突然声をかけられて跨いだバイクごとひっくり返りそうになった。慌ててハンドルを掴んだら今度はスマフォを落っことしたし散々だ。それを拾おうとバイクを降りようとすると声の主、武谷モータースとプリントされたエプロンをして店から出てきた友人が先に足元にしゃがんで拾ってくれる。指で砂を払って、タケはスマフォのディスプレイを見つめて手を止めた。
「ん?」
「あ、ごめん。見ちゃいけなかったよね」
慌てて返してくれたスマフォの画面はまだ捜査対象の顔写真が並んでいた。みんな道を歩いていても気にならない程度の平均並みな顔だった。
「……もしかして、この中に知り合いとか写ってた?」
大事な友人が薬物使用の連中と関わっていて欲しくないが藁にでもすがる思いだ。調査対象にはウチの高校関係者も、武谷モータースを利用していそうなバイク趣味の人間もいなかった。返された携帯を改めて目の前に差し出し大人しそうな双眸を見つめる。
「知り合いじゃないんだけど、みんな見たことあるんだよね……」
「みんな!?」
「何で見たんだったかな……こっちの人は確実にわかるんだけど」
こっち、とサムネイルの一角を指さす。鼻の脇に黒子のある男だ。確かに六人の中では特徴的な顔だ。
「どこ?!どこで会った?!」
「バイトで、ピザの配達で……あ、全員そうかも。この人はヨコハマまで運んだんでよく覚えてるんだよね。配達圏外だけど暇な時だったし行ってこいって言われて」
タケのバイト先はピザ屋だ。チェーン店でもなく宅配バイクは他の大手宅配フードチェーンと似たデザインで目立たない。ヨコハマディビジョンを走る姿を想像しても特に記憶に残るような違和感はなかった。
「それから、えーっと……こっちの人はちょっと“マイク一本持って異世界転生”のリリーナに似てたから憶えてるし、こっちの人は玄関でお金もらうとき具合悪そうでピザ食べたら吐いちゃうんじゃないかと思った」
遊んでばっかりの大学生と、会社と家を往復する会社員が繋がった。
「この人たちどうしたの?萬屋の仕事関係?」
薬物も喧嘩にも縁がない真っ当そのものの顔でタケが首を傾げる。タケが売人だとはこれっぽっちも思わない。だけど心臓が嫌な音で鳴り始めていた。知らない間に薬を盛られて仲間にされていたとか、そうでなくても運び屋にされていたらあの悪徳警官にどんな目に遭わされるかわからない。警察に連れていかれたらさすがに守れない。
タケにピザと薬物を運ばせていた張本人を特定してからでないと。ない頭をフル回転させてやるべきことを順序だてる。まずは、
「タケさ、この話絶対誰にもすんなよ。特にバイト先には俺がこの人たちの写真持って探してたこと秘密にしてくれ」
「う、うん。大事な仕事の情報だろ。言わないよ」
「それから、こいつらにピザ持ってけって言った店員のこと詳しく教えてくれ」
そいつが本当の売人だ。
ここに一枚のピザがある。何の変哲もない宅配ピザだ。箱の裏まで調べたが何もなかった。薄っぺらなピザそのものに仕掛けがあるとなると食べ物をボロボロにしなくちゃならなくて気が引ける。自宅リビングで食べるのも恐ろしい薬物宅配ピザを前に腕組で悩んでいた。
タケ調べで問題のピザを準備したのは五頭という男と判明した。五頭についても調べた。現在二十二歳、高校中退してフリーターをしている男でピザ屋でのバイトは三年目。タケにとっては先輩にあたる。最初は配達係だったがタケが働き始めてからは店内勤務だ。交友関係が広く、蓄積された犯罪者のデータを持っているわけでもない俺たちでは薬物の供給元は特定できなかった。五頭は一人暮らしでプライベートに踏み込まれたくないと言って部屋に人はあげないという。つまり部屋の中までは調べられない。バイトには最低限の荷物しか持ち込まず、ロッカーに鍵も掛けていない。無理を言ってタケに調べてもらったが数千円入った財布と暗証番号ロックのかかった携帯しかなかった。薬物を持ち込んでいるとすれば勤務中もポケットかどこかにいれているんだろう。さすがにそこまで調べることはできない。
