「これってさ、ヒートの処理、だよな?」
嫌そうに、というわけじゃなかった。多分戸惑い、の方が近い。唇が耳を掠めた側の肩をくすぐったそうに竦めて八の字の眉尻を一層下げた。
「当たり前だろ。今更何言ってやがンだ」
「いや、だってさ。最初にヤる前はこんなに優しくされると思ってなくて……」
それこそ今更だ。もう何ヶ月も月に一度の逢瀬を続けている。
こういうことになってからは毎月必ずヒートが始まったことを報告させ、迎えの車を回して、部屋を手配した。それで体が落ち着くまでたっぷり相手をしてイケブクロまで帰す。それでも俺たちは番じゃなかった。番う予定もない。だけど他のαにくれてやる気も毛頭ないからヒートの管理を引き受けている。
────運命の番。そんなドラマチックなワードが世間で流行していた。
夢のある通称に反して、実際は即物的に生きるオメガバースが抜群に体の相性のいい相手のフェロモンを嗅ぎ分けているだけだ。夢もクソもない。
定期開催されているテリトリーバトルでコイツとすれ違った際にフェロモンを嗅いでしまうとセックスがしたくなる。フェロモン相性のいいΩとのセックスは他の相手とは違う。クスリでもキマってるみたいに脳が気持ちよくて、コイツの匂いで発情してしまうと他の相手じゃ物足りなくなってしまう。
その上、理性でどれだけ不釣り合いな相手か分かっていても、番にする気がなくても、コイツが他の人間のものになるのはどうしたって許せない。だから多少の世話も焼くし体の方は十二分に満たしてやる。優しいと思っているならわざわざ否定したりしないが、ガキが目を潤ませて言う「優しさ」と、俺が意識的に施していることはきっと違う。優しさを真心と言い換えるなら、俺のは明らかにマーキングだ。手っ取り早く自分に縛り付ける、番という手段を取らない代わりに他の人間に目移りしないよう「優しさ」で目を塞いで飼い殺しにしているだけだ。
本当に優しくしたいと思っているなら、世の中の事もΩの生き方ってものも何もわかっちゃいないガキをセックスで縛ったりしないだろう。
社会的に立場の弱いΩの幸せとは身分や金のあるαと番になって守られることだ。ガキのうちは理解できなくても、大人社会に放り出されて世間のΩの扱いを知ればいつか分かる。番になる気のない男に縛られることの不毛さが。
首を隠す革製の丈夫な首輪のふちを指でなぞって絡まった髪をほどいた。首元に顔を埋めて濃厚なフェロモンを吸い込み、指で首輪を押しやって薄く首輪痕のついた皮膚に舌を這わすと大袈裟なほど体が震える。
「俺様が予想より優しくてほだされて噛まれたくなっちまうってか?」
笑う間にもΩのフェロモンが脳に染み渡っていく。噛んでしまいたいと思うのは恋愛とも性欲とも別の欲求だ。当然、理性的な意思でもない。本能が訴えてくるんだから仕方がない。αがそうなんだからΩが噛まれたいと思うのだって当たり前のことだろう。
全て本能のせいにして片付ける準備があったのに、
「ンなこと言ってねぇだろ!テメェと番なんかまっぴら御免だっつーの!」
物事何も分かっちゃいないバカは真っ赤な顔で力いっぱい否定した。照れ隠しにしたって全力過ぎる。素直にカチンときた。
「よく言うわ。まぁ、確かに前戯なんかなくてもこっちは簡単に入っちまうしな」
裸の両足を大きく開かせてその間に腰を挟み込ませる。潤みきった穴を勃起の先端で軽く突いてやると、まだ入ってもいないのにか細い声を漏らして、急かすように腰に足が絡みつく。お望み通り焦らさずにぶち込んだ。もう少し遊んでやってから挿入するつもりだったが、発情したΩに馴らしは必要ない。
「手間かけてサービスしてやる理由もねぇか」
落ち着かせる間を与えずに深めのストロークで動き始める。
処理ってのはこういうことだ。挿入して、中で扱いて、出す。下半身だけ繋いで淡々と射精を目指しても体の仕組み上は何ら問題ない。やってりゃそのうちヒートも落ち着く。生殖本能が満足するだけのフェロモン交換は十分にできる。
二郎は傷ついた顔をしながらも黙ってそんな扱いを受け入れた。自分で番になんかなりたくないと宣言してしまったせいだ。駆け引きの余地を残しておけば恋人みたいなフリだって出来ただろうに。
