テリトリーバトルは今回も盛況で楽屋まで歓声が響いてくる。室内に設置されたモニターでは一回戦第二試合のシブヤ対シンジュク戦が決着するところだった。
先攻のシンジュク最後のバースでは寂雷が仲間に回復を施すことを選択した。敵の精神力を削り切れないとみての判断だ。今日のシブヤは勢いに乗っていたから後攻を取られたのは厄介だった。一二三と独歩も調子は悪くなかったが、シブヤの連中の口を塞ぐことは出来なかった。そうなると最後の攻撃を受け切って立ち続けていなければならない。
守りに入ったシンジュク相手に舌なめずりしてシブヤがマイクを構える。
一番に斬り込んだ有栖川帝統の一小節目を聞いたところで椅子を立った。
第一試合でヨコハマとやり合った疲労でテーブルに突っ伏してモニターを見ていた三郎が重そうに頭を持ち上げて遠慮がちに言う。
「いち兄、結果出ますけど……」
気を遣わせてすまないが、見なくても結果はわかる。シブヤの勝ちだ。今回の決勝は俺たちイケブクロとシブヤが進む。
シブヤチームが映る合間に抜かれるシンジュクチームの苦しそうな姿に目を細め、努めて表情を和らげてから三郎に軽く告げる。
「おう。ちょっと外の空気吸ってくる。すぐ戻るよ」
ジャケットのポケットに両手を突っ込んで楽屋を出た。まだステージはシブヤとシンジュクの決着で賑やかで、外へ向かうスタッフ通路は人っ子ひとりいない。非常階段の扉をあけて外を見れば高い壁が見えた。
今俺たちはステージに上がるパフォーマーとして、選手として、闘犬として会場にいるが、この壁の内側から会場に集まってくる女の大半はチケットを買って遠くからステージを見に来ている。
テリトリーバトルのために中王区入りする前の晩に古い友人から連絡があった。古い友人であり、しばらく前に請け負った依頼の依頼主だ。
その依頼で関わった女性が今後の生活方針として中王区への移住を検討しているという報告だった。移住にはいくつか条件がある。負債がないこともその一つだ。自分で生計を立てておらず、壁の外に住む身内に扶養されている場合も移住が認められにくい。
この問題をクリアするのに時間はかかるだろうが、一度壁の内側に住んだら一二三の姿を見ることもなくなるだろう。テリトリーバトルで同じ壁の内側にいてもチケットがなければバトル会場に入ることもできない。一二三への依存を断ち切るにはこれ以上ないぐらい確実な方法だ。
彼女はちゃんと自分と向き合おうとしている。
背中で建物を伝ってくる遠くの熱狂を聞きながら、あの日スーツなしでマイクを握った一二三と、それを見つめていた彼女の姿を思い出した。
◇
「一二三、ちょっとお遣い行ってきてくれ。えっと、クリーニング屋まで」
独歩が自分でクリーニング屋に服を預けているなんて珍しいこともあるもんだと思ったんだよな。預かり控えも紛失したって言うし。
それでもすぐ行って来いってうるさいからマンションを出たらマンション前の生垣の端に腰掛けていた野生の若者が飛び出してきた。頭の中にゲームの戦闘BGMが流れる中、立ちはだかった山田のじろちん、さぶちんは腕組みでニヤリと笑った。
「待ってたぜぇ」
えー、ナニコレ。二人はズンズンこっちに向かってきて、何するの?ボコられるの?カツアゲ?と戸惑う俺を無視して左右から腕と肩を組んだ。俺より背の高い二郎の方が肩で俺より低い三郎の方が腕に絡んできた。右見ても左見ても圧がすごい。
えー、完全に裏路地コースじゃん。そんなノリじゃん?
「おい、笑えよ三郎!」
「二郎こそ仲良しって顔してないだろ!」
俺を挟んで喧嘩も始まる。仲良くしよーよ、二人とも作り笑いがバリ怖いから。
「何?俺っちと仲良ししに来てくれた系?」
黙って居られない性分なもんで、つい茶化してしまう。どうせ両サイドから怒られるんだろうな、と予想したのにところがどっこい。
「そうだよ!」
キレ気味にハモって肯定された。えー、何で怒ってんの?ていうか仲良くするテンションじゃないっしょ。喧嘩が終わったら今度は三郎の「さっさと行くぞ」の声で歩き始めた。ガラの悪い若者にガッチリ捕まって連れてかれるなんていよいよカツアゲじゃん?独歩は経験あるって言うけど俺は初体験。知り合いにカツアゲされるとかマジウケるんですけど。こりゃ独歩もグルだな。
行き先は路地裏とかじゃなく駅だった。質問も文句も却下で電車に乗せられた。電車は女子も乗ってるから地雷原なんだけど。それを言ったらじろちんてば「思う存分しがみつけや」だって。ヨッ、男前!でも全然仲良しって表情じゃないよ!何企んでんの!
