もう全部どうでもいい。痛いのも、寒いのも、空腹も、クソみたいな大人からの罵倒も、説教も。
きれいな方の街がイルミネーションで輝く季節が来るたびに思ってた。あっちの連中はいつも安全で清潔な家に帰って、温かくて美味いものを腹いっぱい食べて、プレゼント交換を楽しんだり、特別な日だから高価なものを自分のために買ったりする。この先どんだけしぶとく生きたってそんな生活は回ってこない。
人生は生まれで決まる。食用豚に生まれた奴がドレスを着てきらめくダンスホールで踊ることがないように。カラスに生まれた奴がフルーツやクリームでデコレーションされたケーキを囲んでクリスマスを迎えないように。
不幸そうな人間にだってランクがあるし、その中でもゴミである俺らに優しくする奴はいない。駅前で募金やってる連中だって何日も食ってない俺に箱の中の金を明け渡してくれたりしない。優しそうな顔をした連中だって施す相手を選んでる。
寒さのせいか、しこたま殴られた痛みが鈍っていく。意識が朦朧として空腹も徐々に気にならなくなってきた。
施設で見た絵本を思い出した。貧しいガキと犬がデカい絵画の前で死ぬ話だ。見たかった絵を見てそのガキは満足して死んだ。一枚の絵で幸せに死ねるなんて安い奴だと思ってた。
だけど、ひとりで地べたに転がってると少しでも。何か救いがあればいいのにとも思う。それがあればこの世を呪わず大人しくあの世にいけるような、さ。
「──────!」
さっきの連中に見つかったんだろうか。いつまでも工事が終わらない現場の影で伏せていた目を薄っすら開ける。
殴りたきゃ殴れよ。死ぬまでの時間がちょっとばかし短くなるだけだ。
もうどうでもいい。
「珂波汰!」
見上げると大事な弟の那由汰がそこに立ってる。どうして。弟は、たしか、家にいたはずなのに。
痣と泥だらけの俺と違って弟の白い顔には傷一つない。そうか、俺が人生の最後に見る“救い”は那由汰か。そりゃいい。確かに穏やかな最期にできそうだ。
「珂波汰!何こんなとこで寝てんだよ!飯調達するって言ったっきり全然帰ってこねーから探したんだぞ?」
目の前にしゃがみ込んで頬に触った弟の手は温かくなかった。弟も俺と同じく何日も食いっぱぐれてる。
俺は、そうだ、那由汰に何か食わせないとヤバいと思って無茶やったんだった。
「那由汰……お前、飯は?」
「はぁ?俺の飯より今は珂波汰だろ。立てるか?」
「ん…………うっ……」
「ゆっくりでいいから。帰るぞ、家」
痛む体を無理やり起こして先を歩く那由汰について歩く。
道を歩く途中で膝に力が入らなくなって何度か転んだ。そのたびに那由汰は足を止めてしゃがんで待っていてくれた。
「大丈夫。ヤバそうなヤツ周りにいねぇから……あ、珂波汰。あれ見て」
そう言って自販機の下を指さした。
「なんか金っぽいの落ちてね?」
言われて地べたに這いつくばったまま手を伸ばした。
「十円?百円?」
「…………五百円」
「すっげぇじゃん。そんなこともあんだな。途中でなんか買って帰ろうぜ」
「ああ」
途中で寄ったコンビニでは仕入れ過ぎたクリスマス用のチキンが安く売ってた。温かい食い物をカイロ代わりに抱えて帰った。
家の水道は水しか出なくて、那由汰が手を赤くして絞ってくれたタオルで体を拭ってから二人で布団を被って食べた。
腹が落ち着くと体も温まってくる。二人でくっついていると、明日も生きていられる気がする。
「那由汰、ごめん」
「んー、何?」
薄っぺらな敷き布団に転がった那由汰に背を向けて思わず言葉がこぼれた。
さっき、那由汰が見つけてくれる前。一人で、全部どうでもいいなんて思って、投げだしそうになっちまった。那由汰が待っててくれるのに。
俺ひとりだったらそれでもよかった。でも俺には那由汰がいる。
「いや、迎えに来させちまって」
「なんだよそれ。疲れてんだから早く寝ろよ」
「ん、おやすみ」
「おやすみ、珂波汰」
ひとりならきっととっくにくたばってた。俺には那由汰がいたから生きてこれた。那由汰のために生きてきた。
明日も、那由汰と生きる。那由汰が待ってるから、死んでも家に帰るんだ。