ポケットに入れていたスマートフォンが鳴ったので受話操作をして耳にあてると酷く申し訳なさそうな声が聞こえてきた。
「ごめんね、出かけようとしたらちょっと……あぁっ、リュウくん待って!そっちは僕がやるから────あ、ご、ごめん那由汰くん。えっと、ちょっと遅れそうなんだけど……」
背後に聞こえる棗リュウの声と別の大人のような声。四季からの電話を受けた那由汰は深く聞かず、あっさりと「いいよ、大丈夫」と応じた。
「なんか四季が大変みたいで遅れるって」
「大変って、何かあったのか?」
一緒に四季との待ち合わせに向かっていた珂波汰は心配そうに言うが聞いていないので詳細は知らない。
「多分大丈夫。適当に時間つぶしてりゃそのうち来るよ」
どうせリュウが何かやったんだろう。多分助けに駆け付けるような案件じゃない。
まあそうかと納得すると、今度は珂波汰のスマートフォンが新規メッセージを受信した。
「……紗月たちも遅れるってよ。なんかやらかしたのが筋肉にバレたとかって」
「筋肉の説教ってどんぐらい長いんだろ」
「さぁ?」
わかった、とだけ返してスマートフォンをしまう。あちらもこちらも詳細は合流してから聞けば十分だ。今日は一日遊ぶ約束になっているんだから。
とはいえ、どれぐらい待つかわからない。待ち合わせ場所付近に到着してしまって時間つぶしに入れる店を探していると。きょろきょろ見回していた珂波汰が鼻の上にしわを寄せて「ゲッ」と汚い音を吐いた。
目立つピンク色のロングヘアと赤毛のくせっけがただならぬ様子で街路樹の下で問答しているのを見つけてしまった。どうやら赤毛の、朱雀野アレンも紗月たち同様に何かやらかして同居人のアン・フォークナーに説教されているところらしい。ビシッと音が立ちそうな力強さでアンが指を振り下ろすと、触れられてもいないアレンの頭が重そうに沈み込む。
「あれ?BAEの連中じゃん」
「見んな那由汰」
うっかり声をかけてしまいそうな那由汰の背中を押して珂波汰が踵を返そうとした時。
「あ、珂波汰!」
馴れ馴れしく、それこそ友達を見つけたような声色でアレンに見つかってしまった。軽く手を上げて応じる那由汰とは対照的に苦虫を?み潰したような顔で珂波汰が振り返る。
「こんなとこでどうしたんだ?買い物か?」
「うるせ、こっち来んな!」
「お前らは何してんの。めちゃくちゃ目立ってんだけど」
「那由汰ッ!」
腕を振ってアレンを遠ざけようとする珂波汰に構わず、かといってアレンの質問に答えもせず。ちょうどいい暇つぶしを見つけて会話に参加した弟を珂波汰が怒鳴るが、那由汰は耳に小指を突っ込んでスルーした。珂波汰と友達のつもりのアレンの間の温度差はすさまじいように見えるが、珂波汰が口ほどには嫌がっていないことを那由汰は知っている。
那由汰が紹介した四季のことはすぐに受け入れたのに、素直に情熱をぶつけてくるアレンには素直になれない。BAEが新曲を発表するたびにここの韻はもっと踏めるだの、フックでこうしたらもっと渋くなるだのとうるさいクセに。
那由汰が立ち話の姿勢になると引きずってでもその場を離れようとする。那由汰はどちらでも良かったのだけれど、アンが珂波汰の肩を掴んだ。
「ねぇ、暇なら丁度いいから手伝ってよ!」
「暇じゃねぇ!」
「手伝ったら何くれんの?」
珂波汰と那由汰の返事が被った。珂波汰の返事は無視された。
「アレンが財布すられちゃってさ」
「ハッ!メタルの次は財布かよ間抜け野郎」
「メタル盗ったアンタが言うんじゃない!」
もっともなツッコミに隣で那由汰が笑う。珂波汰の味方はしてくれないらしい。
「人ごみの中だったから犯人の顔はわかんないけど、この辺スラムも近いし中身抜いた後の財布を捨てそうな場所とかわかんない?」
「財布?中身じゃなく?」
「ンなもん諦めて買い直せよ。テメェらボンボンなんだから財布のひとつやふたついくらでも買えンだろ」
財布に小銭でも入っていれば御の字のスラムの子供と違って何万も入れていたに違いないアレンが、犯人を捕まえて中身を取り返すことを諦めて財布だけ探していることが鼻につく。荒く鼻で息を吐いた。
「あれは、誕生日に夏準にプレゼントしてもらった大事なものなんだ」
いけ好かない金持ち坊ちゃんのプレゼントなんてもう一回強請ればいい。そんな大事なものなら家の金庫にでも入れとけ。瞬時に浮かんだいくつもの冷たい言葉が喉のすぐそこまで噴き上がってくる。でも、那由汰の視線を感じて、口の奥に溜め込んだ言葉を一度鼻から吐き出した。
「…………いくらの財布だよ。まさか安モンじゃねぇんだろ」
「ちょっと、先に見つけてガメようっての?」
すぐ喧嘩腰になるアンをアレンが押しとどめ、ネット検索で見つけた財布のブランドのページを差し出した。
「これだ。細かい値段は知らないんだが……」
