※PRIDEドラパのネタバレを含む夏アレ高校時代捏造ネタです。
梅雨入り宣言が出たのはもう随分雨が降ってからだった。
雨の日はなんとなく一日が長い。授業も長いし、昼休みの時間も長い。
「アレンくん、大変な病気なのかな……」
ぽつり、と口にしたのはグループワークで机を囲んでいる少女だった。
アレンはもう一週間近く病欠している。病名は不明だが「寝込んでいてしばらく欠席すると連絡があった」とだけ担任から伝えられた。
夏準が最後にアレンと会ったのは一緒にレコードショップを訪れたその日。夏準のマンションの近くにある公園で別れた。
「こんなに休むなんてね」
「誰もアレンくんのケータイとかSNS知らないからどうなってるのか分からないんだって」
誰も、クラスの誰も。夏準も知らない。アレンは一年の頃から病欠なんてしたことがなかった。
「大丈夫ですよ。雨続きでしたから、きっと風邪でも引いたんでしょう」
風邪でこんなに何日も休むものか。自分で言った気休めを内心で否定した。
それでも誰かに大丈夫と言ってもらえると気が楽になるもので、グループの女子たちは「そうだよね」「季節の変わり目だもんね」と頷き合う。
「とにかく、彼の分のレポートは僕が代わりますから発表に間に合わせましょう」
「いいの?三人で分けた方が……」
「構いません。僕の担当分はもうほとんど終わっていますから」
「本当?すごい!」
にこやかにアレンの分の仕事を請け負う。最近は昼休みが暇だったから。
校舎裏でアレンと過ごした時間がぽっかり空いても、今更他の誰かと過ごす気にはなれなかった。
なんとなくアレンがいるんじゃないかと思って、少し遠回りしてレコードショップの前を通って帰った。
だけどもちろん彼の姿はなかった。病欠なら家から出るはずがない。
一人暮らしの部屋に帰宅後。目的なくつけていたテレビにアレンの母親が出演するソプラノリサイタルのCMが流れた。アレンには二人の親の形質が受け継がれている。髪や目の色、顔立ちに両親それぞれと似たところがあった。歳のせいか、演奏中の真剣な表情のせいか、両親の方が精悍で厳しく見えたけれど。
思い立ってスマホでピアニストである朱雀野氏の名前を検索した。まさかとは思うが、何かあって両親が海外から帰国できなくなって一人で寝込んでいるのではないかと疑ったからだ。
著名な演奏家というのは大抵オフィシャルサイトを持っている。朱雀野氏も例に漏れず。ブログやSNSのようなリアルタイム性の高いコンテンツはないものの、コンサート情報が逐一アップされる情報ページを開設していた。
確か、アレンは両親が海外に行っていると話していた。言葉通り、しばらく前の日程でアジアコンサートのスケジュールが掲載されている。そして、それより新しい日付でコンサート最終日の公演中止の告知も掲載されていた。
「中止……」
原因は会場にテロ予告があったためだ。日本ではテロの報道はなかったので英語で検索をかけ、詳細な記事を発見した。
テロ自体は未遂だった。何事もなく済んだため、日本国内では話題にもならなかったが、当該国内では政治的な理由で小規模なテロが数件発生していたこともあり、公演強行はできなかった。
次に調べたのはテロによる当該国から日本行きの飛行機の欠航情報だったが、朱雀野夫妻が利用したと思われる空港も乗り継ぎ空港もダイヤの乱れはなかった。
考えすぎだ。滅多なことが起きたから、連絡先すら知らない一クラスメイトのことなのに気にかけすぎている。
良くない傾向だと自覚していて検索の手を止めた。
間もなく定期テストもある。入院しているとは聞かなかったし、例えばインフルエンザのような感染症なら一週間くらい自宅療養になることだってある。
クラスメイトが寝込んでいると聞けば心配して当然だが、学校の同級生なんて夏準の人生のほんの一瞬しか関わらない人間だ。一人暮らしで暇な時間がたくさんあるから気にしてしまうだけなのだ。
