バックステージ/さまじろ/4729

 楽屋の椅子で項垂れて目を閉じた兄弟たちに声をかけ、着替えの入ったリュックサック一つ持って廊下に出た。
 建物自体を揺るがすような低音と歓声は今は耳の奥に余韻だけ残して消え去っている。
 誰も通らない静かな廊下。案内表示なんて親切なものもない。そこでバトル後に一人でシャワールームに行けるようになったのは三度目のことだった。ここには月に一回しか来ないから。
 毎回同じ部屋をあてがわれる楽屋を出て、右に向かって一つ目の角を曲がる。途中に出現する階段の前を通過してまた曲がる。そこから少し歩くと簡素なシャワールームのプレートが掲げられた壁にドアのない個室がある。
 中は横に広い長方形で目の前に三つの扉があった。ドアノブには使用中と空室の表示があって、それぞれ手狭な脱衣所付きの浴室になっていた。シャワールームに踏み込んで横を向けば壁際にベンチがある。浴室が満室の時には個室正面のベンチで待てるように。
 三つ目の浴室扉の向こう側には洗面台とパウダールームもあった。月一のバトル以外の日は女たちが使っている施設だ。洗面台だけなら他でも使えるから、俺たちはあまりそこを使わない。
 重い足をのろのろ動かしてシャワールームにたどり着くと個室は一つだけ使用中だった。他の、ステージ上で顔見知りの誰かが使っている。
 今回の決勝はうち、イケブクロとヨコハマだったから多分ヨコハマの誰かだ。勝ち上がらなかったチームは先に身支度を済ませているだろうし、うちのメンバーは兄も弟もまだ楽屋にいる。
 いつになくギリギリのバトルだった。ステージ上にいた自分で言うのもおかしいけど、どっちが勝ってもおかしくなかった。あと少しで意識がとびそうで、だけど頭は冴えていた。気がした。
 大音量のビート。眩しいスポットライト。女たちの甲高い歓声。
 大観衆の中で冷静でいられるヤツなんかいない。気分はこれ以上はヤバイってぐらい高揚していたけど滑らかに言葉が浮かんだ。ああしよう、こうしようって思考をすっ飛ばして最高にアガるフロウが湧き出てくる。縺れそうな舌がギリギリのところで正確なライムを刻む。リリックを叩きつけると正面でマイクを構えたスカした男が小ぎれいな顔を歪めてふらつく。
 最高だった。
 みんなそうだ。ダメージもいっぱいくらったけど、ノッてる時って耐性も上がる。ちゃんと相手のリリックを受け取って脳で処理して返してるのに魂の表面が固い金属で守られたみたいになって、頭が揺れたって抉られない。
 決定打が入らない代わりにダメージは奥底に蓄積して、ステージを降りた後で、来る。
 一番ボコられた兄ちゃんと最年少の弟はまだ動けないようだった。俺は汗だくなのが気持ち悪くて少し休んでから一足先にシャワーを浴びに来たけど体はどこもかしこも重く感じるし脳みそはまだちょっと揺れている気がする。
 対戦相手のヨコハマだってまだ回復しないだろう。回復力にかけては若い俺たちに分がある。
 先にここへ来て一番目の個室にいるのは誰だろう。使用中の扉をしばらく眺めてから真ん中の扉を避けて三番目のドアノブを握った。
 開いたドアの隙間から無人の個室に体を滑り込ませた時。強い力で背中を押された。疲労で踏ん張りがきかずによろけて狭い脱衣所の角に設置された荷物棚に手をつく。
 ここ、中王区はどこもかしこもアウェーだ。男を蔑んでいる女は虫を見るような目で見てくるし、テリトリーバトル代表をアイドルか何かと勘違いしている女はうるさく騒ぎ立てる。腕力のある男は同じ十一人の代表の他にはいないはずだけど悪意のある何者かの襲撃かと思って腰のベルトに差したマイクに手をやり、体ごと振り返る。
 個室に押し込んだ犯人は自分も入り込んで鍵をかけた。
 相手はよく知った相手、────左馬刻だった。
「な……なんで」
