Casino Ghost/さまじろ8/17424

 殺風景な事務所の奥。片手で携帯を耳に当て、もう片手の上で煙草を回す。一服しようとしていたところにかかってきた電話のせいで喫いそびれている。
「――――そりゃ薬中じゃないんですか?……へぇ。……はい、わかりました。これから行きます。……それは行ってみないことにはなんとも……はい、失礼します」
 通話を切って皮張りのソファに投げつけた。近くにいた舎弟が幅のある肩を縮こまらせる。
「あ゛――――クソッ。俺はマイクトラブル相談所じゃねーんだ、っつの」
 珍しく大した予定もなければ騒ぎもなく静かな日になると思っていたところにかかってきた電話だった。相手は上司だ。来いと言われたら行く以外の選択肢がない。それがどんな面倒くさそうな要件だったとしても。
「兄貴、お出かけですか」
「あ゛?聞こえてただろうがよ?」
 怯えと機嫌取りが入り混じった半笑いに応接テーブルを蹴りつけて答える。電話の相手は耳障りなほど声が大きい。事務所にもう一人待機していた細身の男が車のキーを取る様子を確認して煙草を咥え直す。
「今すぐ車回してきます」
 その言葉に被って事務所の扉がキィ、と音を立てて開いた。部下が扉を開けた、わけじゃない。事務所を出ようとした男の「お」という声に続いて、うちの連中よりも高い声が空気を読まずに飛び込んでくる。
「ちーっす。……あれ?どっか行くとこ?」
 ソファから首だけ回して呼んだ覚えのない客、山田二郎を睨みあげた。目が合ってもちっとも顔色一つ変えないあたり、可愛げがない。
「普通にヤクザの事務所に遊びに来てんじゃねぇよクソガキ」
「今日は遊びじゃねーし。暇してっかと思ってきたんだけど、取り込み中かよ」
「暇だ?」
 口ぶりが引っかかって室内を見回すと、外出の支度をしていた大きな背中がびくりと揺れた。
「オイッ!テメェまたこのガキと連絡とってたんじゃねぇだろうな?」
「ス、スイマセンッ!」
 二郎がこの事務所に定期的に顔を出すようになって二ヶ月程になる。物怖じせず通ってきては平気で俺に向かってくるお陰か、いつの間にか舎弟連中に一目置かれ、知らない間に連絡まで取り合っている始末。おまけに怒鳴られた男を庇って間に入る。
「アンタが携帯教えてくんないから事務所いるかどうか教えてもらってんだよ」
「………まさか、今までずっとウチの状況確認してから来てたとか言うんじゃねぇだろうな?」
「兄貴、スイマセンッ」
 悪びれないガキとは正反対に背中を丸めてパンチパーマが俊敏に頭を下げる。
「上等だゴルァッ!」
「ヤクザがンなケツの穴のちっせぇことで怒ってんなよ」
「テメェも今日こそぶっ潰すぞ!」
 咥えたばかりの煙草を灰皿に押し付けてヒプノシスマイクを持ち出すと二郎もまんざらでもない表情で自分のマイクを掴む。いつもならそのままマイクのスイッチを入れるところだが、その前に二郎が戦闘態勢を解いた。
「あ、ダメだ。違うんだよ。左馬刻さんに話があって来たんだってば」
 なんとなく気が削がれてこっちもマイクを下ろす。どうせすぐに出発しなけりゃならない。
「ガキのおしゃべりに付き合う暇はねぇ」
「出掛けんだろ?仕事?ブクロでちょっと妙な騒ぎがあったって教えに来たんだけど」
「騒ぎならいっつも起きてんだろうが」
 よそのディビジョンの事情に詳しいわけじゃないが、ガキ同士の小競り合いなんかどこにでもある。二郎はめげずに話を続けた。
「いや、それがさ、ゲーセンに幽霊が出たとかって言って暴れた奴らがいて」
「萬屋で除霊も引き受けてるとは初耳だな」
「さすがにやってねーよ。……幽霊っつーか、変な影をてんでばらばらに見たって言うんだ。集団幻覚っつーの?」
 煙草に火をつけようとしていた手を止める。今さっき似たような話を聞いたばかりだ。
 上司からの電話は組で経営しているカジノで上がった、違法マイクが原因とみられる幻覚騒動についてだった。三人の客が異変を訴えただけのまだ小さな事件だが、拡大すると信用問題。太い客に被害が及ぶ前になんとかしろという。あんまりにも情報が少ないところにこれだ。タイミングが良すぎて嫌になる。
 話を聞くかどうか考えている間に事務所の階段を上って部下が戻ってきた。
「兄貴、車の用意が出来ました」
 壁にかかった時計の針が気にかかる。上司は結果さえ出せば大抵のことには寛容だが時間にだけは五月蠅い。時は金なり。損得勘定するときは素早く、正確に、だ。
「……わかった。詳しい話は車で聞くからついて来い」
 事務所に一人残して代わりに二郎を連れ、車の後部シートに乗り込んだ。

 イケブクロの駅から数分のゲームセンターで幽霊騒動が始まったのは一週間前。もっと軽微な、視界に何か紛れ込んだという話が囁かれ始めたのはその少し前だ。
 最初は見間違いで片付けられていた。治安はいいとも言えないが、死人が出るほど悪くはない。店の下が昔墓場だったなんて学校の七不思議じみた噂もない。
 店に屯っているガキどもが面白がって騒いでいるだけと、店員も思っていた。
 それが明確に事件となって二郎の耳に入ったのは、幻覚を見たことを引き金にして錯乱した連中が殴り合いを始めたからだ。さっきまで仲良くやっていたグループ内でも、それ以外の正気の客でもお構いなしに殴りかかった。自分以外みんなが恐ろしくて、悲鳴交じりに拳を振るってしまう。そんな様子だったと店員は言う。
