after bad dream/夏アレ/3015

 キミはすっごく悲しいことがあった後、疲れた心をなんとかしたい時はどうする?
 例えば、好きなアロマを焚く。大好きな人に電話をかける。ペットを抱いたり、大事なアルバムをめくる。
 やる気が起きるまで何もしないって発想もアリ。だけど、僕らはそういうわけにいかない。
 幻影ライブの後はいつもトラップ反応がくる。
 従来の照明やセットだけで演出したステージとは比べものにならない、音楽表現を上の次元に押し上げたファントメタルによる幻影ライブ。そのツケは結構すぐにやってくる。
 折角のライブなのにおちおち打ち上げで飲んでもいられない。数時間のうちに一人きりになれる家に帰って、何時間も寝込める準備をして悪夢に苛まれ、汗だくでやっとうつつに戻ってこれる。
 そんな面倒なことを毎回やる。僕らはハコの大きさに関係なく幻影ライブをやってるから頻繁にトラップ反応で寝込まなくちゃいけない。
 くたくたに疲れて目を覚ましても、寝込んでいる間水分も摂れずにいるから脱水症状が酷いし、お腹はペコペコなのにしばらくは食欲も湧かない。
 それでも学校や仕事はある。多少は融通がきいても、丸一週間ぼんやり回復を待つ、なんてわけにはいかない。
 だから僕はトラップ反応に備えてベッドに入る前に、目が覚めた次の日に着る服を選んでトルソーに着せておく。お気に入りのミニスカートにブラウス。ハットやアクセサリーも。
 僕は好きな髪型をして、好きな服で、好きな香水、好きなネイルで出掛けるのが大好き。だから、悪い夢が終わったのを確かめる為に、ベッドの横に置いた鏡でアレンジし放題の長い髪があること、好みの服が僕に着られるのを待ってることを確認する。
 大丈夫。辛い過去は通り過ぎ去った、ここは現実だよって。
 トラウマに苦しむ間にぐちゃぐちゃになった髪をとかしていると壁越しに音楽が聴こえてくる。いつも同じ曲。アレンの部屋からだ。
 僕が服を用意する時、アレンはレコードを用意してる。レコード自体はたくさん持ってるのに、目覚めにかかるのはいつもの曲。アレンが苦しい過去から戻ってきた合図だ。
 夏準が準備しているものは、知らない。知らなかった。

 べったりした嫌な汗が冷えて寒く感じて、自分の肩の辺りを抱こうとした手が髪を引っ掛けて目が覚めた。首周りが寒いと悪夢と現実の区別がつかなくて最悪。
 シーツの上で絡まった髪に指を通して引っ張られる頭皮の小さな痛みで現実を感じる。
 部屋の隅には自分で選んだレディースブランドの服が一揃い飾ってある。悪夢の中で押し付けられていた旧時代的な「男の子」は絶対に着られないようなヤツ。僕はこの服を着ていいんだ。
 ホッとしてベッドから降りた。床についた足の指は一本残らず赤く塗られていた。定位置に置かれた鏡に映る顔は憔悴して酷いもんだったけど、洗面台で顔を洗ったら多少はマシになった。
 お風呂にも入りたいけどフラフラして危ないから着替えだけ済ませ、水分補給から始める。丸一日絶食状態だと急にごはんは入らない。このために家には経口補水液やゼリー飲料が備蓄してあった。
 仲間たちが戻ってくるのを待ちながら、ソファでSNSをチェックする。何もしてないと終わったはずのトラウマの断片が頭に蘇ってくるから。疲れていても何かやってた方がマシだ。
 アレンの部屋からはレコードが流れ続けていた。聴きながらまだベッドにいるのかも。室内のレコードやヒップホップ雑誌を手に取ってトラップ反応が終わったことを噛み締めてるかもしれない。
 仲間のトラウマの中身を知ったのは最近のこと。お互いのトラウマを曝け出しあったらずいぶんスッキリした。
 アレンは親にヒップホップを禁止されてた。こっそり集めたレコードを割られて、監禁されて自分を否定され続けたんだって。
 僕とアレンは似てる。自分が望まない息子像を親に押し付けられて、本当の自分を壊されちゃった。だから、親元を離れた今はめいっぱい好きなものを手に入れようとしてる。
 一方の夏準は僕らとはちょっと違って、育ての親に捨てられたんだって。養子で血がつながってないからって。
 大財閥の血筋がどれほど大事だか知らないけどさ、勝手に引き取って、勝手に捨てて。親ってのは子供を自分の勝手にできるオモチャみたいに思ってるのかな。小さな子供にとっては親は世界の中心で、だけど子供は親の一部じゃない、独立した人間なのにね。
 仲間のことを一歩深く知った日からトラップ反応から目覚めた時には仲間の苦しみのことを考えるようになった。
 僕らは親から離れて自分で選んだ生き方をすることで、過去の絶望から這いあがろうとしてる。それなのに、幻影使用者にトラウマを突きつけるトラップ反応は何度も何度も、今し方の出来事みたいに新鮮な絶望を与えてくるんだ。
 ファンタメタルを身につけて幻影ライブをやる限り。

