ご依頼は恋の話4/いちひふ/10617

「そういや、おれっちから依頼したいことがあんだけど」
 昼飯の終わりに携帯を確認して思い出した様子で一二三が言い出した。
「いっちん、うちの店に体験入店してみねぇ?」
 ホストクラブへのお誘いだった。

 豪奢なシャンデリア、店内の調度品はあちこちに金の装飾が施され、シルバーはすべてピカピカに磨き上げられている。これがH歴で女をもてなすための店か、と思えばそうでもないらしく、ホストクラブってのは昔からこうらしい。付き合いや仕事の関係でスナックぐらいは入ったことがあったが、ここが歌舞伎町一番のホストクラブだからか、とてもじゃないが比べ物にならなかった。
 まだ開店前だが開店後には着飾ったホストと客が配置され、高い酒が飛び交う。異世界だ。
 普段着のままスーツ姿の一二三に連れられて店に到着すると特に重役に挨拶をすることもなく、すれ違うスタッフに軽く挨拶しながらスタッフルームに案内された。スタッフルームはシンプルだ。ロッカーが整然と並び、飾り気のないテーブルとイス。それから壁際に大きな鏡とライトのついた化粧台が数席。その一つに座ってスタイリストに髪をセットされている男が鏡越しに「おはようございます!」と挨拶した。一二三にだ。
「チーッス、結局何人休みだって?」
「社長入れて八人っすかね」
「牡蠣ヤバくない?ってかユズくん牡蠣パ呼ばれなかったん?」
「お、ディスっすか?俺アフター行ってたんで。一応支店から誰か来てくれるらしいんすけどちっと厳しいっすね」
「オッケオッケ。いっちん、そこのハンガーラックのスーツからサイズみてちょ」
 指さされたスタッフルームの奥にはサイズも色柄もまちまちのスーツが何着も吊るされている。大きい方からサイズを見て「この辺」と教えると、一二三が同じサイズの数着から黒に近いダークグレーのスーツと臙脂のシャツを選び出した。成人式も出席しなかったし冠婚葬祭にも縁がないからスーツの好みなんかまるでない。言われるまま着替え、着替えている間に用意された革靴に足を入れる。髪がぼさぼさのせいか無理して粋がってる若いヤクザみたいだ。
 だけど一二三は「いいね、ちょー似合う。最高にカッコイー」とべた褒めだ。
「はぁ……そっすか」
「あとは髪だけど……」
 振り返ればまだスタイリストは鏡の前のホストにかかりきりだ。
「一二三さんすいません、後五分ぐらいです」
「いいよ、ゆっくりやってて。こっちの男前はおれっちが世界一カッコよくすっから」
 軽く手を振って使用中の席の隣の椅子を引いた。客の女だけでなく男まで褒めて椅子を引くのか。すでに不安だ。これから俺がこれをやるんだと思うと自信がない。
 急かされて鏡前に着席すると袖を捲り上げた一二三が後ろに立った。一二三は一旦指輪を外して近くに用意された小物トレーに置き、乾いた指を髪に通す。適当に前髪を上げてみたりサイドだけ後ろに流してみたりする。ちょっとくすぐったい。
「うーん、オラオラっぽく前髪上げちゃう?」
 両手でパサついた前髪を集めて後ろに流し、手で押さえられると生え際が見えた。これはあまり良くない。
「なしで」
「即答?カッコよくね?」
「ちょっと……昔のこと思い出すんで」
「あー、そーね」
 曖昧に告げてもピンときたようだ。チームを組んでいたころの左馬刻がこんな髪型にしていた。
「りょ。じゃあこんなかんじで」
 前髪から手を離し、左サイドを後ろに流した。少しねじったり編み込めるか摘まんだりしてから手元でヘアワックスの蓋を開ける。シトラス系のいい匂いがした。
「そんじゃ王子になる魔法かけっからいっちん目瞑ってて」
「何言ってんすか」