「普通に新品で買ったら七十万ぐらいかな」
横から画面を覗き込んだアンが財布の持ち主も知らなかった値段を教えてくれる。珂波汰たちだって賞金を手に入れてから財布を買ってみたりしたが、それでも店頭で選んで気に入ったのはせいぜい二万程度の品だった。入れておく現金より高い財布を持とうなんて思いもしない。アレンだって自分では財布に七十万も出す気にはならないだろう。豚に真珠。猫に小判。ヒップホップバカに高級財布。
使用済みで新品の価値はないとしても十分高価な財布を盗まれるなんて信じられない。双子の冷たい視線がアレンに突き刺さる。
「お前ら質屋はあたったのか?」
「質屋?」
「こんなブランドロゴも入ってて『お高いです』って言ってるような財布をその辺に捨てるわけねぇだろボケ」
「なるほど……近くのブランド品の買い取り店に流れてるかも」
「なくても警察に届け出りゃ持ち込まれ次第連絡が来る」
「ありがとう、珂波汰!」
丸みのある釣り目をキラキラさせて身を乗り出してくる間抜けの顔面にスマートフォンを叩きつける。
「見つかったら雷麺亭の飯一年分奢らすからな!」
「わかった!」
「わかっていいの?!」
何も考えずに快諾するアレンの胸倉をアンが掴んで揺すった。この様子じゃまたいつか何か盗まれて大騒ぎするだろう。生まれ持った“キレ”を音楽に全振りしたような男だ。アンのことも夏準のことも好きじゃないが、こんな間抜け野郎を見捨てず世話を焼いている点はリスペクトしてもいい。
「行くぞ、那由汰」
今来た道をUターンすると、今度は那由汰も素直についてきた。
静かで居心地の良い喫茶店も安くてコスパの良いファストフード店も素通りで歩き、つい最近まで住んでいたスラム街に踏み込む。
大通りから伸びる細道を入っただけで別世界だ。夜は眩く光るネオンサインや小洒落た看板を掲げる飲食店がぎっしり詰まったビルの裏手は埃で汚れたコンクリートと塗装が?がれても誰も塗り直さないから錆びてボロボロのトタンで作られた家が立ち並ぶ。地面のあちこちには金にもならないゴミが落ちてる。資源として売れるようなものは、それを生業にしている住人が回収済み。
表の街の住人のゴミ捨て場から拾ってきた家電を修理したり、パーツにバラして売っているオッサン。窓辺に「軽食」と書いたカレンダーの裏紙を垂らして質素な飯を売り、小銭を稼ぐばあさん。
他人の家の軒下で時間が過ぎるのをただ待っている子供はいなくなった。珂波汰たちが獲得した賞金の一部を使い、珂波汰の雇い主であり紗月たちの兄貴分である翠石依織に頼んで簡易的な児童保護施設を作ってもらったからだ。
施設と言っても正式な認可を得た孤児院などではなくて、取り急ぎスラムの一角にあるビルを買い取り、最低限の補強工事とリフォームを済ませて行き場のない子供を集め、子供が出来て働くのが困難になったスラムの女や料理の上手いばあさんを何人か雇って住み込みで子供の世話を任せている。翠石組に恩のある男も雇って力仕事や警備に当たらせている。
既存の児童保護団体へも寄付したが、国や自治体の認可が得られる新規施設を整備したり拡張したりするのは時間がかかる。その点、警察もろくに見回りに来ないスラムの中に作れば手っ取り早い。仕事さえあれば真面目に生きられる貧乏人に仕事を与えることもできる。
自分たちで使おうとすれば途方もなく、何をどれだけ買えば使いきれるのかもわからなかった金もここでは有効活用できた。
表の街の人間はスラム街をクズの集まりだとか、才能がないヤツ、バカなヤツ、ゴロツキの掃き溜めみたいに思っているだろう。だけどそうじゃない。計算だって文字だってなんだって知ってる女が家族の借金のために自分の人生を送れないでいる。やたらと絵の上手い爺さんがその辺の子供に漫画の絵を書いて小銭を稼いでいる。母親に産まなきゃよかったとまで言われヤクザの小間使いで食い扶持を稼いでいたガキがラップで百億を掴んだ。
ただ運がなかった、チャンスに恵まれなかった人間がなんとか生きる場所を探して集まっている街だ。
みんな表の社会で暮らすだけの金があったら才能を伸ばせたかもしれないのに、日銭を稼ぐのに必死でつまらないことに技術を安売りしている。
そのチャンスを掴めずに年老いた爺さんが水路際の鉄筋コンクリートのビルに居座っていた。
「おいおい、双子じゃないかい」
今や管理者不明のビルの二階の建付けの悪い扉を開けると、建物ごとほったらかしのデスクを寄せ集めて作ったカウンターに白髪を一つに結わえた爺さんがいて、肩眉を上げて手元の本から顔を上げた。
「繁盛してるか、カワギシ」
