物語の中の雪とは大抵が美しく儚く世界を包み込むものだけれど、現実の、殊に雪国のそれは儚いどころか猛々しく辺り一面埋め潰すものである。
雪の中で待ち合わせなどしようものなら自分が雪だるま。迂闊に屋外に駐めた車は夜更け過ぎに雪山へと変わるだろう。サイレントナイトはない。深夜も朝もタイヤチェーンを鳴らしながら大型除雪車が行き交うので静けさに満ちた冬などというものは幻想でしかない。
車道などは土木会社が除雪を請け負って上手に掻いてくれるものだが、私道や家の玄関前、車庫前、屋根の上は当然所有者の自己責任となる。
数十センチも積もればまず外に出るのが困難になるし、屋根の耐荷重を超過するほど積もれば家が潰れる。綿雪は軽そうに見えるだろうがその正体は水。積もれば圧縮され重くなる。その為、雪国の家は大抵トタン屋根なのだ。重い瓦で葺いたらちょっとの積雪でも屋根に上って雪を下ろさねばならない。
雪が積もったら梯子をかけて屋根に上る。そして屋根から雪を落とし、場合によっては屋根から落としたその雪を更に雪捨て場まで運ぶ。あまりにも雪が多いと雪を避ける場所の確保がまた問題となる。
こんな風に冬の雪国暮らしは体力勝負。老人ばかりの世帯は腰の曲がったおばあさんがなんとかかんとか雪を掘ることとなるので、スノーダンプや風除室とは無縁のシブヤディビジョンで暮らす小生もこの時期は田舎の天気予報に注意しているのである。
斯くして今年も帰省することとなった。毎年それなりに降ると分かっている地域の交通網は強く、降り始めてからでもそう遅延することなく辿り着けた。
古い実家はもう誰も住んではいないが、それだけに手入れをせねば潰れてしまう。うちの他にも周辺には空き家が増え、空き家だった古い家が更地になっている土地も散見する。まったく手間がかかるばかりなので、家を潰すことを一度も考えなかったわけではない。けれど思い切れない程度には幸せな記憶の眠る場所でもあった。
家に着くとブレーカーをあげて暖房を入れ、水道が凍結する前にちょろちょろ水を流しっぱなしにしておく。電気を使わないストーブも焚く。灯油ストーブの上には加湿器がわりに水を張ったやかんを置いて、事前に通販しておいた食糧が届くのを待つ。滞在中は予め手配して現地受け取りにした荷物で過ごす段取りだ。これで賄えなくなったら、最悪タイヤチェーンを巻いてサンタのソリみたいな音を立てながら走るタクシーの世話になることになる。都内から自家用車で来て車庫前を掘って入庫する苦労を思えばタクシーをとる。
念の為、執筆道具も持ち込んだが体力に自信はない。積もった雪をスコップで切り分けて家の裏手の池まで運んで捨てるのを繰り返していれば満足して家に入る頃にはクタクタでコタツに入った途端眠気に負けるし、腕は筋肉痛で治る間もない。
この家にいる間は家の維持が仕事なので、他に出来ることがないのだ。
今日も早朝から膝丈まで積もっているのを見つけて防水ポンチョを被り、ショベルカーの先を平べったくしたような物に立ちながら取り回しできるよう金属パイプの取っ手をつけた、所謂スノーダンプとかママさんダンプとかいう除雪専用の道具を持って表に出た。
約六〇センチ程の幅のショベルを雪の上で滑らせて積もった雪を掬い、また雪の上を滑らせて運ぶ。スコップより面が広く運搬中に持ち上げる必要がないから一度にたくさんの雪を運べて効率が良い。
とはいえ、一説によると一立法メートルあたりの新雪の重さは一五〇キロ以上。積もって圧縮された根雪ともなると五〇〇キロ以上になると言われている。仮に五〇立法センチ四方に切り取ったとしても小さな子供くらいの重量だ。何十回も往復して捨てる、ましてや池に落とせなくなって適当な場所に積み上げようとすれば重労働。
そう、池があっても沢山の雪を放り込んでいると溶けなくなり、流氷のように浮かんでくる。度が過ぎれば池の水が溢れ、とてもじゃないが雪捨て場として使えない。なので、最悪雪を積み上げて良い場所に山を作る。低い山ならスノーダンプを押し上げててっぺんでショベルを傾け捨てられるが、それが難しいほど山肌の角度がついてきたらスコップで跳ね上げるしかない。
これをやると足腰腕だけでなく背中まで筋肉痛になる。いい全身運動だ。暖かい服で始めてもすぐに汗だくで薄着になっていること請け合いである。
屋根の上は一人でやると危ないので、毎年依頼している便利屋に金で頼む予定だ。万が一除雪中に落雪に埋まってしまうと声も届きづらいし早く見つけてもらえなければ死ぬ。実際、冬は除雪中の事故が多くある。
家の周りも業者に頼むことは出来るが、冬中ずっと頼むのは金がかかる。除雪機なんて便利なものもあるが、機能の少ないものでも数十万。住んでいない家に置いておく気にはならない。
そんなわけで毎年せっせと帰省しているわけだけれど。近年は年齢のせいか体力が落ちていていけない。そのしわ寄せは執筆の方に出てくる。昨年はもう少し書けたものがキーボードを打つのも億劫になってしまった。担当編集者との電話なんか以ての外。小生はアルミスコップより重いものは持ったことがないので電話機は重すぎるのである。
ところが編集者は原稿は読めても空気は読めない。締め切りが近くなると遠慮なしに電話をかけてくる。この電話は現在使われておりませんと言われても勝手に話始めるのだから性質が悪い。
「夢野先生、原稿の方は大丈夫ですか?」
「生憎と今腕が上がらないもので、こればかりはしようがないでしょう。今月は“作者取材につき休載”ということで」
「そういうと思ってましたから人を派遣しました」
「は?」
「そろそろ着くかと思いますから口頭筆記で書いてください」
去年までは泣き寝入りしていた新人編集も偉くなったもの。そういえば夏の間に実家の所在を聞かれて何だかんだで教えてしまったのだった。新人ながら夢野幻太郎の担当を任せられるだけのことはある。
さてはて、その日のうちに招かれざる来訪者はやってきた。玄関の引き戸が叩かれる。呼び鈴は壊れているので。無視しても叩き続けるので帰り賃だけ握らせるため玄関を開けると、なんとまあ見慣れた顔の男だった。
「よっ!飯付き泊まり込みバイトだっつーから来てやったぜ!あー寒々。で、俺はどうしたらいい?」
泊まりというクセにいつものモッズコートだけでロクな荷物も持っていない。小生だって自分の分の着替えしか持ち込んでいないのに。
二日でその辺の寂れたパチンコ屋にでも出奔しそうなバイトをしばらく眺めた末に言いつけた。
「では、まずは表の雪でも掻いといて下さい」
数時間前に除雪した道はすでに深く足跡が残るほどに雪が積もっていた。