七夕の夜に雨が降ったなら/いちひふ/1392

 駅前のロータリーに少しの水飛沫を撒き散らしながら車が滑り込んでくる。それを見つけて、誰とも知らない、さっき突然声を掛けてきた女性に別れを告げて土砂降りの中に踏み出した。
 まるでコック全開のシャワーだ。シャンプーの泡だって綺麗に流せるだろう。助手席のドアを内側から開けた彼の手も瞬く間にびしょ濡れになる。
「お待たせしました、萬屋ヤマダです」
「待ってたよ、子猫ちゃん」
 車内が濡れるのは諦めて貰って、シートに座ると同時にジャケットを脱ぐ。下のジレやシャツまでぐっしょり濡れているからあまり意味はないけれど。
「はー、ゲリラ豪雨絶好調!ってかんじ」
 シートベルトを締めて両手で前髪を?き上げる。それでもまだ髪の間から雫が落ちて顔を伝った。
「災難だったな。天気予報じゃここまで降るとは言ってなかったのに」
「まーじヤバ。ギリギリまで花火大会の予定だったから撤収後の駅激混みでさー。店戻って通常営業する?って話もしたけど移動しようにもタクシー確保できねーし」
「客は?」
「手分けして捕まえたタクシーに乗せて見送りしてきた。今夜の代わりに来週の七夕イベント楽しもうねーっつって」
 車内から駅を振り返ると、未だに中止となった花火大会の客らしき浴衣の男女がタクシー待ちの 行列を形成していた。迎えの車も増えて駅前はいつもより混雑している。
 毎年恒例でシンジュクディビジョンの外れで行われる花火大会。日付は七月七日に固定されているが、七月の始めとなると雨のことも多い。今年ほど降る年も珍しいが、運が悪けりゃ中止だ。それでも毎年この日は店で上等な鑑賞席を購入しておいて、浴衣姿の客をエスコートして花火を見に行く習慣だった。それとは別に、店内での七夕イベントも実施するけど。
「あーあ、織姫と彦星もどうせなら晴れ間の多い時期にデートすりゃいいのにな」
「会う日決めたのは織姫と彦星じゃねーだろ」
 七夕物語はデートに耽って働かなくなった二人が天の川を挟んで引き離され、一年真面目に働いたら一日だけカササギの橋をかけてもらえるって設定だった。曇りで天の川の見えない年には客に「織姫と彦星がデートを人に見せたくなくて隠れてしまった」なんて囁いたりしたものだ。
 思えばここ三年ほどは七夕に晴れていないので天の川も見ていない。代わりにフロントガラスの向こうの道は浅い川のようになっていて、濡れそぼった人々を乗せた車が列を成して流れていく。中央分離帯で仕切られた四車線道路はまさに川のようだ。
「で、お客さん。どちらまでお運びすれば?」
 気取った仕事口調で運転手が尋ねる。ダメ元で連絡した時には住宅修理の仕事が終わったところだと言っていた。車も後部シートがフラットになっていて、工具ケースや木材の破片や板材の入った袋なんかが積まれている。
 大工から運転手に華麗に転身して来てくれたわけだ。
「そうだなー、一番近くてシャワーあるとこ」
 駅を背にしてしばらく走ったところだ。道沿いにビジネスホテルの看板がちらほら見える。
「シャワーっつっても着替え持ってきてねーだろ。……誘ってんの?」
「織姫と彦星の代わりにデートしてやろうぜ」
 こっちだって毎日真面目に働いているんだからバチは当たらないさ。カササギの群れが橋を作らない代わりに飾り気のない軽バンで川を渡る。
 七夕の夜に雨が降ったなら。