少しでも証拠を掴むべく、五頭のシフトに合わせてピザを注文してみたが、当然と言えば当然。薬物は見つからない。かといって食べて調べるのも怖いし…
「お、ピザとったのか。一枚もらうぞ」
ピザを睨む視界に腕が伸びてきたかと思うとまん丸のピザの一角をひょいっとさらっていく。目で追いかけたピザ泥棒は形のいい口をパカッと開いて、鋭角に切られた先端に垂れるチーズを上手に口に収めるところ。
「兄ちゃん!それダメッ」
慌てて止めた時にはもう一口目を噛みちぎっていた。慌てて口の舌に両手で器を作って「出して」と頼み込むが訝しむ顔で咀嚼して飲み込んでしまった。
「ああああああ」
「……なんだよ。美味かったぞ?」
「体は?眩暈とか幻覚とか、どっかおかしくなってない?!」
よりにもよって兄ちゃんにドラッグ入り疑惑のピザを食わせてしまうなんて。こんなことなら全部自分で食べた方がマシだ。三郎にも合わす顔がない。薬物中毒になったらどうしたらいいんだ。病院に連れて行くにしても大ごとになってしまう。こんなことで兄ちゃんの名誉に傷をつけるなんて、いや、それより体調だ。症状ってどれくらいで表面に出てくるんだろう。今回の薬物の詳細を眼鏡から聞いておくんだった。どうしよう、やばい、焦る。
「おいおい、何のことだよ。俺よりお前の方が顔色悪いぞ?」
兄ちゃんの優しい手が額に触れる。熱くもなく冷たくもない。少しだけ暖かい気持ちの良い手だ。そうされると少し落ち着いて、改めて何の変化もない兄ちゃんの顔を観察した。戸惑い気味だが何も変わる様子がない。
「ほんとに、何にもない?」
「だから何の話だよ。このピザ傷んでるのか?…………いや、違うな」
答える前に少し視線を下げた兄ちゃんがまだ手の中にある食べかけのピザを見つめて呟いた。
「眩暈?幻覚?食あたりの心配じゃねぇよな。二郎、お前……」
「なんでもないよ!なんでもない!」
「二郎……」
左右色違いの曇りない目が真っ直ぐに見据えてくる。覗き込む瞳の中に真実が書いてあるみたいに。
やっぱり無理だ。兄ちゃんにそんな風に見つめられて隠し事なんかできない。これ以上嘘を重ねて失望されることの方が怖い。十秒ももたずに白旗をあげた。
かくかくしかじか。ヨコハマのじゅうとの依頼で薬物をばら撒いている売人を探していること、そこに友人が知らず知らず巻き込まれていたこと。この依頼を受けた話をする上でヨコハマディビジョンのじゅうとに脅されている理由を伏せておくこともできなかった。理由がなきゃ素直に従うわけもない。
以前、一人で勝手に引き受けた依頼をきっかけにして薬物犯罪に巻き込まれた。そこを助けられた話をすると、兄ちゃんは黙って腕組みをして顔を俯けた。
本当は、俺を助けたのは現場にいた左馬刻だ。それが一番後ろめたくて黙っていたけど、あの日の帰り、じゅうとに送られた車に左馬刻が同乗していたことは知られている。左馬刻も絡んでいることに気がつかない兄ちゃんじゃない。
「…………ごめん」
話の締めくくりに、何に対してだか告げずに謝って口を閉ざした。ピザは箱に戻され冷めている。
