※転生ネタ
「ダンくーん!学校いこー!」
「待って、トイレ入るからー!」
玄関前から呼ぶまだ高い声に答えながらトイレのドアを叩く。今朝のトイレ戦争は父に先手を取られ、入れ違いに入るつもりが油断した隙に兄貴が入ってしまった。
「兄ちゃーん!早く出てよー!」
「……うるっせぇな、ダンジ。うんこくらいゆっくりさせてくれよ」
「ゆっくりするなら朝するなよな!」
出てきた兄貴の派手なピンクのパーカーの脇をすり抜けてトイレに入って用を足すと玄関脇に投げてあった中学の指定かばんを引っ掴んで飛び出す。玄関先には友達が待っている。中三で同じクラスになってからの数日の付き合いだけど、朝のドタバタは見慣れたもの。学校までの道を並んで歩く。桜並木が満開だ。
「なんでダンくん、ダンジなの?」
「へ?あー、兄ちゃんか」
「声デカいから聞こえるんだよ。兄ちゃんがユウジとかリョウジとかって名前なの?」
「違うよ。小さい頃に家族の中でも兄ちゃんだけダンジって呼び始めたんだって」
「へぇ。あだ名?」
曖昧に頷いた。兄貴にも「変なあだ名」だと言ったら笑ってあだ名じゃないと言ったから。
◆ ◆ ◆ ◆
入学式が終わって解散した男子生徒たちが公園脇を通るたびこちらに視線をくれる。
そう広くもない児童公園に学ラン姿が四人。それぞれ学ランの下にパーカーを着たり、窮屈そうにボタンを開けたりと気崩す中に一人だけ、やや大きめの上着の詰襟まできっちり止めている小柄な少年がいる。真新しいリュックは配られた教科書が詰まっていて一目で新入生と分かる。そんな新一年生を取り囲むのは揃って体格のいい上級生だ。見れば反射的にカツアゲかと思う。
小柄な少年と同じ列で入学式に出席した一年生が通り過ぎ様、他の学生同様に視線を投げかけて足を留めた。新しいクラスメイトを助けなければという僅かな正義感から。しかし彼は助けに入ることなく立ち去った。覚悟を決める前に上級生の一人が大声で笑い始め、その耳を小柄な少年が無遠慮につねり上げたからだ。
「笑いすぎ」
無表情を僅かに不機嫌そうに歪めてピアスの光る耳を摘まみ上げた少年は片手で余裕のある襟のホックを外す。
「いだだだだ。だってよぉ、それオルガの中学ンときのおさがりなんだろ?よりによって背までそのまんまってこたぁねぇだろ」
「笑ってやるなよ、シノ。ミカは足がデカいからこれから伸びるさ。“昔”だって後二、三年もありゃユージンくらいにはなってたかもしれねーぞ」
浅黒い目元を細めて視線を投げかければ三日月は黙って耳から手を離す。冗談にしては容赦のない制裁にシノは耳を押さえてホッと息を吐いた。
「それより、新しいクラスはどうだったんだミカ。“誰か”いたか?」
めいめいに散っていた視線がブランコの支柱に凭れ掛かった三日月に集まる。三日月は高校のある方角に視線を流し、少し考えてから口を開く。
「いなかったよ」
軽く、でもきっぱりとした口調で言い切った。一筋垂らした前髪を揺らしてオルガが首を傾げる。
「言い切るねえ。まだ初日だろ?」
「オルガに言われた通りちゃんと見たよ。誰もいなかった」
「そうか」
繰り返される結論にあっさりと頷けば今度はオルガが訝し気に見られる番だ。
「何で言い切れるんだよ。まだ思い出せてない“記憶”もあるんじゃねぇの?」
質問を受けたオルガは無言の笑みで三日月に視線を回し、三日月は黙ってポケットから取り出したチョコレートを口に放り込んだ。
◆ ◆ ◆ ◆
去年、母子家庭の母が父子家庭の幼馴染の父親と再婚した。
物心ついたときから同じアパートの庭で遊んでいて、親父さんの帰りが遅いために毎晩夕飯を一緒に食べていた。寝に帰る部屋が別々なことの方が違和感で、再婚を機に一戸建てを買って同じ家で暮らすようになった時にも部屋は二人で一つ。二段ベッドを入れてもらった。
先に家を一緒にして、引っ越しが済んでから戸籍も一緒になった。テストに堂々書かれた15点の文字を見た母さんに「勉強を教わりな」と言われて仕方なくオルガにも答案を見せたら、クラス番号に並んで鉛筆で書かれた名前に目を留めて目元をたわませて言った。
「苗字、まだ書き慣れねぇか」
「すぐに馴れるよ。いっぱい書くから」
「追試でか?」
冗談は予言になった。二回の追試を経てやっと全科目で合格点を取る頃には画数の多いその苗字も迷わず書けるようになっていた。母さんは地を這うような成績に頭を抱えたけど、オルガが上手くなった字を褒めてくれるから、ぎりぎり及第点の答案もどこか誇らしかった。今度は本当の家族だ。