 暴れた連中は店員の通報により警察に補導されたが、後の調べで薬物反応もアルコール摂取もなかったと判明した。
「で、幽霊騒ぎになった、ってか」
「そう」
「ハッ。なんでそこで幽霊になる。ガキかよ」
「うっせーな。俺が言い出したんじゃねーよ!暴れた連中が幽霊を見たっつーから」
「そういうとこがガキだっつんだよ」
 拗ねたガキは放って置いて電話をかける。カジノの支配人宛に。これからの訪問に部外者を一人同行させることと、問題の影を見た客が暴れ出す可能性を伝えた。人員を増やしておけばすぐ鎮圧できる。
 車は市街地を抜け、港の近くにあるカジノに近づいている。行き先もろくに聞かされていない二郎が通話の終わるのを待って車窓からこちらを振り返る。
「なあ、ヨコハマでも幽霊騒ぎが起きてんのかよ」
「幽霊じゃねぇよ。違法マイクだ」
「ヒプノシスマイク……でもそんな幻覚なんて見せられるのかよ」
「……改造マイク自体は存在する。精神干渉性能は俺たちの持ってる物の方が高いし、耐久性も雲泥の差。だが一部の違法マイクは特殊な機能に特化した改造が施されてる……らしい。うちでも何件か確認してるが、解析は俺の領分じゃねぇから詳しくは知らん」
「結局なんだかわかってねーんじゃねーかよ」
「だから今から現物押さえに行くんだろうがボケカス」
 そこへ来てようやく回転の遅い頭が状況に追い付いた様子で、得心顔で頷いている。
 遅い情報交換が済んだところで車は目的地に到着した。出迎えた支配人が二郎のガキ丸出しの出で立ちを見て一瞬眉を顰めたのは黙殺し、裏口から事務所に入る。
 昨日までに「何かを見た」と訴えた客は事情を聞くだけ聞いて解放済みだ。三人中一人はイケブクロの事件と同じく幽霊と言い、一人は動物が入り込んでるんじゃないかと言い、一人は何かわからないが不審な影を見たと主張している。わざわざスタッフに告げに来たのが三人というだけで、自分の見間違いとして片付けて黙っている客もいるかもしれない。三人の客がスタッフに申告するまでのフロアでの動きを捉えた監視カメラをチェックしたが、これといって気になるものは映っていなかった。同じフレームに映る人間も共通しない。
「でも、間違いなく見たって言うんですよ。私も薬でもやってんじゃないかと思ったんですがね、本当にタヌキでも紛れ込んでたならこっちの落ち度だし、多少おかしなことを言っていても咎められるようなことはまだしてないんで。病院を勧めるのはやめました」
 何もない。薬物中毒でもない。となれば精神干渉を受けているのではないかという話になったわけだ。ガキどもと違って幽霊なんか信じちゃいない。
 問題の客のデータを見ても金のなさそうな若い男というだけで、プレイ履歴もてんでバラバラ。二郎にも確認させたが、イケブクロで暴れた連中の身内ということもなさそうだった。すでに帰宅した三人に改めて話を聞くには身柄を確保しにいかねばならない。新たな証言が挙がるのを待った方が早そうだった。
 支配人からありったけの情報を聞くとフロアに出る。煌びやかなシャンデリアの下でいくつものカジノテーブルが島を作り、最低限のドレスコードを守った客たちが思い思いに博打に興じている。ここは高級店というわけじゃない。上等な客にはVIPルームも用意されているが、騒ぎのあったフロアはゴムサンダル履きや頭の悪そうな服装でさえなけりゃスニーカーにTシャツでも入場できる。お陰で幅広い人種がフロアを行き交っていた。怪しい奴なんかいくらでもいる。天井、床、右から左と落ち着きなく見まわしているおのぼりさんのガキを引っ張って壁際に寄り、どうしたものかと思案していたところに騒がしい声が聞こえて目を向けた。

「こい、こい、こい、こい………ああああああああああ」
 くたびれたモスグリーンのコートの男がルーレット台の脇で一人白熱している。チップを回収するディーラーは老熟した微笑で受け流す。
 ここではよくある光景だった。舌打ちして視線をスライドさせた先の人込みにやけに小さな背姿を見つけた。子供でなければ女のような体躯だが、基本的に女はほとんど出入りしていない。入場時に厳重に身分証を確認するため子供がいるわけもない。目を凝らしてそのチビの正体を突き止めるのとほぼ同時。隣にいた二郎がルーレット台の方を見てその男の名前を呼んだ。
「あれ、帝統じゃん」
 コートのポケットから残りの財産を掴みだそうとしていた男が振り返る。その反対側から、こちらは無事チップを増やすことに成功したらしい、書生風の男を連れたチビ、飴村乱数が大きく手を振ってこちらにやってくる。
「さっ、ま、ときー!やっほー!ちょー奇遇じゃん!」
「こういう店の元締めといえばやくざですからね、乱数。碧棺左馬刻と遭遇するのも織り込み済みで来たんじゃないんですか?」
「ホントに偶然だよー!帝統のお供だし。相変わらず眉間のシワ深いけど左馬刻げんきー?」
 飛び跳ねるように歩いて小脇まで来ると腕を掴んでブンブン振り回してくる。腕を振り払うと今度は眉間に人差し指の腹を押し付けてぐにぐに揉む。そのシワはたった今深くなったものだ。
「相変わらずはテメェだチビ!出会い頭に絡んでんじゃねーぞ!」
