ご依頼は恋の話2/いちひふ/5435

 送ったメッセージに返信があったのは昼前だった。ちょうど仕事と仕事の合間の時間帯で、今回も長居はしないつもりで伊弉冉一二三のマンションに向かった。
 前回同様にエントランスでコールして入れてもらい、部屋の前で改めてインターホンを押す。そこまでは一緒だったが、今日は金色の髪に寝癖をつけてスウェットの隙間から腹を掻きながらのお出迎えだった。完全にオフモードだ。
「いらっしゃーい。寝起きでめんごりん」
 ふざけた喋りにたっぷりと眠気が混じっている。
「寝てたとこすんません。……出直してもいっすよ?」
「ノーノー、ノープロブレム。ちゃんと目覚ましで起きてるから二度寝はノー」
 両手の人差し指でバッテンを作っててろてろと部屋の奥に入っていく。この間とは別人みたいだ。
 部屋は相変わらずきれいに片付いていたが、カウンターに一食分の食器と丸めたラップが置いてある。起きたばかりになのにすでに昼食が済んでいるのかと思った矢先に腹が鳴った。俺のじゃなくて一二三の。
「あー、腹ぺっこぺこ。いっちん昼飯は?」
「まだっす」
「そんじゃおれっちとランチミーティングしよ!」
 そう言って着替えないままキッチンの冷蔵庫を開け、中から卵を取り出した。
「うどんとチャーハンとオムライスなら何派?」
「いや、俺は……」
「一人で食べんのさみしいっしょ!おれっち仕事でいっぱい接待してきたからいっちんが俺と一緒にご飯食べて接待して!」
 接待なんて言いながら自分でチキンライスを作り始めた。肉はベーコン。刻んで香ばしく炒め、玉ねぎとマッシュルームを加えて更に炒める。
 寝起きに訪ねてきて飯を作ってもらうばかりも悪いから上着を脱いで隣に立った。米を炒め始めたのを見て、水切りカゴに伏せてあった汁椀に卵を割る。家だとオムライスの卵は一人二個だけど、一二三が冷蔵庫から出したのは二個。一人一個だと卵が薄っぺらくなるがいいんだろうか。
 俺が卵を拾い上げるとチキンライスを作っている隣の五徳にもう一つフライパンが用意される。礼を言って火を入れ、油を敷いた。
「一二三さん、卵一個ずつでいいんすか?」
「なになに、いっちん足んない?冷蔵庫にまだあるから好きなだけ使ってちょ」
 自分だけ足すのも気が引けて迷っていると「卵一個で遠慮しなーい!」と言われて素直にもう一つ冷蔵庫から出した。一人分ずつ椀に割る。
「あっれー、卵割るのチョー上手くね?」
「そりゃ家で毎日やってっから」
「そしたら、片手でパッカーンできる系?」
 卵にひびを入れて片手で上下に割ると、とろりとした黄身が滑り落ちたタイミングで大げさなくらいの喝采を頂いた。一瞬フライパンと木べらを手放してまで拍手してくれる。弟たちだって流石にこれぐらいじゃこんなに称賛しない。
「かっけー!っつーかいっちん、手おっきくねー?」
 チキンライスの炒め具合に満足して火を止めた一二三が右手をパーにして掲げるから同じように左手を開いて見せた。身長も、肩幅も俺の方がある。手も少しだけ大きいかもしれない。一二三は傷のないすらっとした指をしていた。
 なんだか合コンで女の子がするトークみたいだな、と思って一二三の手との間に十五センチほどの距離をキープしていると軽く打ち合わされた。
「イェーイ!」
 何に盛り上がっているのか分からないけど何だかちょっと面白くなってきて、パーのままの白い手に拳を向けると今度は拳がぶつかる。正面から。九十度傾けて上から、下から。トン、トン、トン。
「メシ作ってる途中で何やってんだよ」
 笑っている間に卵用のフライパンから湯気が立ち始める。熱しすぎた。
 俺も一二三も炊事には慣れていて、二人分のオムライスは満足いく出来上がり。途中気が付いたことだが、うちで作るオムライスより米の量が少なかった。これなら卵ひとつでも丁度良かったかもしれない。
 スープはインスタントのコンソメスープ。テーブルにスプーンと皿を並べる間に一二三がケチャップを持ってきた。
「よーっし、いざなみひふみ、ハート書きまっす!」
 言いながらもう書き始めている。大きなハートマーク。
「こういうの漫画で読んだな……」
「漫画?」
「昔はメイド喫茶っていう……メイドさんのコスプレした女の子のいるカフェがいっぱいあったらしいんすよ」
「うぇー……」
 嫌そうな顔だ。
「そこでオムライス注文するとメイドさんがハートとか書いてくれて、美味しくなる魔法かけてくれるっていうサービスがあって」