呼びかけた名前は本名じゃない。水路の横で商売しているからカワギシと呼ばれている。つまり屋号だ。この辺で何年も商売をやっている住人にはよくあることで、珂波汰も那由汰も爺さんの本当の名前は尋ねたこともない。表の街で何かやらかしてスラムに逃げ込んだ人間は特に本名を名乗らないし、戸籍を管理している役所や国から見捨てられたエリアでは本名など大した意味を持たない。
「お前らがガキどもを連れてっちまったもんで仕入れが減ったわ」
「ガキがクスねてきたモン安く買い叩いてきたツケがこれから回ってくんだよクソジジイ」
「バカ言え。他じゃ換金できねぇ物に金出してやってんだよこっちは」
子供でも大人でも関係ない。カワギシはスラムの住人の顔と、大抵のものの価値を暗記していて、何を持ってきても値段をつけてくれる。廃屋に忍び込んで拾ってきた骨董品でも、公衆電話の下に落ちていたテレホンカードでも、酔っぱらった会社員の懐から零れ落ちたカードケースでも。持ち込んだ子供が価値を知らなくても平等に渋い価格で買い取ってくれた。誰にも平等な質屋はこの街にいくつか存在する秩序の一つだ。
ただし、カワギシが相手にするのはスラムの住人だけだ。よそ者からは何も買い取らない。
「それで大金持ちのガキが何の御用で?まさかパラドックスライブの優勝トロフィーでも売ってくれるのかい」
「いくらで買ってくれるのか興味はあるな」
「俺たち財布を探してるんだ。新品なら七十万ぐらいの」
デスクに肘をついてカウンターの奥に並べられた事務用キャビネットを覗き込む。半分ほどは扉が開いていて、もう半分は中が見えないよう閉じられていた。
もったいぶって唸りながら老爺が顎を撫でる。
「情報だってタダじゃねぇんだけどなぁ」
「頼むよじいちゃん。昔肩揉んでやったじゃん」
「その分きっちり駄賃持ってたじゃねぇか。揉み方が弱いっつったら老い先短いジジイの肩をその辺の棒っきれで叩きやがるし」
昔の那由汰は体が弱く、珂波汰がスラムの外で仕事している間はスラムのアパートで留守番していた。だけど少しでも金を稼いで珂波汰を助けたくてスラムの大人に仕事はないかと聞いて回ったものだ。そうするとまとまった収入があって機嫌のいい大人が家の掃除だとか、集めた資材の分別の手伝いだとか。ちょっとした小遣い稼ぎをさせてくれる。カワギシの場合はやせ細った肩を揉んでやると小銭をくれた。
「……まぁいいわ。サイン十枚で売ってやらぁ」
ガタつくデスクの引き出しを開けて書くものを探す老爺を珂波汰が訝し気に睨む。
「サイン? なんの契約書だよ。借金の連帯保証人か?」
「バッカヤロ。お前ら今や国を代表する有名アーティストだろうが。サインつったらこれよ」
ドンと卓上にcozmezのCDの束と太字ペンが乗せられるのを見て双子は顔を見合せた。
「愛想のないcozmezのサインとなったらオークションで高く売れるぞ」
あ、カワギシさん江とは書かなくていい。と言われたところで那由汰が噴き出した。
「俺ら簡単なサインで良かったな」
「だな」
十枚と言う約束が結局二十枚は書かされた。商魂たくましい爺だ。老い先短いなんて嘯くがあと十年は生きるだろう。
サインの代わりに得たのはよそ者が売りに来て門前払いしたという情報だけだった。質屋には合図一つで駆け付ける用心棒がいる代わりに監視カメラなんて便利なものはないので、黒いジャケットを着た取り立てて特徴のない中肉中背の三十代ぐらいの男ということしか分からなかった。
「あと、なんだっけ。変な喋り方するんだっけ?」
カワギシが真似して聞かせてくれたが似ているのかどうかもよくわからなかった。話すリズムが独特でイントネーションも耳慣れない。恐らく地方から流れてきた人間だ。
「そんなの喋らせてみねぇとわかんねぇじゃねぇか」
「黒い服着てるヤツなんかいくらでもいるし……」
スラムから大通りに出て、一旦待ち合わせ場所近くに戻ることにした。アレンたちが当たっている質屋もこの通り沿いに数件あって、近場で換金したいならまだこの辺をうろついているだろうという読みだ。待ち合わせしている友人たちとも行き違いにならなくて済む。
二人が街路樹の下の縁石に座り込んで監視を続けていると、那由汰のスマートフォンが鳴った。
「四季たちもうすぐ着くって」
予告を受けて珂波汰が立ち上がると、人ごみの向こうで踊るようにして歩いてくるリュウの頭とひらひら踊る腕が見えた。人出の多い日にはた迷惑な動きだ。双子のところまでたどり着いた四季は待ち合わせ場所に到着したばかりだというのにリュウの子守ですっかり疲弊していた。
「お、遅れちゃってごめんね」
「悪漢奴等の連中も遅れるっつーし別にいーけど」
「コイツ、今日は何やらかしたんだ?」
合流してすぐにくるりと背中を向け、双子がさっきまで観察していた通行人に鼻をフンフンいわせ始めたリュウを親指で指す。放っておいたらまた何かしでかしそうで目が離せない。
「えっと、出かける前にお店の前の掃除してるときにお店の前を男の人が通ったんだけど……」