 俺が叩き落とすより前に二郎が乱数の腕に手刀を振り下ろした。素早く避けられたお陰で空振りになったが、乱数を退けることには成功したから褒めてやってもいい。
 乱数は俺と二郎の取り合わせに大きめの目を丸くして、
「えーなんで一郎の弟の……えーと」
「地蔵くんです」
「適当こいてんじゃねーぞ夢野幻太郎!俺は山田二郎だ、憶えとけ!」
「そうそう、なんでその二郎を連れてるの?」
「テメェにゃ関係ねーだろ!いいから絡んでくんな!」
「あはは、二郎も相変わらずすぐ怒るね?っていうか一郎じゃないから絡んでもよくない?」
「……たしかに?」
「納得してんじゃねーよ」
 乱数が手を叩いた喜んだ。一度煙に巻かれたガキがバカにされたのを敏感に察して再燃し始めると一番近くのテーブルに付いていたピット・ボスがうるさそうにこちらを見た。一番手っ取り早い方法でまとめて黙らせるにも場所が悪い。
 ルーレットとは別卓でひと勝負済ませて肩を落とした有栖川帝統が遅れてやってきたのを機に、乱数を夢野が諫め仕切り直す。
「今日は帝統がどうしてもここのカジノに全財産捧げると言って聞かないので…」
「負ける前提みたいに言ってんじゃねぇ!」
「そういうわけで見識を広めるために小生たちも同行したんですよ」
 言い出しっぺの博打打ちは拳を振り上げて夢野に抗議しているが、すでに十分負けてきたと見える。今しがたの説明は概ね真実だろう。
 隣りで胡乱げに聞いていた二郎が口を挟む。
「つっても、わざわざこんなとこまで出張ってくんのかよ。シブヤディビジョンからじゃ遠いだろ?」
「んー、それはねー…」
 乱数と夢野、二人の視線が間に立つ男に向いた。

 仕事を済ませて乱数が携帯を見ると、同じく脱稿して手隙になった作家の幻太郎からメッセージが届いていた。近場で合流すると、もう一人のいつメン、帝統の姿も探してしまう。
 先日連絡を取ろうとした時には金がなくて一時的に所持していた携帯電話も売り払っていたし呼び出す術はないが。パチンコ屋が集まる通りと広い公園の間にあるカフェのテラスに陣取っていれば三分の一程度の確率で引っ掛ける事ができる。金がない時は公園のベンチに転がり、少し金があればブランチ感覚でパチンコ屋に出入りする男だ。
 優雅にフレーバーティーを飲みつつ網を張っていると三割三分の賭けに勝って、消費者ローンから出てくる帝統を捕まえることに成功した。消費者ローン。つまり金貸しだ。博打のために気軽に金を借りる絵に描いたようなダメ男だが、なんだかんだで稀に大当たりして返済しているお陰か、まだ金を貸してくれる会社があるらしい。
 意気揚々と駅に向かうファーコートのフードを物理的に捕まえて引き留める。
「ダーイスー、今日はどこ行くの?」
 引っ張られて面倒くさそうな顔をしたが、尋ねられると得意げに親指を立てる。
「博打に決まってんだろ!」
 しかしそんなことは百も承知。他の答えならひっくり返るほど驚いただろうが。
「その博打を打ちにどこまで行くんです?」
「ヨコハマのカジノだよ。この間新しくできたカジノに行ってきたが、てんで当たらねーでやんの。だから今日はヨコハマに行くんだ!」
 拳を握りしめて目を輝かせる姿はヨコハマなら勝てるとでも言わんばかりだ。そういう根拠不明な自信があるからこそ人はギャンブルをやるのかもしれないが、賭け事よりこの男の生態こそ興味深い二人にとってはあっちがダメならこっちはイケるという考えが理解できない。
「ダイス、またお金なくなったら公園の草で食い繋ぐの?」
「小生たちだっていつでも奢ってあげるわけじゃありませんよ?」
「ダーッ、今度は大丈夫だって!マジでイケる!今に見てろよテメェら!」
 あんまりにもな口ぶりに、やけに自信満々に言い放った。当然ギャンブルに必勝法はない。不審に思って口元に片手を当て、はて、と尋ねる。
「やけに自信に満ち溢れてますけど、なにかあるんです?」
 帝統は不敵に笑うと、その質問を待ち構えたように語り出した。
「実はな、……誰にもいうなよ?」
「お口にチャック!」
「言うなよ?絶対に言うなよ?ですね。承知しました」
 二者二様に守秘を誓う。
「少し前に博打仲間との付き合いでヨコハマのカジノに行ったら、見たんだよ……座敷わらしを!」
 興奮を抑えて体側で両手を握りこぶしにする。二人のポッセの間にしらけた沈黙が落ちた。
「なんかモヤッとした影なんだけどよ、俺にしか見えなくて、そいつに気を取られて賭け間違えた…と思ったらこれが大当たり!付き合いだと思ってあんまし金持ってなかったし、その後すぐ帰らにゃならなかったから大した金にはなんなかったんだけどな。もっといっぱい金持ってきゃ良かったぜ!というわけで今日は万全の状態で、行く!」
 これは本気だ。帝統は鞄を持たないからポケットの膨れ具合で本気度が分かる。本気でその座敷わらしとやらをアテにしている。
「あのね、ダイス……カジノの前に連れて行きたいところがあるんだ」
「なんだよ乱数」
「頭のお医者さん」
「行かねーよ!」
「小生の真似にしては上手くないですよ、帝統」
「嘘じゃねーよ!ホントに見たんだよ!」
 いつも人一倍目を輝かせて生きているポッセも、いつも荒唐無稽な話ばかりしているポッセも、今回は冷やかしより心配が先に立った。
「今日はやめとこうよ。ご飯奢るからさ」
「大勝ちして俺が奢ってやんよ!」