下校する学ランの群れに逆らって丸い体に3Lサイズのブレザーをきっちり着込んだ少年が駆け足でやってくる。それに気が付いて片手を挙げると息を切らしながらも手を振り返してくれる。ふくふくとした顔が四人の顔を見て目じりを下げると集団の空気そのものがもう一段階和らいだ。
待ち合わせていたメンバーが揃うと徒歩数分のファミレスへと移動する。入学式の後とあって込み合う店内に席を確保すると少ない小遣いで腹の満たされるメニューをオーダーする。付き合わせた顔ぶれのちぐはぐさを除けば他の席と変わったところは何もない。高校の予定の話と貸し借りしていた少年漫画の話。それから些細なきっかけで“仲間”の話が始まる。公園の話の繰り返しでビスケットが尋ねれば今度は三日月の代わりにオルガが「収穫なし」と首を振って、順に話を振られたそれぞれが同じように首を振る。
「昌弘も変わった様子はない。思い出さないだけで周りに昔の仲間はいるのかもしれないが」
「うちのダンジも変わんねーなぁ。前にオルガが言ってたろ。テレビで戦争の映像が流れたら気を付けろーってさ。この間の特番の時、何か思い出すんじゃねーかと思って注意してたんだけどよ、さーっぱり。興味もなさそうだったぜ」
「まあ、思い出さないで済むならそれがいいんだろうけどね。楽しいばっかりの記憶じゃないし」
先週誓ったダイエット宣言を裏切って注文したケーキに視線を落としてビスケットがぼやく。フォークを握る手を止めてしまうと向かいでしきりにドリアの皿底を打っていたスプーンの音も止まり、ほんのひと時静まり返る。その場に共感があるようでいて、思い出している光景はそれぞれに違っていたかもしれない。
一昨年までは三日月とオルガは二人きりだった。小学校に上がる前には二人にしか通じない、親も知らない場所の鮮明な夢を共有していた。夢の中にいた人物の名前も、何をしたのかも憶えている。ただ、思い出せる量には差があった。話をしていてオルガの知らないことがあると三日月は口を噤む。自分しか知らないことは教えなかった。黙っていても何かのきっかけで思い出すこともある。オルガは多くのことを思い出すごとに、夢の中の性格に近づいていく気がした。
ビスケットに会ったのは中学に上がってから。民家の家庭菜園でトウモロコシが実っているのを見つけて見つめていたら、家の中から出てきた。三日月を見て名前を呼ぼうとしたのに名前が浮かばない様子で、突然声が出なくなった人みたいに口をパクパクさせていたから先に名前を呼んだ。今の名前は知らないから、知っている方の名前を。現代の日本では人名とは思わないような名前だ。呼びかけたらトウモロコシの向こう側でぎゅっと眉根を寄せて、シャツの胸を握りしめて、やっと胸につかえていた言葉を思い出したみたいに「三日月」と言った。
シノと昭弘は高校入学当時に同じクラスだった。それぞれ弟がいたけれど、弟たちは何も知らない。自分だけが時折妄想じみた夢を見て、何故かそれを本当にあった記憶のように感じている。テレビや漫画の見すぎだ、何かの願望の表れだと言われても釈然としない。それでも中学に上がる頃には周りに夢の話をしなくなった。誰も夢の話なんかに興味はないし、しつこく話せば頭のおかしいヤツ扱いだ。そんな中で口火を切ったのはシノだった。ゲームセンターでガンシューティングのコントローラーを握って並び立った時に堪らず一緒に戦場にいた話を打ち明けた。それから間もなく、別のクラスにいたオルガとも知り合い、こちらは拍子抜けするほど簡単に過去の話を持ち掛けてきた。幼い頃から三日月といたオルガには二人の感じていたような不安は微塵もなかった。
「いいじゃねぇか。どうせこうして集まってること自体が奇跡なんだろ?昔は昔。」
シノは小刻みに金属スプーンが皿をつついてかき集めたサフランライスを口に運び、かみ砕いた米粒を飛ばしながら続ける。
「……今は今、だろぉ?」
「きったねぇな、飲み込んでから喋れよ」
「そっちには飛んでねぇだろ。それより食わねえならそれくれよ」
いやしく伸びてくるスプーンから逃げた皿が向かいの三日月の手に渡ると、シノは諦めて薄い財布を開き、追加注文を諦めて皿にスプーンを投げ出した。
「クッソー、家帰って何か食うか」
