十月も下旬になるとジャケットの前を閉めたくなる。バイク移動の時は尚更だけど、この時期は止まったら死ぬ。毎日毎時予定を詰めていないとなんだか悪いモノに追いつかれるような気がして隙間なく遊びまわっている。
その遊び先の一つがヨコハマだ。やくざの事務所だ。毎回事務所の主である左馬刻が「帰れ」というのを無視して飽きるまで居座っていく。
今日もそのつもりでやってきたら顔なじみの舎弟が二人がかりで事務所から段ボール箱を運び出しているところだった。製菓メーカーのロゴ入りの箱を何箱もワゴン車に運び込み、見ていた俺に「兄貴なら事務所いるぜ」と教えてそのまま出かけて行った。
「鉄さんたち何しに行ったんだ?」
事務所に顔を出し、いつも通り左馬刻に嫌そうな顔で「帰れ」と言われたのを無視して尋ねるとデスクで納品書を片付けているスキンヘッドの男が教えてくれる。この人も左馬刻の舎弟だ。
「こどもの家に差し入れすんだよ。ほれ、ハロウィンだろ?」
「ああ、やくざってそんな慈善事業もやんの?」
「慈善事業っつうか恩返しさ。うちの連中は孤児やらクソ親しかいねぇ連中ばっかでよぉ、みんなどこかしらの支援施設に世話になってきたのよ」
なるほど。こどもの家っていうのは子供向けに定期的な炊き出しや合宿イベントを開催して、行き場のないガキどもに飯と居場所を提供しているボランティア施設だ。うちの兄弟も小さな頃は何度か兄ちゃんに連れられて行った。
過去の戦争で世の中は大混乱。うちみたいに両親のいない子供や貧しさとか親の人格とか諸々の都合で満足な生活が送れない子供は大勢いた。孤児院はどこも満員御礼でせめて食事だけでも支援しようってことで始まったのが“こどもの家”だ。
どこが発祥かは知らないが、俺たちのガキの頃にはすでにあちこちに施設があった。空き家を改装して間仕切りをなくした大広間に子供が集められて夕飯や休日の昼食が食べられる。
こんないかにもやくざですって顔したオッサンも自分と同じように炊き出しの飯を食べていたかと思うと親近感がわく。
「……左馬刻さんも?」
ガキの頃の話なんか聞いたことなかったな、と思って訊いてみたが、事務所の一番上座にあるデスクでふんぞり返ってガン無視だった。いつもこんなもんだ。
代わりに見た目に反して愛想のいい舎弟が頷く。
「兄貴も……」
「ヤス」
一言で黙らされた。余計なことを言うなって目だ。
「す、すんません!」
左馬刻より年上のやくざが椅子を倒さんばかりの素早さで起立していい角度でペコペコ頭を下げる。これでも胸倉を掴んでヒプノシスマイクを使い始めないだけマシだ。そんなに機嫌は悪くない。
「いいじゃん別に。うちだって親いねぇしよ」
「そうよなぁ、テメェんちは山田一郎が育て……」
「……ヤス」
「すんません!!」
今度こそ地雷を踏み抜いた。バタバタと引き出しからバッグを出したヤスが「集金行ってきます!」と飛び出していく。行動が一秒でも遅ければヒプノシスマイクの餌食だ。
見事な行動の速さを見送ると左馬刻と二人になった。
「おい、テメェもさっさと出てけ」
振り返ると眉間にしわを寄せて睨まれる。舎弟の代わりに俺で憂さ晴らしする気はないようだ。
イケブクロから小一時間かけて遥々来たのに普段話し相手になる舎弟のみんなが不在となると居座っても左馬刻と喧嘩するしかやることがない。
折角のハロウィンに揉めて帰るのもどうかと思ってポケットを探る。今日の目的は左馬刻にコレをくれてやることだ。
期間限定でペットボトル飲料のおまけでついてくる猫のフィギュア。ブラインドパッケージのシリーズのシークレット。
左馬刻の机の端にもこのシリーズが並べられていて、まだシークレットはなかった。前回事務所に来た時に見つけて、舎弟から集めていることを聞いたから自分でもコレがついているペットボトルを買ったり、仲間が買ったボトルのおまけを貰って集めたものだ。
「ん、これやるよ」
机に並んだ猫行列の端にシークレットを置く。左馬刻には似つかわしくないファンシーなミニフィギュアがずらりと並んで猫が踊る。
「…………お前これ置きに来たのか」
あ、要らないとかは言わねぇんだ。何の気まぐれかと思っていたけど結構本気で集めていたのかもしれない。このおまけが付いている商品は甘ったるい炭酸飲料だ。左馬刻が常飲しているってわけでもないだろうに。
「んー。一応……」
机の前にしゃがんでフルコンプされた猫に目線を合わせる。サバトラ、三毛猫、ブチ、白、黒。
「無理に用事作ってまで来んじゃねぇよ」
「無理にってわけじゃねぇよ」
とはいえ、元々二週に一回だったのが週一に。今回は三日ぶりの訪問だった。毎回何かしら理由を作って来ているからそろそろネタ切れではある。
「……この時期苦手なんだよな」
「あ?」
「寒くなってくるとさ、なんか良くねぇこと思い出すっつーか」