『ライブ最高だった!BAEの衣装も今回が一番好きだったかも #BAE』

 SNSに投稿されたファンのコメントが目に留まる。自然と頬がゆるんだ。
 ママが認めてくれなかったことも今はたくさんの人が認めてくれてる。
 たくさんの人が投稿してくれたコメントの一つずつに返信するのは難しいし、エゴサーチからリアクションされるのを望んでない子もいるだろうから、心の中でだけ“イイネ”しておく。
 ちょっと元気が戻ってきた。腕を伸ばして深呼吸する。
「はー……。アレンたちまだかな」
 廊下の扉を少し開けてアレンの部屋の方を覗くと、ちょうど良く扉が開いて白い手が覗いた。
 夏準だ。
「ああ、アン。先に起きてたんですね」
 疲れは見えるけどいつもの夏準だ。自分部屋から出てきたみたいな落ち着きぶりで出てきて、部屋に持ち込んでいたドリンクのボトルを片手にキッチンに入っていく。
 その後からそぅっとアレンが顔を出した。
「…………起きてたのか」
「別に何も言わないから堂々出てきなよ」
 夏準みたいに堂々してたらこっちもスルーしてあげるのにさ。
 疲れと照れで変な顔してるアレンを置いてリビングに戻った。
 完璧王子の芝居が染み付いている夏準はドリンクボトルを置いて冷凍庫に入れていた食材を冷蔵庫に移してから自室に戻り、着替えを持ってシャワーに向かった。
 もしかしたら僕より先にトラップ反応が終わってたのかも。
 精神を蝕むトラウマには自分を支えてくれるものが効く。僕が自分のために用意するのはファッション。アレンは音楽。
 じゃあ夏準は?
 洗顔に使ったタオルを首に引っ掛けたアレンがリビングにやってきて、ソファの端っこに座った。過去を見つめてる顔じゃなかった。
 トラップ反応から醒めたら辛いことを思い出す隙を作らないのも大事だ。その点、夏準の“準備”は一石二鳥ってとこかな?
「ねぇ、いつから?」
「何が」
「いつから一緒に寝てたの?」
「……ッ!何も言わないって言っただろぉ?」
 クッションで叩いてくるから笑っちゃったよ。
 同居人が付き合ってるとか気を遣わないでもないけど、大好きなものがすぐそばにあるのって大事なこと。過去のトラウマはキラキラした現在で塗り替えていかなきゃ。
 苦しい悪夢が襲ってくるのが分かっていても僕らは止まらない。オーディエンスが好きなことを好きなように追ってる僕らに期待して、待っていてくれてる。もう子どもの頃みたいに何日も何週間も泣いてる暇はないんだ。
 またすぐに最高のライブがやってくるんだから。