それぞれに帰る家がある。いつでもすぐ会える気安さと胃袋と財布の中身の都合により引き留める者もなく解散となった。オルガの率いる組織だけが帰る家だったあの頃と違って別々の帰路につく。
帰宅後、携帯にトークアプリの通知が入った。トークグループ名は『鉄華団』。差し出し人は昭弘。
『昌弘がうちにアストンを連れてきた。学校の仲間だとよ』
名前を見ればまだ見ぬ今生の姿でなく、“いさりび”と名付けられた船で一緒に飯を食った姿を思い出した。
★2
外の光が強いと蛍光灯を点灯していても室内が暗い。一時的に身を寄せていた地球もやっぱり明るかった。緑がつやつやしていて、海があった。地球に生まれ育って十六年も経つのに自然の豊かさが不思議に思える時がある。前は見渡す限りハゲ坊主の茶色い大地が広がる土地で生活していたから。
“マカナイ”を送る車窓からみたのと一緒だ。流れていくわけでもない景色を見ながら窓辺の席で眠りこんだ。
目を開くと地球の廃駅の片隅だった。起きて動いた拍子に肩から上着が滑り落ちる。背の低いコンテナに腰かけて働く仲間たちを見ている間に眠り込んだらしい。火星に戻るため、持ち帰る物資の確認や荷造りが進められていた。
地球での目的は果たされた。重傷者と遺体が一足先に出発し、動ける団員は撤収作業に追われている。来たときに比べれば積み込むべき武器も弾薬もほとんどないが、その作業をする仲間も随分と減ってしまった。戦場の残骸から回収せねばならないものもある。拠点としていた廃駅に並べたコンテナの周りを少年兵たちが行ったり来たり。廃駅と戦場の間をトラックが行ったり来たりしている。
怪我を負った何人かはマカナイの口利きで設備の充実した病院で検査を受けた。議会まで送り届けるという依頼の最初の報酬だ。人体改造に免疫のない地球の医者は阿頼耶識を見て苦い顔をしたが、懇意にしている政治家に頼まれれば嫌とは言えないようだった。それでも怪我人が多いお蔭で一日では済まず、順番に検査と手当を受けては追い出される。予想よりも早くに解放されたので積み込み作業を手伝おうとしたらヤマギに見つかった。
「もう病院はいいの?」
「検査が終わって包帯巻いたらさっさと出てけってさ」
「看護婦さん口説いて追い出されたの?」
「お前なぁ、もっとこう……大したことなくて良かった!とかあンだろ?」
「はいはい、元気そうで良かったよ。おかえり。でも大人しく座ってて」
疲れがにじむ顔に柔らかい表情が浮かぶ。澄ました看護婦さんに叱られるのも悪くはないが、“家族”が笑って迎えてくれる“家”が一番だ。
言われた通りに大人しく仲間の仕事ぶりを眺めることにした。忙しく動き回る姿を見ているのはいい。沢山の仲間が生きていることに安心する。何もせずに見ているだけというのも退屈だが。
誰にも構ってもらえずにいるとあくびが出る。さっき転寝から目覚めたばかりなのにうとうとして視界が霞む。傷を回復するのに体力を使っているのだと誰かが言っていた。
「シノ、寝るなら車内に戻りなよ。もうじき雨が降るみたいだよ」
いつの間にか側にきていた相棒に肩を揺すられ顔を上げると確かに雨の匂いがして、
「ヤマギは仕事……」
終わったのか、と言おうとして見上げた先に数学教師のジャガイモ顔が見えて緩んだ表情筋が強張った。
「いい夢見れたか?」
「……サーセン」
窓の外はいつの間にか雨雲に覆われ、振りだす前の湿った空気が教室の中まで流れ込んできていた。
夏の終わりに春が来た。
「合コン、行かないか。お前こういうの好きだろう」
女に興味のなさそうな顔した昭弘の言葉に教室中が振り返った。今、あんまりにも不釣り合いなワードを聞いた気がする。
「……女子プロレスラーと?」
「そんなツテはない。隣町の女子高の女だよ」
「はぁ?!それこそどんなツテがあんだよ!」
思わず詰め寄ると視線を外して躊躇いがちに、
「この間……その……道で声をかけられて…」
逆ナンだ。ざわめきのように「逆ナンだ…」という呟きがあたりに広がる。注目の的は居心地悪そうに咳払いして声を張り、
「行くのか行かねーのか、どっちだ」
「行く!」
「行きます!」
「俺が!」
「うおっ、お前らなぁ!」
押しかけたのはシノではなく、近くで話を聞いていたクラスメイトだ。横から後ろからのしかかられてシノが文句を言うが、堪える様子はない。青少年の期待を一身に受けた昭弘が毅然とした態度で返す。
「定員三名、シノ優先だからな。どうする」
「そりゃ行くに決まってんだろ!」