「これは嘘ではなく本心で言いますが、今貴方は普通の状態じゃないんですよ?」
「真顔で言うんじゃねぇ!」
 本気で心配されて心外だと言う顔吠える。
「バカにしやがって!ホントだもん!ホントに座敷わらし見たもん!ウソじゃないもん!!」
 発言の信憑性は幼児並みだが、よっぽど前回のまぐれ当たりが忘れられないらしい。見かねた乱数が人差し指を立てる代わりに棒付きキャンディをピッと突き出し、
「そんなに言うなら僕たちも一緒に行くよ?ホントに座敷わらしがいるんなら僕も見たいし、ね!」
「乱数……わかったよ」
 頭を掻いて渋々頷いた帝統は、それからもう一言言い足した。
「旅は道連れ世は情けってな。ついでにヨコハマまでの交通費貸してくれ」
 シブヤからヨコハマディビジョンにあるカジノまで、結構なバス代がかかるのだ。

「……というわけなんだ!」
 その結果が瀕死のギャンブラーだ。聞いているこっちの頭が痛くなる。
「なあ、左馬刻さん。座敷わらしに比べたら幽霊の方がマシじゃね?」
「そうかもな……」
 不審な陰を見ても黙っている客にはこんなパターンもある、という、あまり参考にならない情報を得た。多分座敷わらしがいると思い込んでいる人間は二人といないだろうが。
「そんで、その……座敷わらしは、今日はまだ出てこねぇのかよ」
 バカバカしくて口にするのも躊躇われる。
「ご覧の通りみたいですよ」
 ぺちゃんこのポケットに手を突っ込んで不貞腐れた男の代わりに夢野が答えた。
「じゃあ、前回見た時におかしな音が聞こえたりしなかったか?」
「音ぉ?ンなもん賭けに夢中で憶えてねぇよ」
「チッ。使えねーな」
「なんだとぉう?!」
 負けの分のフラストレーションを乗せて一人盛り上がる負け犬を猛獣使いさながらに乱数が押さえ、その口に棒付きキャンディを押し込んだ。それからこっちを振り向いてイタズラするガキみたいな目つきで笑う。
「なんか面白そうなことやってるじゃん、左馬刻。僕らも混ぜて欲しいなー」
「面倒くせぇ」
「ぶーっ!二郎は未成年なのに連れてきてるじゃん」
 成人には見えない小作りで幼いバランスの顔で頬を膨らませ、乱数より二十数センチ高いところにある二郎の鼻先に人差し指を向けた。
「指すんじゃねーよ!ブクロもちょっと噛んでんだ。テメェは大人しくギャンブルカスのお守りしてやがれ!」
「エーン、チンピラがかわいい僕のこといじめるよ左馬刻ぃ」
「左馬刻さんに泣きついてんじゃねーぞ!」
 泣き真似で腕に絡みつく乱数を二郎が引き剥がそうとする。俺も二郎も完全に乱数のおもちゃだ。
「うっぜぇ!あんま騒ぎやがると全員まとめて叩き出すぞ!」
「ご、ごめんっ」
「はーい、左馬刻も今騒ぎましたー」
「マジで反省しろよチビ!」
 うろちょろ動き回る乱数より止めやすい方、二郎の頭を掴んで指に握力を込め、締め上げる。痛みから逃げようとして頭が沈み込んでいく。
「いっ!いだだだっ……左馬刻さんごめんって……、んわっ?!」
 少しずつ屈んでいた二郎が何かに驚いた声を挙げて後ろに転げかける。咄嗟に後ろ襟を掴んで支えた。
「キターッ!」
 これとほぼ同時に博打打ちがカジノテーブルの方向を見つめて叫んだ。
「俺の女神、今度こそ勝利を!」
 突然の天啓を受けて勝負の舞台に向かって走り出した。そのフードを掴んで夢野が止める。
 素早く周囲の人間を目で確認した。何か“見た”ヤツ。何か仕掛けたヤツ。テーブル周りには人が多い。一度視線で通過した手前のテーブル、その中で「ヒッ」という短い悲鳴に次いでテーブルの上のカードをなぎ払う若い男が見えた。
 掴んでいた襟を投げ捨てて現場に向かう。カジノテーブルに伏して腕を伸ばし、何か、テーブルの上に何かいるみたいに腕を振り回す男の腕を捻りあげた。掴まれてようやくこちらに気がついた男は振り向いて、また怯えた声を出した。ヤクザに掴まれりゃ気の弱い奴は大体こんな反応をするから、俺に幻覚が重なったかどうかは判断がつかない。
 同じテーブルに集まっていた客に被害が及ばないよう引き離すため引きずって通路の真ん中に移動させたところに遅れてスタッフが集まってくる。店の体面上、あまり俺が目立つわけにはいかない。すぐに男を引き渡した。
 暴れた男と同じく“見た”連中は壁際で呆然としている。暴れることはなかった。
「おい、二郎。今、何が起こった?」
 ほとんど同じ場所にいたのに二郎と博打打ちだけが反応した。俺も乱数も夢野も、何も分からなかった。目の前で問いかけても反応が悪い。開きっぱなしの両目を片手で覆ってやる。
「……あ」
 一秒程で手を離すと目が覚めたように瞬きを繰り返し、やっとこっちに瞳が向く。
「今、怖い顔した兄ちゃんが急に現れて……」
「あ゛?」
「あ、いや、いるはずないんだけど!……なんか、すげー小さい、聴力検査みたいな音がして、そしたらすぐ目の前に見えて、さ」
「音……」
 側にいた乱数に視線をやると横に首を振る。そこから夢野、こちらも聞こえなかったというポーズ。そして夢野に捕まったままの有栖川。
「言われてみっと、なんかキーンみたいな、プーンみたいな音したかもな?」
「それだ!」
 同意したのは二郎だ。二人にだけ聞こえた音がある。
 図らずも正式に参考人となったシブヤディビジョンの連中と二郎を連れ、スタッフが暴れた男を連行した医務室へと向かった。収容された問題の男はまだ落ち着かない様子で周りをやたら警戒し、時折「来るな!やめろ!」と一人で喚いている。話を聞くどころじゃない。
