そのクルーは架空/さまじろ/4519

< 入店当時から世話していた女が夜の仕事を辞めると挨拶の連絡を寄こしたから飲みに連れて行った。
その店の中では古株で、その前も別の店で働いていた。すっぱり足を洗う決心と支度が整ったなら喜ばしいことだ。
「今度貯めたお金で、妹とショウナンでカフェ始めるのよ」
今夜はもう露出の少ないパンツスタイルで、小ざっぱりした女がテーブルの上に自分のスマホを差し出した。画面には新規オープンする店のロゴが映っている。立地に似合いの昼の店向きのデザインだ。
「へぇ。いいじゃねぇか。開店記念に花でも出してやるか」
 店のカラーに合わせた上等な花だ。門出にぴったりの。
 だが女はあっさり断った。
「いいよぉ。若い女の子向けのお店の予定だからヤクザのお花はちょっとねぇ」
「仕方ねぇな。舎弟がやってるタピオカ屋の名札つけりゃいいんだろ」
「ははは。でも気を遣わないで。そのうち女の子でも連れて食べに来てくれたらいいからさ。こっそりサービスするわ」
「昼間のカフェなんかに同伴する女はいねぇよ」
「ホントに?」
 気楽に笑って飲んで、店を去った女とはそれっきり。
 一ヶ月半後に一度、新規オープンを知らせるメールが届いたが、実際店を訪れたのもしばらく経ってからだった。

「まいど、萬屋ヤマダ」
 業務用の軽バンが目の前に横付けされ、助手席側のパワーウィンドウを下げて運転手が到着を告げる。
 仕事帰りのツナギ姿で後部シートは取り払い、広く荷室を確保している。今はいくつかの段ボール箱が積まれているばかりだ。
「遅かったじゃねぇか」
「うっせぇな。急に呼び出しやがって、 ヨコハマにいるっつってもハコネの方まで出張してたとこなんだよ!……ンで?依頼内容は?」
 客に向かってギャンギャン騒ぐくせに呼びつける際の「依頼」の言葉を信じて尋ねてくる。萬屋ヤマダのクソ社長は社員教育もなってない。
「今組の車が他の送迎で出払ってんだ。うちまで送れ」
「タクシー代わりかよ!」
 それの何が悪い。どうせコイツだって今日の仕事が終わったところだ。仕事が終わらないなら遠慮してやるつもりだったが、帰るところだというからもうひと稼ぎさせてやったまでだ。
 ぶつくさ文句を言いながらも俺が助手席に乗り込むまで車は動かなかった。
 明日も朝っぱらから仕事だというから家に泊まらせるわけにはいかないが、束の間の夜のドライブってのも悪くない。
「おい、ショウナンの方回ってくれ」
「何か用事かよ」
「店辞めた女がカフェ開店したんだと」
 もう営業時間は過ぎているだろう。小汚い作業服のガキ同伴で入店するのも悪い。遠回りがてら店の外観でも拝んでおこうかと思っただけだった。
「へぇ。アンタんとこはカフェのケツモチまでやってんの?」
「若いオンナノコが客だっつーからヤクザの出番はねぇだろ」
「そりゃそうだ」
 H歴が始まって間もない頃はカフェでもパン屋でも駄菓子屋でもケツモチの真似事をしていたもんだが、今はもうそんな時代じゃない。
 粋がったガキやヤクザの遣いっぱしりが上納金の代わりにマイクを握って暴れるクズから店を守ってやることもなくなった。一時的にラップバトル勝者に政府から与えられていた小規模な自治権は剥奪され、かつての市区、もしくは都道府県に相当する区画ごとに治安管理が行われている。クーデター直後に比べれば警察もまともに機能していて、大して売り上げのない飲食店だの個人商店だのを荒らしまわる奴も減った。
 戦前はこんな風だったんだと行きつけのラーメン屋の爺が言っていた。
 窓を少し開けるといい風が入ってくる。二郎が免許を取る前はバイクの後部シートでフルフェイスのヘルメットを被せられていたことを思えば楽になったもんだ。
