幽霊アバター/物理部/3704

 放課後の廊下を歩く上履きの音。
 廊下に響く生徒の声が波のように遠ざかっていく。
「…そしてそのアカウントのプロフィールを見ようとすると、“この IDのユーザーは存在しません。”という表示が出た数秒後、突然ブラウザが真っ暗に…」
 如何にも怪談を盛り上げようという語りの余韻を見計らったかのように窓から風が吹き込み、机上に積み上げた空き缶が音を立てて床に落ちる。
 静かな室内に突然響いたカツンッという音に少年の悲鳴が被さる。
「うわああ!」
 勢いよく仰け反った健二の椅子の背もたれが背後の机にぶつかり、その端に積まれていたCDケースが半分ほど床に落ちた。
「ちょっと、健二くん大丈夫?」
「健二ビビリすぎ。」
 机に支えられてバランスを保つ傾いだ椅子の上で情けない顔をした 健二の顔を覗きこむのは夏希と敬だ。
 二人の顔を見て恥ずかしそうに椅子ごと起き上がる。
 形ばかり差しのべられた夏希の手は丁重に辞退した。
「そんなに驚くことないだろ。ねえ?」
 呆れた様子の敬は語り部。
「わたし、健二くんの反応にびっくりしちゃった。」
 敬の同意を求める声に頷く夏希は剣道部が休みだからと言って物理部に顔を出している。
 突然やってきた彼女と幽霊部員の多い物理部部室を溜まり場としている二人で暇つぶしに始めたのが季節外れの怪談話。
 そのトップバッターで敬が語ったのが近頃OZで広まった噂だった。

「怪談っていうか都市伝説なんだけどさ、幽霊アカウントがあるっていう噂があるんだ。あるとき自分の友達リストを確認すると承認した覚えのないアカウントが混じってて、気味が悪いからって友達登録を解除しようとしても出来ないらしい。でもさ、アカウントって相手の名前とアバタの見た目で判別してるじゃん?もしかして以前から友達登録してるユーザーがアバタのデザインと名前を変更したのかもって考えてプロフィールを見にいくと、ないんだよ。赤い文字でそのIDは存在しませんって出る。それを眺めてるといきなりブラウザが真っ暗になって、真ん中に白い文字で時計が浮かび上がってカウントダウンが始まる。それ以降OZにログインすると、アバターのホーム画面に例のアバターがいるんだよ。最初は遠くに、それが日を追うごとに近づいてくる。存在しないはずのアバターが自分のアバターに少しずつ近づいてくるんだってさ。」
 敬はそこで話をやめた。
 三人の間に沈黙が落ちてくる。
 ゴクリと鳴ったのは健二の喉だ。
「それで、そのカウントダウンが終わったら、どうなるの?」
 勇敢に話の先を訊ねた夏希を健二がギョッとして横目で盗み見た。
 スカートの膝の上で拳を作って真剣な顔をしているが、健二ほど怯えた様子はない。
「そこで噂は終わりです。何しろ最近急に囁かれ出した噂で、出所もわからないしオチになるような尾ひれもついてないんです。」
「そ、それってホントの話?…なわけないよな?」
「さあな。でもこういう話って大抵最終的に神隠しにあったり呪い殺されてるのに一人称で語られるから嘘臭いんだよな。その結末がないってことは、さ…」
 一度緊張を解いておきながら再び声を潜めて健二に詰め寄る。
「ホントかもな。」
「ひっ…!」
 短い悲鳴は当然健二のものだ。
 青ざめた顔をしばらく見つめていた敬は堪え切れないといった様子で笑いだした。
「わ、笑うなよ。…あ、まさか佐久間の作り話なんじゃないの?」
 疑う健二に敬は首を横に振る。
「違うって。疑うならそこのパソコンでちょっと調べてみろよ。」
 示されたパソコンをちらりと見るが手は伸ばさない。
 モニターにはいくつかウィンドウが開かれ、その一つには不細工な黄色いリスがウィンドウ内を目的なく歩きまわっていた。
 一定時間操作していないので設定に従って退席中という表示が浮かび、アバターは待機モードとしてオートアクションに切り替わっている。
 画面の右上にはOZの操作パネルがあり、その中からメニューを選んでいくと友達リストが表示される。
(…もし、変なアバターが混じってたら)
 つい想像してしまった光景を追い払うように頭を振る。
 黄色いリスは健二のアバターだった。
 つまり、そのパソコンでOZにログインしているのは健二ということだ。
 信憑性の低い噂話と思っても当分は友達リストから目をそむけて過ごしたい。
 そう思ったのは健二だけだったらしい。
 二人のやりとりの裏で携帯電話を操作していた夏希が「あった」と声を上げる。
「ほら、“幽霊アバターの情報交換しましょう”ってコミュニティ。これでしょ?」
 差し出された携帯電話の画面を確認して敬が頷く。
 掲示板には敬が語ったのと全く同じ内容が書きこまれている。
 二百件近い書き込みの最新十件程確認しても又聞き情報ばかりだが、更に数件遡ると敬の話にはなかった具体的なアバターの特徴等も混じっていた。
「あ、ここ。『幽霊アバターを見たって言ってた友達がその数日後からログインしてない』って…」
 頭をつき合わせて携帯電話の小さな画面を見ていた三人が顔を上げ、お互いの顔を見合わせる。
「偶然だよ、偶然!」
 慌てて空気を変えようとした健二に敬も同調する。
「悪戯の線もあるしな。もし本当に知らないアバタを見たんだとしても、バグって可能性もある。」
 バグという言葉に夏希が小首を傾げる。
「それって、ラブマシーンみたいな?」
 彼女はコンピュータやプログラムといったものに疎かった。
「いや、ラブマシーンはハッキングAIでバグとは別物で…」
 違いを説明しようとしたが理解させる自信がなくて言葉を途切れさせる。
 夏希にOZの使い方を一から教えた健二は彼女の知識のなさをよく知っていたし、自分の説明能力にも自信がなかった。
 正確に教えようと思ったら時間を食うし、適度に端折って説明するにもさじ加減が分からない。
 良い言葉を探してもごもごする健二の横から敬が口をはさむ。
「ラブマシーンは故意にシステムを狂わせた人工知能で、バグっていうのはプログラムの中の間違いのことです。」
「へー」
 この「へー」は飲み込み切れていない「へー」だ。
 健二だけでなく敬もそれを察していたがあえて黙殺した。
「じゃあ、幽霊アバターはラブマシーンとは違うってこと?」
 唇に人差し指を当てる、その仕草に健二が目を奪われている隙に敬が答えた。
「ラブマシーンはもういないはずですけど、他のAIによる不正アカウントって可能性は0じゃありません。」
 また「へー」が出た数秒後、彼女はポンと手を打った。
「それじゃ、確かめましょう。」