 だけど素直に目を閉じる。ワックスのにおいが近くなる。最初に髪にワックスをなじませて、左のこめかみの上あたりで小さな束を作っては軽く引いて、耳の後ろの辺りに集めてピンでとめる。それを繰り返した後で前髪や右サイド、襟足を納得いくまでまとめたり散らしたりしてからスプレーの音がして「おっし」と満足げな声が聞こえた。
「はぁい、変身完了」
 指を鳴らす音を合図に目を開く。丁寧にヘアセットされた自分と目があって、それから屈んで肩に顔を寄せた背後の一二三と鏡越しに目が合った。
「うん、世界一カッコイイ。こっちの目の色の方が俺好き」
 髪のかからない緑色の左目の横で一二三が、ちょっと穏やかな、ホストモードの中間のような顔で微笑んだ。
「…………あざっす」
 どうも素直に褒め散らかされて戸惑う。ラッパーとしての腕を評価されたり中王区の女からの声援なら貰いなれているが、面と向かって、しかもこんな顔のきれいな男に容姿を褒められるってのはそう何度も経験することじゃない。褒められるたびに「いやいやアンタの方が」と言いかけるが、空いた隣の席に腰を下ろした一二三が先に自分で言った。
「ま、おれっちは宇宙一カッコいくなるけど!」
 冗談みたいな言葉を誰も笑ったりしない。手入れの行き届いたつややかな金色の髪をプロの手で整えられ、元から滑らかな白い肌に少しだけ化粧を施す。伏せられていた長いまつ毛が上がるのと同時にスタイリストと入れ違いに後輩ホストが上着を広げ、袖を通すと一分の隙もない、宇宙一美しい男が出来上がる。
 そのまま立ち上がって鏡の中の自分の出来栄えをチェックするように見つめ、それから惚けた顔でナンバーワンホストの支度風景を見ていたこちらに優雅に手を差し伸べた。
「それじゃあ行こうか、一郎くん」
 自信と甘さできれいにコーティングされた飴細工みたいな男だと思った。

 開店前の店内を一周してから基本的な挨拶の仕方やグラスの置き方、灰皿の交換やドリンクを頂いた時の作法なんかをレクチャーされる。席はすべてソファだから椅子を引くことはない。
 今日は一応体験入店扱いで、最初の数時間は一二三とセットで席に着く。慣れてきたら一二三が別の指名客の席に着く間の繋ぎとして配置される。本来はまだ一人で相手をさせるべきじゃないが、問題さえ起こさなきゃいいと言われている。
「何を話せばいいか悩むだろうけど、一郎くんは元々有名人だから。プリンセスの方が興味津々だろうし大丈夫さ。姫の年齢と容姿と仕事の話は基本的に禁句だからそれだけ気を付けて」
 後は習うより慣れろだ。先に言われた通り、一二三のお供として一二三指名の客に挨拶するとみんな驚き、それから物珍しそうに話を振ってくれる。
「今日はどうして?」
「実は昨夜、うちの社長が何人か連れて牡蠣を食べに行ったらみんなで当たってしまって。僕が一郎くんにヘルプを頼んだんです。だからね、今日いらしたプリンセスは当たりを引いたんですよ。もちろんラッキーって意味で」
「これからもたまには出勤するの?」
「それは、今日お休みのみんなが復帰してから『また牡蠣を食べに行く予定は?』って聞いてみないと」
「一郎くんのファンの子に自慢しなくっちゃ」
「おや、僕のことは自慢してくれないんですか?」
 返答に困るとすぐに一二三が助け舟を出してくれる。ただし、話術を盗めるかというと話が別だった。気さくな客の席でグラスの静かな置き方や煙草の火のつけ方を練習させてもらって、少し慣れた頃に最初の独り立ちを迎えた。多少は緊張も解けて会話できるようになったつもりだったのに、急に初対面の女性を二人きりにされると不安になる。だけど元々人手不足で呼ばれた身だ。いつまでも一二三にくっついていられるわけじゃない。
