服は嫌いじゃないが時間のかかる買い物は苦手だ。
出かける支度から五軒回った今まで──きっとこの後も、元気に服や小物選びをしているアンに断りを入れてアレンはベンチを探した。
荷物持ちは自分より体力もある夏準がいるからいいだろう。後で降りかかるであろう小言も甘んじて引き受ける。
次のステージ衣装を買うんだと言ってアンに引っ張ってこられたのはファッションビルだった。アレンたち3MCユニットBAE御用達のブランドがテナントに入っている。
真っ先にいつもの店に顔を出して何着か試着し、購入を決めたので、アレンとしてはもう十分だった。アクセサリーがどうとかブーツがどうとか言ってなかなかアン好みのアイテムが揃わないお陰で連れまわされたが、アクセサリーなんて手持ちのものと、最悪でもファントメタルがあれば問題ないだろう。これを言うとアンに怒られるので黙っているが。
そのビルはファミリー向けショッピングモールと違って妻子の買い物に飽きた夫が休憩してスマホで時間を潰す用のスペースがない。手頃なベンチもしばらく彷徨ってやっと見つけた。合皮張りの長椅子の向こう側には小学生ぐらいの女の子が座っていたが、他に座れる場所を探して歩きまわるのも面倒だ。
なるべく女の子から距離をとって彼女と反対側の端に腰を下ろしたアレンはスマホのメッセージアプリで夏準に居場所を送った。
それから、このビルにキッズ向けの服なんて売っていただろうかと首をかしげてちらりと横に視線をやり、無遠慮にこちらを見ていた彼女と目が合ってしまった。
こっそり盗み見るつもりがばっちり見られているのでびっくりして見つめ合ってしまった。
こんな時、夏準なら優しい王子様スマイルでご機嫌がとれただろう。アンは年齢や性別の差などお構いなしにフレンドリーに話しかけたかもしれない。
しかし、一人っ子で親戚づきあいも比較的希薄だったアレンは子供の扱いがまるでわからなかった。歳の離れた子供どころか同い年の学生の友達も少ない。会話の引き出しは音楽一択だからだ。
目が合ったんだから何か声をかけないと気まずいんじゃないかと思うが、慣れない状況にパニックで言葉が出てこない。悩んだ時の癖で、無意識に眉間に力が入ってしまう。
魔のピタゴラスイッチである。
幼い少女に気を遣おうとして悩み、険しくなった表情を見て彼女が小さな両手を膝の上でぎゅっと握りしめた。
「ご、ごめんなさい……」
「えっ」
おしゃれに着飾った体を小さく丸めて泣き出さんばかりの声で謝られた。謝られるようなことは何もしていないのに。
「いや、何もされてないけど……」
浮かせた手がダメだったのだろうか。彼女は長椅子を立ってじりじり距離を取ろうとするが、これでは後から来て場所を奪ってしまったみたいだ。
「大丈夫だから、座って?」
「ごめんなさい、大丈夫です……」
「俺こそ大丈夫だから!」
一歩退く彼女に一歩踏み出す。そうするとまた彼女は一歩退く。
その謎の緊張状態の中、アレンの背後から指輪付きの手刀が脳天めがけて振り下ろされた。
「コラッ!なに女の子イジメてんのさ!」
女にしては低めで勢いのあるその声。
「アン!」
「アンジー!」
振り向いたアレンの声に甲高い声が被さった。
「ん?僕のこと知ってるの?」
アンとアレン、それからアンの後ろでたくさんのショッパーを持たされた夏準。勢ぞろいしたBAE三人の視線を集めた少女が肩を竦め、アン一人に向かって頷いた。
「おや、もしかしてアンのファンのお嬢さんでしたか?」
進み出てすれ違いざまにかさばる紙袋をアレンに押し付けた夏準が膝を折り、目線を低くして少女に尋ねる。貴公子の立ち振る舞いは相手の年齢を選ばない。
「うん、あ、はい……ママがBAEのファンで……」
「それは光栄ですね。こんな可愛らしいお嬢さんともお近づきに慣れて夢のようです」
アレンと同じようなブランドで身を固めたアレンより長身の男である夏準が相手でも彼女は後ずさりしなかった。両手で自分の頬を包んで目をキラキラさせている。
「なんで俺だけ……」
「目つき悪くて営業スマイルが下手だからでしょ」
「笑顔なんて思い浮かばなかった」
小声で受けた的確な指摘に素直に白状したのに、帰ってきたのは尻への膝蹴りだった。
痛がるアレンをほったらかしでアンも夏準に倣って目線を下げた。
「ごめんねぇ、うちのリーダーが。悪気はないんだけどお喋りは下手でさ」
「アンのことはひと目見て気づいてくれましたが、アレンはわかりませんでしたか?」
