※PRIDEドラパのネタバレを含む夏アレ高校時代捏造ネタです。
ステージに上がる子供たちはみんな真剣で、一生懸命演奏していた。
「夏準、次が李さんのお嬢さんだ。後で挨拶に伺うからよく見ておきなさい」
養父にそう言われた一歳下の少女も。みんなそれなりの家柄で大事に育てられ、親の期待を背負って国際大会のステージに上がっている。
大財閥の総帥を養父に持つ夏準も、この日は客席に座っているが、情操教育の一環として楽器は嗜んでいる。だから、小さな肩にスポットライトを浴びる彼らが大人顔負けの演奏をするまでにどれほどの努力をしてきたか、少しは想像ができるつもりだった。
自分も、養父の跡を継いで次期総帥となる自分は演奏家にはならないけれど、努力して、努力して、自分のフィールドで眩いスポットライトを浴びて堂々と指揮を執る。そういう親の期待に応えられる人物になる。
そうなれば社交も覚えなければならない。今回の音楽コンクールを見に来たのも、養父のビジネスパートナーのご令嬢が演奏するから。彼女に気に入られるため。
平たく言えば、許嫁候補なのだ。まだ恋も知らない子供だけれど、養父が仲良くしろって言うから彼女のいいところをたくさん見つけて褒めちぎる。
それが今の自分に期待されていることだと、夏準はよく理解していたし苦じゃなかった。
可憐なドレス姿の少女のバイオリン演奏を聴いて、述べるべき賛辞を思い浮かべる。問題ない。幼いながらに夏準は卒のない男だった。
それなのに。次の演者がステージに上がり弓を構えて間もなく。折角考えた少女への誉め言葉が吹き飛んでしまった。
もちろん、彼女に挨拶する頃には立て直してそれらしい台詞を口にし、王子様然とした容姿と立ち振る舞いでお嬢様に気に入られることには成功した。
だけど、たった一人の小さなバイオリニストのせいで。大勢の注目を集める重厚な木造りのステージが光を失って見えるようになった。
母国にいても、日本にいても、机を並べるクラスメイトの少女はまんざらでもない様子で話しかけてくる。
男子生徒の中には嫉妬で冷たい目を向けてくる者もいるが、誰にでも分け隔てなく微笑み親切に接し、好感度を調節すると“意外といいヤツ”のポジションに収まることができる。
相手からの好意を、接する時間や目線、些細な言葉選びで調節して、好かれすぎないようにする。つまり、女性に気を持たせず、男子の親友にもならない。
美しい容姿と育ちの良い所作、申し分ない家柄で相手にされて悪い気はしないし、案外気さくで話しやすい。でもやはり少しだけ壁がある。そんなちょっと特別な同級生。
それが韓国から来た燕財閥の御曹司。物心ついてから十数年の人生で身につけた技術で夏準自身が構築した燕夏準像だった。
休み時間になると隣の席の学友が椅子を動かして話しかけてくる。
「なあ、さっきの最後の問題ってさ」
広げたテキストの書き込みを覗いて、間違いを爪まで整った指先で指し示し、
「途中までは合ってますよ。でも、ここは…こう」
「あー、そうか」
「僕の持ってる参考書の方が教科書より分かりやすかったので貸しますよ」
「助かる。帰りまでには返すわ」
勉強熱心な彼に笑顔で頷き、自分のテキストを片付けると他方から声が掛かる。
「夏準、昼休みにバスケやろうぜ!」
愛想よく引き受けようとした矢先に横から女子が口を挟んでくる。
「待って。私たち今度のグループワークのことで夏準くんにそうだんしたいことがあるの」
授業で同じグループに振り分けられた少女二人だ。グループは男女二人ずつで男がもう一人いたはずだが、彼はこっちを見ることもせず机にかじりついて何かやっているところだった。夏準とは対照的に愛想のないタイプだ。彼女たちも面倒くさそうにしていたから、夏準を捕まえてから義理程度に声掛けする予定なんだろう。
彼女らの目的は夏準と親しくなること。もしかすると人気のない場所に連れて行かれて、二人のどちらかから告白される可能性まであるが。どちらにせよ純粋な打ち合わせ目的ではない。
そんなことは当事者の夏準でなくても察しがつく。
「はぁ?先生が詳しい説明は今度って言ってただろ。今から何話すってンだよ」
「先輩から去年のカリキュラムのこと聞いたの。早めに準備しておいた方がいいって言うから私たちは……」
「嘘くせぇ!」
夏準が何か言う前に頭越しに喧嘩に発展する。
今回は調節が上手くいかなかったか。いや、それなりの家の子息が多いこの学校は温厚な生徒が多い。それを考えると、彼と彼女の相性の問題かもしれない。そんなの夏準ひとりが小手先で操ろうとしてもどうにもならない。
面倒になってわざといつもより音を立てて椅子から立ち上がった。
「すみません。昼は家の用事で携帯に電話が来る予定なんです。待たなきゃいけないのでどちらもまた今度にして頂けますか?」
そんな断り文句に口を挟めるほどには、夏準はクラスメイト達にとって気安い存在ではなかった。
昼になると人目を避けて教室を出た。もちろん一日中待っても電話なんかかかってこない。
母国を離れて一人暮らししている夏準の生活に干渉してくる人間はほとんどいない。週に一度、決まった曜日と時間に掃除しに訪問してくる家政婦がいるだけだ。
外面に騙される女子も、女子の思惑には食ってかかるくせに夏準の嘘には何も言わない男子も馬鹿ばかり。