「ずっりー!」
「あと二人ジャンケンな」
「おっしゃ、最初はグー!」
白熱するじゃんけん大会の横で昭弘は早速携帯を取り出す。女と合コンの連絡を取り合う昭弘。走っていって火星のみんなに教えてやりたい光景だ。ユージンもチャドもダンテも、そりゃあ驚くだろう。みんなまだ出会えていないから叶わないが。
「つーかよー、可愛い子集まるんかよ」
「会ってないから知らん」
「じゃあ逆ナンの子は?」
「…………」
黙る昭弘を机から見あげると口を一文字に引き結び、眉間にわずかに皺を寄せて何か考えている。珍しい顔だ。珍しいというか、前世まで数えても初めて見る。声をかけようとしたところで昭弘の携帯が鳴った。
「………はい。いや、まだ……それは大丈夫だ。ああ。……ああ」
ほとんど一方的に話す声が漏れ聞こえる。女だ。テンションが高い。話せて嬉しいっていう声だ。合コンなんか企てて昭弘を押し切った女が大人しいとは思っていたわけではないが、過去に他の合コンに連れて行っても「顔が怖い」「愛想がない」「食べてばっかり」と評価された昭弘が随分と好かれたものだ。
「ん?いや……待てラフ――……いや、………ああ。おう、また連絡する」
慌てた様子に片眉を跳ね上げる。視線を投げれば目が合った。電話が切れるのを待って尋ねる。
「逆ナン女ってまさか前世の……」
「ああ、ラフタだ」
過去で一緒に戦ったモビルスーツ乗りの女だ。すべてが腑に落ちた。過去では名瀬という男の率いる一夫多妻艦の一員だが、腕のいいパイロットで昭弘も認めていた。どこかの朴念仁のお陰で傍目にもどかしい関係だったが、それだけに近くに生まれ変わっていてもおかしくはない。
「クッソー、そういうことかよ。運命の再会ってかぁ?!」
「あっちは覚えてないみたいだったがな」
「覚えてなくても昭弘に会って……なんかこう、ピンときたってことだろ?いいよなー。俺も」
言いかけて止めたシノを昭弘が見下ろすが何も言わなかった。不自然な間が空いたことを誤魔化す喧しさで軽薄に言葉を足す。
「女!俺も女と仲良くしてー!」
叫びに呼応してジャンケン大会優勝、準優勝の二人が肩を叩く。合コンのメンバーが決まったらしい。まだどんな女の子が来るのかも知らないのに彼女コールで盛り上がっている。盛り上がる男子集団を見ていると過去にこだわるのもくだらなく思える。勢いつけて立ち上がると集団に乗り込んで一緒に拳を振り上げた。悩みなんか彼女が出来ないことと小遣いが少ない事ぐらいだ。誰も巨大なロボットで襲撃してこないし誰も自分の不手際で死んだりしない。新しい人生を楽しんでいる自信があった。
そのくせここのところ頻繁に夢を見る。未だ出会っていない仲間の夢を。
待ち合わせの駅前で小顔色白の女子高生が大きく手を振る。短めのスカートから伸びる健康的な足の下はピンクのスニーカー。白いブラウスの眩しい少女を見ると確かに過去で見知った少女のようでもあるが、シノは首を傾げる。昭弘達と出会った時のような、ストンと落ちてくるものはなかった。
「こっちがうちの部活仲間の子たちね!そっちは?」
きれいに爪を塗った手で同じ制服姿の少女たちを示してから彼女は昭弘に視線を投げる。だかだか合コンの幹事とはいえ、こういった役回りが苦手そうな昭弘が男子一行に視線を向けると彼女もその視線を追って顔ぶれを確かめ、
「同じクラスなんだっけ。結構タイプの違う子とつるんでるんだね」
意外そうにコメントした。シノも瞬きして彼女を見返す。過去の記憶はないと昭弘は言ったが、勘違いなんじゃないかと思う程に他の仲間たちとの再会と違った。記憶がなくても弟として生まれ変わったダンジのことは分かったのに、彼女とは、昭弘を介さない限りはすれ違ったって知り合わないままだったんじゃないかと思う。
この話を後に聞いたビスケットは「前世でのお互いの気持ちの強さに寄るんじゃないか」と言った。
合コンは昭弘の彼女候補が予想以上に可愛いという衝撃から始まった。連れの女の子たちはラフタの応援のために来たことをあまり隠す気がないらしく、移動途中に並んで歩いていた小柄な子に至っては「頼まれて協力してる」とはっきり言ってくれる。
「いいんじゃねぇの?みんな彼氏持ちってわけじゃねーんだろ?楽しけりゃいいじゃん」
「うん、そっか。そうだよね……ッ」