「……えっと、ステージの時と全然違うから……」
しゃがんだ二人が振り返る。
「な、なんだよ……」
色気のないパーカーにマスク姿で目の輝きが今一つ足りない男がたじろぐ。
顔が変わるわけではないが、歌っている時のアレンとオフのアレンは確かに違った。やる気、もしくはオーラが。
「ごめんね、マイク持ってない時はこんなで」
「おい、アン」
「彼ががっかりさせてしまってすみません」
「夏準!」
「ところで、お母様は一緒じゃないんですか?」
夏準が尋ねたのは二人がアレンたちを見つけてから話をしている間に保護者らしき人物は誰も声をかけてこなかったからだ。
いくら知っているアーティストとはいえ、幼い娘が大人の男に囲まれていたら心配して当然だ。このご時世、何があるかわかったもんじゃない。
「ママは…………」
彼女が俯いてしまうと夏準はアレンに目で問いかけ、アレンは首を振った。
「もしかして、ママとはぐれちゃったのかな?」
これには彼女がはっきりと首を振った。
「買い物してくるからここで待ってなさいって……」
立っているアレンがテナント側に歩いていくつかの店の様子を覗いたが、店の外の様子を気にしながら買い物している女性は一人もいなかった。
「……そっか。じゃあママが来るまで僕とお喋りしてようか!」
ミニスカートのアンが膝を伸ばして立ち上がった。長椅子に足を揃えて腰かけると隣りを手のひらで叩いて彼女を呼ぶ。
「こちらへどうぞ、お姫様」
芝居がかった仕草で夏準が促すと、戸惑っていた彼女が頬を赤らめて緊張気味にアンの隣に着席した。お姫様らしく、アンを見習って足を揃えて背筋を伸ばす。
「改めまして、僕はアン。キミの名前は?」
「えっと、エリー。初めまして」
「いい名前だね、エリー。そのブラウスもキマってる。それ、sweet violetの服に似てるけど……」
「アンちゃんが前に着てた服に似てるのを見つけてママが買ってきたの」
パンキッシュなブラウスの裾を引っ張って彼女は顔を伏せた。丁寧に結われた髪や薄く施された化粧にも合っているように見えたけれど、褒められてもあまり嬉しそうに見えなくてアンは服の話をやめた。
「うちのライブは大人しか入場できないけど、エリーも配信で見てくれた?」
「うん!」
「やったー!嬉しいな。どの曲が好き?」
「えっとねぇ、EmBlemとか、F△Bulousとか…」
BAEの曲の中でも明るくキャッチーなナンバーだ。
「僕もお気に入りだよ!──誰よりも I’m So F△bulus~F△bulus~」
ご機嫌に頭を振りながら手を振るとエリーも真似して細い腕でひらひらと手を振る。
ファンの年齢層が比較的若いBAEでも小学生のファンと対面することは滅多にない。ママが来るまで変な大人に連れ去られたりしないように傍にいるのだけれど、アンにとっても素敵な時間だった。
だけど、ふと彼女の足元が目に入った。ヘアスタイルからスカート、ソックスまで調和のとれたコーディネイトの中で足元だけが履き込んだスニーカーだった。アンならきっとエナメルのストラップシューズを選んだだろう。
「ねぇ、エリー。その靴はお気に入りなの?」
言われて今まで楽しそうにしていた彼女が長椅子の陰に隠すように足を引いた。
「……汚い靴って思った?」
「ううん。大事に何度も履いてるんだよね」
きっと誰かに汚い靴だと言われたことがあるんだろう。アンが子供の頃はリボンのついた靴を欲しがって、男の子なのにみっともないと言われたことがある。ママに。
「もしかしてエリーはダンスも好き?」
「わかるの?」
「動きやすそうな靴だから、そうかなって」
さっきだって一緒に手を振ってくれた。でも彼女が好きなのはヒップホップ文化に属するダンスじゃないかもしれない。そんな気がして仕方なかった。
「どんなの練習してるの?」
踏み込むと膝の上で自分の手を握り込んで目を泳がせる。
「いいんだよ。どんな答えでも、答えなくたってエリーの自由なんだから」
怒らないし機嫌も損ねない。手のひらを広げて大丈夫だとアピールすると、言いづらそうに教えてくれた。
「……ホントはね、歌もダンスもアイドルの方が好きなの。ごめんなさい」
少し離れて立っていたアレンと夏準が黙って視線を交わす。
何のためのごめんなさいだろう。
偶然出会ったアーティストが一番好きではなかったから?
ヒップホップクルーにアイドルの方が好きと言ったから?
