ぼくと大きな同居人/さまじろ+モブ/15483

触れてしまったらそこで終わり。2の後日談です。モブ目線です。
 
 
 
“僕の父は導師様。産んだ人は養母。養母の夫が養父”
 そう教えられたからそう呼んでいる、と言ったらしい。

 それから、長い年月かけて育ててくれたのは二人の大事な同居人。

 僕には幼い頃の記憶がない。だから七歳頃までのことは後から聞かされて、「そういう記憶があったような気がする」と補完した記憶ばかりだ。そんな曖昧な話を語るべきではないのかもしれない。でも、いつか年老いて忘れた時、その時にはもう失った記憶について教えてくれる大人たちは周りにいないだろうから。
 忘れたくない思い出をここに書き残す。

 簡単に言えば、僕はカルト教団の実験体だった。産みの親は団体幹部で導師様に指示されて結婚したらしく、元から一般的な家庭とは程遠かったようだ。
 僕や、同じような信者夫婦の子供は偉大な父なる導師様のお告げに従ってみんなの幸福のために大いなる仕事を果たすべく処置を施されていた。喉に神を宿す手術だ。特殊な装置を埋め込んで、発する音全てを特殊な音波に変換する。
 ヒプノシスマイク。一般的にはそう呼ばれる洗脳装置だった。

 教団内での生活は異常だが不便ではなかったようだ。衣食住は整っていたし友達らしきものはいた。でもみんなヘッドフォンをして、処置を施された子供は隔離室で生活させられていた。
 そして世話係の大人になるべく声を上げないようにと繰り返し教えられる。彼らは優しいが僕らを楽しませることもない。僕らは大人の前で泣いたり笑ったりしないよう、発声しないように慎重に扱われていた。
 僕らの発する声は聴く人の精神に干渉してしまうから。要求があるときは食べ物やトイレ、お腹をさする人等の絵が描かれた札を防音ガラスのハマった窓に向けて世話係を呼び入れていた。
 施設外の人は可哀想だと言うけれど、僕らは最初からそういう風にしか生活したことがなかったから、きっと悲しくはなかった。記憶にないから自信はないけれど。

 そうした異常な生活が終わったのは五歳の頃だった。警察に摘発されたのだ。
 子供はみんな隔離室から連れ出され、信者たちがバラバラに連れて行った。僕は養母と養父に手を引かれて敷地の裏門に向かい、叫べと言われた。何でもいいから叫べ、泣けと。数名のヘッドフォンをした信者たちが僕の背中を押さえてその場に立たせ、外から侵入した人々に向かって大声を出せと言い続けていたそうだ。
 つまり、僕ら子供は兵器だった。精神干渉で外敵を圧倒し、跪かせるための武器。
 そんな僕の配置された裏門から乗り込んできたのが左馬刻さんと二郎だった。六歳から大人になるまでの長い年月を過ごすことになる、後の同居人だ。
 二人によれば、当時の僕は最初は状況が分からずぽかんとしていて、二人と信者たちが乱闘を始めたところで叫びだしたという。二人の説明はいい加減だったから細かい部分は今もよくわからない。
 二人と一緒に乗り込んできた左馬刻さんの部下は僕の声でダメージを受けたらしいが二人はヘッドフォンなしでも平気で裏門に集まっていた信者たちをなぎ倒し、僕を盾にしていた大人たちのことも一人残らずやり込めた。
 その途中では僕は気を失ったという。恐らく二人が使ったヒプノシスマイクの影響で。
 左馬刻さんと二郎は喉に埋め込まれた装置ではなくて、ちゃんとマイクの形をしたヒプノシスマイクを使って戦う。何度も精神干渉による攻撃を受けているから耐性もある。だから僕の声が通用しなかった。最初から勝ち目のない戦いだったのだ。
 世の中には左馬刻さんと二郎以外にもヒプノシスマイクを持つ人間がいたけれど誰しもが上手に扱えるわけではなくて、また攻撃への耐性も個人差がある。
 警察もマイク所有者を投入した大規模な作戦だったそうだ。左馬刻さんと二郎は警察ではないけれど、仲のいい警察の銃兎さんに頼んで作戦にこっそり混ぜてもらっていた。教団に洗脳された左馬刻さんの知人を救出するのが目的だったけど、警察が見積もったより多くの人間が潜んでいたので目的の人は見つけられず、結局暴れるだけ暴れて二人が発見するより先に警察に確保されてしまったその人を銃兎さんが逃がしてあげた。本当はいけないことだけど、アイツはそういうズルをするのが得意なんだと左馬刻さんは言っていた。

