毎年盆になると兄弟三人で山に行く。
麓の店で花束と線香を買って、墓参りして、麓に戻っていつもの食堂で食事して電車でイケブクロまで帰る。
弟が小二になってから続けている習慣だった。でも学校の遠足よりも遠く、いっぱい歩くから家に着く頃にはみんなくたくたで居間で昼寝して深夜に起きてやっと風呂に入る。
兄弟で出かけるのは楽しみだったけど足は痛くなるし年に一回しか訪れない田舎町は少し怖くもある。
それでも兄ちゃんは揃って墓参りするのが家族なんだと言って俺たちを励まして先頭を歩いていく。兄ちゃんがそう言うなら俺たちも頑張ってついていくけど、そのうち一番体力のない三郎が足を止めてしまう。励ましてもダメだと兄ちゃんが三郎の足元にしゃがんで背中を差し出し、俺が三人分の荷物を持って帰る。
俺ももう足を止めてしまいたいけど、兄ちゃんだって疲れてるのに無理して三郎を背負って歩き続けてる。三郎はまだ小さいし頑張りすぎると熱出すし、俺も三郎の兄ちゃんだから。
おやつ袋も水筒も空になった軽いリュックサックだけど、兄ちゃんの荷物をちょっとでも預かって一緒に歩く。
それが俺たちのいつもの夏だ。
◇
「悪いな、二郎。三郎は俺が病院に連れてくから心配するな。映画、先に観てきてもいいからな」
すれ違いざまに兄ちゃんは俺の頭の上にポンと手を乗せて、すぐに三郎を連れて出掛けて行った。
三人とも休みの土曜日。以前から三人で楽しみにしていた映画の封切り日だった。前売りチケットも三人分買ったし、兄ちゃんも予定を空けて朝イチで見に行く予定だった。けど、起きてすぐに三郎が耳の痛みを訴えて保冷剤を耳に当ててしんどそうにしているから、土曜診察をやっている耳鼻科まで兄ちゃんが連れていくことになった。多分中耳炎だ。俺と兄ちゃんは小学校頃にはあんまりやらなくなったけど、三郎はそういう体質らしく、未だに二年に一回ぐらいのペースで発症して耳鼻科を受診している。
痛がるのは最初だけで、受診して薬を飲み始めたらそのうち治る。大人になるにつれてあまり罹らなくなるとも言われているから大騒ぎすることもない。付き添いも兄ちゃん一人いればいいし、家で準備しておくこともない。
二人を見送った後の家でぽつんと取り残されて数秒立ち尽くした。
大したことないだろうけど早く治るといいな、とか。兄ちゃんも映画楽しみにしてたのにな、とか。色んな事を思ったけど一人で先に観る気にもならなくて、思い浮かんだ顔に電話を一本入れて暇をつぶすために自分も家を出た。
昼過ぎにヨコハマの森林公園の駐車場に着くとすでに見慣れたセダンがあった。その脇で面白くもなさそうな顔をした男二人が煙草を吹かしている。
車の近くにバイクを停めて電話の相手、左馬刻から遅いだなんだと挨拶代わりの苦情を受けながら森の奥へと向かって小一時間歩く。苦情は言っても元からあった予定に同行することについては歓迎されている。左馬刻と一緒に待っていた銃兎は嫌味一つ言わず終始営業対応だ。
「よく来てくれました。理鶯もいっぱい食べてくれる人がいると喜びます」
「じゃあテメェもいっぱい食ってやれや」
「……生憎、胃が弱ってましてね。今日は若い人達に譲りますよ」
「オイコラ銃兎ッ!若い人“達”って言うんじゃねぇ!」
公園とは名ばかりのだだっ広い森の奥に住む人物、理鶯の手料理を馳走になることが今日の二人の予定だった。料理上手の仲間と親睦を深める会に敵である俺を歓迎するのには理由がある。料理のメイン材料が野生の昆虫、爬虫類、両生類、運が良ければネズミやコウモリ、魚介類なら大当たりだからだ。
