cozmezBD2020/cozmez/2955

 ケツの下でおがくずを詰めた袋が爆発した。
 隣の男は落下した場所が悪く、太ももを木材が掠めて血が出ていた。
 背中を向けた壁の向こう側で「クソ!」だのなんだの声がしていたが、すぐに静かになった。無理して壁を越えてくることも、遠回りしてまで追ってくることもなさそうだ。奴らはもう一仕事終えてる。これ以上、俺たちに手間をかけるメリットはなかった。
 空気中に舞ったおがくずを吸い込んで咳が出る。それが収まってくると、隣人が太ももの傷を押さえて唸っているので、その辺を探して見つけたゴムチューブを巻き付けてやった。急いで止血するほどの怪我じゃなかったが。
「歩けるか?こっからなら家まですぐだぜ」
「ああ、すまねぇ……」
 芯をなくしたような体をなんとか動かして隣人が俺の後をついてくる。この先は多分、大丈夫だ。面倒な連中がいつも網を張ってるエリアはもうない。
 すっかり元気をなくしちまった隣人に合わせてゆっくり歩く。
 スラムの入口で合流した時の明るさは見る影もない。今日が給料日の男とは思えないしみったれたツラだ。
 今日が今年最後の給料日。いい仕事にありついて、予定より多く金を貰えたって喜んでた。銀行口座なんか持ってないから現金で支払われた金を大事に抱いて、一人じゃ不安だからと護衛を頼まれてた。
 だけど守り切れなかった。強盗する連中にとっても年末の給料日はかき入れ時だ。いつもより人数を揃えて襲ってきた。挙動から金を持っているのを見抜かれて狙われた隣人を引っ張って最小限の怪我で逃げてくるので精一杯だった。逃げなきゃ金と一緒に命も奪われるからだ。隣人が殺されたら、隣人の代わりに一家を支えるため弱い女子供が稼がなきゃならなくなる。大人の男でもこのザマなのに。
 剥ぎ取られた金を諦めて逃げたことを、隣人は責めなかった。逃げ出すために強盗連中を何発か殴ったが二人でなんとかなるレベルじゃないのは明らかだった。
「はぁ……。折角の稼ぎが……」
 薄暗いビルの谷間に流れる、どこかの飯屋が垂れ流した油っぽい排気にため息が溶ける。
 隣人は汚い袖で涙を拭って俺に頭を下げた。
「……悪ぃな珂波汰。報酬もしばらく払えそうにねぇや」
「仕方ねぇよ。つーか、護衛失敗したんだから報酬もクソもねぇだろ」
「そりゃそうか」
 護衛の報酬を辞退したものの、素直に頷かれると腹が立つ。命だけは守ってやったんだから所持金の何パーセントかは貰う権利があるはずだ。ただ、所持金がゼロなら取り分もゼロ。上着に居れた金も靴に隠した金も全部取られて裸足の男に請求できるものなんか何もない。
 これがスラムだ。稼いでもヘマすりゃ奪われる。
「あーあ……。今年ももうすぐ終わりだってのによぉ。ばあちゃんも今回の出稼ぎの金で、来年こそもっと家に引っ越すのを楽しみにしてたんだよ……手ぶらで、どんな顔して帰りゃいいんだ」
「たんこぶとアザだらけの顔で帰るしかねぇだろ」
「はは……クソだな。世の中クソだよな」
「そうだな」
 毎日のように思う。スラムから一歩外に出ると、店には食えもしないトナカイだのサンタだのの飾りが溢れ、街路樹はピカピカしてる。電気が止められたスラムのボロ家よりその辺の木の上の方が明るい。
 みんな暖かくていい服を着て、家族や恋人と美味い飯を食べに行って、楽しい正月の話なんかする。明日の飯の心配も、寒さで家族が倒れる心配もしないで。
 俺の家には体の弱い弟が待ってる。隣人の家には年老いた祖母と母親を失ったガキがいた。隣人のばあさんはうちの弟のことを気にかけてくれるから悪い人間じゃなかった。
「うちはさ、俺がガキの頃に両親が蒸発しちまったんだよなぁ……。そんで残された俺を、ばあちゃんは無理してここまで育ててくれたのに。働けるようになっても、いつまで経っても楽させてやれねぇ。俺なんか生まれなかった方が楽できただろうに……」
 スラムにもいろんな奴がいる。家族のためにスラム暮らしを受け入れて生活を続ける奴。嫌気がさして一人なら逃げられると思って消える奴。誰かに消される奴。
 相手が明日も元気にそこにいると信じてクリスマスプレゼントを選んだりする外の世界とは大違いだ。
 黙って聞いていると隣人の愚痴は湿っぽさを増してくる。背中にカビが生えそうだ。
「こんな広い世界の中じゃスラムの人間の一人や二人いなくたって誰も困りゃしねぇのに、何で産まれちまったんだろ……」
 また鼻を啜って泣き始めるから怪我のない方の足を蹴りつけた。
「グダグダうるせぇんだよ」
「なんだよぉ、お前だって似たようなもんだろ?」
 情けなく目元を赤くした男がこっちを見た。歳もそう離れていない。住処も近くて、仲がいいっていうのとは違うが、時々こうして護衛の仕事をくれることもある。家族を抱えて働いているという点じゃ境遇の似た男だった。
 靴を履いてるだけ男よりはマシだが、俺のポケットにも金はない。
 だけど俺は。
「…………俺は、産まれなきゃ良かったなんて思わねぇよ」
 俺が産まれなきゃ那由汰はひとりぼっちだった。
 俺の産まれた意義なんか、それだけで十分だ。