 その作戦によってたくさんの逮捕者と負傷者と死亡者が出た。警察から逃れられないと分かって何人かの自決や信者同士の争いがあったせいだ。裏門以外の場所で同じように兵器として扱われた子供たちもその中にいたのだろうか。僕が物事を正確に理解できる年ごろになっても、誰も他の仲間の行方を話してはくれなかった。
 そうして僕は保護された。でも一般的な保護施設には入れなかった。普通の人は僕が声を出せば何らかのダメージを受ける。気絶したり、パニックに陥ったり、左馬刻さんたちが自覚的に扱うヒプノシスマイクと違って僕の声は僕自身にも効果が分からない。
 最初こそ教団施設と同じような防音室とヘッドフォンをつけた職員が預かって世話をしていたけど、もう周りに同じような子供はいない。僕一人きりで長い時間を過ごさねばならなかった。時々保育士が相手をしに来てもヘッドフォンで僕の声を聞くことができない。年齢的には小学校入学が差し迫っていたが、当然他の普通の子供と一緒に過ごすこともできない。相変わらず世間の言う「可哀想な子」だった。
 二人が様子を見に来るまでは。

 防音室での最初の生活は忙しくて、あとは孤独だった。
 毎日スケジュールが組まれて健康診断や喉の検査、教団では受けさせてもらえなかった予防接種を受けさせられた。急激な生活の変化でストレスを溜め込んで調子を崩したらヘッドフォンをつけた保育士の女性がやってきた。膝に抱いたり一緒に遊んだりしてくれたけど、ちょっとした拍子にヘッドフォンがずれて僕の声を聴いた彼女が倒れてしまったのでまた一人になった。
 その翌日だ。左馬刻さんと二郎がヘッドフォンなしで部屋に入ってきたのは。
 二人は警戒する様子なんかまるでなくて、普通に話しかけてくる。
「下痢治ったのか?」
「下痢じゃねぇだろ、飯が食えねぇって話だったろ」
「どっちもじゃね?大丈夫なのかよ?痛いところは?」
 横に座り込んで遠慮なしに頭をなでて、腹や背中に手を当てて、僕が答えないと「俺らはどうにもなりゃしねぇよ」と喋ることを許した。
 そんな大人は彼らが初めてだったから珍しくて、どうしていいか分からなくて。迷った末に「ない」と小さく声に出した。精神干渉効果を差し引いても変な声だったと思う。でもそれを薄気味悪がったり馬鹿にしたりしなかった。
「そっか。もし具合悪くなったり嫌なことあったら我慢すんなよ」
 嬉しかった。普通に話をしてくれたのが。二郎が監視役の警察職員の目を盗んでチョコレートをくれたことも。とにかくびっくりした。びっくりしたのだ。そのことだけは鮮明に覚えている。柄の悪い大人二人がキラキラして見えた。
 そして次の日は二郎だけが、また次の日はまた二人で、毎日会いに来てくれるようになった。
 喉の装置を調べるためにヒプノシスマイクに耐性のある神宮寺医師が来た時も二人は傍にいてくれた。
 その時から二人は僕の大事な人だ。会いに来るたび帰らないで欲しいと思っていた。それを告げたら、二週間ほどのうちに二人の住む部屋で暮らせるようになった。夢みたいな話だった。

 これは大きくなってから理解したことだけど、僕の血縁上の両親は摘発騒動で重傷を受け、また教団幹部として逮捕されていた。彼らが僕のためにできることは何一つなかった。そこで祖父母に当たる人や親類に連絡をとられたが、みんな関わり合いになることを拒否した。辛うじて祖父が喉の手術の同意書にサインだけして、あとは早急に法律上の縁を切らせてくれと言ったそうだ。当然、一度も顔を合せなかったので僕は未だに祖父母の顔も、名前すら知らない。
 警察もいつまでも僕を預かれないし、普通に喋るだけで聞く人間の精神に干渉してしまうような子供を養育できる施設は存在しない。里親の条件も『精神干渉を受けない人間』だ。だから銃兎さんが左馬刻さんと二郎に話を持ち掛けた。僕も懐いていたし、二人は所謂自由業で僕と過ごす時間も融通できた。おまけに二人のマンションはセキュリティ万全だった。これはやくざである左馬刻さんの仕事上の都合であって僕のためではなかったけれど。
 最初は左馬刻さんが渋ったらしいけど、二郎が「同居するだけでいいから」と強く希望してくれた。左馬刻さんは二郎に弱い。
「養子として引き受けるわけじゃねぇから覚えとけ。他に里親が見つかるまで寝床と飯をくれてやるだけだ。それ以上でもそれ以下でもねぇ。俺は人の親になんかなれない」
 その言葉で僕は二人の同居人を得た。