 目的の店の場所と特徴を教えてシートを深めに倒し、煙草を咥えた。
 ガラスを抜けて照らす街灯の光と闇が順にまぶたの端を通り過ぎていく。
「おい、新しいカフェって……もしかしてあそこか?」
 呼ばれて起き上がる。見ると、街灯と街灯の間に落ちた闇の端っこに、確かに探していたロゴの看板が上がっていた。看板を照らすライトはもう消えて、店の窓の端にカーテンから漏れた光が溢れている。
 やっぱり閉店時間だ。それなのに、店の前にやけに人がいた。
「あれって、客かよ?」
 店の反対車線の路肩に車を停めた二郎が訝しむ。
 それもそのはずだ。二十歳前後の男ばっかりで屯して下品に騒いでいる。店の客層とは明らかに違った。
「何してんだアイツら」
 しばらく待っても解散する気配がない。
 そのうち何人かが建物の脇に回り込んだ。目を凝らすと地味な扉がある。通用口だ。
「……出待ちか」
「はぁ?」
 ステアリングに肘を乗せて見ていた二郎にチラリと視線を流す。
「…………あの店、ユートピア辞めた女が兄弟と始めた店だ」
 告げると二郎が跳ね起きる。
「まさか、あの連中それ知ってるんじゃ」
 ユートピアは高級風俗店だ。働く女達の大半は仕事を隠しているし、あの女も例外じゃなかった。だけど客は顔を覚えてる。何かのきっかけで昔の客が店を見つけ、話がガキ共に漏れたのかもしれなかった。
「じゃあ今も連中のせいで店から出られねぇんじゃねーのかよ!」
 二郎が飛び出していこうとドアノブを掴む。その腕を止めた。
「ちっと待てや」
「なんでだよ!ああいう連中はガツンと〆ねぇとツケ上がるぜ!」
 そんなことはうるさく言われなくても分かってる。問題はそこじゃない。
「あの店はヤクザとの貸し借りなんざねぇカタギの店だ」
 女も真っ当に商売をやろうとしてる。なるべく関わるべきじゃない。
「じゃ、じゃあ俺一人で行く!アンタが出てこなきゃいいんだろ!」
「ブクロのテメェが今だけ守ってやっても明後日には元の木阿弥だろうよ。それとも、毎日通ってやるってか?」
「それは……」
 被害が今日始まったかどうかも定かじゃない。限界なら俺に助けを求める手もある。それがないってことは、遅い時間まで店内で待っていれば連中も飽きて解散するのかもしれない。
 だが営業時間中に来られたら厄介だ。営業時間外でも、近所迷惑に変わりはない。
 こんな時。考えたくはないが、こんな時、イケブクロの萬屋なら堂々と正義の味方面して助けるんだろう。
 短くなった煙草のフィルターを噛みしめる。
「あ、俺いいこと思いついた!」「あ゛?」
 二郎がシートの間から荷室に手を伸ばしてリュックサックを手繰り寄せた。中からまずタオルが出てくる。その下から作業用ジャケット、手袋、Tシャツ、ゴーグルが順に出てくる。最後は飾り気のない黒いキャップだ。
 ゴーグルはクリアレンズに深い黒縁がついた、粉塵対策用のセーフティゴーグルだった。
「ほい。これ着けてキャップ被ればこの暗さなら誤魔化せるだろ?俺はメットあるし」
 シートの裏からヒョイッとフルフェイスヘルメットを引っ張り出す。
「だからその場凌ぎじゃ意味がねえっつってんだろ」
「だーから、スッゲー強いチームが仕切ってるって思わせりゃいいんだろ?」
 ニヤリと笑って最後のアイテム。段ボール箱に雑に詰め込まれた使い差しのスプレー塗料を引き寄せた。

 仮にも俺たちは全国規模の有名人だ。テレビ、新聞、雑誌。何度も顔や名前が報道されてる。変装したからってそんな上手くいくわけが────、
「はぁ……全員気絶したな。結局誰も気づかねぇでやんの」
 あった。わざとラップスタイルを変える工夫もしたが、それでも気付かれないとなると複雑だ。
