※PRIDEドラパのネタバレを含む夏アレ高校時代捏造ネタです。
昼食が済むと手早く片付けて一階まで降りる。
昇降口は正面玄関と反対側にあって、非常口のサインが天井付近で弱く光っていた。
外は今日は風が強くて、いつもの場所に座っているアレンも目を擦っていた。
「埃でも入りましたか?」
「ああ、最近晴れ続きだったから土埃が舞いやすいんだ」
肩に手を置いてアレンがヘッドホンをずらすのを待って声を掛ける。密閉型のヘッドホンで音楽を聴いていると外の音がよく聞こえない。
隣に座って借りた雑誌を返し、また別の雑誌を受け取る。CDも一緒に渡された。
「ここで聴いても?」
「もちろん」
最近CDウォークマンを買った。その場でイヤホンを繋いでアレンのおすすめのヒップホップを聴く。
元々ヒップホップの定義もよくわかっていなかったけど、いくらでも説明してくれる解説者がいるお陰で理解は早かった。
昨日はメロディアスな日本語ラップだった。流れるようなフロウが日本語と英語の境目を感じさせない心地よく耳を通り抜けていく曲だ。
今日はヒップホップに詳しくない夏準でも知っている有名ラッパーで、曲もどこかで聴いたことがあるような気がした。ジャブのように打ち出されるフレーズがメッセージの力を感じる曲だ。
「今日の曲はこの間聞かせてもらったのとずいぶん違うんですね」
隣を振り返ると、すでにアレンはノートに向かって集中していた。ヘッドホンの内側で何かの曲を聴きながら、ノートに一心不乱に何かを書きつけている。
リリックを書き起こしているのかと思った。でもそれだけではないようだ。
立てた膝に頬杖をついてしばらくその横顔を眺めていても全く気がつかない。
全然違うんだな、と夏準は思う。
世界が見つめるステージでバイオリンを演奏し、評価されても動かなかった心が、誰もいない校舎裏で一人きりで聴くラップにかき乱されてるんだ。
集中している時のアレンはとても静かで目だけが燃えるように輝いていた。
ここで出会って以来、顔を出せば新しい曲を聴かせたり雑誌を貸しつけたりしてくるくせに、自分の好きな音に没頭すると夏準の存在を簡単に忘れてしまう。
でも夏準はひっきりなしに名前を呼ばれる教室よりもアレンのいる校舎裏が居心地が良かった。
雨の季節が近く、外に出られない日は憂鬱だった。
日本での自宅は親の手配した高級マンションで、広いリビングと寝室だけを使っている。複数のゲストルームもあるし書斎もあるが、家具を揃え棚に適当な本を並べたっきり、あまり立ち入ってすらいない。
無駄に部屋があると使わなくても埃が溜まるもので、週に一度来る家政婦には、主にそうした部屋の掃除を依頼していた。
元々は週五日、食事や洗濯物の管理なんかも頼んでいたが、夏準は自分で身の回りの仕事を覚えて家政婦の訪問回数を減らした。養父に言われて素行を監視しにきている人間だ。あまり出入りさせたくなかった。
他方で、一人の家でやることはあまりなく、料理を覚えるのはいい暇つぶしになった。日本にはたくさんの国の料理屋があって挑戦するメニューには事欠かなかったし、和食は気に入っている。
旬の野菜で作った惣菜を冷蔵庫に保管し、自分が使っている部屋の掃除は自分でやる。特に家政婦の訪問日前には手出しする余地がないくらいにきれいにする。
日本人家政婦は養母より少し若い女性で、丁寧に挨拶して部屋に入り、所定の掃除を済ませた後、リビングと水まわりを確認して「こちらはよろしいですね」と言って帰っていく。
「それではまた来週よろしくお願いいたします。何かございましたらいつでもご連絡ください」
毎週そう言われるが、一度も呼びつけたことはなかった。