「リュウくん探偵のトサカにピーンときて突撃となりの朝ごはん!」
横跳びで四季との間に割り込んできたリュウを珂波汰が抑え込む。
「……こんな感じで、リュウくんが何か気になったみたいでお店を飛び出して男の人に向かっていこうとしたら、ちょうど別の方向から来た出前の自転車の人が飛び出してきたリュウくんにびっくりして倒れちゃって」
「ウーバーイーツを奪いつつ暗い顔したしっきーのためにさすらいのリュウくん歌いました!Dont’ cry しっきーと後ろメタメタ成人~♪」
「倒れた出前の人が男の人にもぶつかっちゃって、怒らせちゃった男の人と出前の人に謝ったり、出前の器が割れてこぼれちゃったのを片付ける手伝いしたり……」
肩を落とした四季の髪をかき混ぜて労ってやる。四季は慣れっこだと弱々しく笑うが、世話を焼くのはやっている本人が話す以上に大変なものだと那由汰は思う。糸の切れた風船のようにふらふら歩いて人ごみに飛び込みそうなリュウを抑え込んでいる珂波汰の頭も撫でておいた。
「あ? なんだよ」
「別に?」
後は悪漢奴等の紗月、玲央、北斎の三人待ちになる。通りを監視するついでに四人でテラス席のあるファストフードでドリンクを買ってテーブルにパラソルの設置されたテラス席に腰を下ろした。
双子にとって今日の予定のメインは歳近い友人たちと遊ぶことだ。友達と思ってもいないアレンの財布探しは暇つぶし。四季たち二人を待つ間どうしていたか説明した話の締めに例の男が見つかる前に紗月たちが来たら放置だと珂波汰は言った。
「で、でも、大事なお財布が戻ってこないと悲しいよね」
遊ぶ予定を後回しにしてでも財布探しをしてあげてなんて自分ひとりの意見を述べるのを躊躇った代わりに四季は自分の話をした。
「僕も、オーナーのおさがりとかマスターからもらったものとか……色んな大切なものを持ってるんだけど、どれか一つでも失くしたらすごく悲しい」
「リュウクンがプレゼントしたものは?ねぇ、リュウくんのは?」
自分の名前が呼ばれなかったリュウがレモネードのカップを握った四季の袖に縋り付く。慌てて反対の手に持ち替え、尻下がりの眉に輪をかけて八の字にして四季が笑う。
「リュウくんがくれたものも大切だよ」
蝉と蛇の抜け殻は困ったけど、と小声で続けた。散歩先で猫がおもちゃにしていたのを拾ってきたダンゴムシなんかの生き物は大人たちの口添えもあって逃がすことが出来たが、抜け殻の類は手放す口実も作れず紅茶の空き缶に入れてしまい込んであるので失くしようもない。
テーブルに頬杖をついていた珂波汰がズズッと音を立ててコーラを吸い上げた。その様子を横目に見て那由汰もドリンクカップについた水滴を指で拭ってみたりする。
今でこそ新居のクローゼットいっぱいに服やシューズを詰め込むほど豊かに暮らしている二人だけれど、スラムで苦しい生活をしていた頃に節約した金で買って贈り合った物は特別大切にしている。ブランド物の衣装も買ったけれど、ほつれを縫い直してライブ衣装に取り入れることもある。
自分の心の中にある宝箱を思う珂波汰を向かいの席から見ると黙り込んで道を睨んでいる不機嫌そのものの様子だった。自分の発言で機嫌を損ねたと思って四季が青ざめ取り繕う台詞を言おうとした。
その時、器用にタピオカティーのタピオカだけを吸い尽くしていたリュウが立ち上がって騒ぎ出した。
「発見発見!」
三人揃ってリュウを見上げ、その白く細い指の先を目で追う。人ごみの中を歩いていく人を指し続けて肩を軸に腕が水平に動く。
「ああ……リュウくん、人を指さすのは失礼だよ」
四季も知っているような顔で頷いてそっとリュウの腕に手を置く。指し示す方向で歩く人は何人もいたので双子にはどれが目的の人物かわからなかった。
「なんなんだよ」
一瞬緊張したものの四季の落ち着いた様子に緊張を解いて珂波汰が唇を尖らせた。
「今あっちに歩いて行った男の人。お店の前でリュウくんが迷惑かけちゃった人だったんだ」
「ああ、出前の?」
那由汰が軽く眉を上げて尋ねるとリュウが顔の前で腕をバッテンにする。
「ノーイーツ! ノーライフ!」
「自転車の転倒に巻き込まれちゃった方の人」
現場を見ていないので被害の大きかった自転車ばかり印象に残っていたが、話を思い返すともう一人登場人物がいたのだった。最初に店の中にいたリュウが反応した歩行者だ。
「そういえば、リュウくんはなんであの人が気になったの?」
騒動の後始末で聞くのを忘れていた。今更ながらに尋ねると陽気に振舞っていたリュウの表情がチャンネルを切り替えたように変わって、そのひと時だけ喋りからもふざけた空気が消えうせる。
「だってね、あの人、ドブのにおいがしたんだ」