 そのマンションはヨコハマディビジョンとイケブクロディビジョンの境界にある。日当たりが良くてベランダが広くてあちこちに監視カメラがある。
 最初に連れてこられた時には子供のおもちゃや本は一切なかった。立派なオーディオセットと充実したCDラック、漫画ばっかり詰まった本棚。ウォークインクローゼットを改造して作られたレコーディング室。物置部屋と、寝室は広い部屋とそれより狭い部屋が一つずつ。
「おい、テメェが預かるつったんだから物置部屋片付けろよ」
 家に着くなりリビングのソファに座って左馬刻さんが顎で物置部屋を示した。
「なんで物置部屋だよ」
「ガキの部屋に決まってんだろ」
「狭ぇだろうが」
「テメェの実家の部屋と同じ広さだろうが」
「うるっせぇな。俺の部屋使わせりゃいいだろ!どうせあんま使ってねぇんだから」
 それには左馬刻さんも文句を言わなかった。連れていかれた手狭な方の寝室はベッドと収納と小さなテレビがあって、壁にはキャップやレコードのジャケットが飾られていたけど、確かに放置された部屋という印象だった。ベッドはきれいに整えられ、ベッドサイドに置かれたテレビのリモコンはうっすら埃をかぶっている。
「俺はあっちの部屋で寝るから遠慮なく使えよ」
 あっちの部屋って言うのは左馬刻さんの寝室だ。当時は一般的な家庭の形がわからなくてそんなものかと思っていたけど。二人は番だった。戸籍上の夫婦ではなかったけれど。法律上の婚姻より根深く繋がった恋人同士だった。
 せっかく子供部屋として立派な部屋を譲ってもらったんだけど、新しい生活が始まって三日のうちに僕はおねしょしてしまった。自分でなんとかしなくちゃと思ってシーツを剥がしているときに物音で起きた二郎に見つかって、洗濯機の音で左馬刻さんも起きた。怒られるかと思った。だけど二人とも一言も責めず、家の洗濯機で洗ったシーツをマンション併設のコインランドリーで乾燥しにいった。三人で。他に誰もいないから僕も喋っていいと言われて、誰かの置き忘れた漫画本を一緒に読んだ。麻雀の話だったから僕にはさっぱり内容が分からなかったけど。
 翌日にカウンセリングを受けに行って、着替えとおねしょ用のシーツを買って帰った。夜は二郎が一緒に寝てくれた。左馬刻がひとりぼっちになるのを気にして尋ねると苦笑いで「あの人は大人だからいいんだよ」と言ったけど、あんまりよくなかったみたいで僕が昼寝から起きると二郎が広い方の寝室に連れ込まれていることが時々あった。だから失敗しない日が続いて自分でももうおねしょはしないだろうと思った日にもう大丈夫だと伝えた。そうして二郎は左馬刻さんの寝室に戻り、代わりに左馬刻さんは大きな犬の抱き枕を買ってきてくれた。眠そうな顔で耳の垂れた犬だ。

 マンションでの生活は喧嘩が絶えない。僕と大きな同居人じゃなくて、大きな同居人同士の喧嘩だ。
「またオムライスかよ。ガキの飯ばっか作りやがって」
「悪ぃかよ。アンタだってオムライス嫌いじゃねえだろ!」
 親にはならないと宣言した左馬刻さんは二郎にも親らしく振舞うことを禁止していた。他に行き場が見つかったらいなくなる人間だから、あまり情を移さないように。
 だけど炊事を引き受けている二郎はカレー、ハンバーグ、オムライス、ピラフと如何にも子供が好きそうなメニューを選んで作ってくれる。ハンバーグは左馬刻さんも好きだから文句言わなかったけど、酒に合う料理が一切出てこないので何日目かに文句が出た。
「コイツだってもうじき六歳なんだから何でも食えるだろうが!」
「ンなこと言ったって折角一緒に飯食うんだから好きなモン食った方が嬉しいじゃんかよ!」
「だから親みてぇな気遣いすんなっつってんだ!大体コイツ、この間晩酌で俺が食ってた塩辛美味そうに食ってたぞ」
「は?!」
 だって横で見ていたらくれたから。食べたことのない味は面白くて、小皿に分けてくれた分を全部食べてしまったらもう一口だけくれた。酔っていたせいか左馬刻さんも優しかった。
 信じられないって顔の二郎に頷くと、翌日からは煮物や干物や大人好みの味付けの総菜なんかも出てくるようになった。
 二人の喧嘩は毎日理由が変わったからなくなることはなかったけど。

 二人との生活に慣れた頃に神宮寺先生の判断で喉の装置の摘出手術が行われた。
 喉だけでなく脳の状態まで入念に検査を重ね、就学時期も考慮して六歳の四月を迎える前に退院できるよう計画された。執刀医はもちろん神宮寺先生だ。神宮寺先生に任せておけば心配はないとみんなが言った通り、手術は無事成功した。生来の声を完全に再現できるわけではないがマイクを通さない声で喋ることができる。他の子どもと同じように喋ったり歌ったりできる。
 手術当日、まだ戸籍上は繋がりのあった祖父母は予想通り来なかった。代わりにずっと二郎が付き添ってくれていた。入院中は左馬刻さんや銃兎さんも来てくれたし、二郎の兄弟も来てくれた。
 術後しばらく声を出せなかった時には手でマルやバツを作って意思表示する方法を教えてくれた。
「欲しいものあるか?」
「なんだ、自分の部屋にあるモンか」
「わかった、あの犬のぬいぐるみだろ」
 元からあまり喋るなと言われて暮らしていたから声を出せないことは不便じゃなかったし、よく二郎が泊っていってくれたから入院生活も辛いとは思わなかった。
 だけど退院が認められた後はあのマンションじゃなく児童養護施設に送られた。もう普通の子供だから。僕の声で誰かを傷つけることはもうないから。