「いいか?俺らの分まで遠慮なく食えよな」
「心の底から期待してますよ」
木々の間に炊事の湯気が見えるところまでくると両肩にそれぞれ手を置いて重い期待を押し付けられた。性格も柄も悪いクセしてこのオッサンたちは繊細にできてる。
キャンプが設営された周辺は罠が多い。侵入者を捕獲するものや攻撃するものの他、古典的な鳴子も設置されていて、大体この辺と思うエリアに踏み込んだあたりで足元をよく観察する。以前遊びに来た際に設置している場所や罠を視認するコツを教わった。これだ、と思う辺りで足を止めると一定のリズムで四回踏む。そこから攻撃用の罠に用心しながら進むと呼び鈴を聞きつけた理鶯が迎えに出てきた。
「慣れたもんですね」
銃兎は「褒め言葉ですよ」とわざわざ言い足した。
今日の献立はまるごとコウモリスープと野草のおひたし、それからカブトムシとカミキリムシの幼虫。
「カブトムシは臭みが強いから一週間前から塩とおからで漬けて仕込んだ」
得意げだ。丸々太った幼虫をいくつも取り出し焼き始める。様子からして奮発したらしい。
「こっちのカミキリムシは生で食べてくれ。マグロの刺身みたいで美味いぞ」
二人とも刺身は好きだったろう?と美しい顔面で微笑みかけ、まだ生きている新鮮な幼虫がみっしり入った容器を差し出す。
誠心誠意もてなされている二人を横目で見ると、野性味あふれる食事を直視することも出来ず、煙草に火をつけようとライターを握った手が震えている。どちらもカミキリムシの容器に手を出さないので代わりに俺が受け取った。あからさまにホッとした気配が隣から伝わってくるが、これを俺一人で食べるって意味じゃない。勘違いするな。
いつもは自然と左馬刻を挟んで座り銃兎と隣接することはないが、今日は率先して席を指定された。顔色の悪いオッサン二人に挟まれる。
せっせとカブトムシの幼虫を炙る理鶯のうっすら嬉しそうな顔。左右には虫から目を逸らす往生際の悪い大人。両手でその背中を叩きつけて理鶯の様子に目を向けさせると意を決して割りばしでカミキリムシを一匹摘まんだ。食べ始めると諦めがつくが、いつも生の奴は特に一口目のハードルが高い。
「いただきまー……」
口を開けた時。カブトムシの焼き加減に集中していた理鶯が弾かれたように顔を上げる。動物が警戒するときのような機敏さで首をめぐらし焼き途中の虫を皿に引き上げると火を消した。
「すまない、来客のようだ」
トングや焼き串をヒプノシスマイクに持ち替えた理鶯に倣って箸を置き、容器に蓋をした。割りばしを割ることもしていなかった二人は息を吹き返したようにそれぞれのマイクを掴んで立ち上がる。水を得た魚ってこういうのを言うんだ。
ヨコハマの海に面して広がる森林帯は広い。だが野営地に向いた地形は限られていていくらでも拠点を引っ越せるわけではない。
理鶯にとっては通り雨程度の存在らしいいつものチンピラたちは拠点の位置を憶え、わざわざ徒歩でしか来られないここまでやってきて理鶯に喧嘩を売る。ご苦労なことだ。今日は理鶯だけでなく左馬刻も、俺も、ついでに銃兎もいる。どう考えても勝ち目なんかないだろうが、連中にしてみれば高価なヒプノシスマイクが四本もあるって認識らしい。
理鶯が先頭に立って向かった方向へ進むと頭の悪そうな連中がぞろぞろ歩いてくる。その先頭にいた顔面ピアスだらけのモヒカンが嬉しそうにこっちの面子を数え、俺と目が合ったところで肩眉を上げた。