 部屋を借りている荒れ果てた古い団地の前で知り合いのババアが焼き鳥の屋台を出していた。痣を作ってぼろぼろの格好で帰って来た俺たちを見て何本か肉をくれた。代わりに年末分の仕入れを運ぶのを手伝えと。ギャラが足りない分を現物支給で寄こすなら、と言って受け取った。
 隣人を家まで送ると、ばあさんが事情を聞いて、報酬の代わりにと言って缶ジュースと買い置きのチョコレートをくれた。
 狭い家の中ではどこかの家の庭から抜いてきたような謎の小さな木にガキが折り紙を飾り付けているところだった。

 俺たち双子は十二月二十四日に生まれた。ケーキは誕生日の翌々日の朝に食べる。
 世間がクリスマスイブに浮かれている夜に、貰った焼き鳥と少しの米。それから一枚の板チョコを二つに割ってバースデーディナーにする。
「那由汰、誕生日おめでとう」
「珂波汰もおめでとう。一緒に生まれてくれてサンキュ。次の一年もよろしくな」
「ああ。来年こそやってやる。賞金の出るライブ片っ端から乗り込むぞ」
 今年、ラップの大会で結構な賞金が出ると知って二人で出場するようになった。主催はすでにヒップホップである程度成功しているアーティストやその関係者が多い。参加者にはいろんな奴がいるが、俺たちほど本物の底辺の暮らしを歌える、本物のヒップホップを表現できる奴なんかいなかった。
「お、いいね。いつもは珂波汰にばっか働かせてるけど、ラップなら一緒にやれる」
「俺らの音楽は誰にも負けねぇ“リアル”がある。二人でなら絶対のし上がれる」
「うん。じゃあ、俺たちのヒップホップに乾杯しようぜ」
 一本の缶ジュースをコップに分ける。今は安いジュースさえコップに半分しか満たせない。
 だけど何年か後には────いや、一年後には溢れるほどのジュースも、ケーキも、並べ切れないほどのごちそうもある。そんな誕生日にしてやるんだ。
 通り過ぎる電車の音にコップを打ち鳴らす音がかき消される。だけどステージに立てば俺たちの歌は全てを圧倒する。
 これからの俺たちは違う。ラップで人生を変える。
 那由汰とふたり野心を分かち合って、また新たな一年が始まる。