落日/さまじろ/6259

※左馬刻の背景設定に関して捏造多めです。付き合う前のさまじろです。
 

 車は制動静かにイケブクロ駅西口ロータリーにつけられた。キャップを目深に被り、普段は着ないジャケットに袖を通す。小さなバッグひとつ持って車の後部シートを降りる直前に運転席の舎弟が気遣わしげに振り返った。
「本当に宜しいんですか」
 駅まで送り届けたらヨコハマに戻れと言いつけてある。目的地は車でも少し遠い。舎弟を連れて行く気にもならないプライベートな用事だ。
「言ったろうが。何度も聞くんじゃねぇ」
「……お気をつけて」
 運転席から見送られて駅構内に入る。切符も自分で買う。キャップとサングラスで誤魔化しても人より高い身長のせいかチラチラ視線を向けられる。ここがイケブクロだから余計に悪目立ちするんだろう。同時に、穏やかではない職業柄のお陰で面と向かって声をかけられることはなかった。はずだった。
「あれ、左馬刻さん?こんなとこで何してんだ」
 静かに電車に乗ってさっさとこの地を通過るつもりだったのに改札前で馬鹿に出くわした。
「キャップにジャケットなんて珍しいじゃん。お忍びの芸能人みてぇ」
 みたいじゃなくてそのものだ。芸能人のつもりはないが、政府主催のテリトリーバトル代表はその辺の下手な芸能人より有名人だ。自分自身もその一人のはずだが二郎に自覚は薄かった。
 相手にするのも面倒で無視して脇をすり抜け改札をくぐる。背後で「えっ、電車乗ンの」と間抜けな声がするのにも振り返らずホームに向かい、ちょうど停車していた目的の電車に乗り込んだ。適度に隣と間隔をとって座れるほどの混み具合だ。
 顔を見られて騒がれるのも嫌で俯いた。発車して五駅も過ぎれば大分人が減るはずだ。そうしたらそこから先は外でも眺めて感傷にひたれる。
 久しぶりに聞く電車のアナウンスや騒めき、扉の閉まる音。去年までは隣に妹がいた。時折話をしながら電車に揺られた。昨日のことのように思い出せるのに、昨日も一昨日もその前の日にも、自分の生活に妹の姿がないことが嘘みたいだ。
 ひとつ、ふたつ、停車駅を数えているうちに目の前から人の足が全て消えた。線路の周りの景色も高いビルがほとんどなくなり、駅と駅との間隔も開き始める。人の気配が気にならなくなってやっと顔を上げた。
「なあ、どこまで行くの?今電車賃いくらぐらいだよ。Suicaの残高足りっかな」
 真横にキョロキョロ外を確認する馬鹿がいた。完全に振り払ってきたと思ったのに。下ばかり向いていたせいで不覚にも気づかなかった。
「やべっ、財布にもあんま入ってねぇ。マジでどこで降りンの?片道料金どんぐらい?」
 大きく開かれた財布には数百円しか入っていなかった。小銭入れしか確認していないところを見るに、紙幣は元々ないのが分かってるんだろう。
「何でついてきやがった」
 あらゆる意味でだ。不機嫌を隠さず問えば少しだけ肩を竦めて「暇だったし」という極めてふざけた回答があった。胸ぐらを掴んでキャップとキャップのつばがぶつかるほどに迫る。
「テメェは誰の許可得てヒトの後尾けてやがんだ、相応の覚悟はあんのか?あ?」
「ンだよ、一人ってことはプライベートだろ?ちょっとぐらいいいじゃねぇか!つか、電車の中で騒ぐなよ」
 言われて周りに目を配って手を放した。コイツに言われると余計に腹立たしいが、確かに同じ車両にも何人か乗っていて騒ぎに気づいてこちらをチラチラ見ている。
「チッ」
 両手をポケットに突っ込んだ。
「で、どこ行くって?田舎の方向かってるみたいだけどさ」
 無視した。しばらく繰り返し尋ねていた二郎も一言も返さなかったら諦めて黙った。そこですぐ下車して反対方面の電車に乗ってイケブクロに帰ればいいものを、乗換駅で俺が降りれば着いて降り、そのまま反対側のホームに入ってきた電車にも乗り込む。どこへ行くかも知らないで。