 着替えをまとめて施設に送られるとき、二郎はたくさん励ましてくれた。二郎も子供のころは兄弟と一緒に施設で暮らしていたそうだ。
 施設にはいろんな年齢の子供がいっぱいいた。教団の隔離室を思い出した。
 大人は優しかったけど、子供は喋ろうとしない僕を扱い兼ねていたし、そのうち僕の食事の皿からおかずを奪われるようなことがあった。それを僕はダメだと言わなかったから。騒ぎにもならずに見過ごされた。
 きっともっと馴染む努力をすればそれなりに過ごせたんだと思う。でもずっと二人のマンションに帰りたかったし、ここにいると教団施設で一緒だった仲間たちのことが気になって仕方なくなった。ろくに喋らない僕とコミュニケーションを取ろうとした大人にそれを尋ねて困らせた。馴染めないまま時間が過ぎて、また事件が起きた。

 六歳の夏前に誘拐されそうになった。施設の庭で一人でいたところに顔を隠した男が乗り込んできたのだ。
 教団が壊滅した時のことが思い出されて叫んだら大人が駆けつけて未然に終わったけど、それから日を空けてからまた。外を歩いているときに横付けした車に引きずり込まれかけた。この時に引きずられて、一緒に歩いていて助けようとした大人と二人で軽傷を負った。
 警察に何度も話を聞かれ、僕自身は彼らに見覚えはなかったけれど、周辺で他に狙われた子供がいなかったことから教団の残党ではないかと疑われた。
 これは何年も後になって連中が逮捕されてからわかったことだけど、教団が摘発されたあの日に施設内におらず難を逃れた者の中には僕らの喉が天性のものだと信じている信者がいたらしい。新たな導師としての資質を期待して僕を狙ったと自供している。
 この事件をきっかけに施設は本格的に僕を持て余した。他にも色んな問題を抱えていた子供はいただろうけど僕の抱える事情は格別面倒だった。他の子どもも僕のせいで大人が怪我をしたと知ると叩いてくるようになった。しばらく黙っていたけど耐え兼ねて近くにあったペン立てを掴んで殴り返したら中に入っていたペンの先が相手の子供の顔を掠めて見た目ばかり派手なひっかき傷が出来た。それがとどめだったように思う。
 そして入所から半年も経たずに退所が言い渡された。施設にもいたくなかったけれど、悪いことをした僕が送られるのはもっと悪い環境だろうと思って目の前が真っ暗になった。引き取り手──里親とは言われなかったけど、施設ではなくて個人の家庭に引き渡されると告げられ、面会のための部屋に連れて行かれた時もずっと床と自分のつま先ばかり見ていた。
「お待たせしました。ご足労おかけしてすみません。ああ、ここは禁煙なので……」
 ちょっと気後れした様子の大人に対して聞き覚えのある声がする。
「そりゃすまねぇな」
「ほらみろ、やめとけって言ったじゃねぇか。……お、久しぶりだな」
 顔を上げると窓からの光の中に会いたかった二人の姿があった。

 僕のことも「あんま変わンねぇな」と言われたけど、二人だって変わらなかった。
 左馬刻さんは「勘違いすんな。他に里親が見つかるまでだ」と言い、二郎はハンバーグ用に大きなひき肉のパックを買い込んだ。
 二度目の誘拐未遂事件があってから僕はほとんど外に出ることができなかったのに、二人と来たら帰りの車でスーパーに寄って僕を連れて降り、普通に買い物につき合わせた。何が食べたいとか、洗剤がそろそろなくなるとかそんな話ばっかりして「そばを離れるな」みたいなことは一言も言わない。
 まさか事件のことを知らないのかと思ってきょろきょろ見回しながら背中を丸めて歩いていると左馬刻さんが頭に手を乗せ
「俺らと歩いてる時に襲ってくるような度胸のあるヤツぁ早々いねぇよ」
 こちらをじろじろ見ていた他の客を横目に鼻で笑った。
「安心しろって。こっち見てんのはお前を狙ってじゃなくて左馬刻さんが人攫いと勘違いされてるだけだから」
「なんだとテメェ」
 実際、二人との生活を再開してから五回の襲撃があったが、いつだって二人か二人の仲間が一緒だったから危ないことは何もなかった。敵も用意周到でなかなか確保には至らなかったけど警察の尽力もあり、別件逮捕された者も含め八人逮捕で襲撃はなくなった。

