Dead or Chase/デアラ/5227

 無事に頼まれた荷物の配達も終わり、軽くなったバイクに跨ってチームステッカーをベタ貼りしたメットを被る。二郎の今日の予定はこれで終了だ。どこか寄って帰ろうか、すぐ帰って積んでいるラノベでも消化しようか。呑気に考えていた。後から思えば用が済んですぐに、とにかくその場を立ち去っていれば良かったんだ。
 少しぼんやりしている隙に後ろに重みがかかって後輪側が沈む。当然すぐに振り返った。シブヤにも友人はいるし遠慮のないイタズラ好きもいる。それでも突然バイクに触れるほどの間合いに入られたら、そりゃ警戒する。
 喧嘩馴れしているが故の条件反射で腰に差したヒプノシスマイクを掴んで、いざとなりゃ勢いで一発殴ることも考えた。でも、振り向いた先にいた相手もまたヒプノシスマイクを掴んで、二郎には目もくれずに後方を見ている。
 見覚えのある緑色のファーコートの男。ウエストにシャツインした黒いカットソーの腹が不自然に四角く膨れている。何か持ってやがる。
「わりぃな!ちょっと乗せてくれよ」
 前後左右を見回して何もいないと分かってからやっと向き直った有栖川帝統はマイクを掴んでいる片手で二郎を拝んだ。急に乗って言ったことはそれっきりだ。
「オイッ!ふざけんじゃねぇ!降りろや!」
「待て待て、でけぇ声出すんじゃねぇよ。つかマジで困ってんだよ」
「テメェが困ってようが助ける義理はねぇ!」
 二郎が記憶する限りこの男は尊敬できない大人だ。関わらない方がいい。この気持ちはこの日が終わり眠りにつくときにも変わらなかった。むしろこの出会いにより強化された。
 なかなか動いてくれない二郎に帝統は眉根を寄せる。勝手に乗り込んだはいいが、走り出さないバイクなんかちょっと変わった椅子だ。それじゃ意味がない。運転手の肩に取りついて拝み倒した。相手が年下だろうとも拝むことで擦り減るものはない。
「ンなこと言わずに頼む!今追われてんだよ。ほら、ブクロのお前ら……なんつったっけ、萬屋なんだろ?依頼すっからさ!」
 そらみたことか。追われているだと?予想通りロクな用じゃなかった。上半身を捻って問答無用で引きずり降ろそうとコートを掴む。その振り向いた二郎の視界で車道を挟んだ対岸に黒塗りのセダンが寄せられた。中から黒スーツにサングラスの「ヤバイ人です」と顔に書かれたような男たちがわらわら降りてくる。同じく男たちに気づいた帝統が「ヤベッ」と口走った。
 交通量の多い車道を渡ってこちら側に来た黒スーツ集団は一気に距離を詰めるべく革靴で走り出す。中にはインカムでどこかに連絡を入れているヤツもいる。まさか援軍でも呼んでいるのか。その男たちの勢いときたら、身柄拘束前の交渉なんて期待できそうにない。
「あ゛ー、クソッ!アイツらまいたら速攻叩き落とすからな?!」
「了解ッ!」
 決断したら早い。黒スーツの手が届く前にエンジンをかけ、目的地も定めずに走り出した。

 混み合う道じゃ四輪より二輪。でかい荷物が乗り込んでいるせいで重い足を叱咤して自動車の間を縫って大通りを駆け抜ける。幸いにもいい混雑具合で敵のセダンはあっという間に見えなくなった。
「おー!すっげ、奴さん置き去りだぜ!」
 後ろで呑気なもんだ。ピンチが去ったとなれば二郎はどこでこのお荷物を投げ捨てるか考え始める。適当なところで路肩に寄せてバイクを停めよう。そんで迷惑料をぶんどって……金なんかなさそうな顔をしているが。まあとにかく捨てることが大事だ。苦情は次のテリトリーバトルでシブヤの保護者に言えばいい。ちなみに二郎の思う保護者ってのは落ち着きのないチームリーダーじゃなくて胡散臭い小説家の方だ。シブヤチームで一番大人に見える。
 走り出してから十五分もした頃、もういいだろうと停車動作に入ろうとしたところ。後ろで定期的に周囲を確認していた帝統が肩を掴んだ。
「ヤベェ」
 車はとっくに視界から消えたはず。そう思ってサイドミラーで確認すると、黒いバイクに黒いライダースーツ。なんだかカラーリングが不審な複数のバイクが迫っていた。帝統はこいつらを追っ手の仲間だと判断した。二郎も残念だが同感だ。
 舌打ち。停車を諦めて直後の交差点を左折し、少し狭い通りに入り込む。それまで走っていた大通りから急に車両が減った。スピードはキープしたまま背後を確かめれば当然黒バイク集団も左折して追って来る。しかもマシン性能と積載重量の都合で向こうの方が速い。なんだってこんな銀杏の影が落ちる長閑な並木道でバイクチェイスを演じなきゃならないんだ。諸悪の根源を怒鳴りつける。
「クソが……テメェの客だろうが!なんとかしろや!」
「俺だってあんな連中招いちゃいねぇっつの!……しゃーねーな、いくぜっ」
 文句を言いつつも覚悟を決めるのは早い。後の本人曰く、潜ってきた修羅場の数が違う。しかし二郎は知っている、潜らなくていい修羅場を潜る奴は大抵がろくでなしだ。
 無駄に修羅場馴れした男はずっと手に握っていたヒプノシスマイクのスイッチを入れた。間もなく追いつかれる。いい距離だ。