ドブ。言われ馴れた言葉に珂波汰が椅子を飛び降りてリュウの反応した人物が歩いて行った方向に目を走らせた。驚いた那由汰は珂波汰が店の敷地から出たところに留まっているのを確認してからリュウに尋ねる。
「そいつがスラムの住人ってことか?」
「ううん。でも、キミたちに関係あるかもよぉ?」
「それってどういう意味だよ」
「……なんのこと?」
ほんの一秒前まで前のめりに会話していたのにリュウは虚を突かれたような顔でこてんと首を傾げる。リュウのこういう反応を四季は何度か経験していて、訝し気にする那由汰に慌てて謝った。
「ごめんね、那由汰くん! リュウくんは時々こういう感じになっちゃうことがあって、こうなると本当に自分の言ったことの意味も分からなくなっちゃうみたいなんだ」
なんだそれは。四季も居候している西門直明のバーで暮らし始める以前のリュウの経歴が不明であることは那由汰も聞かされていた。様子がおかしいのだって知ってはいたが、こうして豹変するところを目の当たりにすると「時々こうなる」で聞き流せるようなレベルではないような気がする。
逡巡する那由汰の横に戻って来た珂波汰が両手でテーブルを叩く。
「おい、今のヤツ……もしかして中肉中背の男か?」
怯えて両手を組み合わせて祈るような格好で四季が頷く。
「う、うん。あんまり特徴のない人なんだけど……」
那由汰もピンときて四季の肩を掴む。
「黒いジャケットの?」
「え、あ、脇に抱えてた服がそうだったかも……」
「喋りは? 変な訛りとかなかったか?」
「そういえば、聞いたことない喋り方、だったかな……」
まさにそういう特徴の男を双子は探していた。どうしてリュウがそれを知っていたのか、どういう巡り合わせかはこの際後回しだ。珂波汰が自分のスマートフォンで電話をかける。那由汰は珂波汰の勢いに腰が引けている四季を宥めて優しく頼んだ。
「あのさ、その変な喋り方ってどんぐらい正確に覚えてる? 真似とかできるか?」
「え、多分……」
男の独特の喋りは言葉として聞き取りづらく、リズムとして四季の頭に残っていた。
「ん」
四季の目の前にスピーカーモードで通話中のスマートフォンが付きだされる。
「その喋り、やってみてくれ」
「喋ってたことはあんまり覚えてないんだけど……」
躊躇いを口にすると電話の向こうのカワギシが口を挟んだ。
『冗談じゃねえぞ、って言ってみ?』
知らない嗄れ声が聞こえてビクついた四季だったけれど、そのフレーズは耳に残っている。バーの前で怒鳴っていた男も確かそう言っていた。
よく思い出して、人の歌をコピーするときのような感覚で乱暴な言葉を口にする抵抗感を消し去り、静かに息を吸って短く発声する。
大人しい四季には不釣り合いな言葉。テレビなんかでもよく耳にする関西弁や東北弁などの有名な訛りとはまた違った馴染みないイントネーション。
『そうそう、そんなんだったわ!』
「カワギシてめぇ!」
「じいちゃんの物真似と全然違うじゃん」
さっと通話を打ち切ると双子は人の多い歩道に飛び出した。それらしい後ろ姿はもう見えないが歩いて行った方向はわかる。
「四季、巻き込んで悪いんだけどさ、俺たちについてきてくれるか?」
「もちろん!」
「へっへっへっ、わっふわっふ!」
突然始まった追跡劇に目をキラキラさせたリュウが犬みたいに舌を出して前傾姿勢で走り出した。器用に人の隙間をすり抜けていく。
「あ、おい待て!」
リュウを見失うまいと珂波汰が追いかける。那由汰は出遅れた四季の手を掴んだ。
「大丈夫か?」
「うん、頑張るよ!」
「サンキュ」
ちょっと怖い気持ちはあったけれど、友達と踏み出した冒険に胸のどこかが躍っている。走るのだって得意じゃないけど一緒に走りたくて細い足で四季は駆け出した。
通りにはいくつも店やビルがあり、細い道も含めれば横道だっていくつもある。歩いて行った方向だけ知っていても目的の男がどこかで道を逸れていたら探すのは容易じゃない。
だけどリュウは迷わず真っ直ぐ走り続け、それを追いかける三人も目だけで路面店舗や路地を確認しながら走った。
そして数百メートルいったところでリュウが足を止めて鼻をふんふんいわせてあたりを見回す。人の多いエリアを抜けたところだった。
一般顧客向けの店舗が途絶えてビジネスビルや駐車場が出現するグレーの景色に珂波汰は既視感があった。ここから右手に曲がっていくとどんどん人通りが少なくなり、建設中のビルの裏手に出る。背の高いプラットフォール仮囲いと既存の建物の間は監視カメラもない。古く電灯の切れかけた街灯が少しあるばかりで後ろめたいことのある人間が利用する定番スポットだった。ずっとスラム暮らしで後ろ暗い連中の遣いっぱしりばかりやってきた珂波汰にとっては不定期の巡回先のようなものだ。