 身分証を確認しても、過去に“見た”連中の身内ではなさそうに見えた。
 騒ぐ男の横に二郎と有栖川を並べたが、コイツらの共通項と言えば、
「バカにしか効かねぇのか?」
「こっち見て言うんじゃねーよ!」
「お金のない人、かも!」
「そんなヘンテコマイクあってたまっかよぉ!」
 おまけにうるさいのも共通した特徴といえる。
 参考人から非難轟々の中、真面目に過去のデータと二人を見比べていた夢野が指を曲げ損ねたお祈りみたいな、両手の指を交差させたポーズで、
「……だとすると、若い人、ですかね?」
「えー、僕なんともなかったよ?」
「乱数は小生と同い年でしょうが。帝統は二十歳、あちらの彼はまだ未成年、そして暴れている向こうの彼は二十一。見ればこれまでの人も二十二が最年長……加えてさっき彼らには聴こえたという音……」
 乱数がぴょこんと跳ねて人差し指を立てた。
「モスキート音!」
「ご名答だよ、ワトソン君」
 名探偵が助手の頭を撫でてご満悦だが、ガキどもはまだピンと来ない顔だ。
「ゴホンッ。よろしいかね諸君。モスキート音とは、加齢により聞き取れなくなると言われている蚊の羽音ような高周波音のことだ。一般的にモスキート音は個人差があれど二十代半ばぐらいまでは聞こえるそうだけどね」
「年齢によって聞き取れる周波数が変わるんだよね。今回はギリギリ二十歳くらいまで聞こえる音ってことかな?」
 バカどもが「へー」とか「ほー」とか気の抜けた相槌を打っている。
「つまり、聞こえなかった飴村乱数はこう見えてもやっぱオッサンってことだな」
「あー、それな!」
 バカが言えば隣のバカが乗っかる。
「ちょっとー、僕がオッサンなら左馬刻はおじいちゃんだよ!」
 ふざけるな。そんなに歳は離れちゃいない。若作り野郎とバカ二人に一発ずつ拳をくれてやった。そうすると、叩かれて頭の中の配線の接触が良くなったか、遅れて二郎が閃いた。
「あ!もしかしてガキが多いからってブクロのゲーセンが狙われたのか?!」
「ありうるな。大方マイクの試運転てとこだろ」
「へー。でもなんで敵は若いヤツだけ狙ってんだ?」
 少しの間落ちた沈黙に、乱数がキャンディを高らかに振り上げた。
「ピコーン!わかった!」
「はい、ワトソン君」
「この店の評判を下げて常連のお金持ちのおじさん達だけを新しいカジノに誘導するためです!ほら、ダイスが別に出来た新しいカジノはダメだーって言ってたでしょ?」
「ああ、確かにあの店、気合い入れてオープンした割には流行ってねぇんだよな」
 先々月、ヨコハマディビジョンとシブヤディビジョンの境に開業したライバル店のことだ。当然、バックにはウチとは別の組がついている。
 部屋の隅に控えていた支配人が心当たりのありそうな顔をした。一段飛ばしで推理を述べた乱数に代わって話をまとめると、こういうことだ。
「敵はこの店の客を奪うために違法マイクで混乱を引き起こそうとした。だが、金持ちの年輩客の脳みそに万が一のことがあったらギャンブルそのものをやめかねないから、大した売り上げにならねぇ若い客だけを狙って錯乱させ、この店はヤク中を入店させるような店だって噂をばら撒く……ってとこか」
 カジノは大きなシノギだ。肝いりで建てた店がコケたツケを回収する為、今後の太客を確保するために多少のリスクを負ったという話ならば合点がいく。
「左馬刻くんに花マルです」
 ホームズ気取りの夢野を真似て乱数がキャンディで宙に二重丸を描いた。
「ふざけんな、実行犯を押さえねーことには落とし前もつけらんねえ」
「オッケー!あっちが長期戦にするつもりないならまた仕掛けてくるよね?なら僕たちポッセは帝統で探すよ!」
 乱数が連れの二人の腕を取る。
「ああ。俺はこのガキで探すわ」
 こっちは二郎の脛を軽く蹴る。
「ん、何?俺たち“で”ってなんだよ」
「だって僕らお兄さんチームはマイクの音聞こえないし狙われないもーん。どっちが先に犯人を捕まえるか勝負だよ!」
 囮扱いには不満そうだが、勝負と言われると負けず嫌いが顔を出す。
「舐めやがって。やってやろうじゃねーか!」
「オイ、俺は仕事でやってんだ。遊びのつもりなら敵探しの前にテメェら全員生ごみにすんぞ」
「あ、遊びじゃねーよ!」
 控えめに言い返してくる。ガキは何でも遊びにしやがる。バツの悪さを誤魔化そうと早速フロアに向かう二郎について医務室を出ようと踵を返した。歩き出す直前、乱数が肩を並べてきて、戸口のドアノブを回す二郎の背中を見ながら言った。
「やっぱり二郎って一郎に似てるね!」
 アイツはその名前を聞けば足が止まるようになっている。
「まーた、すぐ怒るとこが、とか言うのかよ?兄ちゃんが怒るのはなぁ、毎回正当な理由があって…」
「そこも似てるけどさ、サマトキさんって呼んで仲良くしてるトコ、ほんと昔の一郎みたいだよ?あの頃みたいでよかったね、左馬刻」
 性質が悪い。こういう時の乱数に悪気なんてものはない。少なくとも俺や一郎相手には。だから余計に悪い。思ったことをそのまま言っただけという顔で見上げて、こっちの顔を見ると「左馬刻サン顔がこわーい」なんてふざけながら走っていく。シブヤ連中が部屋を出ていくと、戸口で立ち止まったままでいた二郎が、気遣わし気に呼んだ。