 旅行もろくに経験がないらしい。車窓の景色から建物が消え、田畑しか見えなくなると「こんなとこまでくるの初めてだ」とはしゃいだ。途方もない馬鹿だ。金もない、土地勘もない、アテにしているのは仲間でもなんでもない俺一人。それでも呑気に旅を楽しんでいる。
「あ、田んぼの端の方に家あった。あんなとこ住んでたらコンビニ行きたい時どうすんだ?」
 いちいち俺に顔を向けて話を振ってくる。そんなこと知るか。なけなしの忍耐で無視し続けた。

 乗り換え一回を挟んで一時間半程で電車を降りた。目的地の手前だが、その先は無人駅だ。記憶の限りでは自動改札機しかなく残高チャージ用の機器もなければ人もいない。そこまで簡素な無人駅なんか見たこともない二郎が呑気過ぎて耐えられず、有人駅で降りた。ついてこいと言わなくても二郎は当たり前の顔でついてきた。
 その場で往復分の運賃を支払ってお釣りが来る程度の金を握らせてチャージさせ、ホームで次の電車を待って乗り直す。田舎の電車はそうすぐに来ない。予定が狂った。
 時刻表を確認してベンチに座って待っていると、一時姿を消していた二郎が缶コーヒーとコーラを持って戻ってきた。
「悪ぃな。ブクロに戻ったら次会うときに返すからさ」
 渡されたコーヒーは微糖でやたら甘かった。ガキの財布なんかアテにしないが、この日コイツが金を払ったのはこれっきりだ。何しろ数百円しか持ってない。それでよく行き先も知らずに電車に飛び乗ったもんだ。
 余計な道草をして時間を食ったが、昼前には本来の目的地に到着した。駅舎も最低限。降りたのも俺たち二人きり。駅から出たところにいくつか民家は見えるが誰も外を歩いていない。ただ正面に海が広がる。そんな寂れた漁村だった。

 駅の近くを通る国道沿いにしばらく歩くと道の駅がある。そこで近隣の農家が無人販売している花束を買った。農産物が並べられた脇に手作りの貯金箱みたいな箱が置かれていて『お代はこちらへお入れ下さい』と手書きされた紙が貼り付けてある。
「こういうの泥棒されねぇのかな」
 物珍しそうに二郎が覗く目の前で小銭を入れてやると金属に当たった音がした。それだけのことに「おお」と感嘆の声を挙げる。
 花を買った後はもうどこへ行くのかと尋ねてこなかった。
 またしばらく歩いて国道から脇道に入り、緑の斜面に造られた石段を登る。生い茂る緑と木々に隠れた先には寺がある。その隣には墓地が広がっていた。
 母親の墓だ。
 母が亡くなったのは家族で暮らしたヨコハマだが、実家は田舎にあったから実家の先祖代々の墓に入れられた。親類とは縁が切れていて、日頃の墓の管理は寺に任せているが命日だけは妹と二人で訪れていた。去年までは。
 墓地の入り口で足を止めた二郎を置き去りにして花と持参した線香を供え、手を合わせた。
 今年は一人でごめん。
 この一年のことを思い出す。
 母に報告したいことはすでに仏壇に向かって済ませていた。だから改めて告げるわけじゃない。ただ、ここはヨコハマの街と違って誰にも絡まれない。車のクラクションも聞こえない。草の擦れる音と虫の音と。遠くに海の音。別の世界に逃げ込んだように静かだった。
 少しの時間そうしてから寺の本堂を覗いて和尚に挨拶する。納骨の時から世話になっていて、うちの事情も承知の人だ。妹のことも気にかけてくれていた。
 暫くして石段の端に腰かけた二郎を見つけた和尚が「彼はいいの?」と言うので話を切り上げることになった。どのみち長話をして楽しい話題はなかった。
 二郎の脇を横切って石段を降り、国道を渡って海岸のコンクリートに腰を落ち着け煙草を咥える。当然、二郎も隣に座った。ここに来るまでうるさかったのが嘘みたいに大人しく、躾のできた散歩中の犬みたいだった。
