夏の昼下がり/いちひふ/2209

 恋人が幼馴染と暮らす家はうちより築浅でオートロックのマンション。家庭的な恋人がマメに掃除していて何年も使っている家電だってきれいだ。だが物には寿命がある。それがたまたま部屋に遊びに来たその日、その時だったというだけ。
 以前からの約束で部屋を訪れ、一二三の寝室にしけこもうとしたらエアコンが壊れていた。
 他の部屋のエアコンも同時期に購入設置されたものだったが動いている。でも同居人がいる家なので共有スペースのソファなんかを使うのはさすがに気が引けるというもの。
「っつーか、このまんまだと俺っち熱帯夜に死んじゃうんすけどー」
 そして俺は萬屋。家電のちょっとした修理なら請け負っている。夏間はこうしたエアコンの不調が相次いで電気屋もてんてこ舞いになるので、例年のこの時期は萬屋の看板が半分エアコン屋と化す。夏にはまだ早いはずだが今日は真夏日でエアコンなしは厳しいし、眉尻下げてお願いされたらやらないわけにいかないのである。
 そうして“おあずけ”状態で修理を始めた。一二三に手持ちの工具を借りて調べてみたが、意外と面倒な作業になりそうだった。その間にも部屋は蒸し風呂状態。リビングはエアコンを利かせているがサーキュレーターはないため涼しい空気が流れてこない。お陰で何にもする前から汗だくだ。借りたタオルを首に巻いてエアコンにかかりきり。
「なー、結構時間かかる系?暑いんすけどー」
 見ていた一二三が暇そうに言う。
「向こうの部屋いってていいっすよ」
 手伝ってもらうことも特にない。だけど「えー、俺っちの部屋だし」と拒否された。別にいて邪魔なわけじゃないしいいんだけど。室温と湿度は刻一刻と上がる。上がっている気がする。一二三がつけたテレビでは真っ赤に色づけされた日本列島を指してアナウンサーが「記録的な気温」と騒ぎ立てていた。そんなのを見ると余計に暑く感じる。
 昼のテレビはどのチャンネルも面白くなくて、ザッピングしたりベッドに転がったりしながら一二三が暑いと繰り返す。俺の方が天井に近いから暑いっつーの。
「まーじ今日暑すぎじゃね?もう夏じゃん、カンペキ夏!」
「うっせぇなぁ。次暑いつったら金取るぞ」
「何円?」
「百円」
 そうしたら律儀に財布を持ってきた。それでしばらくは黙っていたが、ふとした拍子に口にしてしまって銀色の硬貨を積んだ。話しているうちに俺も一度だけうっかりしてしまって、財布から一枚積み上げた。
 テレビで途中から見始めたワイドショーは不景気なニュースと関東近郊の動物園の様子を流して十分ほどで終わり電源が切られた。一二三はリモコンを携帯に持ち替えたらしい。
 それから五分後。
「はぁ……、暑いんだけれど、まだ治らないのかい?」
 振り返るとスーツを着込んでいた。
「なんでそんなもん着てんだよ」
「プリンセスたちにメールの返信をしてるんだ。こう暑くてはスーツを着ないと気分が上がらないからね」
「ンな格好じゃ暑いに決まってんだろうが。脱げ!」
 またピカピカの百円タワーが高くなった。
 しばらくは携帯に熱中していたシンジュクナンバーワンホストも一通りメッセ―ジを送り終えると営業終了。またベッドの上で溶けて喚きだす。
「萬屋さんまーだー?スーツ脱いでも暑いんですけどー」
「百円。あっちで待ってろよ」
「やーだね。向こういたってやることねーし。それにしてもマジであっちー」
「百円」
「はいはい、わかってますよー…………あ、もう百円玉ねーや」
「じゃあちっと我慢して……」
 静かにしていろと窘めるべく振り返った目の前にピン札の五千円が突き付けられた。
「ほい!これで暑いって言い放題!はー、暑い暑い」
 張りのある紙幣で汗の浮いた頬に風を送りながら連呼する。
「大人の財力でガキみたいなことすんな!」
 まったく、相手が人気ホストクラブの稼ぎ頭じゃ罰金百円なんか河原の小石を積むようなものだった。罰金先払いで制約を丸めて投げ捨てた一二三のおしゃべりをBGMに作業は続く。いくつか睨んだ故障原因を一つ一つ解消して、試しに電源を入れてみて。
 やっと涼しい風が出てきた時には背後で大袈裟なほどの歓声が上がった。嬉しそうに前髪をそよがせて風を浴びている姿で報われてしまうのは我ながらちょろいかもしれない。
 エアコンも直ったことだし、この部屋に来たところから仕切り直したいところだがシャツはすっかり汗臭くなっている。
「汗流してくる?タオル出しとくよ」
 家主に勧められて浴室を借りる。これが実際の仕事だったら帰宅するまで汗と埃まみれだからありがたいことだ。
 作業を終えてぬるめの湯で全身洗い流していると一日の終わりのような気分になる。デートの予定がほとんど仕事だったけど、まあたまにはこういうこともあるだろう。素直に諦めようとしていた時に脱衣所から声がかかった。
「タオルと着替えここね!」
「ああ、すんません」
「もうあがる?」
「いやもうちょい」
「おけまるー!」
 シャワーを弱めて曇りガラスの扉越しに会話して元気のいい返事があったかと思うと勢いよく扉が開かれ素っ裸の人が上機嫌で乗り込んでくる。
「俺っちも汗だくでさぁ」
 そりゃそうだ。スーツなんか着てたしな。
 湯の温度をもうちょっと下げて迎え入れ、長風呂して出る頃には部屋はすっかり冷えている。そこで調子に乗ってゴロゴロした結果、二人揃って夏風邪を引いた。よく聞く「夏風邪はなんとやら」も甘んじて受けるしかない。