そう思いながら暇つぶしに手元を見ないままマガジンラックから一冊の本を手に取った。アレンから借りたまま返しそびれているヒップホップ雑誌だった。
深まる憂鬱な気持ちをコントロールできなくて、テレビのバラエティ番組の空々しい笑い声だけが流れるリビングで頭を抱えた。
何があろうと燕家の長男、燕夏準は学年トップクラスの成績を維持する。
テストの点数なんかで一喜一憂することもない。顔に馴染み切った微笑みで結果を受け取り、周囲の席の生徒と軽い冗談を交わして着席する。
夏の定期テストが終わるとすぐに夏休みの説明と、秋に行われる学園祭の正式な日程が発表された。
「休みには海外に行く者も多いと思うが────」
昨年、夏準が一年生の時も同じ話があった。この学校は両親、祖父母などの親類が海外にいる生徒や、長期休暇に短期留学を予定している生徒が多い。そのために日本の他の高校よりも少しだけ休暇が長く、学園祭の日程も早めに通知される。
学園祭自体は十月の終わりあり、クラスごとの準備が本格化するのは一ヶ月前からだが、運営委員や学園祭を重要視しているクラブのメンバーは夏休み明けからすぐに動き出す。
一年生の時は、夏準は推薦を受けてクラス委員を務めていたから夏休み明けから準備活動に駆り出されていた。今年は内申点を上げたい生徒を推薦して早々に面倒な役割から逃れたのだけれど、どのみち夏休みに行く場所なんてなかった。
実家に帰っても誰も喜びやしない。帰国したところで、適当な社交スケジュールを組まれて親兄弟と面会する時間はほとんどなく、養父のビジネスパートナーのご令嬢のご機嫌取りか養父の代わりに厄介な親戚筋の人間との会食だの、どうでもいい視察だのに付き合わされる。
中学生になった頃から養父からの手駒扱いが顕著になった。総帥の息子という立場でそれなりの愛想を振りまいてくれば良い場面に便利に使われる。その上、社交相手の一部は夏準が後継者ではないことを承知で”それなり”の対応をしてくる。鈍感な子どもならそれでも心を痛めたりしないような、それなりに丁重な扱いをされるが、生憎夏準は人並み以上に賢かった。
よって、養父のお望み通り母国を離れてからは極力帰国しないことにしている。向こうだって夏準が養父母や小さな弟を憎んでいることぐらい想定していて、無理に帰国しろとは言わない。表向きは長男の自主性を尊重して好きにさせている寛大な父だ。昨年はその気持ちに感謝して長すぎる余暇を日本国内の旅行に充てた。今年だって、適当に旅行先の目星をつけている。
だけど、今年は去年と違うことがある。二週間経つ今も級友が一人、欠席を続けている。
週の頭には「まだ来ないのね」なんて囁いていた噂好きの女子たちもそれぞれの夏休みに気が向いていてアレンの話をしなくなっていた。
「それじゃあ夏休みまであと数日だけど気を抜かずに過ごそう」
今日最後のホームルームを終えて教室を出ていく担任を追って夏準も教室を出る。
「先生!」
まだ若い教諭は友人のような気安い笑顔で振り返った。
「どうした?」
「すみません。ちょっと、お願いしたいことがあるんです。……アレンのことなんですが」
「ああ……」
彼は最低限に整えた太めの眉尻を下げた。
「このまま夏休みに入ってしまうもんな。僕も三日前に電話で様子を聞いて以来だから、今日あたり様子を見に行ってこようと思ってるところだよ」
どうやら定期的に確認はとっているらしい。最初に欠席の報告があって以降、生徒に向けての説明はなかった。それはつまり、自宅療養から体調の悪化などの大きな変化がないということだ。
担任の困り顔に合わせて夏準も心配そうな表情を作って頷き、ノートを几帳面に切り取って折りたたんだ紙を差し出す。
「そうですか。丁度よかった。クラスの誰も連絡を取り合っていないので、せめて手紙だけでも届けてもらえないかと思ったんです」
「ああ、きっと喜ぶよ。溜まったプリントもまとめて持っていくから、直接手渡せるかはわからないけど預かろう」
「ありがとうございます」
快く引き受けてくれた担任に丁寧に頭を下げた。
