二メートル向こうを何人もの足音が駆けてくる。
「オイ、そっちいたか?!」
「いや、だがどこかに隠れてるかもしれねぇ。お前向こう見て来い。俺らはこの辺の路地探してみる」
「クソッ!逃げ足の速いガキどもめ!」
忌々しげに吐き捨てて、集団の気配はバラバラに遠かった。
目の前の壁が動いて、ちらりと背後を確認する。
「……もう行ったかよ」
「ああ、今なら大丈夫だ」
目の前を遮っていた壁、スザクが体を退ける。そっと顔のプリントされたフードを上げて見ると、さっきの連中は一人残らずどこかへ立ち去っていた。
ちょっと財布をくすねようとしただけ。しかも未遂に終わったのにあんな大勢で報復にくるなんてケツの穴の小さい連中だ。
「はぁ……。スザク、助かった」
同じフードの大きなてるてる坊主みたいなゴーストの衣装の下から那由汰が顔を見せた。
「こんなヤツに礼なんか言う必要ねぇだろ」
「別に、本当に助かったんだから一言ぐらいよくね?」
俺たちが言い合う間もスザクは周囲を気にしていて、感謝されようがなんだろうがどうでも良さそうだ。ほらみろ、礼なんか必要ない。
今夜はもう何もできないだろう。連中はしつこく探し回っている。結局飯代は稼げなかったが仕方ない。どうしても金がない時は帰って寝るに限る。
そう決断してすぐ後ろの雑貨店の軒先のハンガーから拝借したハロウィンコスチュームを脱ごうとした。
そのフードの端をスザクが掴む。
「待てよ。その服代は俺が払う」
俺たちにストップをかけて、そのまま店に入っていく。
「は?何企んでやがんだ?!」
「っつーか、どうせ奢ってくれるんなら飯にしてくれよ」
「いいから、アイツら戻ってきたら困るだろ?そのまま着てろって」
たまたま鉢合わせた俺たちを匿うぐらいの協調性はあるが、スザクって男はマイペースだ。さっさと店内のレジで会計を済ませると「じゃ、行こうぜ」と先頭に立って歩き始めた。
「なんだ?飯でも行くのか?」
助けられた手前、というより帰路と同じ方向だったからロングコートにロングブーツ姿のスザクの後ろを歩く。これまでステージや街中で何度か遭遇したことはあるが、ハロウィンの仮装なのか、スザクらしくないファッションだった。
「腹減ってるのか?じゃあ今は時間がないから後で食いに行こうぜ!」
「後かよー。一体どこ連れてこうってんだ?」
俺たちに危害を加えるつもりがないのは分かってるが、明らかに怪しい。
那由汰が尋ねると、足は止めないまま首だけで振り返ってニヤリと笑った。暗くて気が付かなかったが、よく見ると白っぽい化粧をしているようだった。伸びたまつ毛がキラキラしている。
「追ってくるヤツから隠れられる場所。オマケにすっげー楽しい場所だ!」
ネオンサインの青い光がスザクの顔をモンスターみたいな青に染める。
そこは、この一帯ではそこそこのキャパを誇る老舗ライブハウスだった。
年季の入った楽屋の扉を開くと、それぞれフランケンシュタインと魔女のコスプレをしたメンバーが待っていた。
「ちょっと、アレン!すぐ戻るって言ったのに!」
「どれほど遠いコンビニまで行ってきたのかは知りませんが、すぐに準備して下さい」
口々に文句を垂れる仲間たちにスザクは適当に詫びながら楽屋に入ってすぐ壁際に避け、俺たちに道を開けた。
戸口に見知らぬゴースト二人が現れると、当然モンスターたちの視線はこちらに集中する。
「ほら、遠慮してないで入って来いよ」
「……アレン。勝手に部外者を入れないで下さい」
「そうだよ、アレン。ライブ前に連れてきて……この子たち誰なのさ」
「スペシャルゲストだ!」
マイペース野郎は得意げに言いながら俺の背中を押してステージ側の出口に押しやる。それからステージ袖にいたスタッフに頼んでマイクを調達すると、ヤツは本気で俺たち二人をステージに放り出した。
照明係もDJも大混乱。演出らしい演出もなくライブスタート前のSEが流れる暗いステージ上に白っぽい人影が二つ出てきて、客席は半端にざわめいた。歓声でも悲鳴でもブーイングでもなくて。期待感も何もないざわめきだ。
なんだか無性に腹が立った。
見るとフロアは超満員で仮装している客も多い。みんな浮かれやがって。
要するに俺らは前座だ。メインディッシュの前の腹にも溜まらないサラダってことだ。スザクの野郎、悪びれもせずやりやがった。