少なくともBAEにはそんなことで謝罪を欲しがるメンバーはいない。誰よりも自分たちの音楽に自信と誇りを持っているアレン でさえも。
アンは長椅子の真ん中に片手を置いて身を乗り出した。
「何を好きでもいいんだよ。好きなこと頑張ってるのって最高にcoolじゃん」
だから安心してよ、と続けようとした時にアレンたちがテナント囲まれた通路の向こうからこちらへ向かってくる女性の姿を見つけた。
三十代前後に見える女性はアレンが持たされているのと同じブランドのショッパーを抱え、アレンと夏準の姿を見ると足をとめて「ウソ!」と小さく叫んだ。
「もしかしてSUZAKUくんと48くん、ですか?」
ああ、“ママ”だ。誰もが直感的にわかった。
「ええ、そうです」
「やだ、どうしよう!」
「失礼ですが、エリーさんのお連れの方ですか?」
壁際に避けてアンと少女の座る長椅子を示すとまた「やだ、どうしよう!」と繰り返した。口癖らしい。
「娘です!買い物で疲れたって言うから待たせてたんですけど、まさかBAEのみなさんが子守りをしてくれてたなんて!ほら、エリー。ありがとう言ったの?」
早口でまくしたて、買い物袋を邪魔そうに屈んで娘の背中を押す。憧れの三人のプライベートに遭遇して舞い上がっている。
そんなに好きでいてくれてありがたいとは思う。いくら誇りを持っていてもファンがいなければステージは成立しない。
だけど、それでもひとこと言ってやらなきゃならない。
「あのさぁ───」
「ボクらは大したことはしていませんのでお気遣いなく」
拳を固めて立ち上がったアンの前に進み出て遮ったのは夏準だった。
「ただ、こんなに可愛らしいお嬢さん一人では危ないですから、今度からはお買い物に疲れたらお茶でもしながら休憩なさってください。よろしければ近くのオススメのお店をご紹介しますよ」
いつも微笑みを張り付けた美しい顔を憂いに歪めて心底心配そうに娘を見やれば母親に「はい」以外の選択肢はなかった。
納得いかないアンを背後に隠し、無言のアレンが暴走しそうなアンを捕まえ。
徹底して慇懃な夏準が会話の全てを引き受けて帰路へと誘導した。疲れた娘を連れてこれ以上歩き回るべきではない。
BAEにも買い物に飽きた男がいるので帰宅するのは大賛成だった。
そうしていつもより早くにマンションに帰り着いた。
通常ならファッションビルを出た後もいくつか店を見るコースが定番だけれど、今日は母娘と別れてから更にどこかへ、という気分ではなかった。
「ア───ッ!!もう!なんなんだよ!もう!!」
ソファに並べたクッションを殴って叫び散らすアンに夏準が眉を顰めた。そのうちカバーが破れて中身が飛び散りそうだ。
「僕らを好きなのは嬉しいけど!」
ボスッ
「僕らは親に好きなもの否定されて!」
ドスッ
「親の好みを強制されたりするの!」
バスッ
「大大大大っ嫌いなんだから!!わ───ん!!」
クッションが破れる前に容赦のない暴力はハグに変わって叫びがクッションに吸い込まれた。
暴れ終えたと見てテーブルにハーブティーのカップを一つ届ける。
「よそのご家庭のことはどうしようもありませんよ。これでも飲んで少し落ち着いてください」
風呂から出てきてリビングを通りかかったアレンも面倒くさそうにする。
「おい、風呂まで聞こえてたぞ」
クッションから顔を上げたアンは盛大に渋い顔をした。
「なんで二人はそんなに冷静なのさ。ムカつく!」
「何でと言われましても」
「俺はもう部屋にこもるから邪魔しに来るなよ」
「行かないよ!アレンのバカ!夏準もバカ!」
「ついでみたいに言うぐらいならバカの仲間にしないでください。ボクもこれからやることがあるので静かにしてて下さいね」
そう言って二人はそれぞれの自室に戻ってしまった。
二人ならこの気持ちを共有してくれると思ったのに。
仲間への失望の分、もう一発拳をクッションにめり込ませた。
「新曲にリリック書いてくれ。あと衣装もな」
朝起きるとすでにアレンが起きていた。いや、寝ずに起きていた。
曲の入ったノートパソコンをリビングに置くなり「じゃあ寝る」と言い残して部屋に戻っていった。
「寝るってアンタ、授業どうすんの」
「自分で計算してるんでしょうから放っておきましょう」
計算したところで狂い泣く計画を果たせる器用なタイプでないことは二人ともよく知っているが放置することにした。
「それにしたってさ、新曲作る話してたっけ?」
「さぁ?アレンのことは知りませんが、来週の水曜に配信枠の予約したので予定空けておいてください。バイトは休みのはずですよね」
今度は突如配信のスケジュールが降ってきた。
元からBAEは動画サイトに曲のMVを投稿したり、自宅ライブやトークのライブ配信を行っている。