 なんとか自分からも会話を試みるが、一二三といるときは上手くいった相手でも途端に上手くいかなくなる。一つの話題が広げられなくて途切れてしまって、次の話題を提供しようにもどんな話がしたくて何を気にしているか、相手のことは何一つ分からない。一二三はどんな客のどんな話題でも途切れさせることがなかったのに。
 中には一二三が席を去った途端につまらなさそうに携帯を取り出す女もいる。一二三の前じゃなきゃ俺に愛想良くする理由もないって様子だ。挙句の果て。
「ごめんねぇ、先々月のテリトリーバトルでシンジュクとブクロが当たった時のことアタシ許してなくってさぁ」
 やり合った俺たち自身が水に流していることを蒸し返してくる。バトルなんだからどうしようもないし、本来謝るようなことでもない。だけどそんなことを言われたら「すいません」以外に何が言える。
 気づまりで、接客の経験値もない。打開策を探しても見つけられずにいると、ボーイと他のホストがやってきてさり気なく交代を告げられた。ホッとした半面で不甲斐なさが募る。次の席に誘導される束の間にボーイに尋ねると「一二三さんの指示で」とのことだった。他の接客中は他所の席のことなんか見ていられないだろうに。
 ホストって仕事を舐めているつもりはなかったのに予想したより使えない自分に腹が立つ。
 もしかすると心の奥底では一二三のことだって、あのきれいな顔で売れていると無自覚に侮っていたのかもしれない。ラッパーとして有名になってから音楽に興味はないという女にまで好かれることがあったし、現実に容姿だけで人を好きになったりする人間はいる。
 でも、性格も好みも違う沢山の客を限られた時間で楽しませて嫌な気持ちひとつさせず、高い金を払ってもまた会いたいと思わせるのは並大抵じゃない。この数時間でそれを思い知らされた。情けない。
 あまりにしょぼくれた顔をしていたのか、途中でディレクターと名乗っていた年長スタッフに呼び止められて「一二三は別格だから真似しようとしなくていいよ」なんてフォローされる始末だ。
 だけどこのまま終わったんじゃ悔しくて眠れそうにない。自分の頬を張って気合を入れ直した時、来店客の案内や事務仕事を担っている内勤スタッフから声をかけられた。
「一郎さんに場内指名です。本指って言われたんですけど体験入店なのでヘルプで、ってことで。いけます?」
 それまで一二三ヘルプばかりだったからか、指名となると何か違うものなのか、迷うような確認が入った。ヘルプならこっちは断る理由がない。今度こそ何かしらの成果を上げてやるつもりで引き受けた。
 もう一人、本指名として選ばれたプレイヤーと二人で新規来店客の席に伺う。一二三がやっていたのと同じようにここでの作法に従い、挨拶を済ませて席に着く。卓での優先順位は客、本指名や役職の上のプレイヤー、そしてヘルプだ。気合を入れてきたのはともかくとしても、でしゃばるつもりはなかった。だけど、
「ホントに一郎くんだ!さっきね、他の姫がSNSで書いてたの見つけてびっくりして来ちゃった。急にごめんなさいね、すっごいファンで」
 三歳年上で経験もそれなりの先輩ホストはニコニコ話を聞いて圧倒される俺の分まで相槌を入れているが本指名にも関わらずほとんど無視されている。次々投げつけられる質問に答えるので手一杯の俺に代わって先輩が酒を作って卓に三つ並べた。多分これはあんまり良くない、良くないというかマズイ。今日限りのヘルプだからまだいいのかもしれないが。