「左馬刻さん、ほら、俺たちも行こうぜ」
「………うっせ」
 二郎から視線を外して廊下に出る。頭を仕事に切り替える途中、乱数の言葉を聞いたこのガキがどんな表情をしたのか見逃したこと。それを気にする自分に気がついた。

 フロアは先刻の騒ぎを忘れたように平常運転に戻っている。出口にはスタッフの制服を着た組の連中が見張っていて、外には臨時休業の札が立てられているが、そんなことは知らない客たちはそれぞれにカジノテーブルの間を回遊していた。
 敵を探すとは言ったが、俺がフロアをうろつくのは全く得策じゃなかった。近くにいれば敵は警戒して人込みに潜る。そうなると再びマイクを使うなりコトを起こしてくれなければ見つけるのは難しい。一旦二階にある管理室に上がった。窓から吹き抜けの遊戯フロアが見下ろせる造りだ。乱数たちは客に紛れ込んだらしく、懲りずにテーブルにチップを乗せる有栖川しか見当たらなかった。いい囮だ。
 こっちの手駒はクソ真面目に客の頭を見つめていたが、数十秒で飽きたらしい。当然、上から見ていて見分けがつくわけもない。
「なあ、犯人はもうトンヅラこいたんじゃねーの?こっちが警戒してんの分かってんだろうしよ」
「その可能性も、ある」
「じゃあ出口の方張ってた方がいいんじゃ……」
 ぐずぐずした物言いが鬱陶しいが、要するに地道に探すのが性に合わないんだろう。敵がまだ残っている前提で動いていることに納得していない。
 事務机に残されていたコーヒーの空き缶を持って来て窓辺に置いて、煙草に火をつけた。律儀に「禁煙って書いてある」と教えられたが無視だ。
「もしテメェが、騒ぎを起こしてこの店のメンツ丸潰れにしてこいって命令で潜入した犯人だったら、さっきので目的は果たしたと思うか?」
「は?……うーん、ブクロの一件ほど被害も出てねーしダメだと思うけど、でも出直した方が安全じゃん」
「警戒されてるから、か」
「ああ」
 上から各テーブルを見ると、通常ならディーラーが一人で立つカジノテーブルにもう一人、本来配置されていないスタッフが張り付いている。ディーラーの制服を着ていても中身は満足にカードも切れないやくざだ。増援として派遣されている。ディーラーを管理する役職、ピット・ボスも増員され警戒を強めている。
「確かにな。でもここで退場したら、次回入場して逃げ切る方が難しいだろうよ」
「…………」
「日を改めて入場して騒ぎを起こすまではいい。でも、店側は騒ぎが起きたら即、今日の来場者とその日の客のデータを照合する。今日とその日、両方にいる人間が何人ぐらいいるだろうな。多く見積もったって、適当に理由をつけて尋問するに困らねぇ人数だろうよ」
「じゃあ……次は別の奴に潜入させるとか」
「それもどうだかな。これまでにウチや銃兎ンとこで押収した違法マイクは汎用性がまるでない、一人の使用者に合わせて造られた試作品ばっかだ。正規のヒプノシスマイクとの大きな差はそこだ。今回の連中が汎用化に成功してりゃあ出直しもあるかもわからねぇが」
「……むこうにとっても今回でキメなきゃ困るってわけか」
 事情を把握して二郎が緊張気味に息を吐く。そして急に携帯を取り出してアドレス帳を繰り始めた。
「なんだ、兄貴にでも相談か」
「やらねーよ!……例のモスキートマイク使ってんのが同一人物なら、ブクロでやりやがったのも同じヤツだよな?」
「……当たるアテがあんのか」
「ゲーセンの店長が警察に提出するために当日の防犯カメラの映像コピーして持ってる」
「それを早く言え」
「こっちはトンチキ違法マイクのことなんざ知らねぇし、ずっと幽霊騒ぎってことになってたからそこまでチェックしなかったんだよ。ちょっと待て」
 やたら登録件数の多い連絡先リストを検索して目的の相手を見つけると迷わずコールする。すぐに繋がった。
「……お疲れっす。店長さ、今店?この間のヤツ、……そうそれ、その日の防犯カメラで……騒ぎが起きた後ぐらいかな。警察来るまでに店を出てった客の画像、至急送って欲しいんだけど。……いや、常連以外で。いる?……あ、そいつだ、そいつの画像、なるべく容姿や背格好が分かるように……マジ助かる。んじゃ、うん」
 通話を終えてすぐにメッセージアプリに画像が届いた。パソコンのモニタを撮影した携帯の画像だったが、拡大してみると、ガキっぽいパーカーの中に季節に合わないハイネックシャツを着こんでいる。その縁からはみ出た肌にやけど跡のような大きな痣が見えた。館内は空調が効いているといっても外は暑い。首周りを隠すような服装の客は何人もいない。

 ボタンシャツの袖をまくり上げた髭の男が連れの男にだけわかるよう、小さく顎をしゃくってポーカーのテーブルを示した。黒いシャツ姿の若い男がゲームに熱中している。指示を受けた連れの男はサマージャケットの首元に巻いたストールを整える仕草でさりげなく手を口の近くへと持ち上げる。手の中にはこのフロアの誰もが持つカジノチップに混ぜて、よく似たやや厚手の板状の機器が握られている。
 そうして他人のギャンブルを冷やかす足取りで目的のテーブルに近づいた時。すれ違おうとした書生風の男がよろけて肩にぶつかった。ストールの男は手の中のモノを落とすまいと握りしめる。その手の様子を穏やかな緑の双眸が見つめていた。