ゆったり横に流した前髪の下から柔らかな笑顔が向けられた直後、自転車が少女すれすれのところを駆け抜けていく。咄嗟にシノは肩を抱き寄せよそ見運転していた自転車に向かって叫んだ。
「あっぶねーだろ!」
焦り顔で振り返った自転車は、それでも止まることなく走り去った。追ってやろうかと息巻く胸をそっと押しやって少女が顔を上げる。
「……あ、ありがとう」
抱きっぱなしの肩に置いた手を気にした様子で慌てて離すと肩の上で切りそろえた髪を手指で整えながら恥ずかしそうに視線を逸らした。可愛い。
「大丈夫ー?」
「うん、驚かせちゃってごめんねー」
「ひっどいよねーアレ!」
叫びで気が付いたラフタが慌てて引き返してくる。よろけたものの実際はシノが受け止めたお陰で踏みとどまり、怪我もない。少女は友達向けの顔で笑って繰り返し「大丈夫だから」と手を振った。
「助けてもらっちゃったし……この、えっと……名前なんていうんだっけ」
申し訳なさそうな上目遣いと目が合う。
「あ、俺?……シノ」
かわいいな、と考えていたせいで返事に間が空いた。運命があるのなら、もしかしたら、その名を聞いて何かを感じてくれるんじゃないか。淡い期待で仲間内の呼び名を答えた。火星でもそう呼ばれていたから。
「シノくん、ありがと」
運命があるなら会いたい相手は過去には女の子じゃなかったけれど。
自宅のソファで携帯にせわしなく指を滑らせていると弟が背後から忍び寄って覗き込んでくる。背もたれに手を置かないと覗き込めないから振り返らなくたってソファの軋みですぐにわかる。
「覗き見すんなー」
見ないままに手のひらで顔面を押しやるとすぐに隣に回り込んできて隣りに膝で乗り上がった。メッセージ送信ボタンを押すと速やかにディスプレイをスリープ状態にする。
「ケチー!兄ちゃんの彼女気になるじゃーん!」
「彼女じゃねーって」
言い争っている間に返信がきた。隣町の花火大会の話だ。彼女でも彼氏でもないが、望まれている通りに二人で行かないかと誘って約束を取り付けた。二人きりでのデートは三度目になる。恋人未満の関係は非常に順調。大人しい子だけど彼女は可愛い。過去に関わる話は一切出てこないけど、今は今。過去は過去。ラフタも相変わらず前世のことを思い出す気配もないらしい。高校に上がってから急に過去の仲間との繋がりが増えて縁のある人間は誰でも前世で何かあったんじゃないかと考えるクセがついたけど、無関係ならそれもいい。今を大事に生きたらいいと、再会して間もない頃にオルガも言っていた。
彼女は可愛い。
「今までに出会った過去つながりの顔ぶれと、三日月の記憶を照らし合わせたんだ」
不定期開催の転生ミーティング、今回はビスケットの招集だった。ルーズリーフに生真面目な文字でアルファベットが並んでいる。英語は得意じゃないが、それは読めた。見知った名前ばかりだったから。
いつものファミレスの窮屈なボックス席に広げられた紙をそれぞれがドリンクグラス片手に覗き込む。その場に集まったメンバーの名前も漏れなく記されていた。全ての横から矢印を伸ばして、こちらは日本語でメモ書きがされている。
“BISCUIT・GRIFFON→地球での最初の戦闘で”
“ORGA・ITSUKA→最終決戦前、アドモス商会事務所前”
“NORBA・SHINO→ホタルビを盾にダインスレイブ部隊に乗り込んで”
“MIKAZUKI・AUGUS→最終決戦で”
“AKIHIRO・ALTLAND→同上”
どういうメモかは聞かなくたってわかる。今生ではシノの弟であるダンジや昭弘の弟の昌弘、ラフタの名もあった。全ての名前に矢印がくっついている。眉を顰めて顔を上げると、至極真面目な顔をしたビスケットが真正面から受け止める。
「これってのはよ、どういうことだ?」
「この、それぞれが亡くなった時期や場所は三日月が憶えていたものなんだ」
「だからどういうことだよ?」
隣に座ってすでに答えを知っている様子のオルガを見た。ビスケットに代わりオルガが答える。
「今わかってる全員、前世じゃミカより先に死んでるっつーことだ。俺が死ぬ前の分は俺も確認したが間違いない」
「ついでに言うと、俺たち…鉄華団サイドの人に限られてるよね。お互いにまた会いたいと思ってたから会えた……ってことなんだろうけど」
補足したビスケットが言葉尻と一緒にグラスに視線を落とす。昭弘は前世と同じ、昌弘の兄として暮らしているが、今のビスケットは一人っ子だ。前世では兄が一人、妹が二人いた。ルーズリーフに名前はない。