 あまり経たないうちに俺でもわかった。この客は別にホストクラブ、少なくともこの店には然程の興味がない。きっと俺が出勤しないとなれば次の来店もないだろう。だからといって今日のうちに多めに金を使うってわけでもなくて、アイドルコンサート感覚で行きたがって行けなかったテリトリーバトルの代わりに来店している。安価に設定された初回料金でほとんどマンツーマンで会えるんだから、MCとしてのパフォーマンスに入れ込んでるわけじゃなく見た目とか単純なキャラクターだけを見てファンになった人間ならライブチケットよりずっと安上がりでずっと得ができる。
 一二三の客にもテリトリーバトルから一二三を知ったという女性もいた。それでも、一二三が常に出勤しているプレイヤーということを差し引いても、彼の客はこんな風じゃない。
 客はずっとはしゃいだ様子で俺の話をするのにちっとも嬉しくなくて、それどころか相変わらず無視された先輩ホストのことやイケブクロ以外のチームに対する敬意に欠ける物言いなんかにイラついてしまう。
 客のペースに押されているうちに、どうにも話に割り込めないお陰で本来的には俺がやるべき雑事を引き受けていた先輩の頑張りで最初に置かれたハウスボトルが底をついた。当然先に気づいたのは先輩ホストだし本指名も彼のはずだけど、オーダーを促すのは自分がやるべきじゃないと分かっていてこちらに目配せをくれる。こうした売り上げのために営業しているのがホストクラブだ。小さく頷いて客がグラスを三分の一まで減らしたタイミングで口を挟んだ。
「すんません、ボトル空いちゃったみたいなんで何か頂いてもよろしいですか?」
 それで先輩の持つ瓶にちらりと視線が向けられたが、
「ううん、大丈夫。それよりもうこの店に出勤しないなら萬屋さんの方に直接お仕事お願いしていいかしら」
「……仕事?」
「そう、何でもいいんだけど……家のお掃除とか?買い物の荷物持ちとか、ああ、ボディガードってことで一緒に飲み歩きに行ってもらうとか。ここよりゆっくり過ごせるでしょ?」
「お断りします」
 間髪入れずに告げた。先輩ホストが慌てて止めるような素振りを見せたが遅い。
「お客さんは何か勘違いされてらっしゃるようですが、萬屋は接客業じゃないんすよ。接待されたけりゃ正当に店に来て行儀よく遊んでもらわなくっちゃ」
「は、何で怒るの?」
「一郎くんダメ、ストップ!すいません、悪気があったわけじゃないんですけど」
「今勘違いとか言った?!」
「いや、あの、一郎くん頭下げて」
 後頭部を押さえつけられて頭を下げはしたが、放った言葉を戻すような詫びの言葉は出てこない。黙って頭を下げていると激高する客の声や、繰り返し詫びる先輩の声の向こうで異変に気が付いた他の卓のざわめきや人の近づく気配がした。もうここで店から摘まみだされてもいい気分だった。ほんの数時間でもホストって仕事がどんなに難しくてそれぞれが努力して成り立っているかわかったのに、別にホスト達に興味もない、俺自身のことだって上っ面しか見ていない女にどうして全てを馬鹿にされなきゃいけないんだ。
 もっと言ってやりたいことはあったのに十分我慢した方だ。一二三の顔に泥を塗る結果になったのは申し訳ないが、もうこれ以上何かして好転できるとは思えない。
 床に視線を落とした視界の端に誰かの靴の先が見えた。こうしたトラブル処理は内勤の仕事だと聞いたからさっきの内勤スタッフか。お前はもう帰っていいと言われるのかもしれない。頭に先輩ホストの手が乗ったままで裁きを待っていると、その男はふわりと膝を折った。よく知る甘い香りで顔を上げる。
 一二三だった。他の卓についていたはずの一二三が自分の客ですらない卓に跪いて、愁いを帯びた目で客に頭を下げる。