余分なコミュニケーションがなくなっても痛めつけているわけじゃない。その証拠に体はしっかり反応して、フェロモンは徐々に濃さを増している。
これが穴が濡れる仕組みのないβやαなら、体の不具合を口実にして丁寧な愛撫を強請れたんだろうか。二郎が不器用だってのは脇に置くとしても。下半身をドロドロに蕩かせたΩには気持ちよくないなんて言えるはずがなかった。
内部に与えられる刺激に敏感に反応して肉筒を収縮させ、快感を耐えるためにきつく閉じていた瞳をときおり薄く開く。喘ぐ赤い唇の間から薄い舌が物欲しげにチラチラと動く。アレに食らいついたらもっと脳が気持ち良くなるのを知っている。
運命ってヤツは経験値やテクニックのなさはまるで無視で、拙いキス一つで途方もない興奮を与えてくる。こなれていないぎこちない舌づかいが独占欲を満たしてくるのもいい。柔らかな口の中は甘く感じて何度も味わいたくなる。
でも無視して、代わりに持ち上げたふくらはぎに噛みついた。首でなくても噛むと中が反応して締まる。それで少しだけ気が紛れた。
見下ろすと二郎は片腕で目元を覆って、泣いているようにも見えた。快感に振り回されて泣き出すことはあったがそう言うのとは別で、なんというか、なけなしの良心が呵責を起こすような。
「……おい、泣いてんのか」
無理やり腕を外させると涙はなかった。泣きそうに赤い顔で睨まれるが腰を揺さぶるたびに表情も切なげに揺れるから凄んでも意味はない。
「何で、泣かなきゃなんねぇんだよ」
「強がんなよ。素直に優しくして下さいって言えばそうしてやんよ」
「何から何まで上から目線で、まじムカつく……」
それでも前髪の先を引くから身を屈めてやった。首を抱いて頭を浮かす二郎に角度を合わせてやる。
「……優しくして、なんて、誰が言うか、よッ!!」
どこにそんな元気を残していたのかと思うような負けん気で頭突きが見舞った。もちろん抱いている相手に頭突きなんか食らったのは初めてだ。その一瞬だけは本当にフェロモン酔いが覚めたような気がして、このまま萎えるんじゃないかと我が事ながら心配になって軽く抜き差ししてみたが全くそんな兆しはなかった。
お返しに腹の奥を遠慮なしに突き上げてやると流石に喧嘩腰も続けられず、首から外れて拠り所を求めた両手が背中に縋り付いてくる。
「ガキが調子こきやがって」
「やっ……あっ、ん、やば……ダメ、あっ」
短く女みたいな声をこぼして堪らず俺の肩に顔を伏せた。背中を丸めて、ケツにも力が入ってる。一度目の限界が近いのを我慢してる。
「おら、意地張ってんじゃねぇよ」
「や、やだ……やだ……」
幼稚な喋りでイヤイヤした。普段はそんなに我慢したがる方じゃないのに。自主的にここまで抱かれに来たくせにそんなに俺が気に入らないか。
腹立たしさがぶり返して肩に押し付けられた頭を無理やり引き剥がしてシーツの上に押しつけた。二郎がセックスの時に密着したがるのを知っていて、だ。正気の時は生意気を言っても体がぐずぐずになるほど心細くなるらしい。たくさん肌が触れていると安心するからそうしてやっていた。
さっさと詫びを入れないからだ。素直に欲しがればいいものを。
引き離すと再度抱きつきにはこなかった。代わりに俺から目を逸らして自分の手指を口元に運んで噛んだりしゃぶったりし始めた。気を紛らわすやり方もまるでガキだ。
よだれまみれの手もやめさせて、代わりに俺の指を口に差し込んだ。下半身だけ好きにさせてあとは自分で完結しようとしているのも見ていて癪だった。また可愛げもなく噛みつかれたら、その時はいよいよ躾だ。
恨みがましい目がこちらを向く。凡そセックス中とは思えない険悪さで。数秒睨み合ってから二郎は目を伏せた。
両手で俺の手を掴んで指を深く咥え込み、たっぷり唾液を絡めて吸い取りながら口から指を引き抜く。それからまた指先を口に含んだ。舌が指に絡む。ぬるりとして生温かい。
二本の指の先で舌をつまむと口を開いて、見つめる俺の目の前に赤い舌を差し出して見せた。