 二度目の同居をスタートしても大きな同居人たちは相変わらず。喧嘩ばっかりだ。
 マンションの部屋が地上十階なのに蚊が出るのは二郎のベランダ菜園のせいだとか、ポケットに煙草を入れたままの服を洗濯機に入れたとか、妹と二郎が仲良くしすぎて気に入らないだとか。落ち着いて話せば収まりそうな話もすぐ怒鳴り合いになる。
 それを二郎の実家に遊びに行った際に話したら、同じく遊びに来ていたシンジュクの一二三さんにいい作戦を教えてもらった。
 僕は月一回のペースでよその家に預けられていた。一度施設に入れられるまでは銃兎さんの家で、理鶯さんと一緒にお泊りだった。理鶯さんは見たこともない美味しい料理を作ったりナイフで器用に髪を切ってくれる。
 再び二人との同居生活が始まってからは主に二郎の実家、イケブクロの萬屋ヤマダに預けられていた。二郎の兄の一郎さんと三郎さんが住んでいて、時々シンジュクやシブヤの人も遊びに来ている。そういう時はとても賑やかだ。
 お泊りの日は毎月決まった日付じゃないからカレンダーの予定には書かれない。二郎が調子を崩し始めると二郎本人より先に左馬刻さんが気づいて一郎さんに連絡をとらせる。二郎はいつもは元気だけど、一度そうなるとご飯が食べられなくなって寝込んでしまう。だから一郎さんがマンションまで僕を迎えに来て左馬刻さんに引き渡される。
 二郎のことが心配で一郎さんに「僕が風邪をひいたときみたいに看病したい」と言ったらかなり悩んでから
「左馬刻に任せておけば大丈夫なんだ」
 とだけ言われた。実際に二日後には二郎か左馬刻が迎えに来てくれてすっかり元気になっている。でも、寝込んだ後には元々首の後ろにひとつしかなかった二郎の噛み傷や斑点状のうっ血痕が体のあちこちに増えていたし、毎月のことだったから、何か難しい病気なのかと思っていた。
 それがΩのヒートだと知ったのは小学四年生の頃だ。誘拐犯の件や集団生活への不安からまともに小学校に通えるようになったのがちょうど四年生で、その一年は急に世の中のことが見え始めていっぱいいっぱいでもあった。
 性教育は男女の区別を指す第一次性と、βΩαの区別を指す第二次性についての二段階で小中学校教育に組み込まれている。小学校のうちは思春期の体の変化を中心とした内容を柔らかい表現で教えられるけど、中学校になるともっと具体的なセックスと妊娠の話や性差による差別の授業があった。第二次性の検査も中学課程で全生徒を対象に行われる。
 授業ではΩとαのフェロモンや番化についても教えられる。保健の教科書にはαに首を噛まれて番となったΩの噛み傷も写真で掲載されていた。
『みなさんの中にもαとして番を求める人もいるでしょう。番関係は法律上の結婚と同様に信頼する人と結ぶものですが、社会的にはΩということを隠して生活している人も多くいます。そのため、番化のための愛噛を行う場合はパートナーの意思を尊重し、服の襟や髪で隠れるよう場所や大きさを考えて噛みましょう』
 教科書の写真で見た噛み傷は二郎の首に大きく濃く残る歯形と違ってささやかなものだった。二郎も髪を長くして隠してはいるが、それにしたって大きい傷だった。教科書には噛み傷の大きさで愛の深さが決まるわけではないとも書かれていたけど、二郎のそれは左馬刻さんの執着の深さだと思った。
 話が逸れたけど、Ωだった二郎は定期的に番の左馬刻さんと二人きりで過ごす時間が必要だったから、僕は一郎さんのところに預けられていた。一般的な番夫婦はΩ支援団体の運営する託児施設に預けられることが多いらしいけど、僕の場合は身柄を狙われる危険性もあったから。大事な兄弟が左馬刻さんと引きこもる時期を把握せねばならない一郎さんたちはさぞ複雑だっただろうけど、Ωやαっていうのはそういうものだ。
 僕がお泊りに行くと一郎さんはたくさんアニメを見せてくれるし、三郎さんは勉強を教えてくれる。一緒にゲームもやる。誰かが遊びに来ているともっと楽しかった。
 中でもたくさんおしゃべりしてくれるのがシンジュクの一二三さんだ。神宮寺先生と仲が良くて、釣りに連れて行ってくれたこともある。
 ある時のお泊りの夜、二人の同居人がいつも喧嘩している話をしたら手を叩いていいことを教えてくれた。
「痴話喧嘩の仲直りって言ったらやっぱアレっしょ!」
「一二三、子供に変なこと教えるんじゃない」
 独歩さんが止めても一二三さんはお構いなしだ。
「こうやって手を叩いてさ、いいかぁ?仲直りのぉ、キース!キース!」
「やめろ一二三」
「キース?キース?」
「わー!子供はすぐこういうの覚えンだからマジでやめて下さいよ一二三さん!お前、絶対外じゃ言うんじゃないぞ!?」
 外じゃなければいいと思ってマンションに戻ってから二人の喧嘩の時にやってみた。即座に二人が言い争いを止めたので一二三さんはすごいと思った。
 後々にその喧嘩を止める魔法の正体を知ったけど、それでも二人が慌てて喧嘩をやめてくれるので分かってやっているとバレるまではやり続けた。

