一番にスタミナ切れを起こして何周も周回遅れになっていた潔がついに人工芝の上に倒れ込んだ。さっきから何度も足がもつれて転げかけていた。先に走り込みをやめて引き上げようとしていた連中が「怪我する前にやめとけ」と忠告してくれても意地になって前に進み続けていたが、流石にもう限界だった。
手をついて体を起こそうとしても上手くいかず、うつ伏せで伸びて動かなくなった。
「大丈夫か?」
國神もいい加減やめどきだと判断して歩きに切り替え、ゆっくりやってきて上から覗き込む。
「ま……」
「ま?」
「ま、まだ……まだやれる……」
「イヤ無理だろ」
目の前にどうしても欲しい何かがあるみたいに力を振り絞って前へと伸ばされた手を掴む。互いの汗で滑る。自分の手のひらだけ自分の着衣で拭って掴み直し、肩に回して体を引っ張り上げた。
「ほら、休むなら壁まで行くぞ」
もうみんな撤収するところとはいえ、練習場のど真ん中で転がっているのを放置はしのびない。せめて寄りかかれる場所まで、と思ったが、担ごうとした体はさっぱり力が入っていなかった。
「もしかして歩けないのか」
「…………歩く、もうちょっとしたら、歩けるから」
ダメだなこりゃ。近くにいた蜂楽も「ダメだね」とお手上げポーズで肩をすくめる。
「おーい。歩けるようになるまで待ってたら汗が冷えて風邪ひくぞー」
「うん、わかってる……」
返事はあるが、無理やり立ち上がらせても引きずることになってしまう。
頑張りすぎだ。練習熱心なのはいいがやり過ぎて故障したり体調を崩したりしたら元も子もない。そんなつまらないことでリタイアなんてして欲しくない。
毎日サッカーのことだけ考えて過ごせる、ここ、ブルーロックは学校の部活なんかとは違って、用意されたステージで結果を出せなければ強制退場させられる。ひとつのチャンスを掴めなければ、また次なんてない。一瞬一瞬が千載一遇のチャンス。それを逃さないためには体調管理も不可欠だ。
とはいえ、基礎的な身体スペックが低めの潔が無理をしたくなる気持ちもわかる。足の速い奴、バネのある奴、フィジカルが強くて突破力のある奴。生まれついての身長や、筋肉のつきやすさが身体的な才能だとすると、潔はそういった面では恵まれていない。
恵まれていなくても努力で補う道筋が分かりやすいのがフィジカルでもある。鍛えたら鍛えた分だけ体は育ってくれる。今のところは急成長の兆しもないようだが。
歩かせようとした体を一度人工芝に戻し、膝下に手を差し込んだ。走り込んだ後の体にはちょっと重いが、持ち上がらないほどではない。
「おぉー、お姫様抱っこだ!」
パチパチ手を叩く蜂楽を軽く睨む。
「歩かせらんねーんだから仕方ないだろ」
「持ち上がるのがすごいんだよ」
「いいからお前は潔の荷物から着替えとタオル探してくれ。俺はこのまま風呂まで運ぶから」
「あいあいさー」
おどけた仕草で引き受けて、軽やかな足取りで蜂楽が駆けていく。人のことを「すごい」なんて言うが、蜂楽も見た目よりタフだ。
他の連中も、なんだかんだ言ってしっかりした歩行で居住スペースに戻っていく。
「お…………おろせ」
弱く胸に拳が当たって小さな苦情が聞こえた。
「ん、イヤだ」
「えぇ……」
國神は運ぶと決めた。それが自分にとって正しいと思ったからだ。自分で歩けもしない潔の意見は却下する。
暴れる元気はなく、しっかりと抱きかかえた腕から逃れられないと分かると、今度は背中を丸めて思った肩に額を押し付けてきた。
恥ずかしいんだな。顔を隠したいらしい。
それから遅まきながら首に腕を回して形ばかりしがみついてくる。自分の体重を支えるほどの力が残っていない腕では何の足しにもならないが、運んでもらっている手前、気を遣って少しでも負担を減らそうとしているらしい。
(なんだか……ちょっと…………)
何がどうとは言えないが、國神の胸の奥深い、普段誰にも触られない、自分でも触れないところがざわりとした。悪い気はしない。むしろ皮膚の下がムズムズして僅かに腕に力が入った。