そうかよ。それが詫びもおねだりも拒否のお前の譲歩か。
シーツから頭を持ち上げて自分の唾液で濡れた指の背にちゅっと吸いつく。甘えた仕草。泣き黒子の目元が俺にも少しは譲れと言ってくる。何が上から目線だ。下に置かれることに納得なんかしないくせして。
屈んでやると顔が近づく。最後のわずかな距離を詰めずにおくと再び意地の張り合いになって、なかなか甘い舌にありつけなかった。
でも今日のところは俺の負けだ。唇を濡らす舌の動きを見ていたら耐えられなかった。根比べが面倒になってかぶりついた。シーツに押さえ込んで好き放題口の中を蹂躙しながら腹の中を責め立てると多幸感が堰を切ったように溢れてきて、何のために何をしているのかさえ分からなくなる。
体の下で大きく痙攣した腰を片腕で固定して、不規則に動く腹の中でこちらも我慢を解放した。呼吸が乱れて酸素が足りなくなる。息継ぎで少し離れてもすぐにどちらともなく引き寄せて舌を絡めた。
依然として番になる予定はなかった。理由はたくさんある。逆に、番になるべき理由は本能的に惹かれるからという、それしかない。本能、とりわけ性欲に忠実なオメガバースといえど秩序のある人間社会に生きている。立場上の面倒が山積みと分かっている相手に人生捧げられるかというと、そう簡単な問題じゃない。
だけど番にならなくたって一生これを手放したりは出来ないだろう。コイツが俺じゃない誰かをこんな風に求めたりなんかしたら、きっとそいつをぶち殺すだけじゃ済まない。
番にならない限りは俺が他の女を抱けるように、コイツだってその気になれば他の誰かと寝ることができる。俺と会わなくてもヒートは起こるしαに抱かれたら楽になれることを教えちまったのはこの俺だ。
二郎がΩだとわかれば抱きたい奴、それこそ一生を捧げても良いと思うようなαはいくらでもいるだろう。
他のαと番になったら俺のフェロモンは分からなくなる。まともに愛してくれる誰かと円満にやっていける。そういう最悪な事態にならないためなら、少しぐらいの事は譲ってやる。
そんな、理不尽に相手を縛るために与える飴を、まともなヤツは優しさなんて呼ばない。
__________
送迎の仕事を終えて一度事務所に戻ると、兄貴分の不在で気の抜けた連中が賭事に興じていた。
いつもは左馬刻さんが不在でもいつ戻るかわからず、不興を買うまいとそれなりにやっているが、最近は定期的に“絶対に帰ってこない日”があった。
「俺はナシっすね。相手はアレっすよ?愛人っつーなら分かりますけど番はムリでしょう」
「だがなぁ、毎月抱いたんだぞ?現時点でありえないライン超えてんだからよぉ」
二人で囲んだテーブルの上に丸めた札が置かれている。こんなのが左馬刻さんにバレたら明後日には海上からみなとみらいに一生の別れを告げることになる。
勝手なことを言い合う声を聞きながらポケットから財布を出して手持ちを数えた。残念ながらあまり大金は入っておらず、近くの机から借用書を取り出して雑に一千万と書きつける。
「いやいや、だって親父が許しませんよ。店の女の管理だって任されてんのに」
「そこよ。兄貴が親父裏切るのは想像できねぇ」
「でしょ?やっぱ俺はナシに三万っすね」
「そんじゃあ長い目で見て二年以内にアリで……五千……」
せこく万札を五千円札に取り替えた目の前に一千万の借用書を置いた。
「じゃあ俺は三ヶ月以内にアリで」
二人が一斉にこちらを見上げる。
金額を見て、本気かという顔でもう一度見る。
「お前、三ヶ月に一千万て随分じゃねぇか?」
正気を疑うような目が徐々に色を変え、「あ!」と叫ぶと無遠慮に人差し指を突きつけてくる。
「もしかして送迎中になんか聞いたんか!」
「え、番の約束とかしてるんすか?!」
「親父に挨拶行く予定とか!」
「ブクロに筋通しに行く相談とか?!」
そんな話は一切ない。首を振ると盛り上がっていた二人はつまらなさそうに肩を落とした。
「送迎っつってもお前が運んでんのはガキの方だけだしなぁ」
「それでよく三ヶ月なんて短期間に大きく出られたな」
「博打はデカく張ってなんぼでしょ?」