 ヨコハマと同じ太平洋だが、田舎の海はやっぱり別物のように見えた。
 この何もない土地から母はヨコハマに来て親父と出会った。俺たちが母の田舎に連れてこられたことはなかったから何故ヨコハマに住むようになったのかは尋ねたことがない。納骨の際に初めて訪れた時には海のある街が良かったのかと思ったが、今更確かめようがなかった。妹と二人で勝手に母は海が好きだったのだと納得して墓参りの際は代わりに海を眺めて過ごしたもんだ。
 天気が良ければ妹は砂浜に降りて綺麗な貝殻を拾い、毎年数枚ずつ瓶に貯めていた。欠かさずに墓参りに来れば母の歳を超える頃には瓶いっぱいになる。まだ少ししか貯まっていない瓶は妹の荷物と一緒にしまわれていた。一人で墓参りに来る歳が続けば、それだけ貝殻の瓶の時間は止まり、歳をとるのを自らの手でやめてしまった母の影も遠くなる気がした。
 髪が伸びるのだって気がつかないほど毎日一緒に過ごしていた妹がいない生活をこの場所で思い出すと慣れたはずの違和感がぶり返してくる。家のどこを見ても何かがしっくりこなくて妹と暮らしていた頃より気温が二、三度低くなったように感じる。
 妹は母と違って今もちゃんと生きて生活しているが、俺の見ていないところで成長する様子が上手く想像できず、貝殻の瓶のように頭の中では時間を止めていた。今の髪の長さも背の高さも何も分からないんだから当然なのかもしれない。
 飽きも疲れもなく波が繰り返し打ち寄せる。見ていると時間の感覚が狂う。ここにいれば自分も母や妹と一緒に時間を止められるような気さえした。今朝までの日常に自覚以上に疲れていたみたいだ。座ったところに根が生えて動けない。
 煙草が限界まで灰になってもみ消してもまだきらめく海面を見ていた。

「なあ、腹減らね?昼も食ってねぇじゃん」
 波音に腹の虫の鳴き声が割り込む。無粋な連れを睨んだが、二郎は軽い動きで立ち上がって刺すような視線をはねのけた。
「この辺コンビニとかねぇけどどうすんの?」
 無視して海に目を戻そうとしたら、またせっかちな腹が鳴って急き立ててくる。
「なあ……」
「…………うっせぇ。その辺の草でも食ってろ」
「草じゃ腹にたまんねぇし!」
「威張ンじゃねぇ」
 怒鳴った勢いで尻から生えた根が切れた。仕方なく立ち上がると確かに自分も空腹で、二郎の為じゃないが、定食屋に足が赴く。
 この周辺、少なくとも徒歩で行ける範囲にコンビニはなかった。代わりに海から少し離れると古い商店街があって、昔ながらの定食屋や個人経営のスーパーなんかがあった。
 毎年立ち寄る定食屋は今年も変わらず、紙に筆で書いて貼った黄ばんだメニューも、何十年前のものかわからない水着の女がビールを持ったポスターもそのままだ。暖簾をくぐって入ると白髪ばっかりの婆が出てくる。
「いらっしゃい」
 一声あるが愛想はない。ガラ空きの席の一つに座ってカツカレーを頼む。俺は毎年コレだ。どのメニューも不味くはないが特別美味くもない。
 物珍しそうに店内を見ていた二郎も慌ててメニューを読んでチャーハンセットを注文した。もちろんコイツの財布に金はない。電車賃の時点で後で返す約束になっているし尋ねたところで「食事代もツケといて」だろう。だから改めて聞くことはしなかったが、運ばれてきた飯にやたら丁寧に手を合わせていたから奢りのつもりだったかもしれない。どういうつもりだろうと交通費と食費合わせてトイチで請求してやるが。
 二人分の飯を運んだ婆は店の奥のレジ横に椅子を置いて座り、高いところに設置したテレビでドラマの再放送を見ている。厨房には爺さんがいて、向こうの仕事が暇になると一緒にテレビを見に奥から出てくる。この店はH歴前から変わる気配がない。
