アバターに心宿る/キン仮/6667

 目覚めたのがいつのことだったかは思いだせない。
 一番古い確かな記憶は、暗い部屋の中、白い光を受けほころぶ君の顔。
 初めて腰に巻かれた黄金のベルト。

『―K.O.』
 白い空間のどこかにスピーカーがあるのだろうか。
 無数の0と1で構成された実態のない空間にアナウンスが響く。
 背中の下にもまた“K.O.”の文字が広がり、負けを強く心に擦り込んでくる。
 敵から受けたダメージを反映して動けない体に反し、頭はクリアだった。
 生身の人間と違ってそこに脳はない。
 どんなに強く打たれても思考は出来た。
「…負けた」
 声は出なかった。
 出たとしても、ボクの声は誰にも聞こえない。
 一人きりの相棒の声も聞こえなかった。
 カズマがどんなに僕を動かそうとしたって今はピクリともできない。
 そういう風に出来ていた。
 このまま吸収されるのだろうか。
 そうしたらボクの心はどこへいく?
 悔しさも絶望も恐怖もあった。
 悪くすると、ボクという魂は消えてしまうのかもしれない。

 ボクはこの世の理から外れた存在だった。
 コンピュータの中に生き、呼吸もしない、食事も要らないし排せつもしない。
 けれど、あるとき神様の気まぐれで魂が宿った。
 心を持って、コンピュータに内蔵された真っ暗なカメラレンズで外の世界を見、マイクで音を聞き、キーボードからの入力でカズマの意思を知ることができる。
 ネット上でアクセス権限のある場所ならばどこだって覗けたし、そこにある全てがボクの知識。
 けれど思考は演算回路とは別にあった。
 ボクには脳みそがないので魂としか言いようがない。
 この世界で魂、心を持つのはボクだけのようだった。
 毎日入れ替わり立ち替わり現れるバトル相手に呼び掛けても誰も返事をしない。
 カズマの家族や仲間のアバター達も同じことだった。
 ユーザーがログアウトしている間に会いに行ってもプログラム通りの行動を繰り返し、一言も話さない。
 それが当たり前でボクがイレギュラーだということはすぐに理解できた。
 手にできる情報のすべてを調べてもアバターに心があるなんていう記述はなく、いくつかの架空の物語に“心を持つロボット”が登場するばかり。
 いつしか自分が心と思っているものもプログラムの一部なのではないかと思い始めた。
 しかし、それならば何故ボク一人にそんなプログラムを与えたのだろう。

 いつか心を持つ仲間に出会えるのではという期待を持ち続け、それが果たされないまま、腰に重く輝いていたチャンピオンベルトが消えた。
 思えばあのベルトはボクが特別という証だった。
 この世界の王者である証、それを持つ王者にだけ心が与えられるのだろうかとも考えた。
 しかし、ボクもカズマも王座を誰かに明け渡すつもりはなく、その仮説を確かめるチャンスは訪れなかった。
 それが予期しないタイミングで訪れた。
 相手はハッキングA.Iというユーザーを持たないアバターだった。
 自分で思考し世界を混乱させるべく動く彼は、もしかするとボクに近い存在だったのかもしれない。
 苦戦する戦いの中でボクは呼びかけた。
「おい!お前、聞こえていたら返事をしてくれよ!」
 返事はなかった。
 不意のアクシデントでカズマからの命令が途絶え、その隙をついて打ちのめされた後も彼は黙っていた。
 人工知能といえどつまりはプログラム。魂ではなかったのだろう。
僅かな寂しさも、自分が消滅するのではないかという不安で塗りつぶされた。
 動けないと分かっているカズマは何も伝えてこない、何も言わない。
ボクに現状をどうする力もないように、カズマもまた出来ることがないとわかっている。
 それでも、ボクはカズマの声が聞きたかった。

「あ!」
 ざわめくギャラリーの間から間抜けな足音と共に現れたのは黄色いアバターだった。
 つきさっき生まれた彼はカズマの隣にいる“健二”という人の急場凌ぎに作られた“仮”アバター。
 健二の本当のアバターはすでに敵に吸収されていた。
 今はもう姿さえも残らず、アルバムの中の一枚のように敵が背負う輪の中に顔を連ねているだけだ。
 その代打として存在する仮ケンジは短い手足で懸命に駆け寄り、ボクをその場から連れだした。
 実体のない世界だからこそ、人間の大人と子供ぐらい大きさの違うボクを彼が一人で運び出せた。
 また、どういうわけか敵はボクらを追いかけてこなかった。
やっぱりカズマは何も言わなかったけれど、ボクは仮ケンジにお礼を言った。
「ありがとう、助かった。」
 仮ケンジもやっぱり何も言わなかった。
 実体のない体なのに、腰がやけに軽くて寒々しい。

