懺悔/スティレオ/6550

 それを悔い改めることはない。同じことがあったらまたそうする。
 迷わない、迷った瞬間に終わる。そういう世界に生きているんだから。

 ヘッドライトの光が波のように通り過ぎていく。
 その中の一つが背中を撫でて通り過ぎたところで停まった。
 ドアの音と間髪入れずに聞きなれた声が「旦那様?!」と呼んだ。家政婦だ。数時間前に少し早目に退勤させたばかりの。
 子供と一緒だったようで立ち話している間に待ちくたびれて車から飛び出してきた。
 彼女は異界人だ。二足歩行して同じ言語で喋り、美味い料理を作って車だって運転するが、人界の動物にもいない形状の耳や触手を持っている。だけどこの街では人類と異界人の間に差なんかない。みんなそれぞれ働いて生計を立て、経済活動して衣食住を整えて生きている。家族もいて、愛情深い。
 生真面目で優しい彼女によく似た素直そうな子供たちを見ればそれがよくわかる。屈みこんで触手で無邪気に抱えた猫を覗き込んだ。拾ったというには毛並みのいい、人界の猫だ。どこかから逃げ出したんだろうが口には出さない。元の飼い主が探し回っていたとして、それをヴェデッドが知ったら彼女が子供たちを諭すだろう。俺は猫が誰のモノでも良かった。
 その時俺は一度にたくさんのものを捨てたので多少ぼんやりしていて、そこへ現れた善良で穏やかな異形の親子と繋がりにホッとした。彼女は雇い主である俺にさえ家族みたいな細やかな心配りをしてくれるものだから。猫一匹分ぐらい味方したくもなる。
 だけど意外と早くに飼い主が見つかってしまった。彼女たちが車に戻る前にだ。
「スティーブンさん!」
 顔を腫らした部下がスクーターでやってきた、と思ったら何かを引きずっていた。反り返った器用な姿勢で後ろに乗っていたのもまた部下だった。
 俺のことをまともな会社のビジネスマンと思っている家政婦に紹介するのは勇気のいるコンビだ。ハンドルを握っている少年の方は若く見えすぎるのがネックというだけだが、後ろのは知らんぷりしたい。常識人な家政婦に尊敬される俺という人物像が崩壊する。しかし、子供の抱いた猫を見た瞬間に連中は色めき立った。
「猫だ!」
「ね、ねこ……!助かった…っ!」
 スクーターから転がり下りたゴミのような男は地面を這って子供の前に跪いた。若いとはいえ大の大人が異形の幼子に膝を折って涙を流している。絵面がマズイ。ヴェデッドはとても優しい人なので「シッ、見ちゃいけません」などとは言わないが、言わないが故に運転手の少年・レオナルドが力づくでザップを引き離した。彼がやらなかったら俺がそうしていた。親子が見ていなかったら無視して帰っていただろう。
「すいません、この人ちょっと猫を探してて、連れてかないとヤバいんですっ」
 様子がすでにヤバいザップに代わって少年が説明する。何だかわからないが女に弱みを握られて飼い猫探しを頼まれたらしい。本当にこの猫なのかどうか怪しいところだが、涙ながらに頼み込まれた子供たちが母親に困った視線を送る。彼女は二人の肩に触手を置いた。
「この猫ちゃんにも大事にしてくれる家族がいるのよ。離れて暮らすのは可哀想でしょ?本当のおうちに届けてあげましょう」
 まったく人間のできた人だ。人類じゃないが。いいのかい?子供たちはもう飼う気満々だったのに。こんな見るからにヤク中のクズが言うことを真に受けて手放しても。だが彼女の教育に口を挟むまい。
「あの、それよりもお顔が傷だらけですけれど…」
 気配りの家政婦は少年のヒドイ顔にツッコんだ。童顔の少年がボコボコになっていることが後回しになるほどザップの行動が奇異だったのだが、少年の怪我もただ事ではない。
「えっと、その、ちょっとカツアゲに遭っちゃいまして」
「まあ、それは大変!早く手当しないと」
 車内に薬箱でもあるのか身を翻したヴェデッドの服の裾をザップが掴む。
「ねこ……」
「ああ、そうでしたわね。だけどこんな怪我を放っておくわけにも……」