 中王区を取り巻く都市部に常に薄っすらと漂う緊張感も、ここには微塵もなかった。武器の徴収は田舎町にもやってきたはずだが、元から徴収される物もなく、代わりにヒプノシスマイクを得た人間もいないんだろう。そうなればテリトリーバトルも遠くの国の戦争みたいなものなのかもしれない。
 二郎はそんな老夫婦の姿さえ物珍しく見ていたがチャーハンと餃子とスープのセットが並ぶと目を輝かせて食べ始めた。あまりに食いっぷりが良いから爺が気を良くして小皿にラーメン用のチャーシューを数枚乗せて持ってきた。妹と来た時は稀に果物をつけてくれることがあったが、それは妹が可愛かったからだ。こんな頭の悪そうなガキでもサービスするのか。
 遠慮なく食って腹が落ち着くと二郎は両手をきっちり合わせる。
「ごちそうさんでした!美味かったー」
 別に普通の定食屋だ。美味くも不味くもない。店主夫婦はニコニコして帰りに飴までくれた。過疎高齢化の進む地域だからガキが珍しいんだろう。
 飴を?袋に入れて機嫌良くガキが歩いていく。ずっと後をついてきたのにもう帰るばかりだと教えたら前を歩くようになった。たまに車が通ったとか変な鳴き声の鳥がいたとか言って頻繁に振り返りながら。
 非日常の静かな景色の中でコイツだけがうるさい日常だ。都心の空気を引きずりながらも田舎の婆に貰った年寄り好みの飴を口の中で転がして長めの髪を海風にそよがせる。

 無人駅で不正進入を禁止する機能すらない改札を通過してホームに出る。時刻表も駅舎の簡素さと同じくスカスカで、ある程度の時間をみてやってきたのに十分以上待つことになった。
 色褪せたベンチに並んで座りほんのり夕暮れの気配を帯びた景色を見つめていると、散々勝手に過ごしてきたくせに今頃訊かれた。
「あのさ、お邪魔だった?」
「当たり前だろうが」
「悪い。まさか墓参りとは思わなくてさ」
 こんな遠くに来るとも思わなかった、というのは財布の軽さで分かっていたことだ。
 人に立て替えさせて飯まで食ったくせに、謝る機会を探していた様子で責めを待っている。元から下がり気味の眉尻を犬のしっぽみたいに下げて。
「…………今更だ。もういい」
 投げやりというわけじゃなく、もうあまり怒る気にならなくて許した。最初は腹が立ったがいつの間にか苛立ちも失せていた。
 帰りの電車も乗車した時点ではほぼ貸し切り状態だったが、都心に近づくにつれて混むことを承知で往路より近くに座った。行き先を知らないで見た朝の景色と暮れ行く復路の景色は色合いが違って見える。電車が混み始めるまで二郎は黙ってそれを眺めていたが、そのうち電車の揺れに合わせて頭が揺れ始めた。カーブで車体が大きく揺れた拍子に転げそうになって肩を引き寄せる。座席から落ちて頭でも打って騒がれると面倒だからだ。
 それに、一日歩き回って長時間電車に揺られるとちょうどこの辺で眠くなる。妹もよく転寝して肩を貸して帰った。
 タタン、タタン。安定したリズムが全身を揺する。微かな寝息。窓の外のオレンジ色。去年も一昨年も母の命日の夕方はこんな風だった。
 肩にかかる妹の重みの記憶が他人のガキの重さに上書きされていく。
 乗り換えで二郎を起こしてから先は電車内の密度も上がり、舎弟に連絡してイケブクロの手前の駅に迎えの車を呼んで先に降りた。周りの連中に騒ぎ立てられると面倒だから無駄に話しかけるなと指示したら大人しくしていたが、降りる直前にジャケットの袖を引いて耳元で告げられる。
「借りた金、ちゃんと返すからさ」
「当たり前だ」
「うん」
 停車して扉が開くと共に流れ出す人の群れに押されて金の額も返済の予定も何も言わずに車輌の内と外に別れる。もういくら貸したかも正確には憶えていない。俺にとっては大した額じゃなかったからだが、勝手についてきたガキに奢る理由もない。
 沢山の人が行き来する空気の淀んだ駅舎を出て迎えの車の後部シートに乗り込んだ。煙草を探してポケットに手を突っ込むと定食屋で貰った飴が指先に触れた。