当然周りから好奇の視線を浴びまくり。だけど二郎が周りに睨みを利かせてたもんで直接アタックしてくるヤツはいなかった。
降りたのはイケブクロ駅だ。まあそこまでくりゃ行き先は読めたね。予想の通り、二人に解放されたのは萬屋ヤマダ。二人の家だった。
◇
「ふぅ……こんだけ歩きゃたっぷり写真撮られただろ」
「二郎がわざとらし過ぎたから記事になるかどうかは分からないけどな」
「なんだと?!」
「まあ、週刊誌に載らなくても今頃ネットで拡散されてるさ」
朝から出掛けたはずの弟たちが一時間前後で帰ってきて玄関先で騒がしくしている。朝はいつの間にか出かけていて行き先を聞きそびれていたが、二人一緒とは思わなかった。それになかなか入ってこないから不審に思ってかき混ぜていた鍋の火を止め出迎えてみると、
「ちっちっちーっす!おじゃましまっすー!」
どういうわけか、弟たちと一緒に笑顔の一二三さんがいた。笑顔なのはいつものことだけど近所のコンビニでも行くようなラフな格好、つまりはスーツじゃなかった。うちに来るなんて連絡もなかったし、どうやら弟たちが迎えに行って連れて来たらしい。
「ごめんよ兄ちゃん。急に連れてきちゃって」
珍しく三郎と二人で何を企んでいるのか、二郎が眉尻を下げる。三郎も叱られるんじゃないかと身構えた様子で二郎と並んで俺のリアクションを待っていた。
二人の後ろに控えた一二三に視線を送る。謝るなら俺より一二三へすべきだけど、困った様子は微塵もなくウィンクなんかされたら叱るに叱れない。
「……はぁ。いいよ、カレーはたっぷり作ったし米もめいっぱい炊いてある。一人増えたって困りゃしねぇよ」
台所の戸を開けるとカレーと炊きたての米の匂いがあふれ出してきた。皿をもう一枚出さないといけない。
久しぶりのランチだ。弟は一緒だし、以前は昼食はいつも一二三のマンションだったけど。
カレーを食べながら弟たちから一二三を連れてきた理由やここまでのことを聞いた。まあ、予想はあったけど。
二人はわざと一二三と仲良くしているところをマスコミに見せつけたかったらしい。二人で一二三を挟んで街を歩き、電車でイケブクロまで来たんだそうだ。
「電車なんて女もいっぱい乗ってただろ。大丈夫だったのかよ」
「ぜーんぜんっ、大丈夫じゃなくて頭からじろちんの上着掛けてもらったりさぶちんがこの人具合悪いんで!ってガードしてもらってなんとか来たわけ」
苦労させられたわりに一二三の語り口調は軽い。弟たちは一二三の怯えっぷりを間近で見たことで多少は申し訳なく思ったのか、この話の間は口を挟まず静かにカレーを食べていた。
「二郎、三郎。お前ら……」
ちゃんと一二三に謝ったのか、改めて叱ろうとするのに被せて一二三がカレーの皿を掲げる。
「おっかわりー!勝手にいただきまーす」
こっちが立つ隙も与えず自分で炊飯器に向かう背中が叱ってやるなと言うからため息に変えて諦めた。二人に悪気があったわけじゃないのは俺だってわかっているから、一二三が許したならとやかく言えない。
食事の後は腹ごなしにゲームでやり合って、まだ時間があったからアニメの録画を見た。一二三と見る約束をしていたシリーズだ。
「うちでも録画はしてあんだけどまだ見てなくてさー」
女キャラがたくさん出てくるからあまり一人で見る気にならないと言っていた。なら一緒に見ようって誘ったんだ。
うちはリアルタイムで二郎と見たし、録画でも何周もしている。原作小説も名作でアニメは定評ある監督と脚本家がタッグを組んだ。絶対に「イイ」から見て欲しくて。約束した時のことを思い出してひっそり連れてきてくれた弟たちに感謝もした。アニメが傑作すぎたのでオープニング曲が流れ始めた時点でそうした思考はどこかへ置き去りにしてしまったけど。
三十分アニメの一話を見終わる頃には二郎とティッシュを奪い合うようにしてボロ泣きしている。三郎はいまいちこういうアニメが響かないようで、底をついたティッシュの替えを真顔で取りに行った。一二三もちょっと鼻の頭が赤くなっていたけど黙ってティッシュ箱を取り替える三郎を見て大笑いしていた。原作を読んでいるといないのとじゃ感じ方に違いがあるのかもしれない。アニメだけ見ても二十年は余裕で語り継がれるべき出来だったが。帰りに布教用の文庫本を包んで持たせることにした。
夕方になると一二三の携帯に観音坂独歩から様子伺いのメールが入った。弟たちは独歩の協力を仰いで一二三を連れてきたらしいが、その後の報告は誰もしていなかったらしい。