 いいんだよ、どうせ猫を届けられなくて困るのはこのゴミクズ男ただ一人だ。だけど良心的な彼女にザップを踏みつけにして無視するなんてできっこない。
「あー、少年の手当は僕がやろう。うちもすぐそこだし」
「でも、旦那様」
「お願いしますぅぅ早くネコを……ネコを届けさせてくれぇ」
「そうですわね、スクーターで抱いて運ぶのも危ないでしょうし送りますわ」
 言動と釣り合わないほどの天才血法使いであるザップにそんな心配はしていなかったが、何も知らないヴェデッドは本気で心配してくれるのだ。仕方なく携帯を取り出した。
「わかったよ。タクシーを呼んでやるからザップはそれで行け。少年はウチで手当てだ。すぐそこのアパートメントの五階だ。エントランスの脇にスクーターを置いてくるといい。僕も電話が終わったらすぐ行くからエントランスで待っててくれ」
 ヴェデッド親子の車を見送ってタクシーを呼び、すぐに到着した車にザップと猫を蹴り込んで送り出した。どうせ金もないんだろうから適当に握らせておいた。
 一仕事終えて肩を叩きならエントランスに入るとレオナルドが青い顔をして壁に貼りついていた。
「どうした?」
「スティーブンさん…あの、今……」
 怯えた様子で声を潜める。
「何かヤバそうな黒服の集団が、幻術で偽装して出てったんですけど……まさかスティーブンさんを狙って来た連中なんじゃ…」
 連中が去った方向を見つめて警戒するレオナルドに「失敗したな」と思う。
「少年、大丈夫だよ」
「でも……」
「彼らは敵じゃない。僕が呼んだ、僕の味方だ」
「え」
 怯えが別のものに置き換わる。
「忘れていたな。君の眼に幻術が通用しないってことを」
 やっぱり俺はぼんやりしていたようだ。反省しながら少年の肩を押してエントランスの扉を開錠した。
「話は手当の後だ。心配するようなことはないから入ってくれ」

 部屋に入るまで少年はビクビクしていたが、部屋の中はパーティーの残骸しかない。物騒なものは何一つなく、このまま明日の朝を迎えてヴェデッドに見られたってなにも困らない。
 玄関先で立ち止まった少年をもう一度押してリビングに通す。何を探しているのかキョロキョロしていたが、どこにも異常は見つけられなかったようだ。
「パーティー、だったんですか」
「ああ。ライブラとは何も関係のないプライベートな友人たちとのね。全員で僕の脳みそを狙って来たからまとめて始末したけど」
「……っ!」
 一度気を抜いた少年が勢いで一歩後ずさる。
「大丈夫。友人たちは欠片もここに残っていないし、それをやった始末屋連中は君がさっき見た通り、すっかり出て行って誰一人残ってやしない。残っていたとしても僕の忠実なる部下だ」
 個人的なね、と付け加えた。
「それって、クラウスさんたちは…」
「クラウスは知らないよ。知ったら黙ってないだろう。彼はこういうやり方を認めないが僕を裁くことも出来ない。苦悩するだろうな」
 戸棚から応急箱を見つけて広いソファの座面に置いた。テーブルの上は料理の皿でいっぱいだった。道具を広げて手招きすると、意外と素直に横に腰を下ろした。逃げようとは思わないらしい。俺への信用はまだあるようだった。
「ちょっと沁みるぞ」
 幼い輪郭の顎を支えて消毒液を染み込ませた脱脂綿を当てる。結構派手にやられているが、相手は人類だろう。骨折もないようだし、この街に置いてはマシな方だ。
 出血している箇所に薬を塗ってから氷嚢を作ってやった。「ありがとうございます」と素直に受け取って患部に当てる頃には随分落ち着いていた。彼はこの街に不釣り合いなほど平々凡々としているわりに順応能力が高い。
「あの、スティーブンさんがこうして狙われることはよくあるんですか?」
「それなりにね。僕だけじゃないと思うが、人一倍恨みは買ってる。ライブラでの立場もある。今回の連中の目的は後者だ」
「パーティーに刺客が潜り込んでいた的な?」
「潜り込む以前に、招待客みんながグルだった。流石に驚いたよ。みんな別々に親しくなった友人だと思っていたからね」