場に重い沈黙が落ちた。
「でもさ、」
店内の雑踏に満たされた空気を打ち破ったのもまたビスケットだった。
「それってことはつまり、いないみんなは生き延びたってことでしょ?……オルガの話だと、最後の戦いで逃げ延びたみんなは戦いのない暮らしが出来てた可能性があるみたいだし」
オルガも咥えていたストローを放して頷いた。
「こんだけ見慣れた顔が揃っちまうと欲かいてみんなに会いたくなるけどよ」
「……会えない方がいいってことか」
「かもね」
二人が明るいトーンで話をまとめて広げた紙をしまう向かい側。ポケットに突っ込んだ手の中で携帯が震えている。みんなに一言断って着信に応えるためシノは席を立った。
「なんか、様子おかしいね」
黙って話を聞いていた三日月が呟く。
「心当たりは、ないわけじゃないがな」
低く応じた昭弘の心当たりは誰も尋ねなかった。テーブルに肘をついたオルガが視線をさ迷わせ、料理を注文しようとベルに手を伸ばしたビスケットは場の空気に圧されて数秒悩んだ末にベルを押した。軽い電子音がポーンと鳴った。
現実と過去の記憶は曖昧になってしまう瞬間があるというのに、過去の記憶の夢とそうでない夢は区別がつく。
これはただの夢だ。普段はあまり夢を見ないのに最近は頻繁に見る。現代と火星にいた頃の記憶が混ざり合ってありえない景色が出来上がっている。木製のベッドや物置状態の学習机がある自室から出ると“イサリビ”の通路にいて、さっきまで地球の重力の中で動いていたのに軽く地面を蹴って廊下の端まで移動している。迷路のような通路を迷わず進んでたどり着いたのはハンガー。ピンク色に塗られたボロボロのモビルスーツが直立するだけの空間で人を探している。機体の左腕はないが自分の腕は無事だった。部屋着のまま、どこも痛くない。
怖いくらいに静かな室内の見える場所には誰もいない。いるとすれば、コクピットだ。期待と何へかわからない不安を抱えながら何度か足場を蹴って跳び上がると、金髪の頭の丸みのあるシルエットが見えてくる。ヘルメットはなかったが、最後に見た時の服装でメンテナンス用の端末を見つめている。
「ヤマギ」
ホッとして声をかけると顔を上げて、濡れた頬が目に入る。見た瞬間に胸が詰まって両手を伸ばした。夢特有の整合性のなさで自分と一緒に大破したらしいモビルスーツは最後の出撃前の状態でそこにあって、ヤマギは死んだ俺のために泣き腫らしている。ギリギリまで生きて戻るつもりだったから戻れなかった後のことは考えなかった。生まれ変わって過去の記憶を夢に見るようになってから、遺した仲間のことを考えたりもした。泣かせただろう、とも。
「ヤマギ、わりーな。もう、泣き止んでくれよ」
苦しい胸に頭を抱き寄せて語り掛けても答えはなかった。実際にはそうしてやれなかったから、どんな風に立ち直ったのかも知らない。記憶は記憶でしかないから見ていないものは夢でも見せてくれない。想像しようとしても別れ際の顔ばかりで上手くいかなかった。
仲間のためにやるべきことをやって、結果は思わしくなかったが、再会したオルガが「よくやってくれた」と言うから悔やむのもやめた。自分がリタイアした後のことは三日月や昭弘に聞いた。かなり人数は減ってしまったが助かった仲間もいたはずだ。時代も場所も何もかもが違うこの世界で悩んだって仕方ない。前へ進まなければいけないと思っていたあの頃みたいに目指す場所はもうない。戦う敵も、乗り込む機体も、“鉄華団”もない今やれることはない。夢を見始めてから時間をかけて気持ちに折り合いをつけたことだ。
折り合いをつけたはずなのにどうして今更。
昼休みに屋上に出たら三日月がいた。珍しく一人だと思ったら二人分の弁当を持ったオルガを待っているところだった。
先にポケットに蓄え込んだ菓子を摘まんでいる横で焼きそばパンの袋を開ける。
「昭弘達と食べないの?」
珍しいと思ったのはお互い様だったようだ。
「そういう気分なんだよ」
「ふーん」
大して興味もなさそうな相槌を打ってフェンスを抜けてくる風に目を閉じる。視界がコンクリートの屋上とフェンスと三日月だけになると、一瞬でも油断したら火星と区別がつかなくなりそうな不安に駆られた。みんな前世とは違うところがいくつもあるのに、三日月だけは何も変わらないように見えて。
反対側を見れば前世では縁もゆかりもない学生たちが何人か集まって食事をしている。口の中にパンを詰め込んでここが平成の地球であることを確かめてから三日月を振り返った。