「もうこんな時間かー。俺が失礼してないか独歩ちんも心配してるしそろそろ帰るわ」
一二三が立ち上がるのに合わせて俺も立つ。
「送ります」
車の鍵を掴んで言うと、何故かまた大笑いされた。なんでも美少女アニメで号泣していたのに急に調子を戻したのが可笑しかったんだそうだ。
「はー、山田ブラザーズおもしろ。独歩も一緒に来りゃよかったのに」
「今度は連れてきて下さいよ」
「うん、そうする」
イケブクロからシンジュクまでの道はいつにも増して混んでいた。ラジオの交通情報によれば事故で渋滞しているらしい。こうなるとみんな考えることは一緒で、迂回路も混んでいる。車は少しずつしか進まない。
「すいません、時間かかりそうっす」
「いーよ。独歩には作り置きの総菜で飯食っといてって連絡入れといたし」
一二三が手を伸ばしてラジオを音楽番組に切り替えた。二人きりの空間を音楽が埋める。
なんとなく、気まずさを感じていた。広神の事件が片付いてからは何度か事件に関する報告を入れたっきり。一度だけ一二三からランチの誘いがあって断って、それからはこっちから誘うことも、その他の連絡を入れることもしていなかった。連絡すべき要件がなかった。
チャンネルを合わせた番組はちょうど終わりが近く、二曲流れたところでまたニュース番組に変わってしまった。ゆっくり進んでいた車が待ち時間の長い赤信号に捕まったところで息を吐いて肩から力を抜く。
「すんません、弟たちが変に気ィ回しておかしなことして」
弟たちにも広神の事件の件は説明してあったし、その後一二三に会いに行かなくなったのも不自然じゃないつもりだった。だけど弟たちは過去に週刊誌記事を気にして疎遠にしているんだと思って心配してくれたらしい。実際に一二三と会わないようにすると宣言もした。でもあれから時間も経ったし、一二三がファッション誌のインタビューで自主的にあの件を笑い話にして語ったお蔭か世間の関心も薄れていた。噂話なんてそんなもんだ。
「いーっていーって。面白かったしさ、久しぶりに山田ブラザーズと遊べて楽しかったし?」
「なら良かったんすけど。……一二三さんが良ければ本当にまた遊びに来てくださいよ。素直じゃねぇけど弟たちも喜ぶんで」
「じゃあ今度はおれっちもゲーム持ってこよーっと。独歩も休みだったらマジで連れて来ンだけどなぁ」
「忙しそっすね」
「人気者の営業マンだからねー」
観音坂独歩は元々サラリーマンで、テリトリーバトルが始まるまではさっぱり名前を聞かなかった。俺や左馬刻のようにどっかのエリアを仕切っていたわけでもなく、一二三や夢野幻太郎のように業界内での有名人というわけでもない。地味に暮らしていたのに初回のテリトリーバトルで優勝し一躍有名人だ。中王区に招集された十二人の中でも一番生活が変わった人物だろう。
営業という仕事柄もあって仕事の成績も、会社での扱いも、それこそ休日の予定も激変したと一二三に聞いたことがある。休みの日にも接待だの飲み会だのに呼ばれて忙しいからあまり出かけられないんだと。
「いっちんも最近どーよ?忙しい?」
「お陰さんで繁盛してますよ」
「さっすが山田シャチョー!今度うちにも飲みに来てくださいよシャチョー」
助手席で手を叩いてひとりで盛り上げ、俺が乗らなくても気にしない。
「アンタんとこホストクラブじゃねぇか」
「ホストだって男のお客さんオッケーなんだぜ?同業同士で他の店に遊び行ったりもするし」
「へぇ」
「店じゃなくてイザナミ食堂に昼飯でもいいしさ。最近ご無沙汰じゃん?」
「…………」
返事をし損ねた。
携帯に届くメッセージなら「仕事で行けない」の一言で断れたのに。昼のスケジュールが埋まっているわけでもなければ予定以外のそれらしい理由もない。約束を躊躇う理由は説明が難しかった。
明確な理由もなく世話になった人の誘いを断って、埋め合わせする愛想もなくて、義理を欠いている自覚もある。それ以上に断り続けて一二三の中での自分の位置が沈んでいくのを恐れる気持ちがあった。携帯のメッセージアプリの名前みたいに。普段連絡を取らなくても信頼関係が変わらない相手はいくらでもいるし、一二三だってブランクを気にせず親しく接してくれるタイプだ。それでも外で女に出くわしてスーパーのトイレに閉じこもった時に呼ぶ相手はきっと俺じゃなくなる。