 みんなそれぞれに社交的で夢を持っていて真面目に働いて暮らしているいい連中だった。演技にしたって大したものだ。後戻りできない段階まで、どこかで気が変わって穏便に帰ってくれればいいと思っていた。そうしたらまた友人関係を続けただろう。殺意を受け取って即始末しないぐらいの情はあった。
 だけど期待虚しく銃口を突き付けられてはそんな呑気なことは言っていられない。全員闇に葬ってやった。明日も世界の均衡を守るために。
 だが少年にはわからないことかもしれない。仕方ない。生きてきた世界が違う。少年は間をおいてゆっくりしゃべった。
「お友達にみんなで裏切られて、辛かったんすね」
 拍子抜けだ。何を言うか多少なりとも身構えていたのに、子供の喧嘩を仲裁するようなセリフじゃないか。
「やらなかったら殺されてたんでしょ?…無事でよかったです」
「ほんとにそう思ってる?」
「もちろん。……お友達もなんとかできたら、それが一番だったでしょうけど」
 最後についたキレイ事がこの子らしい。だが予想外に肯定的だった。
「君はクラウスとは違うんだね。クラウスに隠し事をしていることを責めたり、こういうやり方を毛嫌いしたりはしないのか」
 少年は見るからに育ちのいい子だ。異常が日常のこの街で逞しく奮闘しているが、根っこの部分は日向ですくすく育ったまっすぐな性格をしている。裏街道を長年歩いてきた大人からすると眩しいぐらいだ。クラウスに似ていると思っていた。
「告げ口なんかしませんよ。俺だってこういうの大賛成ってわけじゃないけど、スティーブンさんが必要だと思ってやってることならそうなんだと思います」
「意外だな」
「そうですか?うーん……」
 目元に充てていた氷嚢を子供っぽいしぐさで頬に押し付けて唸る。
「例えばですけど、僕がパンを万引きしたとします。それを知ったらクラウスさんは悲しむでしょうし、K・Kさんには叱られて、チェインさんはわかんないっすけど、ザップさんには冷かされるだろうなあ。やるならもっとバレないようにやれ、とかって。スティーブンさんはどう思います?」
 ザップならいざ知らず、実際にはこの少年に窃盗なんて出来ないだろう。
「事情を訊くね」
 それが自分の仕事だとも思う。問答無用で裁くにはかわいすぎる罪だ。
 答えに満足げに少年は頷いた。
「実は僕はとてもお金に困っていて、ずっと何も食べていなかったんです。それでこのままじゃ死ぬと思ってやったんです」
「それなら仕方がないから一緒に店まで行って盗んだ分の金を払って謝ろう」
「あはっ、非行少年の保護者っすね」
 想像したら確かに可笑しかった。多分他のメンバーのためにそこまでする気にはならないが、真面目で実年齢以上に幼く見える彼のこととなると、教師みたいに世話を焼いてやるべき気持ちがわいてくる。パン代の小銭を握りしめて涙ながらに謝罪する少年の姿はノスタルジックで見物だとも思うし。
「だが、そこまでやる前に相談して欲しいものだね」
「はい、現実にはもちろん」
 例え話ではあるが、彼が金に困っているのは本当のことだ。食うに困るようになったら事務所の食糧を分けてもらったり、奢りで誰かに食べさせてもらうこともあるから飢え死にすることはないが。
「スティーブンさんは僕が情状酌量の余地もない理由で盗んだとは思わなかったんですよね。それで理由を聞いて仕方ないって思ってくれた」
「それが僕の行いにも適用されると?」
 パンを万引きするのと人間を何人もまとめて始末するのを同等に語るとは少年もだいぶこの街に毒されてきたものだ。
「今夜はお友達に殺されるところだったんですよね」
「ああ」
「脳みそを狙われたってのは、ライブラとか、スティーブンさんが抱えてる超極秘の情報を盗られかけたってことで、下手すれば世界の危機でもあったわけで」
「そうだね」
「それなら僕は仕方ないと思います。スティーブンさんの判断は正しかったんだと思います」
 部屋のどこかのグラスで氷が解けて軽い音を立てた。主を失ったグラスがどこかで呼んでいる。