「申し訳ございません。こちらの者に無作法があったようですが、彼は僕が教育していたので僕の責任です。指名も受けておりませんのにお席に参上したご無礼もお許しください。……よろしければお詫びにお酒をご馳走させていただきますので、彼の代わりに僕がご一緒してもよろしいでしょうか?」
 怒っていた客も一二三に傅かれると勢いを失って前のめりだった体をソファに深く置きなおした。
「指名しないわよ」
「もちろんです。姫のお心を癒せるのなら」
「またその安ボトルなら要らないから」
「貴女にぴったりのお酒を心を込めてお選びします」
 ナンバーワンにそこまで言われてまで意地は張れない。肩を叩かれて席を離れた俺と入れ違いに一二三がヘルプについた。すれ違う時にも何も言われず、そのことで尚更打ちのめされた気がした。

 一度スタッフルームに戻ってのろのろ着替えを探していると内勤スタッフが顔を出した。
「あれ、帰るんですか?」
「はぁ、いや、さっきはすんませんした」
 頭を下げる。
「謝る相手が違いますよ。でも一二三さんに自分の姫の席にだけ付けるよう言われてたところを曲げたのは私なので」
 自分がやらかしたことの責任を一二三や、内勤。自分以外の人間に取らせるのは嫌なもんだ。苦虫を噛み潰したような顔をしていると、
「大丈夫ですよ。酒の席なんで誰でも大なり小なりやらかすもんです。それはそうと、ヘルプに入って欲しいんですけど」
 もうお役御免と思っていたから驚いた。目を丸くして内勤の顔を見つめた。
「今度こそ一二三さんのお客様が来店されたんですけど、なんというか、クセのある方で。いつもヘルプにつけてる子が今日は休みで、後は一二三さん以外話についていくのも大変だから私もどうかと思うんですけどね」
「そんなトコに俺が着いていいんすか?」
「一二三さんが一郎さん向きだからって言うんですよ」
「…………」
 これが今日の最後のチャンスか。開けたロッカーを閉め直し、反対側の壁に据え付けられた鏡に映る自分を見る。一二三の言葉を思い出して、拳でひとつ胸を叩いた。
「行きます」
「それは良かった」
「……で、どんな方なんです?」
「それがね、コアなアニメオタクで……」
 ああ。それは間違いなく俺向きだ。

「いっちーん、帰るぞー?」
 肩を揺すられて顔を上げると、店は店内BGMも切られて随分と静かになっていた。一応は客を見送った記憶があるが、閉店の片付けを手伝おうとしてから先の記憶が途切れている。ちょっと眠っていたらしい。見上げた一二三もスーツのジャケットを脱いでいた。
「ん……すんません。片付けは……」
「いいよ、後はこのまんま残して開店前にやっから」
 見るとフードの皿はどこの卓も片付いているが、おしぼりやグラスはちらほら残されている。
「いっちんもおれっちのマンションに一緒に帰ろ。これからブクロまで帰んの大変っしょ?」
 腕を引かれて起き上がる。まだ酒が残っていてしゃっきりしなかった。テーブルやソファの背もたれを支えに立ち上がった際に自分の服装が目に入った。まだ借り物のスーツのままだ。
「すんません……今、着替えてきます」
「いいって。俺っちが着替え持ってきたからうちで着替えな。そのスーツはおれっちが預かるからさ」
「……すんません」
 つい謝ると「いっちん独歩みたいになってんぞ」と笑われた。
 店を出る直前に「そうだ」と言って封筒を差し出された。中を検めると思った以上の給料が入っている。
「なんか……多くないっすか?」
「別に色付けたりしてねぇよ。最後の子、おれっちのお客さんだったけどいっちんが頑張ったからシャンパン入れてくれたんだぜ?」
「あれは俺の頑張りっつうか……ちょうど彼女の好きなアニメの二期監督続投決まったとこだったからで」