 佳主馬が制服から部屋着に着替えているところへ携帯のメール受信音が鳴る。
 モニターには“夏希姉ちゃん”という文字と袴姿に鹿耳をつけたロングヘアのアバター。
(…珍しい)
 メールを開く。
『今パソコンの側にいたらOZで健二くんの所へ来て!』
 丁度よく自室のパソコンが起動し終えたので指示に従って友達リストから“ケンジ”と名のついた黄色いリスのアバターを選んでクリックする。
 その際にちらりと違和感を覚えたものの、すぐにケンジのホーム画面に遷移してビデオチャットが始まると小さな違和感は容易く頭から消え失せた。
 画面には夏希と健二の他に佐久間敬という健二の友人も映っていた。
 ラブマシーン退治作戦の際には遠隔地で一緒に戦った仲間でもある。
 三人とも制服姿だったしチラチラ見える背景からそこが学校と分かった。
「どうしたの、急に。」
『佳主馬、“幽霊アバター”って知ってる?』
 夏希の質問と同時にURLが送られてきた。“幽霊アバター”についての記事だった。
「…都市伝説?」
 オカルトじみた噂に興味はないので記事に目を通したところでこれといって感想も浮かばない。
 しかし、二度斜め読みしたところで僅かに目を細めた。
『二人に訊いたら、AIかもしれないって』
 前のめりになる夏希の背後に立つ二人がちょっと困った顔をしている。
『デマとか誰かの悪戯の可能性も高いけど、ラブマシーンみたいなAIの可能性もなくはない…っていう話だよ』
 少なくとも健二は乗り気ではないようだ。
『で、正体を突き止めようと思って』
 また従姉は「協力して!」と言ってとびきりの笑顔を見せる。
 彼女を好いている健二ならともかく、佳主馬に計算づくの笑顔は通用しない。
 しかし、唐突に先刻の違和感が頭に蘇ってきて断りの文句を押し留める。
「ちょっと待って」
 画面上のOZ操作パネルをカチカチクリックして友達リストを表示する。
 OZ内の格闘ゲーム、OMCのチャンピオンとして有名な彼だが、友達登録しているユーザーはそう多くない。
 上から視線を走らせ、数秒で一番下へ辿りつく。
 そこに違和感の正体があった。
「あったよ、夏希姉ちゃん」
『え?』
 輪郭のはっきりしない朱色のアバターアイコンをクリックすると「このIDのユーザーは存在しません。」というメッセージが表示される。
『あったって何が…』
「“幽霊アバター”」
 呟くように答えた直後、テレビの電源をオフにしたように画面が暗転し、中央にゆっくりと文字が浮かび上がってきた。

“06:23:59:59 …”