小さい頃から兄ちゃんには「嘘をつくな。嘘をつけばそれを隠すために更に嘘をつかなきゃいけなくなる」と言われてきた。そうして嘘まみれになると整合性が保てなくていつか一つの綻びからボロボロ崩れ落ち大事なものを失う。まさに今、過去の一つを隠そうとして厄介ごとに巻き込まれて、結局迷惑をかけてから打ち明けることになってしまった。兄ちゃんはいつだって正しい。
人生のルールブックが兄ちゃんだ。その口からの判決を待っている。やらかしはしょっちゅうだけど、ここまで酷いのは初めてだった。ソファに腰掛けた横顔を窺い見ていたが居たたまれなくなって両手に顔を伏せてしまった。
たっぷり時間を置いてからぽつりと兄ちゃんが口を開く。
「…………金は?」
「え、金?」
咄嗟になんのことかわからず聞き返すと視線でピザを示され、
「お前の見立てではクスリはピザに紛れて受け渡してるんだろ?でもその場で代金を徴収してない。違うか?」
「も、もちろん。タケは何も知らなかったんだし」
「じゃあ、別で金の受け渡しがあるはずだよな」
そうだ。金を受け取るルートが他にあるはずだ。タケが薬物代まで運んでいるわけがない。
「……あれ、ちょっと待って。タケがピザと一緒にクスリを運んでたって話になったら金もタケが受け取ってたんじゃないかって疑われる……?」
「当然その線が一番分かりやすいからな。とはいえ、薬物の仕入れ先や、どこで客集めしてるのか調べたら辻褄が合わなくなるだろうけどな」
「でも疑いが晴れるまでは一番の容疑者……」
ピザ屋の関与が分かってからタケが疑われる状況での報告はまずいと思ってじゅうとに連絡せず調査を続行したが、たとえ取り調べを受けてもシロなんだから本当に運ばされていただけだって、すぐ理解されるモンだと思っていた。でも、金を受け取れるのがタケだけって話にでもなれば簡単にはいかない。警察の悪どさはよく知っている。
自分の心配から友人の心配に急転換してゾッとした。タケは気が弱いところがあるし、偉そうなオッサンに詰め寄られたらひとたまりもない。
ことの深刻さを再確認して顔色を変えた。その視界の端に影が落ちる。兄ちゃんの手が頭乗って、髪の間に指を通して大きくかき混ぜた。
「心配すんな。詳しいことがわかるまで警察に報告しなかったのはいい判断だったと、俺も思う。ここからは俺も手伝わせてくれ。説教はこれが片付いてからだ」
「兄ちゃん……」
「弟の大事な友達のことだしな!」
十七年もこの兄の背中を追っていたのにまだ甘く見ていた。その懐の深さを。
「うん!」
力強く頷くと、もう何も怖くない。
萬屋ヤマダの大黒柱を加えて出直しとなった調査。まずはどうやって“客”の注文と他の注文とを見分けていたのかだ。当然ながら全部のピザに薬物を隠しているわけじゃない。
「宅配でいいならピザの注文をさせる必要はないはずだ。例えば通販させるんなら、そのまま発送元に偽の住所でも書いて差し出せばいい。でもそうはしない」
「予め届けるタケに罪を着せるつもりだった?」
「それもあるかもしれないが、シフトが狂えば他のスタッフが配達することもあっただろう。今回の顧客に届けたのが全員武谷だったのは五頭にとって濡れ衣を着せるために都合のいい偶然だったんじゃないか?」
やっぱりタケは運悪く巻き込まれたってことだ。思わず険しくなる肩を叩かれる。
「そう怖い顔するなよ。たまたま全員に武谷が宅配したお陰でアタリがついたんだ。それは敵にとっては不幸な偶然、だろ?」
「うん。証拠掴んで突き出したらこっちの勝ちだ」
景気付けに片手に持ったピザを頬張る。問題なしと判断されたピザを二人で食べているところだ。弟の三郎が帰ってくるまでに食べ切らないといけない。なんの仕掛けもないピザと思っていても、もしものことがあったら困るから。これは俺たち兄貴二人で食べると決めた。冷めても贅沢にチーズが乗ったピザは美味い。
