今回の劇場版も最高だった。テレビシリーズとは別監督だったが板倉監督なら間違いないのだ。序盤の戦闘シーンのインパクトと中盤のギャップ。更に終盤手前の湖のシーンは素晴らしかった。繊細な描写でヒロインの心情をもう一段階深く掘り下げて丁寧にまとめ上げていた。そしてクライマックスは……おっと、これは重大なネタバレだった。「ネタバレ気にしないから」なんて言わずに是非とも劇場で確かめて欲しい。約束しよう、損はさせない。
楽しみにしていたアニメの劇場版三作目、初日。最近はお陰様で商売繁盛。忙しくてなかなか予定を合わせられなかった、恋人と、やっと休みが重なる日だった。
「ほんと、ほんっとに申し訳ないんすけど……」
『何々、なんか予定入りそう?』
「入りそうっつうか……」
『いいよー、言ってみ?』
言い淀むと電話越しに優しく許す声音で促された。
「実は……楽しみにしてた映画の封切り日で……」
『いいじゃん、一緒に見ようぜ!』
即答で解決してくれた。同じようなオタクでないと一緒に映画に行っても退屈させたり、余計なことを言われたりするんじゃないかと心配になるところだがその点も信頼がある。何故ならばこの人は今回のアニメのテレビシリーズを履修してくれているからだ。オタクではないが、ホストである彼の客にはアニメオタクの女性がいる。客との話題作りという目的とはいえ前向きに視聴して俺の話にも付き合ってくれていたのである。さすがに久しぶりのデートでアニメの劇場版は色気がないだろうかと遠慮したわけだが『前に見たのも面白かったし全然オッケー』とのことだ。この人を好きになって良かった。
斯くして映画デートの約束をした。予定の映画は男女ともに人気で女性客も多いので彼はスーツ姿で来た。きっちりスーツを着ていないと女性恐怖症で女性と同じ空間にいられないから仕方ない。女性恐怖症が治まるのと引き換えに女性に積極的になってしまうのも、仕方ない。
映画が終わり、シアターを出て俺の熱弁に適度に相槌を打ちながら歩いていた彼がふと足を止めてしゃがみ込んだ。目の前を歩いていた客が映画の入場者特典のカードを落としたらしい。
「お嬢さん、落とされましたよ」
背後に薔薇が咲き乱れるような甘い声で呼び止める。中学生ぐらいだろうか、小柄な少女だ。彼女が振り向くと彼は跪いてカードの表面の埃を払い、姫に求愛する王子のように華やかな笑顔と共にそれを差し出した。悲鳴を上げた少女を俺は責める気はない。当然の結果だった。
俺は油断していた。心待ちにしていた映画と久しぶりのデート、その両方に浮かれていてこの男、GIGOLOこと伊弉冉一二三の性質を忘れていた。女の子大好き、片っ端から口説いてしまうという悪癖を。
「キャ────────────ッ!!!!」
途端に映画館の通路が騒然となる。落とし物の彼女とその友人は真っ赤になって互いに手を握り合い、突然声をかけてきた美しい男の顔と友人の顔とを視線で往復している。カードを受け取るのも忘れて慌てているから一二三はスーツの膝を床についたままだ。
「突然驚かせてしまってすみません。おや、頬が染まっていますよ。まるで可愛らしい薔薇が咲いたみたいに」
微笑み、少女の手を優しくとってカードを乗せる。もう悲鳴の声もない。言葉のない絶叫だ。
映画館へは朝イチで入場した。近くの席の客にはこちらがテリトリーバトル代表MCと気づいた人もいたようだったけど、みんな映画が目的で来ているので見ぬふりをしてくれていた。このまま何事もなく映画館を出られるかと思ったのに騒ぎのお陰で俺たちに気が付いてしまった人、それまで遠慮していたが一二三の方から声をかけたのを見てあわよくば自分も声を掛けようかと足を留める人。主に女の人囲いが出来てしまった。
「あ、あ、あの、伊弉冉一二三さん、ですよね……?」
「僕のことをご存知頂いていたなんて、光栄です」
「ホンモノ!?ええっ、心の準備できてない!」
「準備なんて……自然体が一番素敵ですよ」
壁際で頭を抱える俺にも「あれ、山田一郎だよね?」という視線がビシバシ飛んでくるが派手にやらかしている一二三の方が気になるようでこっちに声をかけてくる人はいなかった。
上映時間が近づいた作品の入場開始アナウンスが流れると通路を歩く人も増える。これから上映予定のシアターに入る客まで足を留めている様子で、騒ぎの様子見にきた映画館スタッフも困り顔だ。放っておけば一二三はこの通路を行き交う全ての女性を口説いてしまう。腹を決めて女ばかりの人だかりに割り込み、スーツの腕をつかんだ。