『Yo!黒塗りセダンはもうリターン?黒装束とは用意がイイジャン!気をつけな油断、この瞬間、クラッシュの予感、Understand?
 ツイてる俺なら当てるルーレット、ライムぶち当たるお前らはDead、めげずにベット、フォールドしねぇならもっと、行こうぜ地獄までこのままライド!』

 勝ち気な視線で照準を合せて言葉の弾丸を撃ち込めば、翻る緑のコートの裾を掴みそうに迫った前線のライダーから順に精神干渉を食らって手元が狂い、転倒した仲間が邪魔で後続が追突。よくても足止めを食らう。
「へへ、どんなもんよ」
 通り過ぎてきた道をふさぐダンゴムシ共を見つめてドヤ顔をキメる。その体が急に方向転換した車体に振られ、慌てて二郎の背中にしがみついた。
「おい、危ねぇだろ!」
「黙れ向こうからも来てる!」
 言われて曲がらず直進した場合の進行方向を見れば回り込んできた黒塗りの車が丁字路に差し掛かってこちらに曲がってくるところだった。
「オラッ!もう一発かませや!」
「さすがに車は無理なんじゃねぇかにゃー?」
 無茶ぶりに対して今度は自信なさげに言う。当然向こうは窓を閉め切っているし道幅が狭いせいか無理に距離を詰めず、ぴったりと一定の距離をキープしていた。
 狭い道を抜けようにもここはまだシブヤだ。さすがの二郎もホームグラウンド以外の道にまでは精通していない。
 とにかく交差点は曲がる。進路をなるべく読まれたくない。また回り込まれたら終わりだ。だけどどの辺を走っているかわからなくなるのもマズい。待ち伏せされている可能性もあるが一度大きな通りに出直すべきか、迷う二郎の左肩を帝統が叩く。
「五秒で決めな。リスク承知で俺の言う道をとるか、このまま迷走するかの二択だ」
「はぁ?!」
 リスクってなんだとか、どこに出るつもりだとか、聞きたいことは山ほどあったが制限時間内に問答することは不可能だ。ふざけた男の勝負師らしい力のある声音に腹を立てながら二郎は叫んだ。
「乗ってやんよクソ野郎!」
「よっしゃ!そこの角地の駐車場通り抜けたら次の細い路地左折だ。そしたら何があっても真っ直ぐ行け!」
 博打打ちってのはリスクを取れるヤツが好きだ。安牌しか切らないヤツよりわくわくする。
 言う通りに十字路の角にある月極駐車場に侵入し、斜めに突っ切って出てすぐの民家と民家の間を通る路地に入り込む。道端には通り沿いの家が置いた植木鉢が無遠慮に並び、普通車が乗り入れるには神経を使う道幅だった。
 民家の狭間を抜ける。“何があっても真っ直ぐ”の意味が分かったのは二十秒後だった。一握り程の太さのパイプ型の手すりが見えたところで道が切れている。一瞬坂かと思ったが違う。石段だ。これを下りきると開けた道に出ることができる。ヨコハマディビジョンに通じる国道だ。
 路地に入ってから多少スピードは緩めたが、後戻り不可のバイクは止まれない。これから酷い目に遭う愛車を想いながら二郎はハンドルを強く握りしめた。
「チクショー!いってやらぁ!!」
 そんなの全く期待しちゃいないのにテンションのブチあがったタンデムシートで雄叫び同然の歓声が上がった。バイクが、飛ぶ。