二切れ目のピザを無事胃に収めたところで指の腹をひと舐めして兄ちゃんが手近にあったチラシをひっくり返した。白紙の裏面にボールペンで確定していること、疑わしい事柄を書き連ねていく。
「……五頭はピザの注文が入るまでクスリの届け先がわからないのか?」
「ピザの配達先イコールクスリの届け先なんだからそうなんじゃないの?」
「いや、例えば、薬物通販サイトがあったとして、そこで申し込んで配達だけ他人に代行させるなら送り先まで入力させた方が確実で早い。でもわざわざピザを注文させてそこで配達先をきいてる。尻尾を掴まれにくくしてるんだろうが……」
「えーと、つまり……少なくともピザの注文が来るまで住所はわからない」
「そうだ。パソコンや携帯を調べても顧客リストが存在しないことになる。そうなると顧客の名前が載っているメールすらない可能性も出て来る」
「五頭の携帯を調べても証拠が押さえられない…?」
チラシ裏の端に二人の人物が描かれる。画力についてはノーコメントだ。人物の片方は如何にもなサングラス。もう一人は手に金を持っている。その上に吹き出しがついて「山」「川」と書き込まれ、
「ほら、特定の場所や時間にうろついてる売人に合言葉を言うと売ってくれる…なんて話あるだろ?」
「……五頭のシフト時間帯にピザ屋に電話して合言葉を言うとクスリを売ってくれる?」
いまいちピンとこない顔を向けると目があったけど、肯定はされなかった。
「……でも注文の電話は他の人も取るし、タケも電話を受けてるけど変わったことはなかったって言ってた」
「なら、オーダー内容に特徴があるか……」
残り二枚になったピザの箱の横にレシートが投げ出されている。拾い上げた紙面にはオーダー内容と値段。それから注文と同時に顧客番号。専用プリンタで打ち出された内容は当然販売管理システムに蓄積されているはず。
レシートから兄ちゃんに目を移すと、今度こそ頷いて腰を上げた。
バイクや車が趣味のヤツの半分ぐらいはオタクだ。パソコンの扱いには慣れている。おまけにタケは理解も早くて店長のパソコンからデータを抜いてくれと頼んでもやり方についての質問は一切してこなかった。代わりに何でそれをさせるのか納得いくまで尋ねて、最後に肩を落としてオーケーしてくれた。何しろ自分の濡れ衣がかかっている。了解しないわけにもいかない。
頼んだ三日後にはミッションコンプリートの知らせを受けてデータの入ったUSBと共に家に連れてきた。兄ちゃんとタケと三人でパソコンを取り囲み、調査対象六名の顧客情報を探す。それを元に販売履歴を抽出すると、確かにタケがピザを運んだ時期のデータが六つ出そろった。
「エビポテトにガーリックみそとマヨ増量…」
「こっちもだ」
ピザのサイズは違うもののメニューとトッピングが一致している。ビンゴだ。やっと得た手ごたえにガッツポーズを作りかけた。その横からパソコンに手が伸びてキーボードの上で指が踊る。表示されたのはエビポテト、ガーリックみそ&マヨネーズ増量の注文一覧だった。人気メニューという程ではない、が。
「この組み合わせ、五頭さんのいない時間帯にも時々オーダー入るんですよ」
「まじかよ!」
「そりゃメニューで選べるんだから。オーダー内容だけで判断するのはリスクが大きいんじゃない?」
もっとも過ぎることを言われてソファに反り返った。喜ぶにはまだ早かったようだ。タケが手を退けると兄ちゃんが操作を代わり、上下キーで注文日時を見比べる。そこに規則性があるわけではないようだ。キーボードから手を離し腕組みで黙り込む。並んで座った中で一番頭を使うのが苦手な自覚がある俺は悩むポーズをしてみたが賢い案は何一つ浮かばない。