スラムでも処理できなかった盗品を金にしてさっさと手放したい人間がいるとすればこっちだ。ふらりと足が向いてリュウの脇をすり抜け、建物の陰で昼間だと言うのに薄暗い道に入り込んでいく。
迷路のように入り組んだ道の途中で立ち止まり、配管が這うビルの角から曲がり角の向こうを息をひそめて窺った。
いる。中肉中背の黒いジャケットの男。背中を向けているので顔は見えないが、四季に頼んで確認してもらうと黙って頷いたので間違いない。
喧嘩の出来ない四季と不確定要素すぎるリュウを下がらせて二人を那由汰に任せ、男が珂波汰たちの死角にいる誰かに財布を見せるのをじっと観察した。男は自分の手で財布を開いて偽物でないことを教え、相手から何かを受け取った。取引したのは金じゃないみたいだった。
男の手から財布が消え、交換で受け取ったものが黒いジャケットのポケットにしまわれる。これ以上放っておくと取引相手が去ってしまう。この先は袋小路ではないし、財布が別の人間の手に渡った以上は今踏み込まないとまたすぐ見失ってしまうだろう。
取引相手の姿が確認できていない不安に駆られながらも珂波汰は覚悟を決めて飛び出した。
「待てよ」
財布を盗んだ男が肩を跳ねさせて素早く振り返る。その向こうにいたのはガタイのいい男二人組だった。直接の知り合いではないが過去の仕事の中で見たことがある。翠石依織の依頼でファントメタルを回収していた際に。裏でファントメタルを手放したい人間から買い取り、別の人間に高値で売るのを生業にしている連中だ。
「なんだお前……いや、知ってる顔だな」
財布を片手に持った男が顔の右側だけで皮肉っぽく笑った。
「メタル回収屋のガキ、いやcozmezの片割れ」
連れのプロレスラーみたいな体躯のキャップを被った男が進み出て中腰で小柄な珂波汰を馬鹿にしてくる。
「なんだいボク、新しいメタル買いに来たのかい?」
即座に殴りかかりたいのをグッと我慢して睨み上げるに留め会話に付き合う。交渉が通じる相手には見えないが、できれば暴力は避けたい。後ろには那由汰たちがいる。
「そっちじゃねぇよ。用があるのはその財布だ。知り合いのモンでさ、悪いが返してくれ。そこのボンクラに渡したモン取り返したらテメェらの損にはならねぇだろ?」
「おい、勝手なこというんじゃねぇ!」
この街じゃ珍しい訛りで男が怒鳴ったが勝手なのはどっちだ。一瞥もくれずにバイヤーの男と睨み合う。
「肝が据わってていいねぇ。じゃあコイツはボクに売ってやるよ。お金ならたくさん持ってるだろ?」
「ちょっと、何言ってんですか!」
「お前は黙ってろよ。他人のモノなんだから持ち主に返すのは当たり前だろ? 謝礼は必要だけどな。百万ぐらいでどうだ?」
財布をぷらぷら振って見せふざけたことを言う。案の定話にならない。
「パラドックスライブの賞金のことならもうねぇよ。ほとんど手放しちまってさ」
「マジかよ。金遣いが荒いガキだな。じゃあその耳のメタルでもいいぜ」
キャップの男が太くて丸い指で那由汰と対になっている珂波汰の耳のピアスを触ろうとした。そこが我慢の限界だった。どのみち我慢を続けても円満解決の選択肢なんかなかったんだろう。
しゃがみ込んで地面に手をついて目の前の男の片足を力いっぱい蹴りつけ、珂波汰の数倍重そうな体を転げさせた。
男は埃っぽい地面に手をついて堪えるとすぐさま珂波汰を掴みに手を伸ばしてくる。それを飛び退いて躱し、アホ面で突如始まった喧嘩を見ていた泥棒野郎の顔面に拳を叩き込む。こちらは喧嘩はあまり慣れていなかった様子で体重の軽い珂波汰のパンチでも素直によろけてプラットウォールに頭をぶつけ、うるさく騒ぎながらしゃがみ込んだ。
こうした取引に出てくる連中の大半は喧嘩慣れしているか、用心棒を連れている。財布を持っている男だって強そうだがキャップの方が用心棒役だとするとあまりにも分が悪かった。
一度でも捕まったら最後。好き放題に殴られる。距離を取って隙をついて攻撃を入れる。できれば顎や股間。一発で大きな隙を作れる急所がいい。
キャップの男が逃げ回る珂波汰を狙って大きく踏み出し腕に捕まえようと大きく腕を振り出した。そのタイミングで身を低くして懐に飛び込み顎に向けて拳を突き上げた。
「バーカ。喧嘩弱いだろお前」
顎に拳が当たる前に細い腕を掴まれて軽々と地面に投げられてしまう。強く背中を打って一瞬呼吸が止まった。
「小さいヤツってみんな下から来るわけ。こんなんわざと隙を作って見せたに決まってんじゃん」
ダメージで思うように動かない体をなんとか起こそうとする珂波汰の腕を掴み上げる。強く握られた腕と引っ張りあげられた肩が痛む。男の向こうではビルの陰から那由汰の顔が見えて、絶対に出てくるなと視線を送った。那由汰だって今回ばかりは軽率に加勢に出てこれない。那由汰の背後には大事な友達がいる。二人で生きてきた那由汰にとって初めての友達だ。