 俺と同じくステージから降りた時のままの格好で手持ちのバッグを棚に放り出す。泊まりの外出の際はいつも使っているバッグだ。知ってる。左馬刻の部屋に上がり込んだり、旅行に連れていかれたりする間柄だから。
 シャワールームにいるんだから左馬刻だって汗を流しにきたんだろう。でも隣の個室だって空いていた。
 チームが敵対関係にあってもバトルが終わった後だったから怒鳴り散らすほどの反発心は湧いてこない。代わりに意味が分からなくて怒ったような赤い目を見つめた。
 普段どんな付き合いをしていようともテリトリーバトルの前後は敵同士。ステージ上以外で会おうとしない、話もしない、携帯に連絡も入れないのが暗黙の了解だった。
 なのに、なんで、人目がないとはいえここはまだ中王区だ。個室に入るところだって誰かに見られたら大問題だ。
 何も答えない左馬刻を責めるつもりで睨んでも全く効果はなかった。
 それどころか壁際に追い詰められて唇を塞がれる。左馬刻の薄い唇で。
 体を押し付けられて腰に巻いたシャツの下から尻を鷲掴みにされた。
 何だよ急に。なんか言えやクソッ。
 キスから逃れようと胸を押しても体重をかけて押さえ込まれ、頭を逃がそうとすると髪を掴んで顔を上向かされる。
 口を閉じても口の合わせ目を舌先でなぞられると弱い。意地を張り切れなくて開いた隙間から侵入した舌が口蓋や歯の根元を舐めた。そういうことをされると応えたくなってしまう。
 始めこそ混乱したけど口の中を好き放題される間に大体の事情は察しがついた。
 押し付けられた腰の中心が固くなってる。
 コイツ、さっきのバトルがよっぽどよかったんだ。体が治まらなくて困ってるところに俺がのこのこやってきたからちょうどいい、ヤラせろってか。クソ野郎。
 喧嘩の高揚感でも体は反応する。コイツほどじゃないけど俺だって今日のはちょっとキた。
 中王区でのバトルは女性客ばっかりなのもよくない。本来的に俺たちは異性愛者だ。たくさんの女の歓声を浴びていると頭のどこかがおかしくなって妙な興奮が続く。
 放っておけばそのうち治まるなんて悠長なことを言っている暇もなかった。バトルが終わったら撤収が始まるから、しばらくしたらダメージが残っていようと場所を移動しなきゃならない。当然、やくざである左馬刻と言えども区内で女を見繕うわけにもいかない。
 そこへ都合よく抱きなれた人間が来たってわけだ。
 マジ最悪。
 勝手にベルトを緩めて直にケツを揉んで肉の谷間に指を潜ませてくる。
 左馬刻の意識が下半身に逸れた隙にキスを振り切った。
「やめろって、すぐ戻らなきゃ怪しまれんだろッ」
「……ちっと長いシャワーだったで片付けろや」
 確かに今日の調子ではシャワールームで座り込んでしまってもおかしくなかった。こんなことするほど体力に余裕もない。
 左馬刻だってへとへとのはずなのに全く逃がしてくれる気がなかった。
 汗でべたついているのも厭わずに首や胸、肌のあちこちに吸い付いて舌で舐めて俺の抵抗を封じていく。
 二人とも真っ裸になると荷物の中からジェル一本だけ掴んで浴室の方に連れ込まれた。旅行の際に出先で買って、そのままバッグの中に入れっぱなしになっていた奴だ。定期的に泊りがけで出かけるからと洗い物以外は出し入れしないところはお互い様だけど。
 本気でこんなところで突っ込む気かよ。
 浴室は浴槽がなくてシャワーと鏡とちょっとした棚が設えてある。男二人で入るような広さじゃない。脱衣所との間の扉を閉めただけで体の距離が近くて逃げ場もない。
「壁に手ついて立ってろ。膝折るんじゃねぇぞ」
「マジで死ねよ。俺はテメェのオナホじゃねぇんだぞ!」
 口で反抗したって結局言いなりで背を向けてしまう。こっちだって散々煽られて、このまま軽く湯を浴びてすぐ着替えて兄弟のところへ戻るなんてできなかった。