もう夏休みだ。学校生活の中の一つの区切り。前期の憂鬱はここで終わりにしようと思って、最後の気遣いのつもりで手紙を書いた。
”お加減はいかがですか?クラスのみんなも心配しています。
僕もまた君と音楽の話ができるのを楽しみにしています。
学校へ復帰するのに困ったことがあれば相談に乗りますから、連絡をください。
それでは、お大事に。”
電話が鳴ったのは終業式の夜だった。
スマホの画面に表示された発信元は公衆電話だったが、夏準は迷わずその電話をとった。
その電話に知らない番号から電話があったら、必ず取ろうと決めていた。
夏準名義の携帯は二台ある。クラスの友人や、生活する上での事務的な連絡に使用しているものと、実家に関わる連絡だけに使用している電話。鳴ったのは後者。アレンに番号を教えた携帯だった。
もっと言えば、手紙に書いたのはクラスメイトにも教えているメッセージアプリのIDと電話番号だ。子ども同士の連絡はメッセージアプリやSNSがほとんどで通話は珍しい。アレンとも、連絡を取り合うならメッセージアプリの方だと思っていた。だけど友人の少ないアレンがアプリの使い方を知っているかわからなかったし、不特定多数から電話のかかってくる可能性のあるスマホは公衆電話や番号非通知の着信を拒否設定していた。
だから普段以上にメッセージアプリの通知や着信を気にしていたけれど、本当にかかってくると信じていたわけじゃなかった。
「はい、夏準です」
寝込んでいるはずなのに公衆電話なんて。疑問は当然あった。疑問というよりは不安だ。自宅療養から入院に切り替えていたところを無理にかけてくれたんじゃないかと考えた。
だけど繋がった電話のスピーカーから、人の声より先に雑踏のようなざわめきが聞こえてきた。病院内の電話スペースじゃあり得ない。
「アレンなんですか?」
相手がなかなか喋らないので気が急いて尋ねると、息を詰める様な雑音に続いてか細い声がした。
『……ああ』
ちゃんと電話がきた。アレンは、初めて自分から渡したアドレスに応えてくれた。個人的な安堵と同時に言葉が続かないことへの不安を抱いた。
「手紙、見てくれたんですね。具合はどうなんですか?それに今、外なんですか?」
訊きたいことがいくつもあって返事を待たずに矢継ぎ早に尋ねてしまった。二つ尋ねて反応を待つ間に声の大きな呼び込みの声とキャッチーなコンビニの入店メロディが聞こえた。やっぱり外だ。どこかの施設内じゃない、きちんとしたボックスで囲まれていないタイプの公衆電話からかけられている。
「……アレン?」
もう一度声をかけると、言葉にならない、迷うような短い唸り声がして、また吐息を枕にアレンの声がした。
『ち、違う……病気なんかじゃない、俺は……』
「じゃあどうして……」
話を続けようとした時に電話先から響いたブザー音が聞こえた。公衆電話なんか滅多に使わないから知っていたわけじゃないが、公衆電話の通話終了が近いと察して「違うんだ」と繰り返すアレンのどもる声を遮った。
「アレン、そこにいて下さい。もし他に頼れる人がいて立ち去るなら、できるなら近くのお店かどこかでレシートを一枚拾って紙飛行機にして、その電話のボックス内に置いてくれれば……」
考えて、急いで指示する途中で通話は切れた。
通話の切れたスマホを持って室内のノートパソコンを開き、電話の背後で聞こえたコンビニチェーンの店舗を検索する。呼び込みをしていた店の名前も表記にあたりをつけていくつか検索バーに打ち込んだ。
アレンの自宅の方向は大体なら聞いたことがある。学校の最寄駅から二駅。CDショップやライブハウスへのアクセスは悪い。
焦りを抑え込むために場所の特定前にマンション前まで車を呼び、財布と薄手のカーディガンを羽織った。
一番役に立つと思った呼び込みをしていた店を探すのは思いの外難しかった。日本の居酒屋は店名に出鱈目な当て字をしていることが珍しくない。日本人なら予測もつくのかもしれないが、来日して二年目の夏準では骨が折れる。