「手間賃にメタル貰うからな」
ピアスを奪おうとする手が耳に触れて那由汰のことで逸れていた意識が目の前の男に戻った。
「ふっざけんじゃねぇ!」
耳に触ろうとした手を掴んで思いっきり腹を蹴りつけた。それでも相手はびくともしない。珂波汰の腕を握った手で骨まで握りつぶさんばかりに力を籠める。
「う、あぁっ…………!」
「ふざけてんのはどっちだっつーの」
鼓膜の一つも破ってやろうと分厚く大きな手を開いて小さな頭に向かって振りかぶった。だが、
「待て、誰か来る」
財布を持つ男が向こう側の角を気にしてストップをかけた。滅多に人の通らない道ではあるが鍵のかかった密室なんかではない。焦らず静かに歩いて人の気配が近づく壁の切れ目まで来訪者を確認しに向かった時、珂波汰の耳にも彼らの話し声が届いた。
「ホントにこっちが近道なのかよ」
「スマホのナビに出てるんだから合ってるに決まってるでしょ。サツキちゃんのうろ覚えの道と違うんだからさ!」
「ンだとクソガキ!」
その正体はすぐ視界に現れた。駆け足でやってきた三人は財布の男が止める間もなく角を曲がって喧嘩の現場と悟ると急ブレーキで立ち止まった。
先頭はスマートフォンを片手に持った玲央だったけれど、後ろにいた北斎が速やかに背中に庇って立ちはだかる。
「おい、アレ珂波汰じゃねぇか?」
紗月がいち早く殴られかけている珂波汰を見つけると三人は険しい顔で男たちを睨みつけた。
「何してるの」
物静かな北斎の声が冷たく場に響く。ステージ以外では温和な北斎のそんな様子をみたことがない珂波汰は小さく息をのんだ。
「何って、キミらには関係ないことだよ。急いでるみたいだったけどこっちのことは気にせず行きなよ」
明らかに珂波汰に危害を加えようと取り囲んでいる人間が穏やかを装って言ったって素直に従う紗月たちではない。
「アァ?関係ないわけねぇだろうがよ。そいつは俺らのダチだ!」
珂波汰を指さし、ダチを強調して親指でトンと自分の胸を突いた紗月が一歩も怯まず珂波汰を掴み上げた男に向かって歩いてくる。
「くるな……」
これは珂波汰たちが勝手に始めたことで、紗月たちにも、四季たちにも関係ない。自分のせいで紗月たちまで殴られるのは我慢ならない。
だけど紗月は止まらずに言い放った。
「ちげぇだろ。そういう時はさ、手ぇ貸してくれ、だろ」
真っ直ぐに進み間合いに入る。男は紗月に向かって珂波汰を振り回そうとした。
「いくぜ、珂波汰ァッ!」
叫んだ紗月が地面を蹴る。腕を力いっぱい引かれた珂波汰は肩の痛みに耐えて男の腕を逆に掴むと両足を胸に寄せ、目を開いて打ち付けられる地点を確かめる。
「オラァッ!」
横っ跳びに珂波汰の体を避け、ガラ空きの男の脇めがけて紗月が飛び込む。ノーガードのボディに打ち込まれるのを察して反射的に男は珂波汰を手放し紗月に向き直って両腕で拳をブロックした。紗月も大柄ではないが筋力には自信がある。重い一撃は太い腕を確かに痺れさせた。
「…………ッ、このクソガキッ!」
胸倉を掴もうとする男を身を低くして避けるがこの動きは珂波汰と同じ。男が貰ったとばかりに下から紗月を掴もうとするが、その瞬間に死角から側頭部を蹴り飛ばされて動きが止まった。背後から跳んだ珂波汰だ。一撃で仕留められたら良かったが、喧嘩においてウエイトの差は大きい。首の太い男はピンピンしていて珂波汰を振り返る。
「チッ」
だがすぐに地面に転がる羽目になった。珂波汰に意識が逸れた隙を狙った紗月のアッパーがキレイに決まった。
「タイミングばっちりじゃねぇか!」
「俺がやっちまうつもりだったのにイイトコ奪いやがって」
「筋肉が足ンねぇんだよ筋肉が」
砂埃を噛んだ男は休憩する暇もくれずに起き上がって二人に向かってくる。それでももう珂波汰に不安は微塵もなかった。
完全に敵を沈めて振り返ると、地面に落ちた財布を玲央が拾い上げるところだった。
取引していた男の方は北斎の小脇から如何にも弱そうな玲央を捕まえようとして温厚な虎のしっぽを踏んだ。
単独で敵を完璧に叩き潰してから折れた歯を顔の横に吐き出して動かなくなった敵を見下ろし、やり過ぎたかと落ち込む北斎の腕に玲央が絡みつく。
「カッコよかったよ、北斎!」
その笑顔に安堵して向けられた紗月の拳に拳を突き合わせた。
泥棒男はもう抵抗する気も無くなった様子で成り行きを見守っていて、場が収まると一番に飛び出してきた那由汰が珂波汰に飛びついた。
「バカ珂波汰ッ! 俺には一人で喧嘩するなって言うくせに何やってんだよ!」
どう見ても自分より強い連中相手に喧嘩を始めたのを怒られて、ぎゅうぎゅうに抱きしめられて。肩の痛みに呻きながらも那由汰の肩でホッと息を吐いた。
「ん、ごめんな那由汰」
それから那由汰を引っつけたままで紗月たちに向き直って言った。
