エレベーター/じろさま/1090

 全開にしたシャワーみたいな雨から逃れてマンションのエントランスに駆け込んだ。体から滴った雨水がピカピカの床にいくつも水溜りを作る。
 ここまで濡れると入り口の自動ドア前に用意されたエントランスマットじゃどうにもならなかった。靴底の水分をちょっとやそっと拭ったって焼け石に水だ。
 貧乏性でなるべく水が垂れないようにそおっと歩く俺とは対照的に、このマンションの八階に部屋を持つ男は普段と変わらない足取りでエレベーターに向かった。床のことなんかお構いなしだ。管理人が掃除するからいいんだと。
 仕方なく俺も早足で追いかけてエレベーターに乗る。
 先に乗った男は俺のことなんか待つ気もなく、滑り込んだ時すでに閉ボタンに手をかけていた。
 文句は山ほどあるが言っても聞く男じゃない。代わりに箱の奥側に陣取ってその背中を睨みつける。
 男は極道だ。水で張り付いた白いシャツが透けて背中の刺青が見えている。
 でも肌はあまり透けて見えない。真っ白なシャツに溶けるような色白だからだ。遺伝的なもので、髪も肌も色素が薄い。
 でも、張り付いたシャツの下に健やかな肌があるのがわかる。襟足の毛から垂れた水滴が伝い落ちるうなじと地続きの背中が。
 興奮すると薄い皮膚がほんのり赤くなることも。俺は知ってる。
「オイ」
 不意に男が振り返った。赤い眼を眇めて意地悪く笑う。
「お前今エロい目で見てただろう」
「は?!ちがっ」
 声が裏返って後ずさった。壁に背中が当たる。なるべく室内を汚さないよう気を付けていたのに。
 元から狭い箱の中で男が距離を詰めてくる。濡れた肌の生々しいにおいが近づく。
「違わねぇだろ。前からテメェは人のことじろじろ見やがって。隠してたつもりだろうがバレバレなんだよ」
 至近距離に迫ると数センチの身長差でも見上げることになる。上から責められると肩が竦む。逃げたい気持ちと見透かされたすけべ心で心拍が早くなって体温が上がる。
「か、勝手に言ってんなよ」
 口喧嘩には分が悪い。
「嘘だな」
 ヤリてぇくせに。耳元を吐息が撫でる。
 悪い男だ。やりたい盛りのガキをからかって。
 もうどうにでもなれ。そんな気持ちですぐそこにある尻に手を回すため、手を浮かした。
 だけど相手の方がやっぱり上手だ。
「ハッ。俺様を抱こうなんざ百年早ぇよ」
 ヒトの尻を掴みなれた男の手が先に俺の尻を鷲掴み、耳を甘噛みして離れていく。
 身を翻した男の向こうで扉が開いて見慣れた八階フロアに到着した。
「クソッ、待てよ!」
 エレベーターに乗り込む時と同じく俺のことなんか待つ気もない男を追って部屋に駆け込む。
 秘めたつもりでいた野望が叶う日はまだ遠い。