「ヒャハッ、今日はブクロのガキも一緒じゃねぇか!いつもの強いおにいちゃんは今日は一緒じゃなくて大丈夫かぁ?」
「なんだテメェ。臭ぇ口で気安くうちの兄ちゃんのこと語るんじゃねぇよ」
好戦的な男たちを大股で追い越して前線に立つ。
「ガキが粋がりやがって、兄貴にナイショで敵にも尻尾振ってンのかぁ?笑うぜ!」
「上等だゴラッ!」
ついに一番にマイクのスイッチを入れた。背後でポリ公の呆れた溜息が聞こえたが、大人たちも勿論全員参加だ。仲間を大勢連れてこなきゃ喧嘩も出来ないクズが相手になるわけもない。多勢に無勢だが楽勝だと思われた。実際最前列にいた連中は次々腐葉土の上に蹲る。
こっちの優勢が乱れたのはそれからだった。最前列のガタイのいい連中の陰にいた二列目から何かが投げこまれた。人を狙ったにしてはコントロールが悪く、容易に避けることができたが問題はその後だ。いち早く理鶯がその正体に気がついて着地点を振り返る。土の匂いに混じって気化した燃料の匂いがして炎と熱が広がる。
「理鶯!」
「消火はこっちで引き受ける、左馬刻たちは続けてくれっ」
木の根元にぶち当たって割れた火炎瓶の始末に理鶯が走る。キャンプには調理後の火の始末なんかに使う砂が蓄えてあった。瓶もそう大きなもんじゃなく、速やかに消火に当たれば延焼しない、嫌な塩梅だった。山火事にでもなれば最悪自分たちの身も危ないことや理鶯の対応力をちゃんと計算している。
「ふざけやがってッ!」
「面白ぇオモチャ持って来てんじゃねぇか。……オイ、銃兎。あっちの手伝いしてやれや。すぐに火消しにドマヌケ共の血ぃ注いでやっからよ」
筋張った手が拳を作って親指が地を指す。火消しする理鶯の方を気にしていた銃兎はちらりとこちらを見てマイクをしまうと理鶯に倣ってキャンプに走った。
「オイ、ワンバースで沈めんぞ」
一歩踏み出して低い声で命令する左馬刻に鼻で笑って返す。
「一小節の間違いじゃねーか?」
「クソガキが、しくじンじゃねぇぞ!」
二つのヒプノシスマイクのビートが重なり、辺り一面焼き尽くすようなワンバースが始まった。
喧嘩も消火も時間勝負。後にしてみれば短時間の出来事だ。逃走しようとした連中も追いかけてぶちのめし、クズの山を築き上げた。無事火を消し止めた後に銃兎が放火と強盗の現行犯で応援要請し、理鶯のキャンプに戻る。
もうすっかり食事なんて気分じゃなかったが、一番近くの拠点がそこだ。戻ってみると消火のためのどさくさでスープ鍋が横倒しになったりカミキリムシの容器が横になって虫が半分ほど逃げ出していた。生きているんだから蓋が外れたらそりゃ逃げる。
黙々と片づけをしている理鶯を慰めながら見つかるだけの虫を拾い、ヨコハマ署の応援が間もなく駐車場に到着するとの連絡を受けて森を出ることになった。駐車場には街灯が設置されているが、森の中は日が傾くに応じて暗くなる。
着た道と同じ森の中を戻る道のり。暴れ後となると往路の倍以上にも感じた。朝から悲しみとも怒りとも言えないすっきりしない気持ちを抱えていて、その憂さ晴らしも兼ねて暴れ過ぎたのは否めない。
疲れたと口々に垂れながら歩く大人について行く途中、うっかり足がもつれて草に引っかかり転びかける。
「何やってんだ」
地面に転げる前に側にいた左馬刻に引っ張られて助かったが、今度は引かれた拍子に踏ん張りきれずに肩にぶつかり寄り掛かる格好になった。
「ああ、ごめん……」
肩を押して離れ歩みを再開したものの、歩きの早い先頭の理鶯からはどんどん離されていく。それよりは怠そうにゆっくり歩いていた左馬刻が立ち止まり、振り返ってとろとろ歩く俺を見て舌打ちした。