「……三日月よ、聞きてーんだけど」
「何?」
「その、なんつーか……お前もさ、残してきたみんなを、その、泣かせちまったわけだろ、多分。そういうの、後悔ってすんの?」
三日月の考えは読みづらい。眠そうな目を開いて顔を向けると首を傾げ、
「別に。泣かせたくないなって思ってたけど、アトラたちならちゃんとやってけてるだろうし」
「そういうもん?」
「うん。ビスケットも言ってたでしょ。こっちで再会してないみんなは戦いの後もちゃんと生き延びたかもしれないって」
火星にいた頃から悩む顔なんか見たことがなかったが、一度死んで生まれ変わった今も変わらない。三日月の言う通り、仲間が生き残るため戦って死んだのだから再会できない仲間たちが生き延びてくれたなら悔やむことじゃないのかもしれない。
シノだって一度はそれで納得したはずだった。こんな質問をしてしまったのは夢のせいだ。自覚がないだけで後悔しているのか、今も時々新しい記憶を夢に見る。まだ思い出せない部分も多いけれど。
「シノも、過去に引っ張られてるの?」
尋ねる言葉に被って鉄製の扉が軋み、正面の階段室から弁当を持ったオルガが姿を見せる。
「待たせたな、ミカ。シノも今日は屋上か」
「そういう気分なんだって」
「なんだそりゃ」
質問の答えは待たずに三日月は弁当に手を伸ばし、二人同じ中身の弁当を広げた。昔は昔。今は今。自分の言葉を思い出して認めるに認められず、答えないまま残りのパンを口に詰め込んだ。
そんなに必死になって撃たなくたってもうボロボロだ。一瞬で頭に昇った血も体外に流れ出たお陰か頭が冴えていて、もう指一本だって動かないことがわかる。完全に心臓が止まるのを待つばかりのガキに寄ってたかって無駄撃ちもいいところだ。狙いは外してしまったが敵の肝は冷えたらしい。ザマァみろ。
仲間たちが逃げ延びる時間は稼げただろうか。前線で仲間を守って死ねたら本望、そう思っていたのに実際は未練ばっかりだ。自分で選んでここまで来たのに血で塞がった瞼の裏にはいろんな未来が映る。仲間たちと夢を叶える妄想や、飲みに行った思い出、つらそうな顔。
泣くんだろうな、あいつは。死ぬってのはやっぱり嫌なもんだ。大事な奴が泣いても、そばにいることさえできない。
帰りたい――――。
花火大会当日は駅前から河川敷まで人でごった返していた。シャツとハーフパンツのラフな格好で待ち合わせに向かったら花柄の浴衣姿の彼女がいて、まだ付き合ってないが彼女っていうのは良いものだと思った。
夜店が立ち並び、あちこちに出来た行列を避けながら先に立ってゆっくり進む。時々後ろを確かめるけど、背の低い女の子はすぐに埋もれてしまう。手を繋ぐチャンスかと思ってハーフパンツの布地に手のひらを擦りつけていると先にシャツの背中を摘まんで引かれ、ああ、こういうのもいい。祭は最高だと思うのである。
目的の河川敷は予め場所取りしていたらしい見物客で埋まっていて、結局もう少し歩いて線路を跨ぐ跨線橋のアーチの中腹に落ち着いた。歩いているうちに花火が上がり始めたからそこで足を止めた。
真っ暗な空に赤や白や、色とりどりの花が咲く。体に響く破裂音。連続で打ち上げられるのを遠く眺めて、傍らの車道を横切る車に視線を流した。夜の闇が日本の街並みを隠してしまうと宇宙にいるみたいだ。文字通り地に足のついた現実が遠のく。
小さな頃は祭も手持ち花火も大好きなのに、打ち上げ花火の時は目をつぶってしまう子供だった。記憶が戻ってから最初の花火は目を開いて見た。まだ思い出せていないことが多かった当時、死に際の記憶が真っ先に思い出された。それと同時にどうして幼い頃に直視できなかったかを理解して、最後まで見ないで家に帰った。あの爆発の中では誰の命も散っていないと分かっているのに。
モビルスーツに乗っていたときは避けるため、仲間を助けるためにも目を逸らさなかったけど、今はそんな必要もない。助けるものもない代わりに力もない。平和な世界で必要がないのに悔しいような気持ちがわだかまるのは過去に引っ張られているということなのだろうか。
跨線橋の狭い歩道を自転車が通り過ぎる。花火に見入っている彼女の腕を引いて避けると花火の光で頬を赤く染めてはにかんだ笑顔が向けられる。彼女は可愛い。細い指が手に触れて、指が絡まる。握り返して、告白して。そういうのを待ってる。自分だってそういうつもりで来た。だけど手を握り返すこともできずに体の内側を震わす爆発音を聞いていた。