「邪魔になってっから行くぞ!」
ほとんど引きずるようにして映画館を飛び出した。来た時には周辺店舗はまだどこもオープン前で静かだった通りも人通りが増えている。一旦落ち着きたいのに完全にGIGOLOのエンジンがかかってしまって女と見るとにこやかに手を振り、名前を呼ばれれば愛想良く返事をしてしまう。普段はあまり意識しないが、中王区外にもこんなに女が生活しているのだ。GIGOLOと外を歩くとそれを思い知らされる。
映画館を出てすぐの通りでタクシーを探したがタイミング悪く見つからず、その間にも女が追ってくるもんだから近くの商業ビルに駆け込んで女が絶対についてこない場所、男子トイレに一二三を押し込んだ。そこまで来れば一二三だって女を求めて飛び出していったりしない。
「アンタ……ちょっとは場所考えてくれよ」
「ははは。すまないね、一郎くん。本能が女性の期待に応えてしまうのさ」
この調子だ。ジャケット一枚脱げばその本能とやらも百八十度逆を向くのに。
悪びれない一二三を睨んで、大股で距離を詰めた。瞬きだけで星が飛びそうなばさばさのまつ毛を上下させて小首をかしげる。こっちの、どちらかと言えばホストモードよりオフモードのゆるい一二三の方が可愛いと思うし親しみやすいがスーツを着ていたって同じ一二三だ。女向けに整えられたホストの顔をしていたって、俺の好きな人。
ぶつかりそうに近くに立つと気圧されるのか一二三が後ずさろうとした。それを腰をに片腕を回して捕まえる。まっすぐに目を見据える。
「い、一郎くん、近いよ」
「ダメっすか」
「ダメじゃあないんだけど……」
一二三が目を逸らした。白い頬がちょっと染まって見えた。完璧なホストの仮面が緩んで隙が垣間見える。そこに指をかけて内側が見たい。
「興味本位で訊きますけど、アンタ、スーツ着てる時は俺のことどう思ってんすか」
口にすると思いの外女々しい問いかけで自分に舌打ちしたくなる。でも、純粋に疑問だったことだ。これまで親密な時間はいつもオフモードの一二三と過ごしていた。女性恐怖症の一二三は女と付き合うなんてできなかったから男である俺を受け入れてくれたことも不思議に思わなかった。でもスーツを着たこっちの一二三はデート中でも女を口説いて回るような女好きだ。同一人物で記憶も共有しているといっても価値観はガラリと変わる。
「どうって」
「やっぱ女の方がいいんすか」
「それは、プリンセスたちと君は別だし……」
二人の間に壁を作るように持ち上げられた両手が俺のパーカーの胸の布地を握り込んだ。オフモードだったら素直に背中に手を回して抱きしめられていただろう。拒絶か縋りつく仕草か、見極めが難しい。
いつも自信に満ち溢れたGIGOLOがこんなに迷っているところは初めて見た。伏せられた瞼を間近に見下ろして少し後悔した。俺の方が十歳も年下だしあまり器の小さいところを見せたくはない。そう思っていたのにつまらないことに拘って困らせた。スーツをスイッチにして切り替わるこの人格が女へのトラウマを克服するための鎧だってことも知っているのに。
抱き寄せる腕を解いてこちらから一歩退いた。
「……すんません」
狭量さを詫びる言葉に弾かれたように一二三が顔を上げる。蜂蜜色の瞳に射貫かれて一瞬言葉を失う。
一二三は両手で自分のスーツのジャケットの襟を掴むと左右に開いて肩の下までずり下ろした。半端に脱げた格好で手を伸ばす。胸倉と首を捕まえて、ささくれ一つないよう手入れされた柔らかな唇がかさついた俺のそれに触れた。
ああ、俺はチョロイな。それだけでもういいような気がして、背中を抱いて金色の髪に指を潜らせて離れて行こうとするのをもう一度、角度を変えて押し付けた。
他に人はいないが家じゃないからその先はない。それでも寄せた顔を離すと鼓動が速くなっていて呼吸が弾む。仕切り直すようなニュアンスで一二三が緩く波打つ前髪を片手で掻き上げた。お手本みたいに整えられた眉がちょっと怒っている。でも、
「いっちんさぁ、その質問はズルくねぇ?」
赤い頬や蕩けそうな目が雄弁に語っている。アンタこそ、その表情はズルいっしょ。
もう一度触れたくなってどうしようもなくなったからその日の残りのスケジュールは中止。ジャケットを奪って女から庇いながら早々に帰路についた。部屋じゃなきゃこの人を独り占めできない。