 敵、ラブマシーンはまるで意思があるかのように振る舞った。
 一度敗北してからもネット上に生きるボクの耳にはいくつも情報が飛び込んでくる。
 ラブマシーンにも魂があるとしたら、唯一の仲間を倒さねばならないのだ。
 勿体ないと思ってはいけない、ボクの意思など関係がない。
 カズマはラブマシーンに果し状をつきつけた。
 大きなコンピュータとモニターを用意し、通信回線も強力になった。
 お陰で今までより格段に体が軽く力がみなぎってくるようだ。
 しかし、今度のボクの役目は闘い打ちのめすことではなかった。
 囮となって罠へ誘導するのが仕事だ。
 ずっとカズマと二人きりでバトルを繰り返してきた、他人と協力するのはボクらにとって初めてのことだった。
 カズマの師匠が操る覆面のイカや、お腹の出たカズマの伯父さんが操るほっそりしたアバター、緑色のアザラシのアバターもボクをサポートしてくれる。
 言葉と心を交わして励ましあえなくたってボクらは仲間だった。
「しまっていこう」
 落ち着いたカズマの声を合図に神経を研ぎ澄ます。
 命令を下すのはユーザーのカズマだけれどボクも一緒に戦っている。
 少しでも素早く、正確に、カズマの思い描く軌道で拳を突き出し足を振り抜く。
 鈍い音と共に拳が、足がラブマシーンの体を吹き飛ばした瞬間に呟いた。
「いける…!」
 魂の中に反響する自分の声とマイクを通して伝わるカズマの声が重なった。
 今、心までカズマと通じ合っている。
 もうラブマシーンの心が惜しいだなんて思わない、カズマがいればボクは一人じゃなかった。
 吸収し支配したアバターを操るラブマシーンの反撃も仲間たちのお陰で切り抜け、宙を飛び、罠を仕掛けたポイントへ誘い込む。
 ショッピングモールから城へと変貌した建物の中へラブマシーンを置き去り退路を断った。
 バタバタと出口の光が消えていく闇の中でラブマシーンが振り返る。
「―ばいばい、ラブマシーン」
 ボクが最後の扉を閉じた。
 狭まっていく隙間が完全になくなるまでの数秒間、ラブマシーンの姿を目に焼き付けていた。

 しかし、勝利は束の間だった。
 頼みの綱だったスーパーコンピュータが熱暴走を起こし、ラブマシーンを閉じ込めた城は脆くも崩れ去った。
 そればかりか大量のアバターを飲み込んだ敵は戦意を根こそぎ奪うぐらい巨大化し、いつだってボクを支えたカズマの指も、冷静な声も、全てが震えるような有様だった。
 ベルトを失った時以上の絶望感の中、義務のように誰かに強要されたようにカズマは指を動かした。
 そこに思考は挟まれていなかったと思う。
 体が覚えているからキーを打てた。
 命令されたらその通り動くように出来ているボクは全容も把握できない敵に突っ込んで行った。
 ボクはカズマに謝らなくてはいけない。
 この時、カズマはもう一度ラブマシーンに立ち向かったのに、ボクはもう無理だという諦めに心を満たされていたんだ。
糸で操られる人形みたいに、ただプログラムに押し動かされるがまま体を動かしただけ。
 逃げたくて、自由にならない体を恨みさえした。