日本での夏準の世話役として紹介された燕財閥傘下の企業で取締役を勤める男性に「専属契約している人だから親代わりと思って頼っていいんだ」と言われたけれど、養母は家事なんかやらなかったし今更金で雇われた親なんか気色が悪いばかりだった。
部屋から他人の気配が消えるとオーディオコンポにCDをセットして再生する。
“You better lose yourself in the music”
言葉が強く響いてくる。
音に耳をすませてまぶたを閉じると、校舎裏の青々とした緑が浮かぶ。木の葉が揺れて木漏れ日が足下まで迫り、アーモンド形の気の強そうな目をキラキラさせながら彼が熱弁する。
『ヒップホップはさ、自由なんだよ』
それはきっと音楽としての話なんだろう。聴いてみるとヒップホップの懐は広く、あらゆる言語で歌われ、様々な音楽ジャンルを取り込んで表現する曲がいくつもあった。
だけど自由が欲しいのはアレン自身。そんな気がして、勝手で心地よい共感に浸って夏準は眠りに落ちた。
「それじゃあ折角なので、バイオリンをアレン、ピアノをエミリにお願いします」
教師が手でグランドピアノを示すと、幼少からピアノを続けてきた女子生徒が恥ずかしそうにはにかみながら進み出た。
続いて生徒たちがそうするようにアレンを振り返る。
「アレン、恥ずかしがらないで」
教師に急かされて渋々席を立つ。
教師に渡された備品のバイオリンを手にして少し音を出し、ピアノの彼女の方を一瞥して教師に準備が出来たと目配せする。
可哀想に。彼女の方は今のアレンの些細な動作で緊張している。悪気はないんだろうが、目つきの悪いアレンに無言で見られたら睨まれたと勘違いしても仕方ない。
教師の指揮で演奏が始まったが、早々にピアノがミスして期待に満ちていた教室の空気に小さな穴が開いた。
後から聞いたことだが、彼女は努力家で実力はあるものの、プレッシャーに弱くてコンクールで何度も悔しい思いをしていたらしい。
指揮のリズムにも合わなくなってくる。すぐに一度止めてやり直してやれば良かったのに。バイオリンが一分の狂いもなく奏でられていたせいか、頑張って彼女なりに立て直そうとする気配があったためか。仕切り直しが入らなかった。
黙々と演奏していたアレンが突然身を翻し、指揮に背を向ける。
ピアニストに歩み寄ったのでまた彼女の指が強張り、ついに手が止まった。
「おい、大丈夫かよ」
後ろの席の誰かが囁く声に指揮を裏切って転調したバイオリンの音色が被る。アドリブで繋いで、始まったのは『きらきら星』だった。
初心者の練習する定番曲。バイオリンを始めたばかりの子どもがやるようなシンプルな演奏ではなく、バイオリン一挺でも様になる演奏だった。
馴染み深い旋律が繰り返し奏でられる。
そのうち、スカートを握り締めてそれを見上げていたピアニストの手がゆっくりと鍵盤に戻り、ぎこちなく、次第に滑らかに演奏が始まった。
ピアノの澄んだ音が弾む。
何度も繰り返されたきらきら星は再びバイオリン主導で転調し、アドリブで音が転がり始めた。今度はピアノもついてくる。
掛け合いのような演奏。そして、いつの間にか課題曲の出だしに戻った。
ピアノが安定して鳴り始めてもアレンは元の位置には戻らず、雛の世話をする親鳥みたいに終わりまでついてくるのを見守って、曲の終わりと同時にピアノから離れた。
天才だった。
バイオリンに詳しくなくたってわかる。英才教育の賜物か才能かは分からないが、親がこの道を極めさせようとするのも当然だ。
ピアノの彼女は頬を赤くして席に戻って、何度もアレンをチラチラ見ていた。
彼女だけじゃない。普段愛想のないアレンを見直した生徒は何人もいただろう。
だけど今日のヒーローは、雨模様の窓の外を、演奏中と変わらぬつまらなさそうな表情で見つめていた。