「これは失礼。ちょっとよそ見をしていまして」
「いや、大丈夫です」
 そのまま立ち去ろうとする。すると今度は数歩後ろを歩く髭男の腕に白い手が絡みついた。子供のような無邪気な仕草で、小柄な青年がまとわりつく。
「おにーさん、次はポーカー?」
 髭男はその顔を見下ろした瞬間に振り払おうとして目を瞠った。知っている顔だ。あまりに有名人だから間違うはずもない。青年の軽い体は力に負けて揺れたが、反対側から書生風の男がもう一本の腕に絡む。
「おやおや、こちらの御仁は顔色がお悪いようですね。医務室にご案内しましょうか?」
「……結構だ。この彼が急に掴んでくるから驚いてしまってね」
 連れの男は三歩先で黙っている。
「君たち、放してくれ」
「すみませんね。どうにも貴方の、あのテーブルを見る仕草が気になりまして」
「何だって?」
「後ろめたいことがある人間は無自覚に鼻を膨らますんですよ」
 バカな、と思いながらも鼻がヒクつく。両側を固められた男とそれを見る男。二人の間で視線が交わされ、ストールの男がチップを握った手で口元を覆った。
 次の瞬間、ポーカーに熱中していた若い男がカードを投げ出し勢い良く振り向く。髭男はそのタイミングを狙って両脇の二人を振り払い、ストールの男がテーブルの間を駆け出した。騒ぎに乗じて逃げられると信じて。
 だが読み違いが二つあった。一つ目は、子供に見える有名人が見た目を裏切る二十四歳で改造マイクの影響を受けなかったこと。二つ目は、振り向いた男に精神干渉への耐性があったこと。更には、偶然が重なって改造マイクによる精神干渉もこれで三度目だ。視界によぎる影が勝利の女神じゃないことはもう理解している。
「待ってましたー!」
 カジノテーブルの脇を横切ろうとする髭男の眼前に小脇に抱えていた自前のコートを投げつける。視界が遮られて腕を振り回すその隙に背中を蹴り飛ばし、その背中に腰を下ろせば一丁上がりだ。
 先に走り出したもう一人は客の群れを縫っていってしまった。
「あーあ、逃がしちゃった。あっちがマイク持ちなのに」
「テメェらももうちょいしっかり捕まえとけよ」
「だってボク体力担当じゃないもーん」
「そうですよ。その代わりにチップ貸してあげたじゃないですか」
 両手を組まされた髭男の頭の上で呑気な会話が飛び交う。まるでゲーム感覚の三人に髭男が唸った。それを見下ろした優男、夢野幻太郎は全く悪びれない顔で、
「そうそう、先程の鼻の穴の話は嘘ですから」
 告げれば尚更納得のいかない男が顔を顰める。
「じゃあ何で俺を捕まえた」
「小生は趣味で人間観察をしておりまして、ギャンブルが目的の人ばかりのこの場で人の顔ばっかり見ている貴方はどこか違和感があったんですよ。上手く誤魔化せてるつもりでした?」
「ふざけるな!俺はただの客だ!こんな真似しやがって、躾けのなってねぇガキ共がっ、あうっ」
 後頭部で拘束されていた手の小指がパキッと音を立ててあらぬ方向に反り返る。拾った小枝を折るような気軽さで。
「そういうこと言うのは、めっだよ?」
 子供っぽい言い回しでもう一本の小指に手がかかった。苦しい首で見上げれば小綺麗な童顔の背後にカジノスタッフの制服を着たいいかつい男達が集まって、物騒な目で睨み下ろしていた。力なく右頬を床に押し付ける以外の選択肢がない。
 拘束役をやくざ達と交代すると帝統は服の埃を払って立ち上がる。後ろ手に縛り上げられて力づくで立たされた髭男が恨みがましい目を向ければ鼻で笑い飛ばす。
「ハッ、とっくにネタは上がってんのにみっともねぇツラしやがってよ。負けた時の覚悟が足りてねぇ博打打ちはド三流だぜ」
「ダイスかっこいー!」
「あたぼうよ」
「ところで、さっき貸したチップはどうしました?」
 キメ顔で敵に言い放ったほんの数秒後だ。口を真一文字にして唸った後、大きな声、大きな歩幅でもう一人の逃げた方向へ歩き出す。
「ア―――、さっき逃がしたヤツのことが心配になって来たから追いかけようじゃないか、諸君!」
 その手には、ポケットにも、一枚たりともチップは残っていなかった。

 二階の管理室から降りると、ちょうどフロアを駆け抜けていく人影。首を隠すように暑苦しいストールが巻かれている。それをフロアに散っていたやくざが追いかけるところだった。なんらかの方法で乱数達も犯人を見つけたらしい。出遅れた。
 男は騒ぎに気がついて割れる人込みを突っ切って広間を脱出し、通路に出たところで右に曲がる。そっちは手薄な海側の非常口だ。途中に叩き割れば人が通れるサイズのはめ殺しの窓もあった。当然のように下調べ済みの相手は建物の構造を理解している。
「こっちだ」
 即座に追いかけようとした二郎の上着の首を掴んで回り込むべくホールの端の扉に向かう。通路はこの遊戯フロアの周りをぐるりと囲むように伸びているからホールを突っ切ったほうが早い。
 追いかけっこに関しては体力とすばしっこさの分、ガキが有利だ。軽やかにホールの壁際を駆け抜けて扉を出る。通路に飛び出すとちょうどストールの男が駆け込んできたところだ。男の向こう側からは黒服たちが押し寄せる。終わりだ。
 そう思っとき、男は口元に手を当てて、何かした。聴こえた。普通の声じゃない。耳鳴りのような音がこだまして、男に迫っていた黒服たちが軒並み悲鳴を上げてその場に立ち往生した。お互いに向かって怯え、腕を振り回す。今度はガキだけじゃない。大人にも作用した。
