駅前で車に乗った若頭を見送り、似合いもしない背広を脱いで小脇に抱えた。
ヤクザ社会と言えど、その構造や人間関係は堅気の会社と似ている。のし上がるには単純な能力だけでなく、上に気に入られる必要がある。見た目は重要。見栄を張るためここぞというときは特に上等な服を着る。目上には礼儀を尽くし、義理人情を重んじる。
世話になっている若頭の誘いでウチと協力関係にある団体のトップとの会食に同行した帰りだった。ヨコハマディビジョン代表という表舞台で顔が売れたのは、ヤクザとしては枷になる側面が大きい。だが見ようによっちゃあ箔がつく。極道でさえろくに拳銃を入手できないこの社会で、ヒプノシスマイクという飛び道具を保持し使いこなせることはとんでもないステータスだ。連れて歩けば場の空気も変わる。
普段着ないスーツを押し付けられ、恩義も感じていない相手に頭を下げ、適当に話に付き合って自分自身は手ぶらで帰る。上役のとっておきのアクセサリーとして。
好んで飛び込んだではないにしろ任侠の世界は性に合っていたが、こういった出世に絡む駆け引きは煩わしいばかりだ。
諸事情によりいつも足にしている部下が呼びつけられないために車を出せる仲間を呼びつけ、合流場所に指定された商業ビル、の隣の公園に身を寄せる。通りに面したビルの前で突っ立っていると遠巻きに見世物にされる。珍獣扱いでじろじろ見られるのはもう十分だ。
煙草を咥え、ライターを探してポケットを探りながら公園の端に設置されたベンチに腰掛けた。
公園では今日もやんちゃなガキ共が中央スペースで音楽を鳴らして騒いでいる。定番のビート、歓声、拍手。暇つぶしにその様子に目を向ける。緩く形成された人の輪の中で手足によく筋肉のついた男が踊っていた。体型に反して精確で素早いエントリー、フロア。重そうな体をワンハンドで支えてラビット。周囲の仲間が拍手で讃え、向かい側でしゃがんでいたバトル相手に挑発をかます。
お決まりの挑発モーションで立ち上がったキャップの男は対称的に上背があって細身で、見覚えがあった。
上着を投げ捨てて怠そうな足取りで中央まで歩き、短いステップから床に飛び込んで難易度高い角度でビタッと止める。地面についた手を軸に回転。お手本のような基本のシックスステップから繋ぎを入れて腰高なトーマス。ぶん回したところから床に沈んだ、かと思うと倒立してラビットで移動して相手に迫り、足を十字に固めてフリーズ。キープする間に腰のベルトからごとりとマイクが落ちて跳ね起き、締まり切らない終わりになったにも関わらず歓声が上がった。めくれた黒いシャツの裾を引っ張って腹をしまい、ベルトの背中側にヒプノシスマイクを差し直すと腰巻したシャツの埃を払ってキャップを被り直した。
リアクション大きめに歩み寄る敵とハイタッチ。周りと何か話している途中で急にこちらを向くので目が合った。こっちに来るつもりだ。横に置いた背広を掴んでベンチを立った。
「左馬刻さん!こんなとこで何してんの?」
首にうっすら汗を光らせながら走って来る。お前がくると後ろのガキ共の視線もくっついてくるから大迷惑だ。苦情を込めて鳴らした舌打ちはまるきり無視で後をついてきた。流石クソの一郎、いい教育してやがる。
「いつもと違う格好じゃん」
「うぜぇ。ついてくんな」
「そういう服着てるとマジモンのヤクザみたいだな」
「それ以上舐めた口利きやがるとここでぶちのめすぞ」
腰元でヒプノシスマイクを掴んで見せたってコイツはビビらない。ちょっと迷惑そうにするだけだ。
「こんなとこでマイク使わせねーってば」
こんなとこっていうのは人目のある場所、程度の意味だ。ちょっと隠れた場所に移動すれば平気でやり合うクセに生意気を言う。こっちがガキ相手だと思って見逃してやったのにつけあがりやがって。顔はあまり似ていないがコイツは紛れもなく山田一郎の弟だ。――――昔の一郎にあんまりにも似ている。
このガキの地元はイケブクロディビジョンだ。以前は一郎がガキ共のリーダー格だったが、今は世代交代して弟が仕切っている。一郎みたいな器はないが、これはこれで人の輪の中心収まる人間だった。アウェーであるヨコハマディビジョンでもちょくちょく通っては知り合いを増やしているようだった。今しがたつるんでいた連中も恐らくその一部だ。顔の広さなら一郎より上かもしれない。
「二郎、忘れモン!」
公園から上着を持って追ってきた一人がこちらを気にしながら呼び止める。
「あ、悪ぃ。じゃあまたな」
振り向いて足を止めたが、俺が待たないとみると上着を受け取ってすぐ新しい友人に別れを告げた。どこまでついてくる気だ。
「ガキ同士オトモダチと遊んでりゃいいだろうがよ」
「ンなの俺の勝手だろ。つか、左馬刻さんはダンスとかやんねーの?」
「ガキの遊びはやんねーよ」
「アンタより年上の人もいっぱいいるっつーの」
年上の仲間もいっぱいいるらしい。一郎は、同世代や年下に慕われることが多かった。
「………さっきの、クソ兄貴に教わったのか」
「さっきって、ブレイク?そりゃもちろん。……似てたか?」
胸を張って、期待混じりに見上げてくる目が忌々しい。まるで褒められたみたいな顔だが褒めちゃいない。
「ああ、途中の止めが甘くてダセェとこまでそっくりだ」
「へへ、やった」
「褒めてねぇよクソが」
些細な一郎の癖をよくコピーしている。緩急をつけるためにエントリーでわざと重く動くところ。キメの角度。勤勉な初心者風に見せて大振りな技で沸かせて相手を煽り、終盤のフリーズはきっちり音にハメてくるところ。他に仲間はたくさんいるくせに、犬っころみたいに寄ってきてどうだったか尋ねてくるところ。
兄に似ていると言われたのがそんなに嬉しかったのか、生意気なツラを甘く緩めて笑う。そういうところは少し違う。年上に甘やかされ慣れたガキの顔だ。
いつの間にか隣に並んで歩いていた顔を横目に観察して、それに気づかれる前に視線を外した。
「で、どこ向かってんの?」
「ぼちぼち銃兎が車回してくんの待ってんだ」
「げっ」
しつこくついてきたのがピタリと足を止めた。二歩先から振り向くと心底嫌そうな顔をしている。どれ程嫌なのか、その場で腕組して唸り悩んだ末に「今日はもう帰る」との結論を出した。テリトリーバトルで敵対する人間同士としては正しい。
銃兎の車が今にも目の前に滑り込んできやしないかしかめっ面で確認しながら駐輪場の方向に向かって背中を丸めて歩いていくのをほんの数秒だけ見送って、ふと気がついた。アイツに声をかけられた際に口から指の間に移動した煙草にずっと火をつけ忘れている。見惚れるほど卓越したパフォーマンスだったわけでもないのに。
「クソッ」
無性に腹が立って、吸わなかった煙草を手の中で折って投げ捨てる。馴染みのセダンはまだこない。