 尻に直接勃起を擦り付けられると腹の奥が疼く気がする。
 俺のセックスは挿入する側じゃなくて、男のちんぽで腹の奥を掻きまわされる、女みたいな奴だ。
 普通の男としてのセックスに興味がないわけじゃないけど、左馬刻は罷り間違ってもガキに掘らせてくれたりしないから。左馬刻以外と抱き合う気にならない限り多分ずっとこうだ。
 何度も挿入されているうちにケツだけでもイケるようになったし、一人で抜いていても左馬刻をネタにすると前だけじゃ物足りなくて参ってる。
 今回もバトルが近づいて会わなくなった間にちょっと発散しとこうと思ってもいまいち満足できなくてとても迷惑していた。前途有望な男子高生に何してくれてんだマジで。
「ハッ、グダグダ言いながらテメェだって期待してんじゃねぇかよ」
 指で人の内臓を無遠慮に探りながら左馬刻が笑う。空っぽの腹はジェル塗れの指を悦んで受け入れた。
 何度も抱かれているとしてもセックスは食事ほどには日常的な行為じゃない。外側から体の内側に入って粘膜に触れられる違和感にはいつだって不安を孕んだ焦燥と、その先に待っている強い快感への期待が絡む。
 痛みはない。いつもは乱暴な俺様野郎のくせにちゃんと俺が快感を拾えるようになるまで待ってくれる。いっぺん突っ込んだらあんまり待ってくれないけど。
 勝手には濡れない穴をたっぷり濡らして三本束ねた指が無理なく入るようになったら腰を掴まれてちんぽの先があたる。なるべく楽に入るようにゆっくり息を吐くと久しぶりの温度と質量で腹が満たされていく。
 会えない間も誰かもわからない女に慰めてもらってたんかな、とか要らない考えが頭を過ると気を散らしたことを咎めるように前立腺を狙って動かれて思わず声が出た。完全個室とはいえ防音性に期待はできない。自分の片手で口を塞いだ。
 そうやって我慢しようとすると背後で左馬刻が鼻を鳴らした。この男は俺が身も世もなくよがってるのを見るのが好きだから気に入らないんだ。
 深く、浅く、何をすれば我慢が利かなくなるか分かっていて攻め立ててくる。場所も弁えず度が過ぎた快感でめちゃくちゃにしようとする。
 静かな浴室内に抑えきれなくなった自分の声が響くと居たたまれなくてシャワーの栓をひねった。水音で少しでも紛れて欲しい。
 湯が降り注いでもお構いなしで、散々勝手をした挙句に無理やり首を振り向かせて苦しい姿勢のまま中に注ぎ込まれた。
 動きが止まると湯の粒が肌や床を打つ音だけが残った。
 
 楽屋に戻った時、まだ兄弟はそこにいて荷物をまとめていた。
 よっぽど疲れたらしく、シャワーは諦めてその場で服だけ着替える様子だ。
 俺たちが籠っている間に兄弟がシャワールームに来ることを恐れていたからホッとした。
 さすがに終わった後はすぐには立てなくて左馬刻の膝に座って落ち着くのを待ってから浴室を出た。一発出した後は左馬刻も限界だったみたいで、おかわりはなかった。
 身支度をして左馬刻が先に出る。俺は数分置いてから。人目を避ける目的もあったけど、ちょっと休まないと足腰がきつい。
 左馬刻が先に内鍵に手をかけた際にシャツの裾を引いた。
「ここで付き合ってやったんだからヨコハマに戻ったらしばらく大人しくしとけよ」
「そりゃテメェの心がけ次第だな」
 早いうちに会いに来いってことだ。どこまでも偉そうな態度に腹は立つが怒るだけの体力が残っていない。
 決めていたより長く脱衣所で休んでから楽屋に戻った。
「二郎はもう出られるのか?」
 支度を済ませた兄ちゃんに言われて頷いた。本当はもっと休みたいけど家に着くまでの辛抱だ。
 真新しい服の内側に秘密を抱え、何食わぬ顔で会場を出る。
 廊下を曲がって突き当りに通用口が見えるところで先を歩くヨコハマの姿を捉えた。
 白いシャツが扉の隙間に消えていくのを兄弟三人で黙って見送った。俺一人だけは兄達とは違った心持ちで。