 一瞬立ち眩みのようになって、敵に向かって立つ二郎の姿に一郎の幻影が被る。幻影だと分かっていた。二郎は敵と向き合い続けている。重なる一郎はこちらを向いて、いつかに見た表情を見せる。
『もうアンタにはついていけねぇ』
 口がそう動いた。気がした。そこで幻は消え、青いマイクを握る二郎の姿がはっきりと見える。
「俺にそんな音効かねえよ!こちとらしょっちゅう左馬刻さんのラップ受けてんだ。屁でもねぇ!」
 淀みなくタイトに刻まれるライム、ワンバースで敵は膝から崩れ落ちた。相手は所詮ヒプノシスマイクによるバトルに耐えられる器じゃない。拘束するまでもなかった。
 取り落とした小型のマイクを回収し、未だ混乱状態にある黒服連中の収拾のために人を呼ぶ。そこまでやって振り返ると、二郎がしゃがみ込んで肩で息をしていた。
「攻撃は効かねーんじゃなかったのか」
「はぁ……これは、全力疾走した分だっつーの」
「ガキがへこたれやがって」
 手を差し出し、引き上げる。
 通路の戸口からフロアを見ると、散歩気分の乱数たちが手を振ってやってくるところだった。

 やくざ同士の揉め事に警察は呼ばれない。捕まえた犯人は豚箱より酷い場所に連れていかれ、遠くないうちに派遣元は店と人生を畳むことになる。だが、今回は違法マイクの対処だけを請け負った俺には関係のないことだ。予定より大騒ぎになった件のお咎めをどうかわすかだけが問題だ。
 支配人らは客への説明に追われている。これはカジノの仕事。俺の仕事は終わったはずだが、これから来るという上司への説明義務が発生して帰れなくなった。
 祭も終わり、手持ちのチップも終わったシブヤ連中が撤収するのに車だけ手配した。手柄の半分は連中のものだから駄賃代わりだ。ついでに堅気のガキも追い出した。イケブクロゲーセン事件の落とし前がどうとかこうとか言うが、居残らせると何かとややこしい。被害に遭ったイケブクロのガキのために違法マイクの効果について分かったことがあれば教える約束で手を打った。どうせ犯人たちはガキの報復より恐ろしい目に遭う予定だ。
 マイクは組の息のかかった研究機関で解析される予定だが、その前に、比較的軽症で済んだ黒服の証言によって幻覚の効能がおおよそ特定された。
「俺、あの黒くて素早い例のアレが大の苦手で、前にここの厨房に入った時見ちまいまして、ここに来てからまた出やしないか不安だったんすけど……」
 そこで幻覚の光景を思い出して口を押えて蹲ってしまった。闇雲に腕を振り回す黒服の姿を思い出すと、確かに飛び回る虫を追い払う動きだったかもしれない。
「つまり、怖いものが見えるってことか?」
 あまりピンとこない様子の博打打ち。何しろ漠然とした影を見て座敷童と勘違いした男だ。
「具体的に不安に思っていることがあるとそのものが見えるようですね」
「ダイスに怖いモノってないの?」
「そんなん決まってんだろ?ギャンブルできなくなること!」
 怖いものなしのバカには相性の悪い武器だった。
「あ、それじゃあ二郎は一郎が怖いんだ!地震雷火事いっちろ~!」
「兄ちゃんはそんなんじゃねぇ!怖くねぇけど……アレだ、兄ちゃんは神だからな!」
「なるほど、畏怖する存在ってことです?」
「if……?お、おう、それだ」
「違ったみたいですね」
「今バカにしただろ!」
 ガキどもがうるさくなってきたところにちょうどよく車の支度が出来たと連絡が入った。やっと静かになる。
「じゃあな、左馬刻さん。違法マイクのこと分かったらすぐ連絡くれよ」
「しつけぇな。分かったからさっさと行け」
 先に出ていった有栖川と夢野を追うよう蹴り出すと、先に二人と出ていったと思っていた乱数が脇からひょっこり顔を出した。腹の立つ笑顔でこちらを見上げやがる。
「………テメェもさっさと行け」
「ふふーん。左馬刻楽しそうだね!」
「シメられてぇのか」
「やーん、左馬刻もすぐ怒るー!」
 胸ぐらを掴もうとしたのを避けて踊るように出ていく。戸口のところで一度足を止めるて振り返った。
「それじゃまったねー!」
 キャンディを持った手を振る。そのまま見送ろうとして、呼び止めた。
「乱数」
「んー、なになに?」
「アイツは、クソ一郎とは似てねぇよ」
 大きな目でぱちくり音が聞こえそうに瞼を上下させた。誰のことと言わなくても乱数は勘がいい。
「似てたら、傍にゃ置いてねぇ」
「ふーん。そっかそっかー。いいんじゃない?左馬刻楽しそうだし」
「…………楽しくねぇ」
「左馬刻も嘘つきだね」
 出口側の通路から乱数を呼ぶ声が響く。それに愛想良く応えてもう一度手を振り、乱数は帰っていった。
 一人取り残された部屋で来客用のソファに座り、カジノチップほどのサイズの小型ヒプノシスマイクを摘まみ上げる。追い詰められた際に年配者まで作用するよう出力を上げたらしく、本体が熱をもって基盤が焼けるような臭いがする。
 これは人の不安を映し出すマイクだ。漠然とした不安は影となって、目先にある不安は明確な形になって現れる。目を逸らしている不安を無遠慮に突きつけてくる道具だ。胸糞悪い。
 破壊するわけにいかない小型違法マイクの代わりにガラステーブルに拳を叩きつけた。跳ねた灰皿が灰をまき散らし、透明のガラスの上に降り積もった。