店の特定を打ち切って、住宅街から徒歩圏の繁華街とコンビニチェーンの立地からエリアを絞り込み、検索用と連絡受け用に二台のスマホを持って家を出た。
だって尋常じゃない。やっと連絡が取れたかと思えばスマホを持っていないわけでもないのに公衆電話で、冷静に会話もできなかった。
病気じゃなく、頼れる実の親も在宅しているはずなのにわざわざ夜の公衆電話から連絡してくる理由は何だというんだろう。
親絡みの怨恨や財産狙いの強盗被害に遭ってどうにかされていた可能性を考えたのは夏準自身の実体験からだ。母国にいた頃は通学の道すがら、付きまとっていた不審者が警護に捕まることも何度もあった。自宅の警備は常に厳重で、教育係から身の回りに注意するよう何度も教えられていた。
日本では燕財閥を知っている者はいても夏準のことまで知る者は少なくてずいぶん楽になったものだ。
何かしらの暴力が待ち受けていることも想定した。夏準は一通りの護身術は身に着けているし、恐らく場所は人通りの多い場所だ。人が多いということはいざというときに逃げ込める場所や助けを求められる人、代わりに通報してくれる人が多いということだ。
あらゆる可能性を考えながら、日本人運転手に居酒屋の名前を尋ねて口頭で漢字の綴りを提案してもらう。そして何度目かの挑戦で現地到着前に店の特定に成功した。
向かっているエリアに当該の店、コンビニがある。
詳しい場所を運転手に指示して車を走らせ、コンビニのすぐ近くで止めさせた。
公衆電話も車から見える位置にあった。コンビニの近くにあり、通りの向こうに例の居酒屋の電光看板が見える。人が入れるボックスで囲われていないタイプの公衆電話だ。レシートの紙飛行機はない。
一度電話の前に立ってから辺りを見回した。電話の発信元が見つかったとしてもアレンがまだ近くにいるとは限らないけれど。
でもちゃんと言いつけを守って待っているとしたら────────。
「…………アレン?」
少し歩いたところにある路地で壁にもたれかかって座り込んでいる人影に声を掛けた。公衆電話から近くて人目を避けやすい場所に彼はいた。
寝ていたわけではないだろうが、眠りから覚めたような緩慢さで落としていた首を持ち上げる。
「あぁ…………ホントに、来てくれた」
夜目にも分かる憔悴ぶりだった。
駆け寄って膝をつく。
場所は賑やかな通りの光が届かない位置で、隠れるようにして営業している小さなバーの控えめな灯りが儚く影を作っていた。
「一体どうしたんですか、こんな……」
何から問えばいいのか。疲れ切った顔には、左の頬に引っ掻き傷があった。半袖シャツとハーフパンツから覗く手足にもぶつけたような痣や擦り傷。その上裸足で、断りを入れて持ち上げたら足の裏に傷もあった。裸足で歩き回っていたなら当然だ。
そもそも、いくらなんでも繁華街まで出てくる服装ではない。譲歩しても庭の水やりだとか、深夜にごく近所のコンビニに行くような。つまり、部屋着だった。
場所が汚い路地じゃなく自宅ならしっくりくる。そういう格好だった。手ぶらで、予想はしたが携帯も財布も持っていない。唯一、ハーフパンツのポケットから白い紙の角が見えた。夏準のノートを切り取った、罫線がプリントされた紙が。
「……どうやって電話をかけられたんですか?」
ついこの場で一番重要でない質問をすると、アレンは虚を突かれて黙り込み、それから力なく笑った。
「その辺で、十円玉……二枚だけ、拾ったんだ」
「そうですか」
救援を手繰る細い糸みたいな小銭で電話をかけてきた。それならば夏準はアレンの命綱でなければならない。
会えなかった半月もの間に何があったのか聞くより先に夏準の腹は決まった。
今だけでも、強く必要とされている。そう思えばなんだってしてやれる。
裸足のアレンに背を貸して夏準が立ち上がった時、近くのバーの扉が開いて一組の客が出ていった。店主が客を見送る束の間、空気の淀んだ路地に薄らと、冷えた店内の空気とオールドスクールが溢れ出した。