 やっとのことで二人が落ち着いたのはヨコハマの海岸線に設置された小さな駐車場だった。海はオフシーズンとあってガラガラ。駐車場の端に公衆便所があって裏手は松林。公衆便所の陰にくたびれたバイクを寄せて隠し、二人は車道を渡って道路から浜に降りた。車両で探し回っていたら車道と浜の段差の陰が死角になる。
 そこでへたり込んだ二郎の隣で帝統はずっと腹に抱えていた箱を引っ張り出した。最初から気になっていたブツだ。見ると取っ手のついた小型金庫だった。人肌にぬくもった金庫には鍵穴があって、鍵は持っていないらしい帝統が振ったり爪でつついたりしている。
「なんだそれ……」
「酒場で知り合ったじいさんと飲み代賭けてな、勝ったんだけどそのじいさん金がねぇとか言い出してよ。代わりに上手くやりゃ金になるってこの金庫渡されたわけよ」
「うっわぁ」
 中身もわからない、話を聞く限りでは金品が入っているわけでもないらしい開かずの金庫のためにここまで逃げてきたわけだ。何の関係もない二郎の愛車まで犠牲にして。
「最初は価値があんのかないのか半信半疑だったが、あんだけしつこく追われたんだ。こりゃお宝だぜ!」
「そんなお宝を何で金のねぇジジイが持ってたんだよ」
「なんだよ。若いくせに夢がねぇな」
 ぶつくさ言いながら、コートのポケットから出てきたクリップを伸ばして鍵穴に突っ込んでみる。でもなかなか上手くいかない。見かねて横から二郎が手を差し出した。
「貸せよ」
「開けられんのか?」
「ブクロの萬屋舐めんじゃねぇ」
 兄に至っては簡単な鍵開け、ちょっとした家電修理、家屋の補修、何でもやる。二郎も安い鍵ぐらいは何とか出来た。クリップを曲げ直して鍵穴に突っ込み、しばらく弄っていると手ごたえがあった。いよいよ御開帳。色めき立つ帝統の手で、ゆっくりと金庫があけられた。
「……なんだ?」
「手紙……?」
 そこに入っていたのは折りたたまれた紙だ。うっすら罫線が透けて見える。契約書の類ではなさそうだった。紙自体古いものらしく黄ばんでいる。
 二人で頭を寄せ合って、広げた紙に手書きされた文字を読むと、

『キミは春風の妖精、桜舞う校庭でYouSay、キミは真夏の太陽、ビーチでHeyYo』

 眉間がぐぐと寄って富士山のように裾が下がる。これはどこに出しても恥ずかしいラブレターだ。読んでいるだけで羞恥が伝染して精神に影響を及ぼす。
「これ、そのジジイの書いたモンか?」
「まさかこんなクソリリックに自分で値打ちがあるなんざ言わねぇだろ。追ってきた連中もこれを欲しがる意味が分かんねぇし」
「それもそうか。アンタ騙されたんじゃん?」
「クッソ―!こんだけ苦労して中身はゴミクズかよ!」
 帝統は紙を景気よく破り捨てるとそのまま走って海にばら撒いてしまう。打ち寄せる波がバラバラになった紙きれを飲み込んで沖へと流れていった。
 元気に砂浜を駆けていった帝統を見送る二郎はもう疲れ切って座り込んでいる。その頭上で不意に車が停まる音、そしてドアの開閉音がした。慌てて砂に手をついてコンクリートの壁から離れ、一段高いところにある道路を見上げた。黒スーツを従えた、白髭のジジイだった。上等なスーツを着ている。金庫を帝統に渡したのとは別のジジイだろう。実際、波打ち際ギリギリにいた帝統も恨み言を言いに駆けてはこなかった。
 逃げようにも足場の悪い砂浜。バイクは敵の向こう側だから取りに向かえない。
 ここでやり合うしかないのか。二人がヒプノシスマイクを掴もうとした時だ。ジジイも、連れた男たちも誰一人として浜に降りてこようとしないまま、二人を見下ろしていたジジイが予想外に微笑んだ。
「君たち、今投げ捨てていたのはあの男から預かった手紙かね」
「……だったらどうだってんだよ」
 もう捨ててしまったから取り戻しようがない。咎められることを覚悟しながら答えた二郎にジジイは変わらぬ穏やかさで応える。
「そんな怖い顔をしなくていい。こちらは処分してくれて助かってるんだからね」
「なんだと?」
「あの男、わしの幼馴染でな。昔送った手紙なんぞ今更持ち出してこのわしを強請ろうとしておったのよ。いやぁ、捨ててくれて安心したよ。脅かしてすまなかったね、若者たち」
 そういうと用は済んだとばかりに車に戻り、帝統が走って戻って来る前に発進して走り去った。浜に降りる石階段を駆けのぼった帝統は遠ざかる黒い車に向かって叫ぶ。
「処分代金置いていきやがれー!!」
 しかしこだまさえ返ってこない。金持ちジジイの強請りのタネを飲み込んだ波が打ち寄せる音だけが二人を包み込んでいた。