「あのさ…………助かった。ありがと」
珂波汰にしては破格の素直さに三人とも相好を崩して答えた。
「あったりめぇだろ、ダチだかんな!」
三人にも掻い摘んで事情を説明して泥棒男を締め上げると取引で受け取ったファントメタルが出てきた。別に依頼されたわけじゃないが、ぶちのめした二人の所持していた分も回収して依織に連絡を入れた。元々珂波汰はバイトでファントメタルの回収屋をやっていて、その雇い主は紗月たちの兄貴分である翠石依織だ。要らないとは言わない。
震えながら隠れていた四季が警察を呼んだというので面倒ごとになる前にと全員その場から離れることにして、詳しい話は歩きながらにした。
「えー!じゃあ僕があの道にしようって言ったの大正解だったんじゃない?」
「うん、玲央が言った道を来てよかった」
「それに僕が善兄に怒られて程よく遅刻したからタイミングよく遭遇できたし」
「うん、玲央が兄貴のカード使いすぎたお陰」
「オイ北斎。クソガキのこと何でもかんでも甘やかすんじゃねぇ」
元々待ち合わせていた通り沿いのカラオケやレコードショップを巡って遊ぶ予定だったけれど、珂波汰たちが来た道の方からパトカーのサイレンの音が近づいてくるから紗月たちの来た方の道を引き返して遠回りで大通りに向かってぞろぞろ歩いた。七人もいる。二人きりで行動することが多い珂波汰たちにとっては経験がないくらいの大所帯だ。
「今スザクたちどこいるんだろ。まだ質屋回ってんのかな?」
こちらは大立ち回りを演じたというのに盗まれた本人は右往左往するばかりなのだから楽なもんだと珂波汰は思う。
「連絡とった方が早いか」
那由汰が言うのでスマートフォンを取り出したものの。
「っていうか、珂波汰ってスザクのSNSもブロックしてなかったっけ? 連絡先知ってる?」
善兄もだけど。特にいらない情報を追加でつぶやく。熱血漢で双子に鬱陶しがられている善のことは那由汰もブロックしている。善がそのことに気が付いて「これはどういうことだろう?」とSNSのアプリ画面を見せてきたので玲央は腹が痛くなるほど笑ったものだ。今もブロックは解除されていない。
「ない。あるわけねぇ」
「だな」
珂波汰も那由汰もアレンたちBAEのメンバーの連絡先は一つも知らなかった。
「だよねぇ。サツキちゃん代わりに連絡してあげなよ。前に一緒に曲作るからってアンと連絡先交換してたでしょ?」
「お、おれぇ?!」
突然のご指名とアンの名前に声が裏返った。
「だってぇ、俺たちは知らないし?」
「紗月、お願い」
玲央はともかく北斎と、目で訴えてくる双子の頼みは断れない。場の空気に勢いづいて2MCでの曲作りに誘ったのをきかっけにアンと話すことも少しは慣れたけれど、いまだにアンからのメッセージ通知がくるとドキドキが顔に出て玲央には揶揄われるし、自分からメッセージを送るときは一通ごとに悩みに悩んで言葉を打ち込んでいる。だけど今回はアンにとっても早く連絡してやるべきだ。質屋をはしごしてアンもさぞや疲れているだろう。いつも高いヒールを履いているし。
ただ財布を確保したことを事務的に連絡するだけのことに不釣り合いな覚悟を決めて紗月が電話の発信ボタン押したを一方で、アレンたちとの合流を前に珂波汰は深く息を吐いた。
「はぁ。マジであのド間抜けのせいで面倒な目にあったな。たっぷり謝礼搾り取らねぇと割に合わねぇ」
「謝礼ってお金?」
「いや、別に金には困ってねぇけど」
「ヒューッ! いいなぁ、いつか言ってみたいセリフ!」
後頭部を?いて否定する珂波汰を玲央が茶化す。
「でも金以外に搾り取るモンもないけどな」
「無料でトラック作れ!とか?」
「チェケチェケ、トラック百周の刑!ヴンヴンデケデケ!」
「ふざけんな、俺の方がいい曲作れるのに頼む必要がねぇ」
ジロリと鋭い音が立ちそうな目で睨まれて玲央は両手を上げ降参のポーズを示した。真似してリュウも手を上げた。高らかに上げすぎて万歳になった。
「あ、じゃあ英語を訳してもらう、とかは?」
面白そうに話を聞いていた四季が控え目に提案する。
「ほら、この間海外の古いレコードはネットで探してもリリックの和訳が見つからないのがあるから訳すのが大変っていってたでしょ?」
「それいいじゃん。体で払わせようぜ」
那由汰が賛成すると珂波汰もその気になって押し付けたいレコードの数々を思い浮かべる。
「いいな。一生コキ使ってやる」
今日はそれだけの働きをした自負がある。
「じゃあ、連絡先交換するの? 仲良しだね」
機嫌が良くなってきた珂波汰に少しの揶揄も含まない、善意の塊の笑顔で北斎が悪気なく水を差した。
「な、な、仲良しなんかならねー!!!!」
巨大な叫びはちょうど車道を挟んだ向こう側まできていたアレンの耳にまで届いたという。
七人グループは九人になった。