 二郎のヒートの思い出としてはもう一つある。
 まだ僕がヒートを理解しなかった頃の話だ。翌日に控えた僕の誕生日に作るご馳走の相談をしていた時に左馬刻さんが待ったをかけた。
「誕生会は延期にしろ」
 それですぐに二郎は台所に駆け込んで冷蔵庫にあったチーズをひとかけら口に放り込んで、なかなか飲み込めないことに気づいて口を手で塞いだ。吐くわけじゃないけど食べられなくなる。無理に食べれば後々で嘔吐もする。ヒート時のΩは食欲がなくなり消化活動も抑制されるから詰め込むと戻す以外なくなる。
 左馬刻さんはすぐに一郎さんに連絡を入れようとしたけど、その時ばかりは二郎が嫌がった。一日くらいなら大丈夫だからと言って、買い物も調理も左馬刻さんに頼んで、強い発情抑制剤を使ってまで当日の昼にお祝いをした。から揚げもサラダもケーキも二郎は食べられなかったけど。
 夕方にマンションまで一郎さんが迎えに来て、左馬刻さんに見送られてお泊りに行った。二郎はもう寝室で寝込んでいた。
 左馬刻さんが昼の残りの総菜も持たせてくれて、萬屋では三郎さんも誕生祝の準備をしてくれていた。誕生会夜の部でもケーキを食べながら一郎さんと三郎さんが教えてくれた。
「うちは誕生日は絶対に三人そろって飯食ってたからな」
「プレゼントが遅れたとしても記念日には揃って美味いもの食べるのが家族だっていち兄が言ってましたから」
 それから、ヒートのことを理解するようになった後で思い出して左馬刻さんも話してくれた。
「アイツはΩのフェロモンだの本能だのに振り回されんのを嫌がるからな。お前を引き取って最初のヒートの時も薬で誤魔化してやり過ごすとかなんとか甘いこと抜かしやがったから俺がさっさと銃兎呼んだんだわ。αやΩの性質ってのは、それがきっかけで気持ちが変わることはあるだろうが、気合で完璧に我慢したりできるもんじゃねぇ。俺らは特別相性がいいから近くにいりゃ尚更体が反応しちまう」
 複雑な身の上を知りながら引き取って間もない僕を人任せにするのを嫌がったんだそうだ。
 左馬刻さんが頑なに養子に迎え入れるのを認めず、ただの同居だという二郎の言葉でやっと引き受けた理由の一つはこれだった。普通の番夫婦だと子供が産まれるごとにヒートの症状が軽くなったりする。だけど二人は子供を持たなかった。そういった体質的な事情もあって、正常にヒートがくる妊娠経験のない番夫婦が養子をとることは稀だとも聞いた。そもそもαとΩの番夫婦はフェロモンの影響で結びつきが強くて妊娠出産を望む場合が多い。
 中学三年の冬の終わり、志望校にも合格して春を迎えようというある晩に左馬刻さんに呼ばれるまでずっと不思議に思っていた。二人に子供がいないことを。