「美味しくなぁれ!的な?」
「それ。萌え萌えキュン、とか」
 古い漫画ではオムライスに向けてメイドさんが指を振っていたが、実際はどういう作法が正しいのか不明だ。戦前に流行った業務形態の店だが、女性政党が政権を取ったH歴では復活の余地もない。
 現在はキャバクラやスナックがあるくらいで、オタク客に特化して女の子が接客するような特殊な店はない。大抵の女は男の接待なんか高額な給料でも貰わなきゃやりたがらないだろう。大体にして女性スタッフばかりの店が珍しい。そう思うと中王区内にはメイド喫茶もあるのかもしれないが、とにかく壁の外では成立が難しい商売だ。
 俺の話を腕組して聞いていた一二三はふむふむ頷いてから両手の親指と人差し指でハートを作ってオムライスに向ける。なんだかそれっぽい。
「美味しくなぁれ!モエモエキューン!」
「おお……」
 萌えというか歴史を紐解いたような、ちょっとした感動がある。やってくれたのはフリルのエプロンとカチューシャをつけたメイドさんじゃなくて寝癖のついたホストだけど。これはメイドさんとまた違ったジャンルだ。
「これアリ?店でもやったらウケっかな?」
「店でオムライス出てくんの?」
「出てこなくはない。それにケーキとかでもいけんじゃね?バースデーとか」
 まだ寝間着姿なのに仕事熱心だ。
 俺が焼いた卵と一二三が作ったチキンライスによるオムライスは美味かった。家で作るのより本格的なレストランっぽい味がする。まず家のオムライスにマッシュルームは入らない。肉、玉ねぎ、ピーマン、コーンやエリンギが基本だ。
 食べている間も卵がきれいに焼けているだとか、俺の今日の仕事はどうだとか、食事の負担にならないペースでいくつも話題を放ってくれる。お陰で一二三の食事はゆっくりだ。
「なあ、俺に接待しろって言ったくせにアンタが俺を接待してんじゃねぇか。こっちはいいから遠慮なく食べな」
 俺の方が多めだったのに皿の上には米一粒も残っていない。対する一二三は半分くらい食べたところだった。
「接待っつーか、いっちんと昼飯食えて楽しーなって思ってんの!」
 スーツ姿の時とは別人のような明るい笑顔でそんなことを言われると依頼の件で交渉しに来たことも忘れそうになる。仕事モードじゃなくても相手は売れっ子ホストだ。侮れない。
 十歳も年上なのに態度の緩さのせいか歳の差をあまり感じなかった。
 前回はこちらが一方的に苛立って交渉決裂して帰ったもんだから今日も話し合いが拗れることを想定してやってきたのに、到着してから一時間近く経つがオムライスにかまけて肝心の話ができていなかった。でも折角の飯がまずくなってもいけない。一二三が食べ終わるのを待ってからだ。
「…………いっちんさー、あんま見つめられると照れるんですけど」
 手持無沙汰で食べているところを見ていたらスプーンの丸みで尖らせた唇を隠して苦情がくる。無自覚だった。慌てて顔ごと目を逸らす。
 同じ人間でもスーツ姿の時と今の一二三は体温が二度ぐらい違って見える。それが不思議で、黙って食事している間はその中間のような気がして整った容姿を見ていたら適当に視線を外すタイミングを逸した。
 しばらくスプーンで皿をつつく音が続いて、音が止まったところで皿に向き直った。片付けの前に手を合わせる。
「ごちそうさんでした」
「ごちそーさまでした!」
 片付けは先に立ち上がってすべて引き受けた。世話になりっぱなしだからそれぐらいして当然だ。
 皿を洗う間に一二三が別室に着替えにいったので、もしかしたらスーツで戻ってくるかもしれないと身構えたが寝間着と大差のないパーカーで戻ってきた。
 リモコンでテレビをつけたかと思うとそのままシンプルな構成の動物ドキュメンタリーを再生し始める。野生動物をひたすら追ったものだ。
 騒がしいこちらの一二三が好んでみるのは意外でそれとなく尋ねると「こういうのは絶対に人間の女の子出てこねーから」とのことだった。
 食器や調理器具を一通り洗って水切りカゴに置き、チーターの子供がじゃれ合っている姿を見ていた一二三と同じラグの上に腰を下ろす。前回はソファの上に座った一二三を見上げていたけど、今日はラグの上に胡坐をかいて同じ目線にいた。
「仕事の話してもいっすか」
「うん」
「あれから彼女、店には?」
「昨日来てったから無理しないでねーって言って、代わりにいっぱいメールするねってことにした」
「そっすか」