「おい、那由汰」
「うん」
「ここの客、俺らで掻っ攫うぞ」
「当たり前だろ」
そのうちスザクが指示したらしく、DJが俺たちcozmezのビートを流し始めた。それに合わせて照明がステージ上でフードを被った俺たちを照らし出す。
見てろよ、ワック野郎。俺たちをステージに上げたこと後悔させてやる。
ハロウィンライブ後の打ち上げはものの数分で解散になった。ステージはあんなに大盛況だったのに、だ。
ライブは悪くなかった。バトルじゃないから勝敗なんてもんは最初からなかったが、スザクたちBAEのワンマンライブを見にきた客がBAEの歌と同じぐらい、否それ以上に俺たちcozmezのステージングでブチ上がってたんだから俺たちの勝ちだ。
俺たちがフロアを沸かせたところで傲慢な顔して出てきた連中は本格的なハロウィンスタイルだった。
スザクは俺たちのステージの間にフェイスペイントと化粧を追加して、墓場から出てきたようなミニスカートのゾンビ婦警になっていた。女装だ。ライブ後に「二人に強制された」とかなんとか言い訳していたが、俺たちの知ったことじゃない。
オールバックの頭にデカいボルトをつけた48はフランケンシュタインで、ただでさえデカい背と態度が気に食わないのに輪をかけて癇に障った。
全員のメイクを引き受けるanZはとんがりハットの魔女。小道具のキラキラしたステッキを振って幻影を放つ演出で盛り上げていた。
ライブ後のスザクはずいぶんとご機嫌で、ギャラを要求したら二つ返事で料理屋に連れてこられた。
それなのに、店でテーブルに着くなり注文もせずにノートを広げて齧り付いた。そっから先は何を言っても生返事だ。
店までの道中、飛び入りゲストを連れてきた件でチクチク嫌味を言っていた48が本格的に説教しようとしたタイミングでこうなった。
そして、
「僕は先に帰ります。仲の良い皆さんはどうぞ、ごゆっくり」
「ああ」
スザクの生返事に冷たい作り笑顔を浮かべて48が帰った。
息の合ったステージングを見せたBAEはあっという間に三者三様、バラバラになった。残ったanZは48を引き留めもせず、スザクに説教もせずに、諦めた様子で煙草を吹かしている。
「おい、アイツ帰っちまったけどいいのかよ?」
「子どもじゃないんだし大丈夫だよ。それより何か注文しなよ。お金の心配なら要らないし、なんだったら適当に頼んでテイクアウトでアレンの分まで持ってってもいいよ」
そう言ってギラギラしたブランドものの長財布をチラつかせるから遠慮なく注文した。ギャラが飯一回分じゃ割に合わないから容赦はしない。今夜の飯と朝、昼、次の夜分までテイクアウトしてやる。
「どうでもいいけど、そいつ何やってんだ?」
食べ切れる限界までオーダーしてやろうと思ってメニュー表とにらめっこする俺の横で那由汰が尋ねた。
「コレ?」
anZが軽く肘を当てるがスザクは何の反応も示さない。
「アンタたちとライブが出来たのがいい刺激になったみたい。ま、よくある事だから心配要らないよ」
「心配なんかするわけねーだろ」
言い返すと、だよね、と笑って爪を黒く塗った手でスザクの肩を叩いた。
「夏準は絶対嫌な顔するけどさ、お互いの利害が一致した時にはまた一緒にライブしてやってよ」
「何が一緒に、だ」
「次があるなら大金のギャラと俺らに潰される覚悟しとけよ」
「はぁ……、ホンット可愛くない」
先に運ばれてきたanZの二杯目の生ビールがなくなる頃にテイクアウトパックに詰められた料理が揃った。
腹は空いているがBAEの顔を見ながら食べても飯が不味くなるだけだ。当然全部家に持ち帰って食べる。
一応打ち上げなのに、スザクは作曲のアイデアをメモするのに夢中だしanZはスマホ片手に一人で酒ばかり飲んでいた。店に居てやる必要は欠片もなかった。
暖かい店内から出ると夜風が体を冷やした。那由汰は帰りに待たされたゴーストの衣装をポンチョ代わりに被って裾をひらひら揺らしながら半歩先を歩く。
「なぁ、珂波汰」
「ん?」
くるりと振り返って眩しそうに目を細め、悪戯っぽく言った。
「珂波汰も今、早く帰って曲作りしたいんだろ」
「ね、ねーよ!」
笑って那由汰が走り出した。ハロウィンで開かれた人混みの中へ。
追って駆け出すと下げた手提げ袋の中で温かな料理のパックがカシャカシャ弾んだ。