※2019/3/27公開のさまじろWEBアンソロジーに寄せたSSです。
ランドリーバスケットを抱えて自宅に帰るとカーテンを取り払ったリビングで跳ねた黒い襟足が風に揺れていた。
「おい、テメェ俺様に荷物取りに行かせて自分は休憩してんじゃねぇぞ」
リビングのローテーブルにノートを広げてヘッドフォンをして唸っている二郎の近くまで行って密閉型のヘッドフォンを取り上げ声をかけると弾かれたように顔を上げた。左右のイヤーパッドの間からややスローテンポなビートが零れる。
「あ、ごめん。お帰り。つか、どうせ帰り道なんだからコインランドリー寄るぐらいいいじゃねぇか。俺だって洗濯乾燥機に突っ込むために一回行ってんだから」
文句には鼻息一つで返し、かさばるカゴを床に降ろしてテーブルの上のノートを覗く。罫線を無視して幾つかの単語が散らばっているが、大半は末尾にハテナマークやバツ印がついていた。つまり捗ってない。
「それいつまでに作るんだ」
「式が来週で練習と録音してCDに焼く時間もとるから……」
こんな天気のいい日に人ン家まできて家主そっちのけで書いているのは友人の結婚披露パーティーで仲間と歌う曲の歌詞だ。トラックは別の仲間が作って、二郎はリリック担当。他数名の仲間とこの日のために曲を作って歌ってCDに焼いてプレゼントする予定だというが。
「ふざけてんのか」
「うっせぇな!結婚したこともねぇんだから仕方ねぇだろ!」
確かにコイツはしたこともなければこれからする予定もない。多分。
「ったく、ついこの間まで高校通ってたクセに二十歳過ぎると色々あんな」
「アンタは結婚式の余興なんか頼まれないだろうけどな」
「減らず口きいてる暇があったらさっさと書けやクソガキ」
ブサイクなしかめっ面にヘッドフォンを押し付けると渋々シャーペンを持ち直した。何しろ時間がない。一緒にやる仲間たちも仕事があるから残り一週間でも使える時間は僅かだ。
コイツは──いや、俺たちは結婚だの結婚式だのに縁がない。客として呼ばれることはあるだろうが自分たちが高砂に座ることは一生ない予定だ。
女が政権をとって始まったH歴以降、男女の結婚率は下降の一途で反比例するように同性愛関係を公言する者が増えてきた。女との関係を築けない男がそうなったと言うよりも元々男が好きな男や女が好きな女が世の中の変化を追い風にしてカミングアウトしやすくなっただけのようだったが。女しか住めない中王区では女同士のカップル専門の式場もあるらしい。
だからといって壁の外にゲイカップル向けの式場が出来たりするわけじゃない。需要のほどは知らないが、業者も女程には儲からないと思っている。そもそも中王区外は男だけの土地じゃないから尚更だ。多少は市民権を得たって男同士で生きていくことを決めた連中の大半は静かに粛々と暮らしているように思う。俺たちも、多分その一部だ。やることはやっていてもあまり言葉で関係や将来のことを確かめないから、実際のところ二郎がどう思っているかは分からないが。
仕事の休みが合えば頻繁にこの部屋に来て泊まりもするし、一般的な婚約者同士がやるようなことは一通りやっている。ヨコハマのこの部屋からイケブクロの自宅に戻る際に「いってきます」とは言わないが、来れば俺が留守でも勝手にカーテンを外してコインランドリーに突っ込みやがるし、用事から帰る時間を連絡したらついでに忘れてきたランドリーバスケットごと洗濯ものを回収してこいと言う。
それに付き合う俺もヤキが回ったもんだ。久しく会えていない妹が戻ってきたらあまりにも所帯じみていて幻滅されるかもしれない。
ついでにテーブルの端に山にしてあったカーテンフックをつまんで一つ一つ取り付ける。厚手のカーテンとレースカーテン両方洗ったもんだから手間だ。次にカーテンを新調する時には自宅洗濯不可の製品にするしかない。
シンプルな織りの白いレースカーテンを広げていて、ふと妹の子供のころを思い出した。うちは親父がクズだったせいで母親は苦労したが、結局死ぬまで離れることはできなかった。時々白いドレスを着た結婚写真を引っ張り出してきて夫の愛を確かめるように見つめていたのを覚えている。妹もその写真が好きで、まだ結婚というものが分からない歳の頃は「お母さんはお姫様だったの?」なんて尋ねていた。自分もお姫様みたいなドレスが着たいと言っていたけど当時はその願いをかなえてやることが出来なくて、白いシーツを体に巻き付け、こういうレースのカーテンの下に潜り込んで頭に被り、にこにこ笑って「お姫様みたいでしょ?」というのに頷いてやることしかできなかった。
その反動で自分の自由にできる金を手にして以降はたくさん服を買い与えたが、もうお姫様になりたいという歳じゃなくなっていた。金があっても時間までは遡れないものだ。妹が望むならいくつになってもお姫様にしてやる気はあるが。
端からフックを付けたレースカーテンを座ったまま広げる。つけ忘れたところはない。
レースに透かして見た窓の向こうは快晴。こんな日に式を挙げる夫婦はそりゃいい思い出になるんだろう。
思いついて、広げたカーテンをそのまま二郎の俯けた頭に放り投げた。ふわりと落ちて動きの悪い手元まですっぽり隠れる。
「なっ、いたずらヤメロや!」
顔を上げてカーテンを取り払おうとする手を掴んで降ろし、代わりに俺の手でその端をめくる。ちょっとごわついたベールの内側の唇に自分のそれを寄せた。レースカーテンに引っかかってずれたヘッドフォンから結婚祝いのために作られた曲が聴こえる。
数秒で離れて絶句した二郎の顔を見ると、じわじわと頬が染まっていくところだった。自分でやっておいてなんだが、カーテンが半分ずり落ちて髪は絡まってぐちゃぐちゃの姿は全く晴れの日らしくはなかったけど。
「どうだ。ちったぁ結婚式の気持ちがわかったかよ」
二郎は顔に出やすい。もっと恥ずかしいことはいっぱいしているのにこんなガキのママゴトで真っ赤になっている。
回転の遅い頭で揶揄われたことを理解して唇をわななかせ、
「そっちの気持ちわかってもダメだろぉ!?」
至極もっともなことを言った。コイツは新郎の友人代表だった。
結局、折角の助言も無駄にして散々悩みぬき、ギリギリのタイミングでやけくそ気味のリリックを書き上げて当日に間に合わせた。苦労した甲斐あってか盛り上がり新郎はボロ泣きだったらしい。
二次会の後にそのままうちまで来て満足そうに報告していった。
二郎が友人の結婚披露パーティーから持ち帰った花は花瓶のないこの部屋でビールの空きビンに飾られている。