「でもさ、リスクっつっても四回に一回はクスリ目的の客だろ?てことは、このメニューの注文来るたびに配達する箱の中身チェックしたら捕まるんじゃねーの?」
投げやりな言葉に二人が顔を上げる。タケの方はちょっと嫌そうだ。嫌そうだけど兄ちゃんと顔を見合わせると深いため息をついて両手を上げた。観念したって顔だ。
「はいはい、仕方ないな。来週もシフト変わんないから、やってみるよ」
「悪いな。調べてるのを向こうに知られたら危険にさらしちまうのに」
「兄ちゃん、今更だよ。その分タケがシフトの日は俺が店のそばで待機しとく」
「ホント頼んだよ、二郎」
こうして決まった作戦は一週間経つ前に成果を上げた。
新規顧客のオーダーを受け、五頭が手配した熱々のピザを持って配達に出た道中。物陰にバイクを寄せて中身を確かめると、蓋の内側、角の部分に沿って煙草のようなものが数本貼り付けてあるのが発見された。その連絡を受けてすぐに兄ちゃんと一緒にタケと合流し、その場でじゅうとに連絡を入れた。事のあらましと証拠品の写真を送るとウチまで十二分でやってきた。
相変わらず潔癖そうなスーツに眼鏡で見覚えのあるセダンから降り立つと、待ち構えていた俺と、その隣の兄ちゃんの姿を見て右眉を上げる。
「よう、クソ野郎。証拠抑えてやったぞ」
宅配ピザをそのまま引き渡す。その場で中を検め、家の中に匿っていたタケを不当に扱わない条件で一緒に車に乗せた。適当な筋書きをつけて薬物を発見し、通報してくれた市民として処理する約束だ。そうした誤魔化しは得意分野だろう。ピザ屋の販売管理データのUSBもつけてやる。タケが配達に出てから随分時間が経っていた。五頭が勘づいて警察が踏み込む前に店の販売データを改ざんしたら少し面倒だ。
車に乗り込む直前、厭味ったらしい笑顔で男は振り向いた。
「二郎くん、余裕だとか息巻いてましたけど、結局兄貴に泣きついたんですか?」
「てンめェ、手伝って貰っといて何を…」
「それは違う」
経ちやすい中指をビンビンにして噛みつこうとした俺のを腕一本で制し、兄ちゃんが一歩進み出る。
「二郎が自分で積み重ねたことの成果ですよ」
「それはそれは……」
眼鏡の奥の目がすっと細められ、滑らかな動きで視線をスライドさせて睨みつける俺に目を合わせてきた。値踏みするようで気に食わない目だ。
「まあいいでしょう。今回のことは期待以上でしたからお礼を言います」
「アリガトウって顔してねぇんだよテメェは!」
「そうですか?よくわからないのでお手本見せてくださいよ」
「テメェにアリガトウする気になったらな!」
一生かかってもそんな気にはならないだろう。助手席で不安そうな友人には「何かあったらすぐ俺に連絡しろ」と言いつけて車を見送った。兄ちゃんに肩を押されて家の中に戻る。それから間もなくして三郎が帰宅すると鼻を利かせ「また二郎だけいち兄とピザ!」と騒ぎ立てた。
後日談。警察の調べによって五頭は無事逮捕され、削除済みデータを復旧した携帯からは“客”からの注文が入る時間だけを伝えるメッセージが発見されたそうだ。五頭の代わりに客から金を受け取り、薬物同梱ピザを注文するやり方を教えた人物がいるということだ。約束通りタケは参考人として丁重に扱われ、間もなく解放された。翌日には学校で顔を合わせたが疲れの色が窺えた。
「ちょっと気疲れしちゃったけど、でも二郎と一郎さんのお陰であらぬ疑いはかけられなかったし助かったよ」
とのことだ。当然礼は三割増しで兄ちゃんに伝えた。