ちょっとした時間を埋める相手を求めたり困った時に一番に思い出してほしいなんて。
ぐずぐず迷う自分に嫌気がさして髪を掻きむしった。ステアリングに額を置いて大きく息を吐いて吸い、顔を上げて一二三を見る。窓枠に肘をついて小首を傾げる姿はスーツの時に比べれば隙があって人懐っこい柔らかな印象だけど、暮れかけた陽の光を瞳に映してキラキラしている。きれいな人だ。
「ずっと迷ってたんすよ」
「迷う?」
「ああ。彼女ら、……アンタの客に、なんだか悪いっつうか」
まとまらない言葉を間違えないよう選んで告げる。拙くて眉根を寄せる一二三に苦笑して言葉を足した。
「自分でも上手く説明できねぇけど、彼女をアンタから引き離した俺が、もう依頼も済んだのに用もなく飯食いに行ったりすんのは、……ズルしてるみたいな気がしてさ」
「あの子のこと店から遠ざけたの後悔してんの?」
「いや、それは必要なことだったから後悔なんてないっすよ。俺が会いに行くと気が休まらないだろうから面会は遠慮してるけど、ちゃんと先生のカウンセリング受けて落ち着いてるって話です」
彼女は一二三と会うべきじゃないことを理解して受け入れている。一時的に自暴自棄になる時もあったというが一二三への償いとしてきちんと生きて、安定して暮らせるよう新しい仕事や生活環境を整えているところだ。
「うーん、じゃあまたおれっちから依頼としてお遣いとか頼んだらオッケ?」
「必要ならいくらでも頼まれますけど、無理して依頼してもらうのは違うな」
思えば一二三と会うときはいつも依頼絡みだった。ランチは情報交換の名目だったし、頼まれてホストクラブのヘルプに入ったり買い物だって荷物持ちの依頼だった。家に遊びに来ることはあっても依頼を介さず二人で会うことはなかった。仕事でなきゃ会わないなんて俺の方がホストみたいだ。
ビルの谷間に陽が落ちていく。底なしに明るい一二三の整った顔に影が落ちた。
「無理してるわけじゃねーけど……いっちんの気が進まないなら仕方ねーな」
「それも違う。もう何の用事もねぇけど、何もなくても、俺はアンタに会いたいんだよ」
揺らいだ蜂蜜色の瞳の端で赤信号が青に変わった。堰き止められていた車の川が動き出した。視線を前に戻す。
「俺は会いたいと思えば金を積まなくても、何の努力もなく会えるだろ。なんだかズルしてるみたいでさ」
「えー……。ホストでも友達と飲むのに金取らねーよ?」
「友達ならな」
たくさんいる一二三の客の中にもきっと客として楽しめればいいヤツも割り切れなくて一二三の特別になりたかったヤツもいる。今はどっちの気持ちもわかる。
「俺、多分アンタのこと好きなんだよ。女の子たちみたいに」
ラジオのニュースが終わり、また新しい番組が始まる。休日の夕方によく似合うナンバーが流れ出す。
助手席で一二三が座り直したのを視界の端で捉える。運転の合間に見た時には耳しか見えなかった。助手席側の窓から外を見ていた。
はっきりしない態度でいるのが性に合わずに腹をくくってはみたが、すぐに返事がないとそれはそれ。沈黙と目的地のマンションまでの距離を気にしていると唐突に会話が再開した。拍子抜けだ。
「そーゆうことならさー、俺もズルくね?」
「何がっすか」
「おれっちだって依頼したら一緒に買い物してもらえんじゃん。ウチに体験入店した時、萬屋に依頼したいなーつったお客さんのことはいっちん断ったっしょ?」
言われて苦い思い出がよみがえる。人手不足のホストクラブにヘルプとして入ったのに客に腹を立てて一二三に余計な世話をかけてしまった際の話だ。
「そりゃ……そんなの普通のことでズルじゃないっすよ」
「そ。どっちもズルじゃなく普通のことだよ。他の子差し置いて好きな子とデートすんのはさ、普通のこと」
「はぁ」
あまり経験がないから世間一般的にそうなんだろうな、という程度の理解で気の抜けた相槌を打つ。また赤信号だ。ブレーキを踏んで片手をステアリングから放して窓枠に頬杖をつくと、助手席から手が伸びてきて頭をぐしゃぐしゃにかき乱された。容赦ない手を捕まえて顔を上げる。
「いっちんさ、女の子いっぱい出てくるラノベばっか見てんのに勘が悪いぞ」
蕩けそうに甘い微笑みがそこにあった。小説で読んだワンシーンみたいに絵になっていて、だけどそれは物語の中の可愛らしいヒロインじゃなくて俺に向けられていた。
黄昏の街並みに浮かんでいた赤色のランプは青に変わる。