 たまたまヘルプでついた客と同じアニメにハマってたから友達同然に話していて盛り上がっただけだった。いや、たまたまじゃないか。定期的に昼飯を一緒に食べている一二三には自分の趣味の話もしていた。それこそ今見ているアニメの話なんかも熱心に聞いてくれるから。それを逐一覚えていて彼女に引き合わせたのは一二三だ。
「ウケる。お祝いだとしてもシャンパン開けてもいいな、ちょー楽しいなって思わなきゃ入れてくんねーよ。だから安心してとっとけって」
「…………うっす」
 大失敗した日の帰り道なのに気分がよかった。フラフラすると一二三が支えてくれた。
「いっぱい飲まされたなー。でも初めて自分で勝ち取ったシャンパンは格別に美味いよなぁ!」
 いつの間にか一二三も同じ卓に戻って一緒に飲んでいたし、他の卓でもらった分まで含めたら一二三の方がよっぽど飲んでいるはずだが平然として軽快に喋る。これが慣れの差か。
 だけど頬がうっすら赤くなっていた。
 足元を見て歩くとよろけるから道の先に目を向けてゆっくり歩きながら、小さく頭を下げる。
「今日は、すんませんした。怒らしたお客さんのフォローしてもらって……」
「んー。まあ、ありゃ仕方ないっつーか。事情聞いたけど、いっちんの言うことも分かるし。ちゃんとお見送りンとき自分でも謝ったじゃん」
 そんなのは内勤に言われたからだ。さすがに多少は頭も冷えてきちんと詫びを口にしたし、一二三のおかげで客ももう怒っていなかった。
「フツウにパネル見て指名貰ったっていざ喋ってみたらあんま合わねぇことってあるしさ。だからうちも初回は何人か選んでもらって順に接客して、実際気に入った奴を本指にするシステムとってるし。そこを上手く調整すんのが内勤の仕事なわけ。おれっちだって誰からも好かれるわけじゃねーしな」
「一二三さんを嫌いな客なんていないっしょ」
「と、思うだろ?でもナンバー争いしてるプレイヤーの客にとっては敵だったりするわけよ」
 ライバル関係はテリトリーバトルでもあるし、実際に今日も一二三のファンから問答無用で敵意を向けられた。でもそれは俺や一二三の人格とは関係ないことだ。
「それでいいんだよ。そのために色んなキャラ揃えて営業してっから」
 そう言ってカラカラ笑う。店の中ではスタッフ同士は仲良くやっているように見えたが、在籍するホスト達は毎月明確な順位づけされる。店は煌びやかで楽しく過ごす場であると同時に戦場だった。
 この人はもう何年も戦場に身を置き続けている。
「むしろいっちんは今日が初日だったのに、すぐ気がついてやれなくてごめんな?」
「………………」
「なに?」
 黙り込むと首を傾げて顔を覗き込んでくる。柔らかく巻いた髪が揺れる。
 仕事中はもっとシャープで厳しそうにも見えるが、こっちの一二三はひたすらに気さくでゴムまりのように柔らかくて明るい。
「……アンタと喋ってると、なんか不安になる」
「え、なんで」
「こんな甘やかされすぎて大丈夫かって」
「えー、一番付き合い長いの独歩だけど言われたことねぇよ」
「あの人は、他のことで不安が多くてそれどころじゃねぇんじゃねぇかな」
「ウケるわ」
 一二三と幼馴染の観音坂独歩がルームシェアするマンションに何度か訪れて昼食を食べているが、話に聞く観音坂独歩は結構生活がだらしなくてほとんどの家事を一二三が請け負っている。一二三は「独歩は仕事大変だし俺は家事嫌いじゃねーし」なんて言うけど傍目には甘やかし過ぎに見えた。人の家の事情に口は挟まないが。
 つい、独歩に対して母親みたいだと漏らしたら一際優しい目で「頑張ってたら応援してやりたくなるじゃん」と笑った。
 伊奘冉一二三は本質的にそういう男らしかった。だからこそ女性恐怖症にも関わらずホストが天職なのかもしれない。