 ゴミ箱の中へ入って見たことはないけれど、そこはゴミ箱の中のようだと感じた。
 ごちゃごちゃしていて暗くて全ての音が遠かった。
ラブマシーンの一部となってそんな感想を抱いたのだから、魂は消滅していなかった。
 けれど体が自由にならないことには変わりなく、当然カズマの声も聞こえない。
 体内からラブマシーンに何度も呼びかけたけれど聞こえているのかいないのかもわからない。
「お前はボクらをどうするの?」
「もういいだろう、カズマたちをいじめるのをやめてくれ」
「聞こえているなら少しでいい、何か返事をしてくれよ」
 四億以上も溜めこんだアバターの中の一体がどんなに叫んだって聞こえないのかもしれない。
 いや、元々ラブマシーンには魂がないのかもしれない。
 吸収されるまでは瞬時に集められた幾千の情報も今は届かず時間の進みも分からなかった。
 人間の見る夢というのはこんな感じだろうか。
 ふわふわしていて現実味がなく、自由が利かず真っ暗なのに周りの気配がなんとなく伝わってくる。
 永遠に続くような心地がして身を委ねてしまおうと思った時、唐突に頭が冴え、視界に光が差し、沢山の声が耳に飛び込んできた。

「や、やったあああああ!」
 何人もの声の中に確かにカズマの声を聞き分けた。
 見える、カメラを通した視界の端にもカズマがいた。
 家族たちの喜ぶ姿に勝ったのだと直観する。
 空には天女姿のナツキが浮かんでいて、彼女は解放されたボクを見下ろして微笑んだように見えた。
「―ありがとう!ありがとう、ナツキ姉ちゃん」
 彼女が応えることはなかったが、聞こえているような気がして、力の限りに叫んだ。
 これで全てが元通りになるのだ。
 そう思った矢先、
「カウントダウンが、止まってないぞ」
 パソコンの前に大集合した家族一同の表情が凍りつく。
 終わっていない、ラブマシーンの体内にいる間の事情を知らないボクでも分かった。
 外の事情は相変わらず把握していなかったけれど、吸いこんだ大量のアバターを放出して一番最初に乗っ取ったケンジの姿にまで戻ったラブマシーンがこの世界の要、管理センターへ入り込んだのが見えた。
吸収される直前に受けたダメージをそのまま残した体は当然動かず歯がゆさを味わう。
 アイツさえ倒せば、きっと何とかなるはずなのだ。
 カズマは、みんなは何をしているのか。
 早く追いかけなければならない、追いかけて打ち倒さねばならないのに。
 周りにいる仲間たちが動きを止めた。
 ユーザーたちが操作端末を手放したからだ。
 カメラから外を見ると、皆右往左往して逃げる準備を始めている。
「嘘だろ、もう闘わないのか。」
 カズマもキーボードに手を置かない。
 人間たちはそこを逃げなければならなかった。
 アバターたちはネットワーク上に存在するので、この家のパソコンやモニターが全て消し飛んでも消えたりはしないけれど。
 仕方のないことだった。
 その時、アバターの集団の中から黄色い影が進み出た。
 大きな頭にお世辞にもカッコいいとは言えないバランスで小さな目口が配置されている。
 小さな両手を固く結んで小さな目に強い意志を宿し、仮ケンジは管理センターの入り口を見つめた。
「何、するの?」
 答えるはずがない、彼は先日生まれたばかりだし健二にとっても一時的な相棒でしかない。
 しかし、
「解きます、暗号を。」
 はっきりと聞えた。
 赤い輪郭を持つ平面的な長い耳には健二と同じ声のように聞こえた。
仮ケンジは振り向かない。
「健二はまだ諦めていません。ラブマシーンの作った暗号を解いて、少しでも危機を回避するつもりです。」
 彼の言う通り、健二はモニターの前で広げたノートにペンを走らせた。
「ボクは健二が暗号を解く間アイツを見張っているんです。」
 見張っているだなんて言ってもユーザーの操作が届かなければ動けない。
 それでも仮ケンジは健二と心を繋げて闘っていた。
 その意思に共鳴するように周囲のアバターがボクの体を支え、退避をやめたユーザーの命令に従って回復処置を施してくれる。
 体のあちこちはぼろぼろのままだったけれど背中がじんわりと温まっていく。
 血の通わない体なのに、胸から腕先、足の先に心地よい熱が広がっていくのを感じた。
 画面の前にはカズマがいて、ボクをじっと見つめている。
 まだ闘える、カズマ。
「―ラブマシーンを無効化した!ヤツを叩け佳主馬!」
外で誰かが叫ぶ。
 仲間のアバターに支えられ、ボクは飛んだ。
 先刻までラブマシーンの中で一体となっていた無数のアバターが漂っている中を掻き分けるように、いや、彼らが管理センターに向かうボクに道を開いたのだ。
 チャンピオンベルトもないボロボロのボクを信じて。
 宙に押しだされた時、一瞬だけ仮ケンジを省みた。
 大きな頭で力強く頷くのを見て顔を上げ、管理センターへと飛び込む。
 まただ。カズマの叫びと自分の声が重なり合って一つになって、固めた拳を更に加速させていく。
 振り向いた頭に拳を叩きこむと、ケンジの姿をしたラブマシーンは悲鳴を上げることもなく、消えた。