 二郎が連中の服の背中にスプレーでバッテンを書いていく。失神から目覚めた時に俺たちにボコボコにされた恐怖まで忘れられちゃ意味がない。
 俺はボンクラ一人一人の顔をスマホで写真に撮った。この中に万が一ユートピアの客がいるなら出禁にするためだ。
 煩雑な事後処理をしていると、先に仕事を終えた二郎が呆れた声を上げた。
「コイツらタギングまでしてんじゃねーか。クソじゃん」
 振り返って二郎の視線の先を見ると、店の脇の壁にスプレーで何か書きつけてあった。多分連中のチーム名か何かだ。タギングっていうのは大抵がグラフィティアートを残した本人の名前や所属するチーム名なんかだ。
 アートなんて言うが所詮落書き。元々は公共の建造物の壁面に描くもんで、個人店舗の壁なんてのはライターモラルに反する。
 二郎がスマホの灯りで照らして壁の色を確かめ、手持ちのスプレーで丁寧にタグを塗り潰していく。当然、壁と全くの同色ではないだろうから、明るくなれば違和感は残るだろうが。
 ざっと塗り終えて二郎も同じことを思ったらしい。光を当てて色味を眺め唸った。
「仕方ねぇだろ。後はここの奴らでペンキでも塗ってもらうしかねぇ」
 俺が車に戻ろうとしても二郎は壁を眺めて、手の中のスプレー缶をカシャカシャ振っていた。それからやっと車に戻った時にはイタズラなガキそのものの顔でニヤリと笑って、
「いいこと思いついた!」
 別の色のスプレー缶を引っ掴んで店の方に戻っていく。
 やな予感がして折角乗り込んだ助手席を降りる。
「まさかテメェまでくだらねぇ落書きすんじゃねぇだろうな」
 まさか、なんてつけたが十中八九そのまさかだ。壁の前で缶を振りながら少し考えて、二郎はさっき塗り潰したばかりの場所に噴射口を近づけた。
「まあ見てろって。結構上手いんだぜ」
 言葉通り、手際よく描かれた黒い馬は上手にデフォルメされ、汚い落書きとは風合いが違った。
「やっぱグラフィティに上書きするときはセンスが上のアートでなくちゃな」
「器用なモンだな」
「オタクなめんなよ」
 笑って完成した馬の目に赤いスプレーを吹いた。
 店の正面から来る客にはあまり気づかれないような位置、サイズだが、通用口まで無遠慮に見にくる無法者は番犬のような黒馬が睨みを利かせる。
「これがある場所でふざけたマネしたら覆面クルーが黙っちゃいねぇぞ、つってな」
 多分それは半分冗談だっただろう。クルーなんて言いながら、チーム名をどうしようなんて話は言い出さなかった。

 黒馬のキャラクターを残す名もなきクルーは、ガキの間でちょっとした噂になった。
 それというのも、ヤクザが出張る程じゃない騒ぎの場に何度か介入、鎮圧して回ったからだ。
 組やMTCのメンツ関係なく動けるのは案外楽なもんだ。夢見がちなアニメオタクも闇に紛れて暗躍する謎のクルーという設定はお気に入りらしい。
「なあなあ、見ろよ。ネットで“ダークホース”って呼ばれてるぜ」
「ダッセェ」
 まんまじゃねぇか。
 ローカルな話題で賑わうサイトを表示したスマホを押し返した。
 覆面クルーが二人で活動したのは数える程だ。
 その他に、グラフィティを残したエリアで性懲りもなくカタギに絡んでいたチンピラを二郎が一人で潰したのが数件。それで俺らが一発屋じゃないことが知れ渡り、なんとなしに黒い馬を見たら大人しくしておくのがガキどものルールになった。らしい。
 所詮は束の間の平穏だ。ちょっとやそっと騒ぎが減ったところで、ヨコハマの街は早々静かにはならない。
 あとは、そう、うちのテレビのリモコンの裏に、二郎が冗談で一枚だけ作ってきた黒馬のステッカーがべったり貼ってある。
 それだけだ。