小さい子供とか犬猫に懐かれているみたいだ。小さい生き物は撫でられるのが好きで頭を押し付けてきたりする。潔はそんなに小さくないが、全国から集まった男子サッカー選手の中にいると実際より小柄に見えるからかもしれない。
風呂まで行く途中、とっくの昔に撤収して風呂も済ませた仲間たちに「お前王子様か」「姫じゃん」なんて揶揄され、潔の様子を覗きに来る奴を足で追い払い、脱衣所を素通りで浴室の空いていたシャワーの前に潔を座らせた。何人か風呂場に残っているが、手で視線を払って「絡むな」とアピールすると遠慮してくれた。みんな疲れてさっさと横になりたいから風呂にも長居しない。
「自分で脱げるか?」
体に張り付く設計のボディスーツの裾に手をかけて尋ねると咎めるように手が重なり、絞り出すように「脱げる」と断られた。
「はっず…………」
「ハハッ」
膝を抱えて逸らした顔が赤い。一緒に目立っている國神も少しは恥ずかしいが、自分で選んだことだと思えばそんなに気にもならなかった。
汗でしっとりした黒髪を掻き回し、小さくなって動かない潔の代わりにシャワーのコックを捻った。
「うわっ」
急に降ってきた暖かな雨に驚いて潔が顔を上げる。手で前髪をかき上げても次々に注ぐ湯がひっきりなしに顔を濡らすのであまり意味がない。
汗で湿っている程度だった髪もボディスーツもたっぷり湯を浴びて濡れそぼっていく。
「何すんだよッ」
「そのまんまじゃ冷えちまうだろ?」
「大丈夫だって!」
口の方は元気が戻ってきたみたいだ。
しゃがんで、湯の水滴に打たれている潔と目線を合わせる。
「なあ潔。俺らはお前が頑張ってるのを見て負けてられねぇって、思うけど、肝心のお前がやり過ぎて潰れたら困るんだよ」
「…………」
ちょっと眉尻が下がった。怒られた子供みたいで面白い。
「こんなんでぶっ倒れでもしたら、また急にモニターがついて絵心に『才能の原石ども、オーバーワークで自滅する奴はファック・オフ!』って言われんぞ」
「ぷっ……はは、似てねー」
「そうかぁ?」
もう一度ブルーロック責任者の『ファック・オフ!』をモノマネをするとますます笑って、首を反り返らせた拍子に口に入り込んだシャワーの湯で派手に咳き込んだ。
「ガッ……! ゲホッ、ゴホッ」
「潔、だいじょーぶ?」
しっかり風呂支度をした全裸の蜂楽が二人分のタオルを携えて隣のシャワーにやってくる。
「水でむせただけ」
「ありゃ、そんなに喉乾いてたんだ」
「ゴホッ、ゴッ、ち、ちがっ」
「てゆーか服着たまんまじゃん。はーい、バンザイして」
「だから脱げるってば!」
容赦なく脱がしにかかる蜂楽に追い立てられてもたもたボディスーツを脱ぐ潔を笑いながら國神は一人で脱衣所に戻った。潔を抱えてきたから自分もまだ汗まみれのボディスーツのままだ。
服の裾に手をかけて引っ張りかけなんとなく自分の手のひらに視線を落とす。
自分がそうしたいからしただけの、エゴだ。そうした方が仲間のためになるという、独りよがりの善意。國神にはよくあることだ。
(でもさっきのは、ちょっと……下心があったんじゃないか?)
腹の中にある何かを言葉にすると「下心」が一番しっくりくる気がする。でも、何に対して?
────「はっず…………」
赤く染まった耳の端や丸みのある頬が頭をよぎった。いやいやいやいや。
頭を振って雑念を振り払う。そういうんじゃない。そういうのであっては困る。
扉ひとつ挟んだ向こうでは蜂楽の笑い声が響いている。潔も蜂楽のやることに巻き込まれているに違いない。
「………………」
心配になってそっと下半身を見下ろした。特になんの問題もなかった。ホッとして脱衣を再開する。
もし、万が一、本当に下心なんかが芽生えたとしたら、黙って一緒に風呂なんか入れなくなるだろう。
それは正々堂々が信条の國神の正義が許さないのだ。