「左馬刻さん、ごめん。先行っててくれよ。道、分かんないわけじゃねぇし……」
暗くても後少しまっすぐ行けば駐車場の街灯の光が見えてくる頃だ。だけど左馬刻は足を止めてしまった俺のところまで戻ってきて目の前にしゃがみ、背を向けた。
「おらっ」
ポカンとして見ていると口悪く急かされる。
「ボサッとすんな。早くおぶされっつってんだボケ」
「マジで?」
恐る恐る首に腕を回して背中に胸をつけると腰を挟んだ両膝の裏に腕が差し込まれて足先が浮いた。左馬刻よりは小さいといっても俺だってかなり身長はあるし、体重だってそれなりにはある。
「大丈夫かよ?」
「テメェがフラフラ歩いてるよりマシだっつの」
言葉を証明するみたいに足を速めて先を歩く理鶯達に追いついて、二人にーーあまり物事に動じない理鶯にさえ驚かれた。俺も驚いてるし恥ずかしいからあまり見ないで欲しい。
だけど背中の暖かさや揺れが気持ちよくて肩に頭を預けると気分が良くて。いつのまにかうとうとしてしまった。
木々の間から見える景色はすっかり夕暮れ。くたくたの帰り道。
墓参りの帰りにもう歩けないと思っても一度だってせがむことができなかった兄ちゃんの背中に背負われる夢を見た。
◇
二人で話しながら歩いていた二人を追い抜くと二人揃って口を閉じた。背中に視線が集まるのを感じて居心地が悪いが、背中の二郎の方が恥ずかしいらしくて首元に顔を伏せている。そっちの方が恥ずかしいんじゃないかと思うが悪い気はしないから黙っておいた。
そのうちぐずるように頭が揺れてもう一段階重くなる。寝た。昔妹をおぶって歩いた時もこうだったからすぐに分かる。
「左馬刻、小官が代わろう」
しばらく見ていた理鶯が控えめに申し出た。確かに理鶯の方が力も体力もあるが、俺だってここから森を抜けるぐらいでへばるようなやわな鍛え方はしてない。
「要らねぇ」
断ってペースを落とさず歩いた。もうじき駐車場だ。光がいくつも見える。集まったパトカーの光だ。
「おい銃兎、車でコイツを家まで送ってやってくれや。バイクは俺が乗って帰って預かるからよ」
「構わねぇが、ブクロの方でいいのかよ」
「ああ。弟が病院行ってるっつってたからな。弟放ったらかしで自分だけ外泊になったら気にすんだろ」
うちに連れ帰ったって文句は言わないだろうがクソ兄貴から鬱陶しく着信が入る可能性もある。クソの過保護は邪魔以外の何物でもないが、弟に対して兄貴ぶりたい気持ちは酌む。
出口が近づくと明るさが気になるのか首元に顔を擦り付けてむずがる。
「…………にいちゃん」
小さな声が兄を呼ぶ。
何歩か後ろを歩いていた理鶯と銃兎が即座に距離を詰めて手が届くほど近くに来た。コイツら俺が二郎をぶん投げると思ってる。
「落とさねぇよ!寄るな!」
動いたことでずり落ちかけた体を背負い直した。寝ながら落とされまいと首を抱く腕に力が入るから笑ってしまう。
昔は親父が家にいる休日なんか一日中妹と外で時間を潰していて、子供だけで出歩いていると見咎められる時間になると疲れた妹を背負ってることがよくあった。妹はこんなに大きくもなかったしもっとずっと軽かったが。
背中が暖かくて耳元に健やかな寝息が聞こえた。
駐車場に出てどよめく警察連中を無視して銃兎の車の後部シートにガキを下ろし、バイクの鍵だけポケットから抜き取った。
軽くなった背中に物寂しさを感じ前髪が落ちる額を指でひと撫でして、車を離れた。