「…………あのさ、酔っ払いついでに話すんだけど」
「お、言っとけ言っとけ」
「昔、まだ兄弟揃って施設にいた頃、弟達と施設出るために金が必要でさ」
「昔って?」
「三年前か、そろそろ四年前ぐらいか」
「政権交代前からか」
「そう。それで、今よりずっとガキだったし、稼ぐアテもなくてさ、なるべく金のいい仕事探してロクでもないことやってて」
「うん」
「そん時は雇い主にもそれなりに気に入られてたけど、働きぶりを褒められても嬉しくなかったなってこと思い出して」
 闇金のオーナーに声を掛けられて子供にとっては高額の給料と引き換えに取り立てをやっていた。だから、古い友人から受けた借金女の末路もすぐに予想がついた。
 知る限りでは借金なんかする連中は博打だのアル中だの、無計画に会社経営した末に引き際もわからず負債を抱えたバカばかり。早めに置かれた立場に気がついて真面目に働けば闇金まで落ちなくて良かったような人間も少なくなかった。今もそんな奴らは自業自得だと思う部分もある。
 だけど、そんなクズにも家族がいた。夫が浪費家で働いても働いても手元に金の残らない妻や、両親に金がないからひもじい思いをする子供。いっそ親がいなけりゃ施設で毎食決められた食事にありついて清潔な布団で眠れたかもしれないのに。
 子は親を選べない。逃げ方もわからない痩せた子供に俺がしてやれることはなくて。自分の守るべき弟達のためだと思って粛々と仕事をこなしながらも、突然家にやってきたヤクザ者に怯える顔や「怖い」だとか「お腹空いた」だとか喚く声を覚えていた。
「……やりたくねー仕事だった?」
「まあ、ホストもアンタに言われなきゃやんなかったけど。……でも今日は失敗もしたのに、良かったなって思った」
「お客さんも良い顔して帰ってったぜ」
「うん。そんで、だから、昔の仕事見つける前にアンタと知り合ってたら何か違ってたかな、誰か傷つけるんじゃなくて人に喜ばれることで稼ぐ手段もあったかな……みたいな事考えちまった。酔ってるな。忘れてくれ」
「おうおう、なんならもっと飲んで忘れちまう?」
「まだ飲むのかよ……」
「今日はいつもより忙しくしてたから席回すのに手一杯でお客さんへのおねだりセーブしてたし?」
 嘘はないらしく、本気でマンションに着く直前のコンビニに寄ってつまみと缶チューハイを買い込んだ。マンションの玄関には疲れた脱ぎ方の革靴が一足あって、静かに上がる。
 上着だけ掛けてコンビニで買い込んだ酒とつまみを開けながら、いつもはランチばかり食べているローテーブルに肘をつく。
「でもさ、人生って何か一つでも違えたら未来が変わるっていうじゃん?」
「あー、タイムトリップものでよく言うな」
「何?アニメの話?多分そんなかんじ?で、そしたら俺は先に知り合ったいっちんとチーム組んで先生とは組まなかったかもしれないし」
「ホストクラブ内でチーム作っちまったり?」
「そうそう。それも楽しそーだけどさ、俺は先生達と組んでた時のいっちんもカッコいくて好きだったから」
 缶を口に当てていた手が止まる。気分良さそうに目元を蕩けさせてそんなこと言うから。いや、他意はない。酒のせいだ。
「だから、過去に悔いとかあってもさ、今の人生でも良かったんじゃね?みたいな?」
「ん、そうだな」
 妙な動揺を自覚して落ち着かなくて、缶の残りを勢いよく煽った。
 昔のチーム時代も、今も、目立てばそれ相応に褒められることもある。熱烈なファンもいるし、今更何を焦ることがあるんだか。
 その夜はそれを、ホストという仕事をとおして得た一二三って男への尊敬ゆえということにした。きっとそう。
 次の酒を掴んだ時に「まだ飲むのかぁ?」という声がその日最後の記憶だった。