 それでもまた遠からず来店するんだろう。本当にメールで穴埋めするとなると、場合によっては一二三の負担が大きい。だけどこちらの依頼についての打開策がそれとなると心配を口にすることができなかった。
 代わりに同じ話を繰り返す。
「やっぱり店に通うのやめるようにってのは」
「ナシ。それはダメっしょ。本人が自主的に辞めるっていうなら引き留めねーし、店に来なくても元気にやってくれるならいいけどさ」
 こっちの一二三でもそこは変わらないらしい。別人のようでいて同一人物だ。切り替わる際に記憶が途切れるといったこともない。これだけ性格に差があるのに一人の人間としての一貫性はある。
「アンタ、女性恐怖症だっけ」
「うん」
「それでも仕事中じゃない今でも恋がどうとかって言う気なのかよ」
「うーん…………」
 記憶は繋がっていても人格ごとに考えの差はあるらしい。この間さらさら述べた言葉は出てこない。しばらく唸ってから視線を画面の中のチーター兄弟に向けて言う。
「例えばの話すっけどさ、いっちんて多分めっちゃがんばってるっしょ。弟クンたちのために」
 こちらを振り向いて眼差しで褒められる。ヘーゼルの瞳が穏やかに細められた。
「自分だって……もう二十歳になったんだっけ?そんなに若いのに一家の大黒柱として働いてメシ食わせて自分の身削りまくって、でも弟たちがいるからがんばれる!って思ってんじゃねーの?」
「それとこれとは関係ないっしょ」
「聞けって。そんな風に頑張ってんの偉いと思うけどさ、弟くんたちが心の支えな訳だろ?その弟くんたちが『僕らは自力で生きるからお兄ちゃんは自分のことだけしてて!会いにも来ないで!』って言われたら、しんどくない?俺はもう要らないの?ってさ」
 うちの弟たちは絶対にそんなこと言わないし一二三のモノマネは全然似てなかった。
 それなのに、縁遠かった話が急に目の前に差し迫る。それらしいことを言ったのは弟たちじゃなく、広神の件を依頼してきた女だった。
 確かに弟たちと暮らすために苦しい思いをした時期もあったし、女が言うように恋人なんか作る余裕もなかった。だけど今はずいぶん楽になった方だ。自分の人生を犠牲にしているとは思わない。
「俺は別にそんなこと……」
 ──ない。例え話を否定しようとすると、会ったこともない広神アスミが頭の中で同じセリフを吐こうとする。
『一二三のために自分の人生を犠牲にしてるわけじゃない。一二三がいたから自分の人生だって打ち捨てずにいられた』
 ────弟たちの犠牲になっていたわけじゃない。
「…………血のつながった弟とホストは違うだろ」
 逃げのようなセリフが口を突いて出る。言うべきなのはそれじゃないのを分かっているのに。
 こちらの躊躇いを見て見ぬふりをしているのか、一二三は変わらない調子で金髪を揺らして首を傾げた。
「まあ、でもそこは言いっこなしじゃん?何が大事とか本人次第っつーか?たまたまおれっちがホストだったから店でお金使うのがイコール尽くすことになってっけど、労力とか時間とか金とかさ、その健全に差し出せる範囲を超えちゃってて周りに心配されてるとしても、これまでやってきたことの否定みたいになって急に放り出されると不安になっちゃうんだよ。店の外ではおれっちはフォローできないから、無責任なことはできねぇ」
 彼女を店から遠ざけることはできないけど、来店を許していれば借金苦で彼女は詰む。このままでいいわけがない。
 脳内で『違う、放っておいて』と騒ぐ空想上の広神アスミに首を振る。
 もし実際に弟たちが俺のやることを拒絶する日が来たら、その時は弟たちを信じて手を離す覚悟をする。俺のやっていることを弟たちが間違いだというなら、弟たちを信じる。
 幸か不幸か、弟たちは二人とも自立する時期に差し掛かっていた。現実味を帯びた仮定に胸の中で無理やり決着をつけ、自分の中で生まれかけた矛盾を打ち捨てて真っ直ぐに一二三に向き合った。
「それでも彼女は間違ってる。借金で生活が潰れる前に突き放してやるべきだ。その後のフォローは依頼主にも相談して周りでなんとかしたらいい」
 シンジュクには寂雷もいる。友人やカウンセラーを紹介して、それでもどうにもならず危ないと判断した場合の最終手段だが。
 一二三は頑固な俺を笑うでもなくガラステーブルに頬杖をついて、ちょっと困ったような表情を浮かべた。
「いっちんは自分にも他人にも厳しーよなあ」
 もっと自分を甘やかせばいいのに、と。