「クラウスさんの信念には引っかかるでしょう。法律でも過剰防衛かもしれない。でもそれでスティーブンさんが死んじゃったら困ります。もっと事態に余裕があることだったらもっといい方法があったのかもしれないけど、そういう状況じゃなかったんでしょう」
「詳しい事情も知らないのにそんな大雑把に理解を示してくれるのかい?」
「まあ、実家で暮らしている頃には理解できなかったと思うんですけど、僕もこの街に来てからもう何度も問答無用で攻撃されたり殺されそうになったりしてますから想像はつきますし。それに、スティーブンさんは意味のないことはしないって信じてますから」
 本当にそうなんだろうか。奴らの断末魔を聞いていないからそう言えるんじゃないだろうか。俺を呪う元友人たちの呻き声。数時間前に握手してハグして笑いあった相手を平気で殺すんだ。先に仕掛けてきたのは奴らだけど。心のどこかでは正しいわけがないと思う。
「クラウスだって僕のことは信じてくれているはずだけど、君のように納得はしてくれないだろうよ」
 彼は正しさの定規だ。融通が利かなくて真っ直ぐで美しい。一緒に歩いている俺だけが密かに蛇行している。
 少年はまた少し唸った。
「うーん、まあ確かにクラウスさんだったらもうちょっと説得で粘ったのかもしれませんね。状況はよくわかんないっすけど。そういう余地はあったんですか?」
「なかったよ」
「じゃあ、どのみち自分の身とライブラや世界を守るためには他の選択肢はなかったってことじゃないですか。最善を尽くしたんならやっぱり仕方ないです」
「そうかな」
「だって、できることならスティーブンさんもお友達を失くしたくなかったんでしょ。だからそんな風に落ち込んでるんだ」
 ちょっと驚いて眉を上げた。
「落ち込んでる?」
「自覚ないんすか?」
 遠慮がちに、こちらの顔色をうかがいながら頭に手を乗せ、髪の毛先に向かって動かす。子供にやるみたいに。嫌がらないのがわかるとそれを更に繰り返した。
「別に僕が何を見たって口止めだけしてもよかったじゃないですか。事情を納得させた上で口止めしたかったってわけでもないんでしょ。こっちが理解を示してんのに納得してないのはスティーブンさんの方じゃないですか」
 そうかもしれない。最初から少年には理解されないものだと思っていたのだ。それが予想外に認められたものだから、俺は戸惑っていたらしい。
「大丈夫です。クラウスさんにも、誰にも言いませんから。なんならついでに愚痴ってくれたっていいですよ」
「そうだなあ、じゃあ……」
 氷嚢を持った手を外させた。驚かせたお蔭で頭をなでていた手が離れて行ってしまう。
「少しの間でいいから抱きしめさせてくれないか」
「は、え、は」
「ダメ?」
「い、いいですけど」
 律儀に両腕を広げて迎えてくれるので脇の下から腕を回して小さな肩口に顔を伏せた。一回り以上も上の大きな男にそんなことをされてガチガチになっていたけれど、少しするとそんな状況にも慣れて後頭部を撫で始める。
 そういえば少年には妹がいた。元々面倒見のいい子だ。妹と二人で選択を迫られたときに恐怖で動けなかったという、それこそ仕方のない罪を抱えて自分自身を許していない。それなのに何人もの他人の人生を奪った俺を許すのだ。
 誰にも打ち明けない罪を誰かに許される日が来るなんて思ってもみなかった。
 許されなくてもやることは変わらない。世界の均衡を保つためには悔いている暇などないのだから。

 一か月ぶりに仕事を頼んだ私設部隊を見送って一人になったその足で移動中に教会の前を通りかかった。
 キリスト教徒は懺悔だとか告解だとか言って神父に罪を打ち明けて悔い改める。一人の胸の内に抱えきれないものがあるものだ。
 だが元から改める気持ちのない人間には無縁のもの。神は悔い改めなければ許しを与えてくれないのだ。
 肩を落とした信者が扉を押して入っていくのを見届けて少年との待ち合わせのパン屋に向けて歩いた。