だけど他のメンバーのスケジュールを勝手に決めることはない。大抵はライブハウスでのライブの予定がない時期や、何かイベントごとの前後なんかに誰かが言い出して、相談して日時と内容を決める。
自宅からリラックスした様子を配信するのだって服装やカメラに映す背景など、演出は大事だ。音楽しか頭にないアレンはともかく、家だからってファンをガッカリさせないだけの準備を整えてカメラを回す。
そうした自己演出のプロである夏準が。
「え、どうしたの?アレンも夏準も急に……配信てもしかして」
「ええ、その新曲のお披露目にぴったりでしょう。ちょうど良かったですね」
そんなバカな。こんな無計画な燕夏準がこの世に存在するわけがない。
胡乱げな目で見るアンの背中を押して朝の支度をさせ、夏準自身は新曲のトラックを聴く前に出かけていった。
どうにも奥歯の噛み合わせが悪いような、疎外感のような、なんとも言えない気持ちで支度を済ませてから時計を見て、出発までの少しの時間にアレンが残したパソコンで新曲とやらのトラックを再生してみた。
「…………何これ」
キャッチーで明るくポップ。でも、確かにアレンのセンスだけれどいつもとちょっと違う。
ヘッドホンを置くとアレンの部屋の扉を叩いた。
「アレン!アレンてば!入るよ!」
返事はないがダメとも言わないので突入してベッドの布団の塊に叫ぶ。
「新曲って、アレってアイドルソングだよね?!」
布団がもぞもぞ動いて頭の方から片手が上がった。風に揺れるすすきみたいに動く。
「……うるさい。寝かせてくれ」
苦情で返されたが違うとは言わなかった。
部屋の作業用のデスクトップパソコンには有名なアイドルグループの動画が開かれていた。
勝手に操作して検索履歴を覗くと、男女かまわずあらゆるアイドルを調べた形跡がある。
「アレン…………昨日バカって言ってごめん!」
溢れ出る気持ちのままに布団を抱きしめると死にかけたカエルのような声が漏れた。
「そもそもヒップホップの懐は広いんだ。レゲェ、ジャズ、ロック。様々な音楽でラップは歌われてる。俺はまだ受け入れられないが、クラシックだって例外じゃない。アイドルだってそうだ。近年はラップパートのある曲も多い。まぁ、女子アイドルには少ないかもしれないが……。ラップは柔軟性があるんだ。問題はアイドルらしさや魅力を取り込みつつ俺たちのカラーとどう組み合わせ、アイドルのキラキラした輝きを感じさせつつBAEの曲として成立させるかで……」
「喋ってるとステップ間違えますよ」
「うわっ」
足がもつれて目の前の背中に飛び込んでしまった。
Tシャツを汗で張り付かせたアンだ。レディスの服をきれいに着られるギリギリまで鍛えた背筋はドミノ倒しになることなくアレンを受け止め、軽やかなターンで身を翻してアレンの頭を引っ叩いた。
「真面目にやってよ!アレンのパートだけ振り付け簡単にしてるんだからね!」
今回のセンターはアン。振り付けは夏準の知り合いのダンサーに依頼した。
最初は夏準とアレンはバックダンサーとして同じ振り付けを練習していたが、リズム感も運動神経もあるのにいまいちキマらないアレンの異議申し立てにより、曲中の見せ場として高速ラップパートを設けることによりバランスを取ることにした。
短い準備期間にアンはフリルのついたブラウスにリボン。スカートを用意した。バックダンサーの衣装はスーツをベースにアクセサリーをプラス。いつもよりフォーマルで華やかで、あまりラッパーらしくない。
「らしさ、に拘るのは最先端を走るボクららしくありませんからね」
「そうそう!普段と違うことはたくさんあるけど、アレンが作ってくれたこの曲にぴったりの衣装とダンスなんだからさ」
若干名からタイトなジャケットでは踊りにくいとの不満も出たが、配信日当日にはなんとか形になった。
予約時刻に始まったリアルタイム配信画面に『DearMyFriend』と書かれた手のひらが映る。
手がカメラから離れるにつれて指の間から垣間見えるフリルと光を反射するネイルでanZとわかった。
ポニーテールにリボンを結んだ頭のてっぺんまでフレームに収まったところでanZはニッと笑った。
『こんばんは、見に来てくれてありがとう!今日はいつもと違う新しい試みで、びっくりさせちゃうよ!』
『きっといつもの俺たちのライブを見てくれているヘッズの中には、これはヒップホップじゃないとか期待していたものじゃないって思う人もいるかもしれない。だけどこれは紛れもなくヒップホップだ』
『ボクたちはボクたちが良いと思えばなんでも貪欲に取り込んで成長していきます。今夜はその一つの枝に咲く花。どうぞ特別な夜をお楽しみください』
立ち位置についた三人の真ん中でanZがカウントを取る。
BAEが誰より自由であると証明する為に。