「デカくっつっても退屈しのぎに借用書まで持ち出しやがるからなんか握ってんのかと思ったじゃねぇか」
ため息をつく若輩の上座で左馬刻さんより歳上の男が分厚いひとえの目を眇める。
「………で、何を知ってんだよ。もったいつけずに教えろや」
「なんにも」
「なんにもなわけあるかい。兄貴がわざわざ番持ちのΩを選んでガキの迎えにやってんのは男Ω同士話のひとつも聞いてやれってことじゃねぇのか」
「………………。ないですね」
少し黙って考えてみたが、直接そんな指示を受けた覚えはない。
送迎役に選ばれたのは単純にΩだったからだろう。心底愛し合っている番のいるΩ。まかり間違っても大事なガキに興味を持たないと信じられる人間。
情夫とうなじに噛み傷を作って愛人をやっていた幹部に見限られたところを拾ってくれたのは左馬刻さんだったが、人の相談に乗るような気が利く人間とは思われていない。これまで褒められたことと言えば、余計なことを言わないところくらいだ。
どこの組だってそうだろうが、ヤクザ組織に所属するΩは独身で誰かの愛人だ。フロント企業でそこそこ普通に働くつもりで就職しても幹部に愛人関係に誘われるか、それでなけりゃもっと稼げるからと風俗を紹介される。ヤクザ組織との繋がりが深い企業で、Ωと承知で採用されるってのはそういうことだ。
俺もそういう一人だ。昔から行くあてもなく、なるべくして愛人になったし、この世界のことはよく理解していた。好きな男が出来た時は地獄で、心中するつもりで噛ませた。左馬刻さんに助けられなきゃ今頃、番は始末され、俺も後を追っていただろう。
それほど組織内で既婚のΩは希少だった。
それでも左馬刻さんはβ同様に扱ってくれる。命を救われた番共々、返し切れない恩がある。
そんな器のデカい恩人が。わざわざ敵の弟を捕まえて、毎回部屋も変えて、毎月欠かさず世話を焼いている。迎えも部屋代もいらないから抱いて欲しいΩなんて他にいくらでもいる色男のくせに。
それが酔狂じゃないってのが、βにはわからない。
相手のΩだって。毎回イケブクロまで送迎しているガキがどんなに噛まれたがっているかなんて。車の中で行き先も知らない外の景色を眺めながら無意識の様子で自分の首を撫でる姿を見れば一発でわかる。その証拠に彼は部屋に入るまで噛まれないための首輪を着けない。首輪が邪魔で焦れるのは噛めないαだけじゃない。Ωだって噛んで欲しい気持ちと噛ませるわけにはいかないって葛藤の中で、ギリギリまで首を晒してしまう。
惚れたαのいるΩは誰でもそうだ。口でなんと言おうが、どんな障壁があろうが、本当は噛まれたくて仕方ない。
噛まれさえすれば番を独占できる。そして、番以外の誰にも求められずに済む。
αだって、毎回ヒートを食えたら満足なんてありえない。ヒート以外の自分が会えない時間になら他のαに触れられても許せるのか。体だけ手に入れば、相手が他の誰かのことを考えていても構わないのか。お互いに他に相性のいい異性が現れた時には別れられるのか。
それで諦めがつくなら最初からあんなハイリスクな子供になんか手を出さないだろう。粗野な見た目以上に分別のある人だ。一度目の時点で結論は出てる。夜の街に生きる女を囲うのとはわけが違う。
よく、オメガバースを下に見て高尚ぶったβが本物の恋愛というのを説いてくるが、連中が想像するよりずっと俺たちは欲深い。番の体だけじゃなく気持ちも丸ごと手に入れたいんだ。
「ほんじゃあお前は何に一千万も賭けたんだよ」
ペラッペラの紙をつまみ上げてしつこく聞かれたが、βにとっては夢見がちなファンタジーのような運命論を語って聞かせてもバカにされるだけだろう。
「何って、ねぇ。Ωの勘、ですかね」
愛想笑いで誤魔化す。
しばらく渋面で見ていた二人だが、
「じゃあ俺も三ヶ月!」
「は?ズルいっすよ。俺も三ヶ月!」
「バッカ、賭けになんねぇだろうが!」
折角の一千万はそのうちなかったことになった。実際、紆余曲折あって翌月に左馬刻さんは番を持ったから俺に乗った二人の勘は正しかった。
まあそれでも、理屈抜きに他人に一生を捧げたい気持ちなんてのは、βには分からないだろうけどね。