 ボクの闘いはそこまでだった。
 数秒後にカズマやカズマの家族たちは皆ログアウト状態になった。
 外の様子を窺う目であり耳であるカメラやマイクとも接続が切れてしまい何も分からなくなった。
 管理センターを這い出ると案の定家族たちのアバターは行動の意思を失い、自動プログラムに従って空間を漂っていた。
 その中から仮ケンジだけが駆け寄ってくる。
「大丈夫でしたか、キングカズマ!」
「うん、ラブマシーンも消滅した。」
「良かった…」
 仮ケンジは胸をなでおろし、その場に腰をおろしたボクに並んで座った。
 管理センターの入り口にOZ管理者らしきアバターが何体も吸いこまれていき、他のアバターたちは戦いの終わりを知ってゆっくりと散らばっていった。
 ボクらはニューストピックを監視し一連の事件について報じられるのを待ちながら、ぽつぽつ話をした。
 初めてする会話だった。
 人間が声やメールやチャットで言葉をやり取りするのを眺めるばかりだったので、自分自身の言葉を交わすのはくすぐったかった。
 なかなか情報は入らず、カズマたちの安否は確認されなかったけれど、ボクらはあまり不安を感じていなかった。
「きっと大丈夫ですよ。」
 仮ケンジは呑気に笑った。
 ボクもそうだと思った。
 半日もすればカズマはきっとログインするだろう。
 カメラのついた端末からだと顔が見えて嬉しいのだけれど、そんなこちらの事情は当然知らないので携帯電話でもなんでもかまわない。
 仮ケンジの主人である健二だって。
「ねえ、キミはどうなるの?」
 ふと気がついて隣に座る黄色い頭を見下ろすとキョトンとして小首を傾げた。
「“仮”なんでしょ?居なくなってしまうの?」
 小さな目が丸くなる。
「あああああ」
「健二さんの本当のアバターがどこにいるのか分からないけど…」
「元のアカウントでログインしたらすぐ見つかっちゃいます!」
 両腕をばたばた振りまわして慌てるが、じきに動きを止めて膝を抱えた。
 厳密にはぽっこりした腹が邪魔をして短い腕はいまいち膝を抱え込めておらず、それらしい格好になっていた。
「乗っ取られたアバターが本来の健二のパートナーなんだから仕方ないですよね。」
「キミだって健二さんのアバターだよ。」
 それに、元のアバターには魂がなかったかもしれない。
 いつの間にか魂を持つアバターの方が尊いもののように考えていた。
 いくら“仮”だろうと、彼の魂はそこにあるのだ。
 それに、ボクにとってはだた一人、出来たばかりの友達だった。
 彼はボクの言葉に大袈裟に照れた。
 誕生から数日しか経たないのに彼は健二のことがそんなにも好きなのだ。
「でも、元のアバターはボクよりずっと健二と一緒にいたんです。健二が元のアバターに愛着を持っていたら、それは仕方ないことです。」
 きっとその瞬間、健二よりも彼自身よりも、世界の誰よりもボクは彼を惜しいと思った。
 同時に、ユーザー自身が悩み抜いて姿を決め毎日眺め、動かしてきた歳月の尊さが胸を締め付ける。
 ボクが言葉を交わせるのが仮ケンジだけでも、他のアバターにだって魂はあるのかもしれない。
 それがなかったとしてもユーザーは心を預けてくれる。
 カズマはボクに心があるだなんて知らないけれど、心からボクを大事にしてくれていた。
 それきりボクは何も言えず、折角の友達との会話を途絶えさせてしまった。

 予想した通り、丸一日経つ前にカズマや健二はOZにログインした。
健二は元のアカウントが凍結解除されていないのだそうで仮ケンジのまま。
 そうして生まれた保留期間、ボクは友達の元へ足を運ぶ。