知らぬ間に違法ピザ屋に仕立て上げられていたピザ屋は捜査のためにしばらく休業を余儀なくされたが、執拗な取り調べでも不審な点が見つからずに無事営業再開となった。それでもこの騒ぎをきっかけにして一人のスタッフが辞め、五頭を含め二人の欠員を埋めるべくバイトの募集を始めた。という話をわざわざ伝えられたのは、前にバイトを探している話をしていたからだ。だけどしばらくピザはいい。
相変わらず小遣いは足りず、求人誌を広げては怪しくないバイトを探している。
◇
勤務を終えてヨコハマ署の敷地を出ようとしたところで見慣れた人影を見つけ、門のところで車を停めた。仕事帰りの疲れた身で相手をするのは面倒くさいがシカトすると後々でもっと面倒になる。仕方なく助手席側のウィンドウを下げると窓から腕を突っ込んで勝手にドアロックを外し、許可も取らずに助手席に乗り込んできた。
癇に障るがもういい。左馬刻のやることに目くじらを立てていたらきりがない。
向かう先を黙って自分の自宅から左馬刻の家の方向に切り替え、パーキングブレーキを解除してクラッチを踏みシフトレバーを一速に入れる。
助手席の空気がピリピリしてどこへ行くのか尋ねるのも億劫だった。
「銃兎、テメェ…最近一郎ンとこ行ってたらしいじゃねぇか」
その話か。多少の予感はあった。一番面倒な話題だ。
「仕事の用事だ。逐一報告するほどのことはない」
「そういう話してんじゃねぇよ」
話にならない。ため息をついて路肩に車を停めた。運転しながら話がこじれると左馬刻が暴れて安全運転に支障をきたす。内ポケットから取り出した煙草に火をつけて苛立ちを煙に溶かしながら、薬物捜査に山田二郎を巻き込んだところから萬屋ヤマダまで出向いた経緯を掻い摘んで説明する。山田一郎に絡んだ話というよりもどんな状況で捜査が行われ、山田二郎とどんなやり取りをしたかという話がメインだ。実際、一郎がいつ頃から事件に噛んできたのかも知らない。
イケブクロ署の態度に業を煮やしてイケブクロディビジョンのガキを使ったのは軽率だったかもしれないが、山田一郎が経営する萬屋そのものに依頼をしたわけではない。元より一郎の弟たちのことは左馬刻も相手にしていないはずだ。
「……話はこれで全部だ。山田一郎には偶然会ったようなもんだ。やり合ってもない。これで満足だろ、左馬刻」
話の間、左馬刻は大人しく聞いていたが目に見えて機嫌は悪かった。一郎の名前を聞くだけで機嫌を損ねる大きな子供ではあるが、怒りのポイントが少し違う気がする。
「もしかして、左馬刻お前、弟を巻き込んだことにも怒ってんのか?」
そんな見当をつけたのは山田二郎に貸しを作った薬物取り締まり騒動に自分も立ち会ったからだ。一郎の弟自体に恨みはないとはいえ、全く無関係の人間にも八つ当たりを躊躇しない男が二郎を庇うような言動を見せた。イケブクロまで二郎を送り届けた際のそんな変化を気にしてはいたが、迂闊に突いて藪から蛇を出すこともない。何が逆鱗に触れるかわからないので黙っていた。今日に限っては仕事明けの疲れのせいか素直に口をついて出てしまったが。
「テメェが勝手な真似してんのが気に食わねぇだけだ」
言ってから身構えたものの、胸ぐらをつかまれることもマイクが出てくることもなかった。
「俺はテメェんとこの舎弟じゃねぇからな、勝手もクソもねぇだろ」
「フンッ。またブクロ連中の件でつまんねぇ隠し事しやがったらテメェでも容赦しねぇからな」
「七面倒くせぇな。わかったからここで降りろよ」
もう左馬刻の自宅まで徒歩圏内だ。ごねる男と言い争いをするより適当に了解してさっさと家に帰ることを選んだ。どうせ山田兄弟と個人的に関わる予定もない。赤い手袋の指に挟んだ煙草をシガーケースにねじ込むと、今度こそ家に向かって車を発進させた。