「わ、青だ」
リアクションがないことを諦めて空に目を戻した彼女が呟いた。つられて見あげると空に沈むような青い花火が大きく花開き、その中心から白い花火が開くところだった。青はすぐに夜空に溶けて白が余韻を残している。
「青って珍しいよね。あがってもちょっと地味だからかな」
朗らかに離す彼女の手から指を外し、両手で顔を覆った。もっときれいな青い花火を知ってる。
「……ごめん!」
乱暴に顔を擦って勢いよく頭を下げる。
「どうしたの、急に」
説明する代わりに顔を上げると、困惑に諦念が混じった表情とぶつかってもう一度言った。
「ごめん。俺さ……」
「いいよ、もう。……友達と帰るから」
まだ花火は続いている中、彼女はもうこちらを見ない。携帯にメッセージを打ち込んで一言だけ続けた。
「バイバイ」
「うん…ごめんな」
スニーカーでアスファルトを蹴る。傾斜を駆け下りたところで彼女の友達グループとすれ違った。呼び止められても足は止めなかった。行く場所はない。会いたいあいつはこの世界にはいないんだから。過去のために今の現実を捨てることがバカなのはわかっていて、それでも今はまだ他の誰かの隣に収まることができなくて走り続けた。花火会場から遠ざかるごとに人が減り、疲れて足がもつれたところでやっと止まって星を見上げた。背後ではみんなが花火に夢中で、誰もその後ろの星なんか見ていないけど、空にはたくさんの星が瞬いている。
初めて降り立った地球であいつが不安そうに見上げていた夜空で、星が一つ流れた。
今日の集合場所は高校近くの公園で、遅れて合流したビスケットもまた、それを見て眉を顰めた。
「それ……自分でやったの?」
人差し指の先にはフレームを派手なピンク色に塗装してダウンチューブに目を模したマークをあしらった自転車。その傍らに立って自慢げに腕を組んだシノが力強く頷く。
「どうよ!5代目流星号は!」
「マークちょっと歪んでるよね」
「こういうのはいっつもライドに頼んでたから得意じゃねぇんだよ」
いつもの転生メンバーの誰からもカッコイイという言葉を引き出せなかったがシノ本人は大得意だ。やっと貰えた言葉はビスケットの「駐輪場に置いててもすぐ見つかるね」という慰めだけ。
「何とでも言えよ!これ見たら過去の流星号知ってる奴らがすぐ俺だってわかるだろ?」
名案のつもりで人差し指を立てて告げたものの、オルガは渋い顔で頭を掻く。転生仲間が増えるってことは、そいつは戦いの後の世界で生き残れなかったということになる。素直に喜べないのは全員共通らしく、なんとも言えない視線が飛び交う。
オルガの困ったような視線を受けた三日月がマイペースに口に運んでいたチョコレートを飲み込み、言葉を探すみんなの代表で口を開いた。
「シノはそれでいいの?」
責めるわけでも心配するわけでもない目が真っ直ぐに尋ねてくる。それを真っ直ぐに見返して鷹揚に頷いた。
「前にお前言ったよな。過去に引っ張られてるのかって。それで俺なりに悩んだんだよ。過去のこと気にしてもどうにもならねーのに、夢で見るたび気になって仕方ねーんだよな。だーかーら、気が済むまで過去のこと引きずることにしたんだわ」
引きずるという単語の湿っぽさと不釣り合いなすがすがしい表情で言い切るとふくふくした顔に乗った眉を八の字にしたビスケットが困った声を出す。
「気が済むまで引きずるって何だよ」
「だから、過去のことを気にしないようにするのをしないことにしたんだよ」
「ややこしい」
「なぁに、気にしてたって普通に生活できるって」
心配されている本人が一番力強く大きな声で言い切って肉付きのいい丸い背中を叩く。そんな姿を見ていたら誰だってこう言う。
「わかったよ。もう勝手にしろ」
匙を投げたオルガを三日月が面白そうに見上げ、ポケットからチョコレートを出して口に放り込んだ。
それぞれが死んだ後、残された者は死を引きずって生きただろう。残された者たちのいない平和な世界で悔いを抱えて生きていく。
最後に交わした言葉を思い出す。
『死んだら許さない』
呪いは生まれ変わっても解けないままで、目を閉じると楽しいことも苦しいことも一緒くたに思い出す。解ける日がくるとしたらきっと、この時代で再会した時だろう。夢を見る。許されるその日まで続く、懐かしい悪夢を。