 その日、二郎は卒業のお祝いをするといって忙しくしていた。大きなハンバーグに付け添えとは思えない量のポテトサラダとから揚げと。作りすぎて左馬刻さんに叱られ、実家に持って行けと言われて夕飯後にアイスを買いに行くついでに萬屋へと出かけて行った。
 その留守中に左馬刻さんにリビングに呼ばれた。ダイニングテーブルを挟んで向かいに座るとテーブルの真ん中にマイクが置かれた。左馬刻さんのヒプノシスマイクだった。
 家ではその辺に置いてあることも多いけど絶対に触るなと言われていた。
「テメェももう物事わかる年頃だ。一端の男にゃまだ遠いが自分のことぐらい知っとかなきゃならねぇ」
 テーブルの上にはマイクと灰皿だけがあった。煙草がなきゃ話せないような様子で、それでも酒は持ち出さなかった。
「あんまり覚えねぇだろうが、お前がチビの頃いて保護された組織の拠点を潰してたのは俺らと警察連中だ。違法改造したヒプノシスマイクを、使って事件を起こしてた組織だ。さすがに言葉を覚えたてのガキにおかしなもんを埋め込むなんて畜生以下の真似してるとは思わなかったがな」
 話の合間にこちらの様子を伺って、思い出話で僕を苦しめていないか確かめる。僕はその辺の記憶が曖昧なこともあって心配されるようなことはなかったから、煙を細く吐いて話は続く。
「俺からすりゃ死んでも足りねぇ連中だった。実際、乗り込んだ時も人数だけは多かったからな、手加減もしなかった。本気で死にはしなかったが長期間の治療が必要になったヤツや重症化して普通の生活が困難になったヤツもいた。お前には教えなかったが、銃兎から関係者のその後については時々報告を受けてた。その中の一人がお前の実の親だ」
 あまりこちらを見ずに話していたのに、やっと目が合ったかと思えばすっかり覚悟の決まった目をしていた。
 テーブルの中央にあったマイクがこちらに押して寄越された。
「どんな親でも血の繋がった親だ。それを俺は殺しかけた。いや、実際あの時は誰が誰だかなんて分かっちゃいなかったが、恐らく俺か二郎がやった可能性が高い」
 それは僕もなんとなくわかっていた。保護した現場で左馬刻さんと二郎と対面していたこと、隔離室から僕を連れ出したのが血縁上の両親だったことは警察の事情聴取で推察できたから。
 すぐ目の前に転がるマイクには一切手を触れずに話を促した。
「もしお前がそうしたいと思うならお前には復讐する権利がある。だから、」
「別に思わないよ」
 本心だ。紛れもなく迷いもない。
 左馬刻さんと二郎がそれぞれ血の繋がった兄弟を大事にしているのはよく知っていたけど、僕は自分の産んだ子の背中に隠れて戦わせる人間を親とは思わなかった。
 二人と僕は戸籍の上でも血の繋がりもないけれど、僕を狙ってきた連中相手に一歩も引かず戦ってくれた。真っ先に僕の安全を確保して。
 面倒でしかないはずの他人の子供を二度も引き受けてくれた。そりゃ、世の中の人が思うようなまともで立派な保護者ではなかったかもしれない。子供の前で喧嘩はするし、職業はヤクザだし、夜更かしには寛容で勉強の面倒は三郎さんに丸投げだったし。
 だけど僕は、自分で言うのもなんだけどちゃんと育った。学校にいると集団生活が苦痛ではあったし、二人がダメと言わないからズル休みしたこともある。それでも勉強は頑張った。二人共運動神経が良かったから、自分もそうありたくてスポーツもやったし、少なくとも僕の振る舞いが悪いせいで二人がバカにされないように生きてきた。
 顔も覚えていない親のために左馬刻さんを傷つけるなんてこれっぽっちも望まない。
 即答したら一瞬だけ目を丸くして、
「……そうか」
 すぐに椅子を立って酒を取りに行った。僕も冷蔵庫からつまみと麦茶を出してきて、マイクはテーブルの端に置いて晩酌に付き合った。
 その晩は珍しく左馬刻さんが一番に寝室に引っ込んだから、二郎とも二人で話す時間があった。言わない方が良いか迷った末に留守中の話をすると両手に顔を埋めて大きなため息を吐いた。
「あの人、そのためにわざわざ今日のうちに行ってこいとか言ったな。クソッ」
「怒ってる?」
「そう言うわけじゃねぇけど……いや、腹は立つけど」
 なかなか溶けないアイスを薄く掬い、一口一口食べながら左馬刻さんの両親の話を聞いた。二郎も詳しく知っているわけじゃないから大まかな話だけ。僕も二人の両親がそれぞれ他界していることぐらいは知っていた。
「あの人だって別に血が繋がってりゃいいみたいな考えじゃねんだよな。親父のことは今も許してないと思う」
 合歓さんの住む家に置いてある仏壇にも位牌は一つだけだ。もし父親を殺したのが他人でも復讐なんかしなかっただろうと、後々に合歓さんも言っていた。
「自分がそうであってもさ、お前にまでそう言う考えを押し付けたくなかったんだろうな。それにしても不器用すぎるけどさ」
「そういうとこが好きなの?」
「ガキが調子のんなよ」
 家族を傷つけた父を許さない左馬刻さんは僕が教団幹部だった産みの親たちを少しも庇わなかったことをどう思ったんだろうか。自分と同じように実の親に情を掛けなかったことに安心したのか、それとも自分と違って僕には親を大事にしてほしかった……なんて可能性もあるんだろうか。
 翌朝にはもういつも通りの左馬刻さんで、二郎も打ち明けた話を口にすることはなかった。

 左馬刻さんと一郎さんと神宮寺先生の昔の仲間で飴村さんという人がいる。子供みたいな見た目でいつも飴をくれるんだけど、会うたびに「グレた?」というようなことを質問される。
 いい質問だ。確かに大きな同居人たちは元ヤンだ。喧嘩も強いし口も悪い。
 高校に上がってから間もなくカツアゲにあったのをきっかけに喧嘩も指南された。カツアゲにあったからといって殴り方を教えられるのもどうかと思うけど、強くなりたい願望はあったから素直に教わっておいた。その後で神宮寺先生にもまともな護身術を教わったりしたけど。
 でも、だからといって不良にはならない。ちゃんと勉強はしたし、制服も近年型が変わって一番歳が近い三郎さんのお古すら着られなかったから新品を改造なしで着た。
 大きな同居人たちに憧れはあったけど、薄着の左馬刻さんの体には大きな切り傷が痕になって残っているし、普段あまり他人の生き方に口を出さない二郎もヤクザにはなるなと言った。
 勉強面ではよく三郎さんと合歓さんのお世話になっていたことも影響している。僕が成長して手がかからなくなるにつれてみんな少しずつ僕に割いていた時間を仕事に戻していった後、大学生だった三郎さんや帰宅時間の早い合歓さんのところに身を寄せることが増えた。
 ラップも中学後半から始めた。最初は大きな同居人たちのスタイルを真似したけどリスペクトする人はたくさんいたから、最終的にはあまり似つかないスタイルに落ち着いた。
 夫婦喧嘩も今ではキスコールが通用しないからマイク片手に割り込んでいる。
 それから、バイクの中型免許を取った日には二郎が大事に乗っていたバイクの鍵を渡してくれた。
「いいか?やるわけじゃねぇから、貸すだけだからな。転けるんじゃねーぞ。あのバイクはまだ俺のモンなんだからな」
 なんだかいつかの左馬刻さんみたいな言い方で懐かしくて可笑しくて。もちろん二郎はスペアキーも持っていたけどバスターブロスのステッカーを貼り付けたメットごと僕に譲って、自分で乗ることはほとんどなかったし、僕が友人と組んだMCチームのステッカーを貼っても怒らなかった。