昼の貴重な休息時間まで連中に付き合うのにうんざりして人気のない昇降口を出た。他人のご機嫌を取るのも飽き飽きしていた。
午後の授業が始まるまで風通しの良い日陰にでもいようと思って地味な扉を開け、腰を下ろすのに良さそうな場所を探して首を巡らせると、先客がいた。
同じクラスの、同じグループの男子だ。無愛想な彼、────朱雀野アレン。
アレンがヘッドフォンをつけて膝にノートを抱え、壁に背を預けて座り込んでいた。
場所選びを失敗した。夏準が咄嗟にそう思って彼に気づかれる前に扉を閉めてその場を離れようとした、その時だ。
木の葉を揺らす風がアレンの赤毛を吹き流した。勝気に釣り気味の目を細めて彼は笑っていた。
他人の笑顔なんて見慣れたものだ。自分が微笑めば相手も笑う。でも夏準がアレンの笑顔を見たのは初めてだった。同じ学校に入学して一年以上過ごしたのに、アレンはいつもつまらなさそうで世の中の何も好きじゃないみたいだった。
一年どころじゃない。夏準は六歳のアレンを知っていた。世界的演奏家である朱雀野夫妻の一人息子。バイオリンの神童と呼ばれ、国際ジュニアコンクールでたくさんの拍手を浴びていた少年だ。多くの子供が悔し涙を流して逃した賞を手にしながら少しも嬉しそうにしなかった太々しい姿を夏準は覚えている。
インターナショナルスクールで再びその姿を見つけた時だって。楽器をやるクラスメイトの女の子に明るく話しかけられたのを一言二言でシャットアウトして入学初日に女子グループから嫌われるところを見た。その後も夏準とは真逆の意味で親しい友人を作ることなく一年過ごしていた。
だから、予想もしないものを見て夏準はその場を去りそびれた。風向きが変わって髪を?き上げた拍子にアレンがこちらを向いて、目が合った。
あっちも驚いていた顔をしたから誰も来ないと思ってここに来たのはすぐに分かった。
仕方ない。アレンなら夏準がここに来たことを言いふらすこともない。
驚きの表情を一瞬でいつもの微笑みに作り替えて軽快に歩み寄り、アレンの隣に屈みこむ。
「隣に座っても構いませんか?」
「……あ、ああ」
その手元を覗くと、ノートと一緒に雑誌を広げていた。クラシックの雑誌じゃないことはすぐに分かった。
「何を聴いていたんです?」
「別に……」
「これ、……ヒップホップですか?」
ノートと重ねられた雑誌の端に書かれていた単語を拾うとアレンの顔がパッと輝く。
「わかるのか?!」
分かるも何も、見え隠れする紙面の端にヒップホップの歴史がどうのと書いてある。
微笑んで、適当に「少しだけ」と答えた。実際、テレビで流れるヒットチャートくらいは聞いたことがある。何というアーティストがどんな曲を歌っていたかまでは記憶していないが嘘にはならない。
「意外ですね。こういうの、お好きなんですか?」
「誰にも言うなよ」
「秘密にしたいのなら。その代わり、僕がここに来たことも黙っていてもらえますか?」
頼まなくたって話す相手もいないだろうとは思ったが、唇の前で人差し指を立てて見せると不思議そうにしながらもアレンは素直に頷いた。
「昼はいつも姿が見えませんけど、ここにいたんですか?」
「天気のいい日はな。雨の日は別に場所を探してた」
「ずっと一人で音楽を聴いてるんです?」
「ああ、ゆっくり好きな音楽を聴けるのは学校にいる間だけだから」
教室でよく見るつまらなさそうな表情が戻ってくる。生きづらそうだと常々思っていた、何にも興味のないような顔だ。
そんなアレンを笑わせる音楽ってものに興味がわいて、首に引っかけられたヘッドホンから漏れ出る音に耳を澄ませる。
「…………聞いてみるか?」
差し出されたヘッドホンを受け取った。
初めて聞く曲だった。アップテンポで英語の詞が自由と尊厳を歌う。テレビでよく流れている流行りの曲と違い、早口のような、独特の歌い方で、時々単語が気持ちよく音にはまる。
嫌いじゃなかった。ただ、どこでアレンが微笑んでいたのかはわからなかった。
一曲終わってヘッドホンを外すと、アレンが黙って感想の言葉を待っている。
「ありがとうございました。かっこいい曲ですね」
「! だよな!いいよな!?」
勢いに押されながら頷いた。ほとんど社交辞令なのに、アレンは素直に喜んで上機嫌でつけなおしたヘッドホンの音に合わせて頭を揺らした。さっき聞いた曲のリズムで。
犬だったらきっと尻尾も揺れてる。なんだか実家に置いてきた犬を思い出して可笑しくなった。
「良かったらこっちも読むか?」
今度は雑誌。ヒップホップの専門誌かと思ったら音楽総合誌のヒップホップ特集号だった。
「ええ」
雑誌を受け取って表紙から順にページをめくる。紙面を飾るのは知らないアーティストばかりだったけど、アレンが横からすかさず「さっきの曲はこれ」と教えてくるので素直にそのページを読んだ。
アレンの機嫌を取りたいとは思わなかった。普段から誰とも親しくしていない彼と仲良くなる必要はなかったから。
でも昼休みいっぱいそこで雑誌をめくって、時々ノートに何か書き込んでいるアレンの様子を眺めて過ごし、彼より一分だけ早く教室に戻った。
教室に戻るとアレンはいつものつまらなさそうな無愛想な生徒に戻った。夏準に声をかけてくるわけでもない。
ああ、ここでは好きな音楽が聴けないから。
一人でそう納得して、次の日も夏準は昼の昇降口を訪れた。