「なんだよ。ハッキリ言えや」
机の端に指をひっかけて下を向いた。
「なんつーの?昔のさ、失敗した思い出とか余計な事思い出していてもたっても居られなくて叫びだしたくなるとか、アンタもあるだろ?」
「ガキと一緒にすんなや」
「絶対あんだろ!」
「ねぇよ」
こんな調子でも新しい煙草をつまんで火をつけた。何の気まぐれだかおしゃべりに付き合ってくれるようだ。何度か押しかけているうちに細かな行動の意味が読めるようになってきた。
「昔さ、小学校とかの頃、しょっちゅう喧嘩しては兄ちゃんが頭下げに来てくれてさ」
おっと、兄ちゃんの話しちまった。でも左馬刻は黙って聞いていた。
「……多分その時々には俺なりに許せないことがあって喧嘩したんだけど、後で保護者が呼びつけられて兄ちゃんが俺の代わりにクソみたいな説教かまされてんの見たら、すげー嫌な気持ちになってさ。俺が悪いんだから俺のこと殴ってくれた方が何倍もマシなのに」
「ンなことを後悔してるクセになんで不良やってんだ」
「そりゃ、兄ちゃんが不良だったから」
大人しく話を聞いていてくれた左馬刻がおろしたての靴で朝からクソを踏んだ時みたいな顔をした。
昔からしょっちゅう喧嘩はしていたけど自他ともに認める不良になったのは中学に上がってからだ。先に兄ちゃんが荒れて、家を出て行くようなことはなかったけど外で喧嘩を繰り返して悪そうな連中ともつるむようになった。筆頭がこの男、左馬刻だ。
左馬刻は煙草を指に挟んで薄い唇の間から細く煙を吐き出す。
「どうせあのクソ偽善者だって散々喧嘩してたんだろうがよ」
「喧嘩は別にいいんだって。俺のせいで兄ちゃんがクソみたいな大人にドヤされてんのに、また性懲りもなく喧嘩買っちまうから俺なんかいなけりゃ良かったって思ったりして」
左馬刻の指がこちらに伸びて、机に並べたシークレットの猫を指で突いた。兄ちゃんが苦労したって話のせいか険しい表情ではなくなっている。
赤い目はこちら側に向いていたけど俺じゃなくて並べた猫を見ていた。でも猫が好きって様子でもない。
「…………なあ、アンタなんでそのフィギュア集めてたんだよ」
まだ十分に長い煙草を口に少し当てて、それから灰皿で火をもみ消した。左馬刻はその辺にあったコンビニのレジ袋を拾って並んだ猫たちをまとめて掴むと袋に放り込んでいく。あまりにも無造作に集めるもんだから余計なことを言う俺への当てつけに捨てるのかと慌てたが、全部集めて口を縛ることなく小脇に置いた。ゴミ箱も近くにあるが放り込むことはしない。
猫がいなくなるとやっと俺の方に視線を寄越し、
「妹の分だ」
急にそんなことを言うから質問への返事とは思わずに問い返しそうになった。なんだそれ、と口走る前に理解して言葉を飲み込む。
「妹さん、猫好きなのか?」
「ああ。俺がちょっとは金を稼ぐようになって小遣い持たせてもほとんど使わねぇで、たまに食玩だの文房具屋に売ってるマスコットだの、チマチマしたモンばっか買ってきて喜んでたわ」
左馬刻がこんなに自分の話をするのは珍しい。やっぱり妹と一緒にこどもの家にも通ってたんだろう。うちと似たようなもんだ。弟妹を抱える長男同士、兄ちゃんとも、分かり合えることがあったのかもしれない。
「もっと贅沢していいっつっても安くて小さいもんばっかだ。そんで大事に持ち歩いて他のガキに取られて喧嘩して」
「アンタも妹の代わりに怒られた?」
「妹に嫌がらせしたガキ共全員ぶちのめした」
「だろうな」
うちの兄ちゃんの方が大人だ。だけど俺が左馬刻の妹なら、一緒に後先考えず怒ってくれた方が気が楽だったかもしれない。俺の分まで兄ちゃんに我慢させたことはきっと一生忘れない。寒くなって胸にまで冷たい風が吹き込む季節にはきっかけも何もなく思い出して後悔している。
外からかすかに人の声がして、椅子から立ち上がった左馬刻が窓に向かう。それを追って重い腰を上げ窓辺に立った。
ちょうど事務所ビルの目の前の通りを仮装した子供が練り歩いているところだった。さすがに飾り気のないビルは素通りで住宅地の方に向かっていった。
その集団を見送っていると尻を蹴りつけられた。
「テメェももう帰れ」
「わざわざ蹴んじゃねぇよ」
菓子を配達にいった舎弟たちも帰ってこないし片道分の時間も滞在していないが何か、収穫があったように思えて素直にジャケットのジッパーを首まで上げる。また風の冷たい中イケブクロまでバイク移動だ。
帰り際、思い出して呪文を唱える。
「左馬刻さん、トリックオアトリート」
すると如何にも「クソガキ」って目で睨んで、近くのデスクの引き出しを勝手に開けて中にあった何かを一つ投げて寄越した。当たれば痛いぐらいの球速だ。節分じゃねぇんだぞ。
無事手でキャッチしてみると個装のチョコレートだった。その場で口に放り込んで今度こそ事務所を出た。