 高校はきちんと三年で卒業した。二人とも大学には進まなかったけど、勉強したいことがあるなら行けと言ってくれたから受験もした。
 遠方の志望校に無事合格して迎えた卒業式の夜。いつもに比べても口数少なく飲み続けている左馬刻さんに二郎が言った。
「アンタずっと同居だって言ってたけどさ、案外ちゃんとやってたし一度もコイツに怒鳴ったり手上げたりしなかったじゃん」
 僕らの同居生活はもうじきゴールだった。家族にゴールはないけど同居にはある。行きたい学校が遠くてこのマンションから通えなかったのだ。近場の別の大学も第二志望に設定したけど、幸か不幸か第一志望校に合格した。それでもまだ迷っていたのに二郎がさっさと書類や学費の手配をして悩む時間をくれなかった。左馬刻さんがそうしろって言ったんだそうだ。
 二人は番の夫婦だ。籍入れていなかったけど、少なくとも僕がこの家に来てからはずっと一緒に住んでいる。でも子供は持たなかった。
 こんなに仲の良いαとΩで子供がいないのは珍しいことだ。Ωは妊娠出産に適した性別と言われていて、β夫婦と比べて子供がいる家庭が多い。二郎は僕を引き取ったほどだから子供嫌いというわけでもないし、左馬刻さんもなんだかんだ言って世話を焼いてくれた。
 それでも二郎は定期的に避妊薬を飲み続けてまで子供を持つことを避けてきた。左馬刻さんが「人の親にはなれない」と言うからだ。
 左馬刻さんの亡くなった父親は暴力を振るう人だった。僕にその辺の話を教えてくれたのは合歓さんで、彼女もまた二人の間に子供がいないことを気にしていた一人だった。
「お兄ちゃんはお父さんとは違うのに、結局仕事もああだし、アレでも不安なんだよ」
 そのことがあったから二郎は僕を引き取ったのかと尋ねたこともある。
「ンな細かいこと考えてねぇよ。施設のヤツらも役所のヤツらもみんなグダグダしてんのが頭にきただけ」
 最初は銃兎さんに頼まれたからだったけど、一度入所した施設から引き取った際は保護施設をたらい回しにしようとしていた役場の職員を怒鳴りつけて勢いで引き取ると言ったらしい。左馬刻さんの説得は後回しで。
 里親の審査は難しかったらしいけど、他の保護施設も渋っていたから無理やり通された。お陰でこのマンションに戻ってこられたけど、大人は大人で大変だったようだ。
 酒のグラスを手の中で弄びながら二郎の優しい眼差しを見返し、左馬刻さんは居心地悪そうにした。眉間のシワも深かったけど、言われたばかりだからか照れ隠しに怒鳴ることもなかった。

 卒業式の後は引越しの準備で忙しくなった。部屋はそのままにしていって良いというので持っていく荷物は少なく、二郎と三郎さんと一緒に新しく住むアパートに行って現地で必要なものを買い揃えた。
 それからまたマンションに戻って春休みを使って、今度はバイクを一郎さんの軽トラに積んで一緒に新居に行く。それで本当に終わり。
 服と文房具くらいしか持っていかないから家の中はあまり変わらなかった。それでもなんだか寂しくて、その日もやっぱり左馬刻さんはあまり口を利かなかった。人に弱いところを見せるのが苦手な人だ。
「寂しくなるな」
 そう言ったのも二郎の方だったけど、小さく「ああ」って返事が聞こえて僕と二郎で顔を見合わせた。
 財布と、バイクのカギと家の鍵が二本入ったボディバッグを担いで玄関で振り返った。外にはもう一郎さんが待っている。
「じゃあさ、今からでも弟か妹作る?そうしたらいっぱい帰ってくるよ」
 鏡がないから本人たちにはわからなかっただろうけど、二人とも似たような面白い表情をしていた。
「……ッ!ガキが親をからかうんじゃねぇ!」
 笑いながら二人の父を残して部屋を出た。二年前のあの時、僕は結構本気だったんだよ。

 さて、書き残したいことがなくなったところでこのノートもちょうどあと一ページだ。
 最後のページには写真を貼ると決めているから、とりとめなく綴るのはここまでにする。
 それにもうそろそろ車が病院に着いてしまうから、ここからはカメラ係として写真で残すよ。